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天井裏のウロボロス  作者: 夙多史
Volume-05
194/228

Section4-7 樫の木の賢者

「そうか、捕まえたバンシーからいろいろ聞き出せたみたいだね」

 携帯電話にかかってきた秋幡絋也からの連絡に葛木修吾は頬を緩めた。ライノット・ファミリーの邸で邂逅した後、彼らとはこれまで通り別行動をすることになっていたのだ。

 秋幡紘也が提案したのは、単純な囮作戦だった。

 そんなものに敵が引っ掛かるのか疑問だったが、彼が本気で解放してみせた魔力は大魔術師を上司に持つ修吾ですら慄いてしまった。

 それほどまでに、彼の魔力は巨大で良質。

 相手が野良の幻獣であれば、いや幻獣でなく魔術師だったとしても、罠とわかったところで無視などできるはずがない。

 ――話に聞いていた以上だ。強大な幻獣と立て続けに契約したことが彼を成長させたのかな? 魔力量だけなら、既に秋幡主任よりも……。

『あと転移の魔導具は入手したんだが、どうやら回数制限があるみたいなんだ。残りはトゥアハ・デ・ダナンに飛ぶ一回だけしか使えそうにない』

「僕たちも合流した方がよさそうかい?」

『いや、一度に転移できる質量も決まっていて、三人が限界らしい。だからバンシーに案内させる形で俺とウロが行くつもりだ。捕まった人間のフリで潜入してみる』

 どうやら、彼の囮作戦はまだ継続中らしい。そうなると隠密行動をさせるのはウロボロスだけなのだろう。確かにその方がスムーズに事を運べそうだ。

「危険だよ――と言っても、考え直すつもりはないんだろう?」

『ああ』

 迷いのない返事。バンシーから聞き出した内容を考えれば、悠長にしていられる余裕がないことは修吾も理解している。

「最後に確認だけれど、転移の魔導具は本当にそういう性能なのかい? バンシーが嘘を言っている可能性は?」

『その点は大丈夫だ。うちにはその辺りに詳しい蛇がいるからな』

『あたしはドラゴンですってば!』

 ウロボロスは錬金術の神のような存在だ。魔導具についても詳しいわけである。

「ハハハ、それなら問題なさそうだね。流石は秋幡主任の息子さんだ」

『そう言われるのは嫌なんだけどな』

 照れているのか、紘也の声はどこかげんなりしていた。もしくは父親は関係なく自分自身を評価してほしいのかもしれない。年頃なのだろう。

「うん、了解した。こちらはこちらでなるべく早くトゥアハ・デ・ダナンへ行く方法を見つけるよ。秋幡主任の方も急いで部隊を編成して向かうそうだ。ハハハ、アレは戦争でも仕掛ける勢いだったね。下手するとアイルランドが焦土と化すよ」

『笑いごとじゃない!?』

「だからそうなる前に僕たちで決着をつけないとね。大丈夫さ、時間ならある。秋幡主任はアレでも冷静だから」

『あんたずいぶんとポジティブだな!?』

「よく言われるよ」

 秋幡主任の副官などには『ポジサイコ』と罵られたこともあるが、そこまでではないと修吾は思う。

 通話を切り、一息つく。

「……電話は終わったの、修吾?」

「うん、彼らには先を越されちゃったね」

 修吾は隣に寄り添う六華の頭を軽く撫でる。大魔術師の息子で、強大な幻獣を連れているとはいえ、秋幡紘也は一般人だ。修吾の立場なら本来は止めるべきだっただろう。

 そうしなかったのは一重に彼ら協力が早期解決に不可欠だろうと判断したことと――


「それでグリフォン君、そのご老人からは情報を聞き出せたのかい?」


 こちらの方でも『トゥアハ・デ・ダナン』への道が開けそうだからだ。

 場所はダブリンから見て北東にある小さな孤島。そこにはとあるアイリッシュ・マフィアの別荘兼武器庫として使われている邸があり、情報源が住んでいるらしいと各地で暴れまわっていたグリフォンから連絡を受けたのだ。

「黙っていろ。これからだ。すぐに吐かせる」

 合流してみればマフィアの構成員は全滅しており、グリフォンはリビングのロッキングチェアに腰かけた一人の老爺と対峙していた。

 緑色のローブに身を包んだ老爺は……人間ではない。

「トゥアハ・デ・ダナンについて貴様の知っていることを全て話せ、ドルイド」

 ドルイド。

 ケルト人社会における司祭であり、『(オーク)の木の賢者』と呼ばれる存在だ。彼らは樫の森を聖地とし、ヤドリギを使った解毒などの魔術を得意としている。魔術師連盟にも何人かドルイドは所属しており、そのヤドリギの魔術薬を使うことで彼らは人間から魔力を摂取しなくてもマナの乖離を抑えられるそうだ。

