Section1-2 幻獣違い
「あいつらあれだけ言ったのに!?」
まさか四人も一気に逸れるとか誰が予想できただろうか。せいぜい一人か二人だと思っていたし、紘也も注意したからと慢心せず気をつけていたのだが、奴らは忽然と姿を消したのだ。迷子のプロか。
土地勘のない山田とバンシーはわからなくもない。が、ウェルシュとケットシーは元々ロンドンに住んでいたはずである。なにか事件性があるのではと一瞬考えはしたが、それならウロやケツァルコアトルが気づくはずだろう。普通に迷子だ。
「俺とウロで来た道を戻って捜すから、柚音たちは駅員に事情を説明しといてくれ」
バディントン駅構内。半円形のガラス屋根が特徴的なこの駅は、複数の路線が乗り入れており、ロンドン観光の起点として機能している。かなり広い上に、観光客が多いせいで混み合っているため迷子を見つけるのは骨だ。
「わかったわ。あ、キャシーについては放置してもいいわ。どうせあの子は勝手にぶらついてるだけだろうし、その気になったら本部まで転移してくるから」
「帰ってきたらお仕置きでございます」
柚音とケツァルコアトルの呆れた様子からして、ケットシーがふらっと行方不明になるのは日常茶飯事のようだ。自由すぎる駄猫である。
二手に分かれ、紘也たちはホームを逆走する。空港からバディントン駅までノンストップで十五分ほどだった。その間は全員一緒にいたため、逸れたのはバディントン駅に到着してからで間違いない。
「はぁ、まったくあの馬鹿ども、紘也くんの手を煩わせるんじゃあねえですよ」
「ウェルシュがいないのは迷った山田たちを追いかけてるんだと思いたいけどな」
とはいえ希望的観測だ。ウェルシュもウェルシュでポンコツなところがある。素で迷子になっていると考えた方がいい。
「紘也くん紘也くん、腐れ火竜たちがどこにいるかわかりますか?」
「ああ、ウェルシュと山田は契約のリンクを辿っていけば見つかるだろ」
紘也は一旦立ち止まると、邪魔にならないよう構内にあったブルネルの銅像に寄って目を閉じた。
集中する。
己の中にある〝繋がり〟を感じ取る。
「……二人とも方向は一緒みたいだな。駅から出てはなさそうだが……問題はバンシーだ」
バンシーは紘也と幻獣契約を交わしていない。だからリンクを辿って捜し出すことはできないし、人化していては近づくまで魔力の気配を感じることも難しいだろう。
「どこかで〝大泣き〟していれば手間は省けるんだが」
「あんな夜泣き女なんてそこらで干からびてればいいんです。それより見つかるのが時間の問題なら……にゅふふ、せっかく二人きりですしロンドンデートしましょうロンドンデート!」
ウロがわざとらしく頬を赤らめて這い寄って来た。紘也はスンと表情を虚無にする。
「しない」
「またまたぁ、いくら心が氷鬼の紘也くんでも旅行を楽しみたい気持ちはあるでしょう? なんやかんやで遊ぶの好きじゃあないですか? 駅の中だけでいいんです。ちょっとくらいあたしとのんびりしっぽりすっぽりうひょひょなことしたって罰は当たらな――」
「いた! バンシーだ! あの灰色ローブは間違いない!」
「あの腐れアンデッド!? なにもう見つかってんですか喰い殺しますよ!?」
迷子捜しというミッションを達成する気がないウロは置いといて、紘也はバンシーの背中を追いかける。なぜかバンシーも走っており、人込みをスルスルと機敏に抜けていく。
「おいバンシー! 止まれ! くそっ、なんで逃げてるんだあいつ?」
「このまま連盟に行くと殺処分されると思ってビビったんじゃあないですか?」
「だったら最初からついてこないだろ」
行き場所がないからと紘也たちに同行したバンシーだ。連盟に向かうことはとっくに知っている。ここでいなくなってしかも逃げるということは、その理由が嘘でロンドンに来ることが目的だったのではないだろうか?
