Section1-8 秋幡辰久の契約幻獣
紘也はテーブルを取り囲むように集まった者たちをざっと見回す。
全部で八人、いや、八体。誰か足りない気もするが、どいつもこいつも強大な魔力を内に秘めていることがわかる。
「まずこのイカしたオッドアイの娘はヴィーヴル! 紘也少年も知ってるはずだよな?」
そう言って辰久が手で示した相手は、鮮やかな緑色の長髪をした背の高い女性だった。茶色のコートを羽織り、組んだ腕に豊満な胸が乗っかっている。左目がルビーのような真紅、右目が煌めくダイアモンドのような銀色をしている彼女は、面倒臭そうに頭の後ろをポリポリと掻いた。
「よう、ボスの息子。あん時は、その、世話になったな。暴走してたからあんま覚えてねぇんだけど」
「こっちこそ、あんたがいたおかげであの教団に勝てたところもあるから」
幻獣ヴィーヴル。フランスの伝承に登場する宝石の眼を持つドラゴンだ。かつて魔術的宗教結社『黎明の兆』と事を構えた時、奴らの用心棒として雇われていたグリフォンとの戦いで共闘してくれたのが彼女だ。なんでもグリフォンに右目の宝石を奪われていたそうだが、今は代わりを埋め込んでいるらしい。
「続きまして、さっき鈴理の病室でも軽く紹介したが……ヘスペリデスのアイグレー、エリュテイア、ヘスペレトゥーサ! うちの可愛く美しい三姉妹だ!」
昆虫のような翅を背中から生やした三姉妹の妖精がぺこりと頭を下げる。
「先程はお見苦しいところをお見せしました」
「フン、別によろしくするつもりなんてないわよ」
「『お兄ちゃん』と呼ばせていただくます」
申し訳なさそうに瞼を伏せている金髪の女性が長女のアイグレー。ツンとそっぽを向いた赤髪編みポニテの少女が次女のエリュテイア。オレンジの髪で片目が隠れて少し舌足らずな少女が三女のヘスペレトゥーサ。彼女たちとは会ったばかりだから改めて感がすごい。
「あんたら確か母さんの護衛だろ? こんなところにいていいのか? あと『お兄ちゃん』はやめれ」
「代わりの魔術師がついていますので問題ありません。私たちも普段は交代で護衛任務についていますので」
しっかり者っぽいアイグレーがそう言うのであれば大丈夫だろう。そもそもなぜ護衛をつける必要が……と思いかけて察する。今日見た感じ、あの母親を一人にすると余裕で病室を抜け出しそうだ。
「ここからは紘也も会ったことないはずだ。そこにいる黒髪の格好いい系お姉さんはフェンリル! こっちの青い髪のお姉さんはリヴァイアサン! どっちもかなり強いんだぞ!」
「……は?」
紘也は思わず素っ頓狂な声を上げた。フェンリルにリヴァイアサン。どちらも神クラスの力を持ったビッグネームである。
「……よろしく」
黒髪のスレンダーな女性が不愛想な表情で会釈をした。毛皮のついた黒いジャケットにジーパン。一言で挨拶を済ませた彼女は紘也のテーブルから骨付き肉を引っ手繰って静かに齧りついた。
「こらこらフェンリルさんや。俺の息子でも挨拶はちゃんとするもんだぞ」
「……む? 主の命であれば。フェンリルだ。よろしく頼む」
辰久に注意された彼女は、咀嚼していた肉を嚥下してから丁寧に頭を下げてきた。
幻獣フェンリル。北欧神話で最高神すら呑み込んだとされる巨狼。悪戯好きの神・ロキが生んだ長子であり、グレイプニルという特別な拘束具でなければ捕らえることもできなかった強大な幻獣である。
そんな存在が目の前にいることも大概なのに、同じくらい問題なのが合わせて紹介されたことを紘也は忘れていない。
「この子がタッつんの息子ちゃんか~、思ってたより全然可愛いね~。お姉さんのことは気安く『リヴィ』って呼んでね~」
間延びした声でそう言って紘也の手を握って来た、波打つ青い髪をした女性。黄色のワンピースの上からでもわかる大きな胸をたゆんと揺らし、にっこりと笑いかけてくる。ゆるふわな雰囲気を全身から滲み出しているが、紘也は反射的に頬を引き攣らせた。
幻獣リヴァイアサン。
旧約聖書に登場する『レヴィアタン』を原型とした、荒れ狂う〝海〟を象徴する大蛇として描かれる最強格のドラゴンだ。名前は〝捻じれた〟〝渦を巻いた〟という意味のヘブライ語が語源であり、神が天地創造の五日目に生み出した存在だと言われている。
