Section4-2 クロウ・クルワッハの痕跡
アイルランド西部。ゴールウェイ市。
そこに本拠を構えるウォートルス一家は、西部地域で最も強大なアイリッシュ・マフィアとして恐れられていた。
つい、数分前までは。
「ぐ……た、助けてくれ……」
ウォートルス一家の首領である初老の男――ダミアン・ウォートルスは今、突然襲撃してきた青白い髪の青年に首根っこを掴まれていた。
他の構成員たちは既に全滅し、広大な邸は見るも無残に破壊されている。
組織は壊滅した。襲撃されてからたったの数分で。
「あのクソ蛇野郎はどこだ? 知っていることを吐け」
青年――グリフォンは気絶しないギリギリの〝王威〟を込めてダミアンを睥睨する。
「く、クロウ・クルワッハのことか? 私は知らん! 本当だ! 奴め、昨日から姿が見えんのだ。こんな時のために雇ってやったのに!」
「フン、捨て石にされたらしいな。奴にとってここは所詮その程度だったということか」
放っていた〝王威〟を僅かに強める。それだけでただの人間であるダミアンは簡単に意識を手放した。
乱暴に放り捨てる。殺してもよかったが、わざわざそんな手間をかけてやる意味はない。それに、そうすると煩い連中がいるのだ。
「それで、貴様らの方はなにかわかったのか?」
振り返らずそう訊ねる。ダミアンの私室の入口に、日本人の好青年と着物を纏った銀髪の少女が立っていた。
好青年――葛木修吾は残念そうに肩を竦める。
「彼は痕跡を綺麗に消しているね。いや、元々残すようにしていなかったと言った方が正しいかな」
「つまり収穫はなしか。使えん人間だ」
「……修吾、今日の晩御飯は鷲獅子の氷漬けでいいかしら?」
「ハハハ、流石にそれは食べられないなぁ」
「大丈夫。醤油ならあるわ」
「そういう問題じゃないよ」
銀髪の少女――『雪女』の六華が王に対して不敬なことを口にするが、今はその挑発に乗る時間も惜しい。
「あとグリフォン君、僕は『収穫ゼロ』とは言っていないよ」
そこで振り返る。修吾の爽やかな笑みが嘘ではないことを物語っていた。
「ウォートルス一家の方でもクロウ・クルワッハの調査はしていたようでね。彼が他のマフィアとも接触していることだけはわかった。どうやらそっちのマフィアは他の幻獣も使役している魔術結社でもあるみたいだ」
「……どこだ?」
魔術結社であれば手がかりが残っている可能性は高い。ウォートルスのような小物からこれ以上得られるものがないのであれば、早急にそちらへ向かうべきだ。
地図アプリでも開いたのだろう、修吾はタブレットに視線を落とし――
「ライノット・ファミリー――首都ダブリンに根を張る歴史の深いマフィアだね」
∞
アイルランドの首都ダブリン。
テンプルバーである程度の聞き込みを終えた紘也たちは、父親から送られてきた資料を参考に被害のあった場所へと行ってみることにした。
聞き込みの成果はほとんどないようなものだった。人攫いを実際に目撃したという話もなく、資料に書かれていること以上の情報は得られなかった。
ただし――
「いくつかのアイリッシュ・マフィアが妙な動きをしてるって噂は気になるな」
紘也たちが捜しているのは野良幻獣の集団、もしくはそれを使役する魔術結社だ。ただのマフィアは無関係だと思いたいが、知恵のある野良幻獣が魔術師ではない組織を隠れ蓑にしている可能性は捨て切れない。
「引っかかるのでしたら、マフィアのアジトを訪ねてみますか?」
ケツァルコアトルが事務的に訊いてくるが、紘也は首を横に振る。
「いや、余計な面倒事は抱えたくない。関わっていることが確定するまではノータッチで行こう」
「御意」