だとすれば、なにかよからぬことを企んでいる可能性もある。
「あっ、駅から出ましたよ!?」
「しょうがない。柚音には後で連絡するとして、追いかけるぞ!」
外へと走り逃げていく灰色ローブを追いかけ、紘也とウロもバディントン駅を後にした。
バンシーはサウス・ワーフ・ロードを真っ直ぐ東に向かって走って行く。数十メートル離れた位置から紘也たちが追跡する。
チラリと一瞬だけバンシーが背後を見た。どうやらこちらに気づいたらしく、急に方向転換して路地裏へと駆け込んだ。
「本気で俺たちを撒くつもりらしいな。ウロ、挟み撃ちにするぞ」
「イエッサー! 別にあたしが倒しちゃってもいいんですよね?」
「倒すな!?」
思わずツッコミを入れたが、場合によっては倒す必要性が出て来ることも念頭に置かなければならない。
ウロが一瞬で建物の屋根に飛び上がり、路地裏を抜けようとするバンシーの目の前に降り立った。
「おっと、そこまでです」
「――ッ!?」
紘也も後ろの出口を塞ぐ。立ち止まらされたバンシーは、オドオドした様子でフードに隠れた顔を右往左往させていた。
「短い鬼ごっこでしたね。このあたしから逃げられると思ったら大間違いですよ」
腰に手を当てたウロが腹の立つドヤ顔でそう告げると、バンシーは観念したのかしおらしく項垂れた。
――ん?
そこで紘也は違和感を覚えた。あの灰色ローブがバンシーなら、とっくに大声で泣き叫んでいるはずである。
妙に大人しい。
嫌な予感がした。
「……くだ……い」
ぼそり、とバンシー(?)がなにかを呟く。
「は? なんて? 声が小さいんですよ。いつもみたく大泣きしてみてはどうです? まあ、あたしには効果ないんですけど」
ウロが耳に手をやって顔を近づけた瞬間、バンシー(?)は息を大きく吸い込み――
「㌫㌶㌍㌫㍊㍍㌻㌫㍊㌶㌍㍍㍊㍍㌘㌶㌍㍊㌶㌍㌫㌻㍍㌘㍍㍍㍗㌘㍍㌫㌍㌧㍍㌘㍍㍍㌻㍍㍗!!」
鼓膜を突き破らんばかりの悲鳴じみた凄まじい叫び声が路地裏に響き渡った。
「な、なんですかこの〝声〟は!?」
耳を押さえたウロがよろめいて数歩下がる。今の声には魔力が籠っていたが、バンシーの〝大泣〟とは違う。
これで確定した。
「ウロ!? 気をつけろ、そいつはバンシーじゃない!?」
人違い、もとい幻獣違いだ。
ただの人違いならごめんなさいで済むだろう。が、幻獣違いとなると話が変わる。こんな街中を怪しい格好で逃げているような幻獣を放置していいことなどあるわけがない。
「そんな、わたしの〈致死の絶叫〉で気絶しないなんて……ッ!?」
あわわわわ、と腰を抜かす灰色ローブの少女。よく見るとそのローブも似てはいるが、バンシーのものとは微妙に異なっていた。
と――
「伏せてろアララ!」
ウロの背後から声が聞こえ、吸盤のついた白く太い触手が凄まじい勢いで伸びてきた。
「――あん?」
振り返ると同時にウロは触手を脇に挟むようにして受け止める。触手の根本には同じように灰色ローブを纏った少女が立っていた。触手は右腕を変形させているようだ。
「なっ!? アタシの攻撃を受け止めやがっただと!?」
「この触手は……ああ、なるほど。もしかして紘也くんをハメようとしてる野良幻獣かなんかですかね?」
ウロは触手を抱えたままその場に飛び上がる。それから一本背負いの要領で触手を少女ごと持ち上げ――
「どっっっせぇえええええええええええい!!」
思いっ切り、地面に叩きつけた。
「かはっ!?」
「クララさん!?」
バンシーかと思っていた少女が触手少女に駆け寄る。路地裏で荒れ狂った風が二人のフードをぺらりと捲る。
そこにあった顔は、やはりバンシーではなかった。