「あんた、本当にリヴァイアサンなのか?」
「そうだよ~。だから略して『リヴィ』ね~」
「まさか親父、ベヒモスやジズとも契約してたりしないよな?」
紘也はあり得ないと思いながらも辰久に訊ねる。〝海〟を司るリヴァイアサンだけでなく、同じく神が創造し三頭一鼎として語られる〝陸〟のベヒモスに〝空〟のジズまで従えているのだとしたら、辰久はもはや『神』そのものと言っても過言ではなくなってしまう。
辰久は……ニィと口の端を吊り上げた。
「まっさかぁ! その二体とはおっさんもまだ出会ってすらいないさ! リヴィとはたまたま、なんやかんやあれこれあって契約したんだぁよ」
「その『なんやかんやあれこれ』は凄く気になるが、それ以上に聞きたくないから次に行ってもらえるか?」
「あの時は凄かったね~。タッつんが私にあっつい――」
「次に行ってもらえるか!?」
きゃっと頬を染めて語り出しかけたリヴァイアサンを押し退けて紘也は辰久を促した。どうでもいいけど、自分の父親が『タッつん』呼びされているのは非常にキモい。
「あーうん、了解。えー、そっちの茶髪のナンパ野郎がフレースヴェルグ、あっちの筋肉達磨がドラゴニュートね。はい次」
「雑!? おいコラおっさん男の紹介だけ雑すぎないか!?」
辰久のぞんざいな扱いにトゲトゲした茶髪の青年が抗議した。無駄なく鍛えられた体にタンクトップという軽装、背中から生えた猛禽類の大きな翼が威嚇するように広げられる。
「えー、だって野郎の紹介なんかしてもつまんないでしょ? 紘也少年には野郎の契約幻獣もいるよってことだけわかってもらえればいいし」
「まさか、親がコレなら息子もそうなのか? 娘もアレだしよ」
「ソレと一緒にしないでくれ。あんたがフレースヴェルグでいいんだな?」
「お? 案外まともそうじゃねえか」
「待って紘也少年!? 今お父様のことソレ呼ばわりした!?」
幻獣フレースヴェルグ。こちらも北欧神話由来の、世界のあらゆるを〝風〟を起こしたとされる鷲の姿をした巨人だ。名前には『死体を飲み込む者』という意味があり、ラグナロクの際に死者を嘴で引き裂く鷲として描写されているのもこの幻獣だと言われている。
フェンリルやリヴァイアサンには知名度で劣るものの、強大な幻獣であることには変わりない。
辰久に容赦なくツッコミを入れた彼を、紘也はどこか他人とは思えなくなった。
「あんなおっさんが契約主で大変そうだな、フレースヴェルグ。友好的な男の幻獣は近くにいなかったからなんか新鮮だ」
「『フレス』でいい。お前もこんなおっさんが父親だから苦労してきたんだろ。なんか困ったことがあったらオレを頼ってくれ。他の奴よりは常識的な自信があるからよ」
握手を交わす紘也とフレースヴェルグ。「なんでおっさんをダシに友情が深まってんの!?」とおっさんがさめざめ泣いていたが、スルーした。
フレースヴェルグが一緒に紹介されたもう一人を指差す。
「おっさんがやる気ねえからオレの方で簡単に紹介するけど、そこで目を閉じて腕組みしてるガタイのいい男はドラゴニュートだ。この世界での名前もあって、『ヴーク』というらしいぜ。お前なら、どんな幻獣なのか説明は不要だろうな」
腕組みを解いた男が目を鋭く開いて歩み寄ってくる。フレースヴェルグもいい体をしていたが、こちらはその比ではない。見上げるほどの巨躯であり、ボディビルダーも顔負けな筋肉で全身が覆われている。しかもピッチリとした服を着ているのかと思えば、近づかれてよく見ると頑丈そうな鱗だった。
「ドラゴニュートで、ヴーク……? もしかして、セルビアの民話に出てくる英雄・火竜ヴークのことか?」
幻獣ドラゴニュート。
いわゆる竜人と呼ばれる種族だ。神話上の神々によく見られる姿であり、中には完全にドラゴンへと変化できる者もいる。
その中で『ヴーク』という名前に心当たりがあるとするなら、東ヨーロッパの国であるセルビアに伝わる民話『王妃ミリツァとヤストレバッツの怪竜』だ。美しい王妃をつけ狙うドラゴンと、それを退治しようとする英雄の物語。ヴークとは悪役のドラゴンではなく英雄の方だが、その詳細な描写は物語中で全く登場しない。後の文献では『竜の血を引く人間の英雄』と説明されることもある。