「また懐かしい名前が出て来たのう」

 老爺――ドルイドは軽めとはいえグリフォンの〝王威〟を受けてなお怯まず、哀愁の漂う声でそう言った。しわがれた肌ように見える皮膚は、どうも樹皮でできているようだ。

「それを聞いてお主らはどうするつもりじゃ?」

「実は」

 修吾は今アイルランド周辺で起こっている事件について簡潔に説明する。話を聞いたドルイドは少し唸って逡巡した後、諦めたように短く息を吐いた。

「トゥアハ・デ・ダナンはのう、神話の時代を生き延びた神々や幻獣が、このアイルランドの地下に創った大都市じゃ」

「地下都市? そんなものがあるなんて聞いたことがないね」

 恐らく魔術師連盟にも記録されていない情報だ。

「当然じゃな。都市は空間の位相をずらして創られたのじゃからのう。それに神々が去り、幻獣たちも消えたことで崩壊したはずじゃ。もう何千年も前の話じゃて」

 何千年も前に崩壊したとなれば、今修吾たちが追っているトゥアハ・デ・ダナンとは別物なのだろうか?

 いや、そう決めつけるのは早計だ。ドルイドの言葉は完全な崩壊を確認したものではなかった。

「貴様はその時代からの生き残りか?」

「そうじゃ。わしら四賢者と呼ばれたドルイドだけが人間界に留まり、こうして慎ましく暮らしておる」

「フン、マフィアに飼われているのが慎ましい暮らしだと? 笑えん冗談だ」

 グリフォンが風を纏った腕をドルイドに向ける。ドルイドも何千年と生きた眼光で睨み返す。

「彼らはわしの家族じゃ。何世代もずっと見守り続けた。お主らが殺しておらぬことはわかっておるが、わしの家族を馬鹿にするようならこれ以上喋ることがなくなるぞ?」

「その時は貴様がマナに還ることになるが?」

「構わん。殺すなら殺せ」

 このドルイドは決してグリフォンに屈さない。本当に死を覚悟した者はその恐怖に対して怯まないからだ。

「グリフォン君、脅しが効く相手じゃないよ。僕が代わろう」

「チッ」

「……修吾の手を煩わせるなんて使えない鷲獅子ね」

「表に出るか雪女? 決着をつけるなら相手になるぞ?」

 交代した修吾の背後で六華とグリフォンが睨み合う。それだけで部屋の温度が急激に下がり、荒ぶる風が窓ガラスや調度品などを次々と壊していく。

「仲間が失礼したね。心配しなくてもこれ以上このマフィアに手を出すことはしないよ」

「後ろを見るんじゃ!? 今まさに手を出されておる気がするんじゃがの!?」

「ハハハ、二人は仲がいいからね」

「……」

 ドルイドの目が虚ろになって沈黙した。わかってくれたようだ。何千年も生きているから理解が早いのだろう。

「聞きたいのは、トゥアハ・デ・ダナンに行く方法じゃな?」

「教えてくれるのかい?」

「さっさと教えんとやべー気がするんでな。主にこの邸が。それにわしも古巣をどこの馬の骨とも知れん連中に荒らされとる可能性があるなら、見過ごすわけにはいかん」

 一触即発な六華とグリフォンに戦々恐々しながらドルイドはそう答えた。自分が死ぬのは覚悟できているが、家族であるマフィアやその所有物をどうこうされるのは嫌らしい。

「『エリンの四秘宝』は知っておるかの?」

「〈ルーの槍〉、〈ヌアザの剣〉、〈ダグザの大釜〉、そして〈戴冠石リア・ファル〉だったかな?」

 エリンの四秘宝とは、ダーナ神族がアイルランドに攻め込む前に入手した四つの秘宝のことだ。

 自動で敵を撃墜する『勝利を約束する槍』――〈ルーの槍(ブリューナク)〉。

 ダーナ神族の王ヌアザが携えていた光の剣――〈ヌアザの剣(クラウ=ソラス)〉。

 煮炊きした食べ物が決して減ることのない魔法の釜――〈ダグザの大釜〉、

 アイルランドを支配する王が正当か判定する運命の聖石――〈戴冠石リア・ファル〉。

「四つの秘宝が全て揃った時、トゥアハ・デ・ダナンの道が開ける術式が起動するようになっておるのじゃ。わしも当時は何徹もして術式を編んだものじゃ」

 昔を懐かしむドルイドの老人は、嘘をついているようには見えない。だが、『エリンの四秘宝』はどれも文字通り神話級のアイテムだ。簡単に手に入るとは思わない方がいいだろう。

「……ゲームみたいだわ」

「ハハハ、確かにそれっぽいね。ご老人、秘宝は今どこに?」

「わしらドルイドが一つずつ管理しておるのじゃ。〈ルーの槍〉はドルイド・エスラス、〈ヌアザの剣〉はドルイド・ウスキアス、〈ダグザの大釜〉はわし――ドルイド・セミアスが持っておる。ちょっと待っておれ」