別に紘也はマフィアが怖いわけじゃない。だってこの面子だ。寧ろ壊滅させ兼ねないから、街のバランス的には触れない方がいいと判断しただけである。
そうしてテンプルバーから徒歩十分。一週間前に誘拐があったらしい路地裏へと紘也たちはやってきた。
「人払いがされてるな」
構造的にいろいろなショートカットに使えそうな路地裏なのだが、今は誰も寄りつこうとしていない。事件があったからという理由だけでは不自然だ。調べてみると人払いの結界が施されている。恐らく連盟が現場の保護のためにそうしているのだろう。好都合だ。
「紘也くん紘也くん!」
と、ウロがなにかはしゃいだ声を上げて紘也を呼んだ。
「どうした、ウロ? なにか見つけ――」
「表でフィッシュ&チップスが売ってました! 変なソースが癖になります! 腹が減っては夜戦でギッコンバッコンできませんよ!」
「とはいえ一週間だからな。流石にもうなにも残ってないか」
「はい、幻獣の臭いはしません」
「――ってスルーしないでくださいちゃんと情報もあるんですよぉおッ!?」
涙目で絡みついてくるウロは非常に鬱陶しいが、どうやらただ買い食いをしてきたわけじゃないらしい。
「フィッシュ&チップス売りの人に聞いたのですが」
ウロはチップスに緑色の謎ソースをつけて口に放り込んでから、今しがた聞いた話を始める。
「事件の直前、この路地裏に入っていく人を見たそうです」
「人? 幻獣じゃないのか? いや、被害者の方か」
仕方なく紘也もチップスを貰い、ソースはつけずに食べる。塩が充分効いていて美味い。
「灰色のマントを羽織った女の子だったそうです。顔はフードで見えなかったようですが、その子がフィッシュ&チップスを買って路地裏に入ってすぐ悲鳴が聞こえたそうですよ」
「その子の悲鳴……じゃないな。資料が間違ってなけりゃ、ここで攫われたのは二十代男性のはずだ」
「紘也様、その少女が人化した幻獣という可能性はございますか?」
「ある。というか、高そうだな」
事件があったのは夜中だ。そんな時間を『女の子』と表現できる存在が一人で路地裏に入っていくなど怪しいことこの上ない。
《ふわぁ。雄だとやる気が出ぬ……》
「……」
そこで暇そうに大欠伸している山田は、元からなんの期待もしていないのでスルーしておく。
「!」
と、ウェルシュがなにかに反応して周囲を見回した。アホ毛がピコピコ動いている。
「ウェルシュ?」
「……マスター、囲まれています」
紘也もハッとする。それから感覚を研ぎ澄ませてみると、あちこちの死角に魔力の反応が窺えた。
だが、これは――
「幻獣、じゃないな」
「はい、人間です」
ウェルシュも断定する。
「貴様ら、なにをこそこそと嗅ぎ回っている?」
目の前の屋根。そこに高級そうなスーツを纏った強面の男たちが立っていた。顔に傷があったり、刺青を彫っていたり、サングラスをしたりと、どう見ても堅気の雰囲気ではない。
「この路地裏は我々ライノット・ファミリーが人払いを施していた。なぜお前たちは入れる? いや、わかるぞ。魔術師に、幻獣が四匹か」
リーダー格の男がサングラスを外し、鋭い眼光で見下ろした。人払いの結界は連盟が施していたわけじゃなかったようだ。
「まあ、蜘蛛の巣にかかった獲物には違いない。幻獣の女どもは捕えて使役する。男は殺して契約を破棄させろ」
その淡々とした言葉に、ピクリ、とウロが反応した。
「あぁ? あんた、今なんて言いました?」
ドスの利いた声と共に睨め上げる。魔力が吹き荒れ、ビリビリと空間が振動する。
「紘也くんを、殺すですって?」
ああこいつら死んだな、と心の中で冥福を祈る紘也だった。