「……」
無言で見下してくるドラゴニュートに紘也は気圧されそうになるも、どうにか気力を振り絞って手を差し出した。
「えーと、秋幡紘也だ。よろしく、ヴーク」
「……」
やはり無言で紘也の手を見た彼は、少し逡巡するような間を置いてから、握らずに大きな手を重ねるだけに留まった。
「あー、悪く思わないでくれ。普通に握手なんてしたらお前の手が潰れたトマトになっちまうからな」
フレースヴェルグが補足する。確かに潰れたトマトは嫌だ。
「こいつは寡黙で威圧感は凄いが、意外と気配りができて、戦いになれば最前線で無双する頼れる奴だ。オレらは敬意を込めて『ドラニュー将軍』って呼んでる」
カラコロと笑ってフレースヴェルグがドラゴニュートの広い背中を軽く叩いた。まるで金属の柱でも叩いたような甲高い音がするのだが、どんだけ硬いのだろう。
「……」
ドラゴニュートがぎろりとフレースヴェルグを睨む。
「あっ、そうだった。『ヴーク』の名はもう捨ててるから呼ばない方がいいぞ。なにがあったのかは知らねえが、呼ぶと機嫌が悪くなるんだ」
「なら教えるなよ……」
「ハハハ、まあ気にすんな。お? ドラニュー将軍なんでオレの首根っこ掴んで痛だだだだだ悪い悪かった勝手に教えちまったことは謝るからやめっ――」
ドラゴニュートはフレースヴェルグを片手で軽々持ち上げると、紘也に小さく会釈だけしてのしのしと連れ去ってしまった。フレースヴェルグは気のいい兄貴分といった感じだが、どうも口が軽いようだ。紘也も余計なことは喋らないようにしよう。
さて、ここに集まった八体の幻獣はすべて把握した。最初に感じた通り、どいつもこいつもとんでもない存在だったが、まだ終わりではない。
「親父、これで全員……じゃないよな?」
「もちろんだ。丁度準備ができたっぽいぞ」
パッ、と。
会場の照明が一斉に落とされた。停電ではない。真っ暗になって慌てる間もなく、前方ステージに三つのスポットライトが当たったのだ。
そこには三人のきらびやかな衣装を纏った少女がマイクを持って立っていた。
「今日は紘也さんたちのための貸し切りライブです!」
「チッ、なんで知り合いに見せなきゃなんねェんだ……」
「紘坊以外も存分に楽しむとよいのぢゃ!」
少女たちが一言ずつ挨拶するや、アップテンポの音楽が流れ会場を包み込んだ。曲に合わせて歌って踊り始める彼女たちを見て、辰久はニヨニヨとした気持ち悪い笑みを浮かべていた。
「フッフッフ、驚くなよ紘也少年。ロンドンを中心に絶賛売り出し中のアイドルグループ『ファンタズマゴリア』。その正体はなんと――」
「アルラウネ、クラーケン、九尾の狐だろ」
「あれぇ!? なんで紘也少年もう知ってんの!? さては大ファンか!?」
「違う!? 連盟本部に来る途中で偶然会ったんだよ」
紘也に言い当てられた辰久はサプライズが失敗したようにがっくりと肩を落とした。
「なんだよおっさん聞いてないぞ!? ちぇー、せっかく一番紹介気合い入れてたのに」
「いい年したおっさんが『ちぇー』とか言うな」
一曲目が終わってすぐに二曲目に入る。会場に集まった人々は飲み食いを止めてステージに魅入っている様子だ。歌は上手いしダンスも完成されている。ちぐはぐな三人だと思っていたが、息もピッタリだ。なるほど、これは人気急上昇もわかる気がする。きっと日本でも売れるだろう。
「全部で十一体か。ここにウェルシュとケツァルコアトルも含まれてたんだからとんでもないな」
「ん? いや、もう一人いるぞ」
「なんだって?」
紘也は思わず辰久を二度見した。これまで紹介された幻獣たちは一部を除けば一体でも並の魔術師では契約すらできない存在ばかりだった。それなのに、まだいるというのか。
紘也が絶句していると、後ろから幻獣とも人間とも少し毛色の違う魔力が近づいてきた。
「遅れて申し訳ない、辰久殿」
振り返る。そこには美しい金色の髪を流した白いドレスの女性がいた。宝石が埋め込まれたティアラに、青い羽を連結させた翼のような髪飾り。凛とした佇まいには神々しさすら感じる。
「いいよいいよ、寧ろタイミングはばっちりだ。にしても、ヒルデが時間を守れないなんて珍しいこともあるもんだぁね」
