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天井裏のウロボロス  作者: 夙多史
Volume-05
195/228

Section5-1 トゥアハ・デ・ダナン

 アイルランドの地下深く。本来は存在するはずのないずれた位相に、巨大な古代都市が広がっていた。

 ケルト神話において女神ダーナを母神とする神族――トゥアハ・デ・ダナン。アイルランドに四番目に上陸した種族である彼らがミレー族との戦に敗れ、移り住むことになったとされるのがこの地下世界だ。

 そんな彼らの種族がそのまま都市名となった地下世界は現在、魔術師との契約を拒む野良幻獣たちの隠れ家となっていた。

 だが、この都市で暮らしているのは幻獣たちだけではない。

 地上から攫われてきた人間も、幻獣たちの監視の下で生活させられているのだ。

「う……」

 人々が収容されている独房の一室で、秋幡柚音は目を覚ました。

「あ、れ? 私、確か……」

 朦朧とする意識の中、思い出す。ロンドン行の飛行機で移動中、野良幻獣(グレムリン)の襲撃に遭った。戦闘中に気を失ってしまい、遅れて出現したデュラハンに攫われてしまったことは覚えている。

「――ッ!?」

 ハッとして上体を起こす。見回せば石造りの独房だった。照明は通路に設置された松明だけで頼りない。冷たく硬い石のベッドに寝かされ、申し訳程度のボロい毛布がかけられている。

 他の牢から啜り泣くような声が聞こえる。ここにいるのは柚音一人ではないようだ。

「あ、よかった。気がついたんですね」

 同じ牢から声がかけられる。柚音は即座に警戒して杖を探すが――ない。魔術に関わる道具は全て取り上げられているらしい。

「だ、大丈夫です。わたしは敵じゃありません」

 そう言って近づいてきたのは、柚音よりも年下の可愛らしい少女だった。農作業でもしていそうな作業着に、赤い大きなリボンのついたカチューシャ。ショートの金髪は薄汚れていて、洗えばきっと綺麗になるのに勿体ない。

「あなたは?」

「わたしはアリサ・ポッツと言います。えっと、気を失っていたあなたをお世話するように言いつけられていました」

 少女――アリサは柚音に水の入ったコップを手渡した。柚音は素直に受け取って一口啜る。泥が混ざったような酷い味だった。

「お水、おいしくないですよね……」

 顔を顰める柚音にアリサが申し訳なさそうに苦笑する。彼女も含め、ここに閉じ込められている人たちは普段からこんな水しか与えられていないのだろう。恐らく、食料も。

「私は秋幡柚音。言いつけられたって、誰に?」

「クロウ・クルワッハさんって人に……」

 幻獣だろうか? 魔術師だろうか? 見習いで知識の浅い柚音は名前を聞いただけでは判断できない。

 ただ一つわかることは――

「そいつが私たちを攫わせた黒幕ってわけね」

 ここから脱出するならば、そいつは避けては通れない壁として立ち塞がるだろう。魔術師だとしても幻獣だとしても、今の柚音が敵う相手ではなさそうだ。正面からは戦えない。特に今は道具を奪われてまともに魔術を使えないのだから。

「あの、ユズネさんは何者なんですか? 他の人は意識がなくても放置されることがほとんどなのに」

「私は魔術師よ。まだ、見習いだけど」

 柚音が特別扱いされているとすれば、恐らくその一点。魔術師だからというわけではなく、それなりの魔力を持っているからだろう。要するに、野良幻獣たちの餌として良質なのだ。

 目の前にいるアリサも相当な魔力を持っている。一般人とは思えないほどに。

「魔術師……あの人と同じ……」

 ポツリと呟くアリサ。どうやら魔術師の知り合いがいるようだが、今はそこを追及するより現状に対する情報収集が優先だ。

「アリサちゃん、ここがどういう場所なのか教えてくれる? できるだけ詳しく」

 柚音がなるべく優しい声でそう訊ねると、アリサは力強く頷いた。

「はい、ここは『トゥアハ・デ・ダナン』って呼ばれている遺跡? みたいなところです。どこにあるのかはわかりませんが、幻獣さんたちが支配していて時々わたしたちみたいな人間を連れて来ています」

 彼女の目は柚音と同じで、まだなにも諦めてなどいない。自分で脱出するつもりなのか、それとも誰かが助けに来るとわかっているのか。とにかく心強い。

「集められた人たちはそれぞれ決められた区画に閉じ込められていて、そこでいろいろとお仕事をさせられています」

「お仕事って?」

「いろいろです。編み物をさせられたり、食事を作らされたり、男の人は力仕事なんかを。あ、あと一日一回だけ眠る前に宝石みたいな綺麗な石に触らされます。そのあとすごく力が抜けちゃうので、嫌なんですけど……」

 アリサは自分自身を抱き締めてぶるりと震えた。労働はわからないでもないが、綺麗な石に触ると力が抜けるというのは――

 ――きっと魔力を吸われているのね。

 となると、他の労働はおまけのようなものだろう。石に吸わせた魔力は野良幻獣たちの存在維持に使われていると予想できる。

 これではまるで――


()()()()ね」


 

「に、人間牧場!? そ、そういえば幻獣さんたちはここのことを『ファーム』って呼んでいました」

「じゃあ、間違いないわ。幻獣たちは人間を家畜化して魔力不足を補っている。もしかすると、それ以外のことにも使っているかもしれないわね」

 これはここだけで済む話なのだろうか? 幻獣たちがこのまま力を蓄え続けたら、そのうち世界に進出してしまう可能性もある。そうなったら世界は幻獣に支配され、全人類が彼らの家畜か奴隷に成り下がってしまう。

「早くなんとかしないと。どうにかパパかお兄にここのことを伝えられたらいいんだけど……」

 連絡手段はない。魔術も使えない。そうなると脱獄する以外になさそうだが、アリサの話だけではまだまだ全体像を掴めない。

 柚音もケットシーみたいに身一つで転移魔術を使えればいいのだが――

「そういえば、私の他にもう一人いなかった?」

「え?」

 思い出した。連れ去られる直前、意識はほとんど失っていたが、ケットシーもこちらに来ているはずだ。

「人間じゃないんだけど、こう猫耳を生やした頭の悪そうな女の子」

「すみません、わたしは見てなくて……」

 申し訳なさそうにアリサは顔を伏せた。牢に閉じ込められていないとすれば、ケットシーはもう……いや、契約のリンクはまだ切れていない。

 契約して日が浅いため方角くらいしかわからないが、彼女は確かにここに来ている。逃げるにしてもケットシーを置いてはいけない。

「キャシー、今どこにいるの?」

 柚音はその方角を向いて不安げに呟くのだった。


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