 ドルイドの老人――セミアスはロッキングチェアから立ち上がると、邸の奥へと消えていった。

 逃げる様子ではなかったので追わないでいると、やがてゴロゴロとなにか大きな質量を転がすような音が聞こえ――

「これが〈ダグザの大釜〉じゃ」

 ぜぇぜぇと息を切らして持ってきたそれは、大人数人が同時に入れそうなほど巨大な釜だった。転がして持ってきたせいか新しい傷もついてしまっている。

「……扱いが雑よ。秘宝なのでしょう?」

「とっくに秘宝としての機能は壊れておるからの。昔は風呂釜として使っておったが、今はもっといい風呂があるのでのう。ぶっちゃけ物置のスペースを取るだけで邪魔じゃったんじゃ」

「……雑すぎるわ」

 あまりのテキトーさに六華が溜息を漏らしていた。

「トゥアハ・デ・ダナンへの扉を開く鍵としての術式が失われていなければ問題ないよ」

「修吾、問題ならあるわ。これ、どうやって持ち運ぶの?」

「グリフォン君の風で――」

「王は荷物持ちなどせん」

「鷲獅子なんて馬車馬と変わらないのに」

「……これ以上の愚弄は見過ごせんぞ雪女。死ね」

「嫌よ」

 グリフォンが風の刃を放ち、六華が氷の刃を生み出してそれを弾く。風と氷の応酬はその一発だけでは収まらず、局地的なアイストルネードとなって天井を吹き飛ばした。

「邸が!? わしらファミリーの邸が!? もう手を出さんのじゃなかったのか!?」

「ハハハ、二人とも喧嘩するのはいいけど外でね」

「喧嘩!? わしには殺し合いにしか見えんのじゃが!?」

 確かに人様の家を壊してしまったわけなので、破壊したものの補填は魔術師連盟に申請することにする。

「それでご老人、〈戴冠石リア・ファル〉はどこにあるんだい?」

「この男しれっと……〈戴冠石リア・ファル〉はタラの丘じゃ! ドルイド・モルフェッサが管理しておる! ついでに言えば〈戴冠石リア・ファル〉自体がトゥアハ・デ・ダナンへの入り口になるわい!」

「となると、先に他の秘宝を集めた方がよさそうだね」

「ほれ、他のドルイドの居場所はここに書いたぞ! 持っていけ!」

 セミアスがメモ用紙を差し出す。慌てて殴り書いたような文字で住所が記されていた。

「ありがとう。いろいろ迷惑をかけてしまって申し訳ない」

「わかっておるならさっさと出て行ってくれんかのう!? これ以上は邸が持たん!?」

「ハハハ」

 結果的に脅すようなやり方になってしまったような気もしないでもないが、修吾たちは半ば追い出される形でマフィアの邸を後にした。ちなみに〈ダグザの大釜〉は修吾が式神の要領で護符に封じ込めたので、持ち運び問題は簡単に解決している。

「というわけで、手分けして〈ルーの槍〉と〈ヌアザの剣〉を入手しよう。それからタラの丘の〈戴冠石リア・ファル〉で合流ってことでいいかな?」

「フン、仕方あるまい。この〈ルーの槍〉とやらは俺が手に入れてやろう。王を働かせるのだ、遅れるなよ貴様ら」

 偉そうにメモの半分を引っ手繰ると、グリフォンは翼を広げて夜の空へと飛び去っていった。

「……鷲獅子って夜目は効くのかしら?」

「大丈夫だと思うよ。人化もしたままだったし」

 迷いなくメモに書かれた住所の方角に飛んで行ったので、グリフォンについては心配いらないだろう。寧ろこれから彼に襲撃されるドルイド・エスラスの方が心配である。

「さて、僕らも急ごう」

 修吾は護符をばら撒き、胸の前で印を結ぶ。するとばら撒かれた護符が集まり、人が乗れるサイズの折り鶴を形作った。

 この孤島までやってきた時にも使った移動用の式神である。こう見えてけっこうなスピードも出せるのだ。

「……それ、風がダイレクトにあたるから好きじゃないわ」

「僕はバイクに乗っているみたいで気持ちいいと思うけど」

 まずは修吾が座席部分の前側に跨り、六華が後ろ側に足を揃えて腰かける。それからぎゅっと抱き着く形で修吾の胴に手を回し――ふらり、と。折り鶴が羽ばたくことなく浮き上がった。

「じゃあ行くよ」

 修吾の合図で折り鶴はグリフォンにも負けない速度で空を駆ける。

 目指すは〈ヌアザの剣〉を所有するドルイド・ウスキアスの住居。自分たちが赴くためにも、秋幡主任の部隊を送るためにも、トゥアハ・デ・ダナンへの扉は開かねばならない。

 紘也たちは既に敵の魔導具を使って潜入作戦を開始しているはずだ。

 彼らだけに任せるわけにはいかない。一分一秒でも早く駆けつけるつもりで、修吾は折り鶴の式神を操縦するのだった。


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