「馬鹿な同期がまたやらかしてしまって、一応監督責任のある私も主神から呼び出され、急ぎ神界へと赴かなければならなかったのだ」
「あらら、そりゃ難儀なことだったぁね。わかる。わかるぞ。おっさんも問題児な部下どもの後始末と上からお叱りが面倒で――」
「待て、待て待て待て!?」
何気ない風に交わされる辰久と女性の会話に、大人しく待っていられなかった紘也は慌てて割り込んだ。
「どったの、紘也少年?」
「今の会話だけでスルーできない単語がポンポン出てたんだが!? 主神に神界って諸に北欧神話の世界そのものじゃねえか!?」
「そうだね。実在するんよ」
「『ジークルーネ』は戦乙女の名の一つだ。てことは、そいつも?」
「ヴァルキリー・ブリュンヒルデだね」
「それが真実だとするなら、幻獣だけじゃなく神界の存在とまで契約を結んでるってことだ!?」
「君のような勘のいい息子は大好きだよ」
我が父のことながら、ここにきて流石に頭が痛くなった紘也である。幻獣契約とは文字通り『幻獣』と『契約』するものだ。ケツァルコアトルのような神クラスの幻獣ならまだ納得できるが、ヴァルキリーは半神半人――『幻獣』と呼ぶには些か無理がある。
「紘也少年の言わんとしていることはわかるよ。『幻獣契約』とは突き詰めれば即ち〝この世ならざる者と結ぶ契約〟だ。お互いの同意さえあれば神でも悪魔でも幽霊だろうと結ぶことは可能だぁよ。ああ、悪魔はよく人間と契約してるから例に出すのはちょっと違ったか。あれもあれで一種の幻獣契約だし」
「……デタラメすぎる。普通はできないぞ」
もはや父親を『普通』という言葉の枠に当てはめるべきじゃないことはわかっている。それでも、『普通』になろうとしていた紘也にとっては理解のキャパがそろそろ限界だった。
「ブリュンヒルデだ。よろしく頼む、秋幡紘也殿」
頭を抱えて蹲りたくなった紘也に、ヴァルキリー・ブリュンヒルデが握手を求めてくる。
「あ、ああ、こちらこそ。存外まともそうで安心したけど、まともってことはあんなおっさんに使われてると気苦労も多いだろう?」
フレースヴェルグがまさにそうだった。
「そんなことはない。これも契約の内だ。ああ、事後承諾になってしまうが、息子である紘也殿にも伝えておかねばならないな」
「なにを?」
まさか父親が既婚者のくせに幻獣に手を出した不貞でも暴露されるのだろうか? そう考えて心で身構える紘也に、ブリュンヒルデは優しげな微笑みを浮かべて告げる。
「辰久殿が亡くなられた時、その魂は英霊として私がヴァルハラへ連れて行く。そういう契約なのだ」
「――ッ!?」
思っていた内容とは全く違った。
ヴァルキリー――戦乙女とは本来、いつか来る〈終末戦争〉に備え、各地の戦場へと降臨して英雄となった者の魂を神界にある主神の宮殿『ヴァルハラ』に導く存在だ。紘也の父親は、そんなある種の死神に魅入られてしまったということになる。
辰久は死ぬと魂を持っていかれる。
そんな大事なことを今の今まで黙っていたことには怒りすら覚える。母さんは知っているのだろうか? 柚音は?
たぶん、日本にいた紘也だけだ。知らなかったのは。
辰久は死んでも安らぎを得ることなく、戦わせ続けられる。
そんなのは、そんなのは――
「あー、このおっさんが死んだ後も役に立つなら好きにこき使ってくれ」
「酷くない!?」
割とどうでもよかった。なんなら自業自得だろうし、息子からしてもろくな死に方しないだろうとは思っていた。地獄に落ちないだけマシかもしれない。
「なるほど、この父あってこの子ありだな」
なんか納得した様子でブリュンヒルデは紘也の前から立ち去った。他の幻獣たちもとっくにどこかへ消えてしまっている。アイドルたちのライブもいつの間にか終わっており、会場は明るさを取り戻していた。
「おっさんの契約幻獣たちはどうだった、紘也少年?」
「正直、想像以上だった……」
怒涛の紹介に精神が疲弊した紘也は大きく溜息を吐く。こうなったら食べて回復するしかないと、テーブルの寿司に手を伸ばした。
その時――
ガシャアアアン!!
「おいそこのお前ぇえッ!!」
ガラスの瓶が叩き割られる音と、殺意すら籠もった怒号が会場内に響き渡った。




