Section4-6 死を予言して泣く精霊
その少女は高いビルの屋上に腰かけてダブリンの夜景を眺めていた。
灰色のマントが風に靡く。先程買ったフィッシュ&チップスを一口齧り、彼女は悲しそうに嗚咽を漏らす。
「ふえぇ、ライノット・ファミリーが潰れちゃったよぅ。多少は使える組織だったのに勿体ないよぅ。困ったなぁ。困ったなぁ」
泣きそうな声で囁きながら、フライドフィッシュをもぐもぐ。
「他にもアイルランド中のマフィアが潰されてるらしいし、私たちを嗅ぎ回ってる人ってどんだけ凶暴なんだよぅ」
怖いというより、悲しいという気持ちで少女は震える。とはいえ別にマフィアたちに情があるわけではない。彼女の幻獣としての特性がそうさせているのだ。
と、その時――
「ふぇっ!?」
バッ! とそれを感じた方角に振り向く。
とてつもない魔力が突然現れたのだ。魔術が発動されたのでもなければ、強大な幻獣が現れたわけでもない。
信じられないが、人間だ。
人間が、特に意味もなく魔力を垂れ流している。
「えぇ? どういうことぉ?」
少女は困惑する。明らかに罠だ。関わってはならない。そう頭では理解しているのだが、この魔力はそんな理性を吹き飛ばしてむしゃぶりつきたくなるような魅力がある。
「すごい。この前デュラハン先輩たちが持ってきた魔術師見習いもビックリするくらい魔力持ってたけど、これは……」
ゴクリ、と生唾を飲む。
「今まで集めた人間たちを合わせても、全然足りないくらい……」
これを持って帰れば、少女はトゥアハ・デ・ダナンに最高の貢献をすることになるのではないか? そう考えると、先程までの悲しさが消えてなくなった。
寧ろ今から捕らわれ、死んだ方がマシなことになるだろう魔力の持ち主を想って悲哀の感情が込み上げてくる。
一般人なわけがない。十中八九、魔術師だ。
魔術師は魔力も多いが、リスクも大きい。だから今まではなるべく避けてきたのだが、これほどの魔力であればたとえ罠だろうと無視なんてできない。
それにもし、仮に、万が一の可能性として、この魔力の持ち主が魔術師じゃなかったら?
――あり得ないあり得ない。騙されちゃダメ。ダメよ私。で、でもぉ。
理性がふらつく。このただならぬ魔力を感じる度に、心の中の悪魔が力を増し、天使が麻薬を吸ったように目を回す。
――ちょっとだけ、手は出せなくても、正体を見極めるくらいならぁ。
あわよくば捕まえてお持ち帰りしたい。少女は残りのフィッシュ&チップスを一気に頬張ると、ビルの屋上からふわりと飛び降りた。
「早く、早くぅ、逃げられるぅ」
建物の屋根伝いに魔力を感じる方へと急ぐ。やがてその魔力がすぐそこまで近づいてきた辺りで急停止。
三階建てビルの屋上から見下ろすと――
「あれ? ここって……」
そこはライノット・ファミリーが罠を仕掛けていた路地裏の一つだった。そして一週間前までは少女の『狩り場』として使っていたポイントでもある。
魔力を垂れ流しているのは、十代後半くらいと思われる少年だった。彼は路地裏の中心で立ち止まり、警戒するように周囲を見回している。
「や、ややややっぱり、私たちを調べに来た魔術師だよぅ。ふえぇ、一旦帰って先輩たちに報告し――」
少年が、少女の方を向いた。
偶然ではない。確実に目が合った。
「に、逃げ」
「いらっしゃーい♪ 今日は月が隠れてていい夜ですねにゅほほほ♪」
ガッシ、と。
少女の両肩が何者かに掴まれた。
「ふぇええええええええええええええええんっ!?」
涙目になって首だけ振り向くと、ペールブロンドの少女が蛇みたいに絡みついていた。
「灰色のマントにフードの少女。間違いありませんね」
「……くんくん、幻獣の臭いです」
さらに若葉色の髪をした長身の女性と、真紅の髪を二股に結った少女が自分を検め始める。今まで抑えていたから接近されるまで気づかなかったのだろう。彼女たちの魔力もとんでもない。
そして、人間じゃない。
この圧倒的で、高潔で、暴力的なまでの巨大さを秘めた魔力は――
「ど、どどどどドラゴン族だよぅ!? ダメだよ無理だよ格上の幻獣には私の〈死の予言〉は通用しないのぉ!? デュラハン先輩の〈死の宣告〉くらいじゃないとぉ!?」
「へえ、てことはあんたバンシーですね」
「ひゃああああバレちゃったぁあッ!?」
幻獣バンシー。
死者が出る家に現れ、泣いてそれを知らせるとされる妖精である。アイルランドの旧家には必ず一体のバンシーがいるとされ、家系が続く中で若くして死んだ娘の化身とも言われる。デュラハンのように死を運んでくるわけではなく、あくまで〝予言〟するだけの存在だ。大泣きした時の声が大迷惑ということを除けば、人間にとっては寧ろ有益になることもあるという。
「それと『デュラハン』とも口にされました。『トゥアハ・デ・ダナン』の幻獣で間違いございません」
「バレバレ!? もう言い逃れできない!?」
「……転移の魔導具、見つけました」
「盗られたぁあッ!? ふぇええええええええええええええん!?」
「ああ、あんたのその〝大泣〟もあたしらには蚊の羽音くらいなので、正直うざいですけど意味ないですよ?」
「万策尽きた!?」
フードもマントも緑色の服も引ん剝かれ、ダメ押しとばかりにロープで縛りつけられた少女――バンシーは力なくその場に崩れ去るのだった。
すると、屋上の扉が開いて例の魔力垂れ流し少年が現れる。
「ウロ、灰色マントの幻獣は捕まえ……」
ピシリ、と少年が石化したように固まった。
「紘也くん紘也くんほら見てください! バッチシ作戦通り捕縛しましたよ!」
「……目的の魔導具も奪い取りました」
「尋問の後に処分がよろしいかと存じます」
「ひっく、ひっく、ふえぇ……」
裸で縛られた血色の悪い弱々しい少女を、寄って集って苛めているような図だった。
《……流石に吾でもそこまでせぬぞ》
少年の後ろからひょこりと顔を出した青和服の幼女も、ドン引きしていた。
「うん……まあ、敵だし、幻獣だし、逃がさないようにするならまあ……うん」
少年は頭を押さえて少し悩んだようだが、なんか考えるのをやめたような顔になって溜息をついた。
「とりあえず、問題ないなら服は着せてやれ」
「や、優しさが、優しさがあるぅ」
その一言だけでバンシーには少年が救世主のように見え――
「それから知ってることは全部吐いてもらうからな。嘘はつくなよ?」
「ふぇえええええええん!?」
救世主が一気に悪魔へと変貌し、気のせいだったと悟るのだった。