「あれ? あいつらは……?」
アネモネの花飾りをつけた明るい緑髪の少女と、先端が赤みがかった白い髪の少女。どこかで、というよりつい先ほど見た記憶のある顔だ。
「テメェ、人間じゃねぇな? 本気でぶっ潰してやるよ変態ストーカー!」
「誰が変態ストーカーですか!? あたしが変態したりストーカーするのは紘也くんだけです!?」
紘也にもしないでほしい。
「わけのわからんことを!」
起き上がった白髪少女が今度は左腕も触手に変えてウロに襲いかかった。ウロはその場を動くことなく、煩わしそうに二本の触手パンチを弾いていく。
「ニハッ、いいなァいいなァ! 久々に戦り甲斐のある相手だ! やっぱアタシはクソみてぇな歌や踊りをやらされるよりこっちの方が性に合ってんだァ!」
触手が増えた。今度は足だ。
三本、四本……合計十本。すっかりバケモノの姿と化した少女は、愉快そうにニィと好戦的な笑みを浮かべている。
「ったく、鬱陶しいですね。ゲソ天にして喰ってやりましょうか!」
「やってみろよ! 名も知らねぇ幻獣が!」
触手が一斉にウロへと躍りかかる。ウロも掌から圧縮した魔力弾を撃ち放ち――
「そこまでぢゃ!」
突如、空から降る形で割って入った人影が、両者の攻撃を不可視の障壁で弾き飛ばした。
「そやつらはわっちらを尾けておった熱狂的なファンではない。双方、拳を下げるのぢゃ」
日本の巫女装束を纏った少女だった。黄金色の髪から飛び出た狐耳がピクッ動き、ふっさふさの九本の尻尾が妖しく揺らめいている。十二歳くらいの幼児体型だが、金の瞳に宿る威厳がドラゴン族にも匹敵する上位の存在であることを物語っていた。
「タマさん!」
「チッ、別に、んなこたァどうでもよかったんだがな」
緑髪少女がタマさんと呼ばれた狐少女に抱き着き、白髪少女は触手を収めて元の人の姿へと戻る。
ウロが指示を仰ぐように紘也を見たので、首を横に振ってこれ以上の戦闘はやめさせた。
「お前ら、アイドルグループの『ファンタズマゴリア』だよな?」
紘也が歩み寄ると、狐少女が全てを悟っているような表情で見上げてくる。
「その通りぢゃ。そっちの血の気が多い触手女はクラーケンのクララ。頭に花を咲かせておるのはアルラウネのアララ。そしてこのわっち、白面金毛九尾狐・玉藻前ことタマぢゃ」
「アルラです!?」
アララと呼ばれた緑髪少女がぷくぅと頬を膨らませる。呼び方が気に入らないらしい。
「やっぱり幻獣だったのか」
隠そうともしないタマに紘也は溜息をつく。画面越しで見た時から薄々そんな気がしていたのだ。
そうなってくると、いろいろ予想ができる。まず、幻獣のアイドルグループなんて連盟が放置しておくはずがない。彼女たちは連盟に属する契約幻獣で間違いないだろう。契約のリンクも感じる。
ケツァルコアトルが近い内に会うと予言じみたことを言っていたが、まさかこんなに早いとは思わなかった。
「主は秋幡紘也ぢゃな?」
「ああ、そうだ」
味方だとわかれば嘘をつく必要はない。紘也が肯定すると、タマはなぜか懐かしそうな微笑みを浮かべ――ひしっと紘也に抱き着いた。
「は?」
「ちょ!? なにやってんですかこの腐れ狐がッ!? あんたの血で赤い狐に変えてうどんにしてやりましょうかおおん!?」
ウロが慌てて引き剥がしにかかろうとするが、見えない壁でもあるのか近づくことすらできない。
タマは抱き着いたまま顔をくいっと上げ、宝石のような金の瞳で紘也を見上げる。
「久しいのぢゃ、紘坊。主が赤子の時ぶりか。大きくなったのう」
「え? てことは……」
赤ん坊だった頃の紘也を知っている幻獣となると、可能性は一つしかない。
「親父の契約幻獣!?」




