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天井裏のウロボロス  作者: 夙多史
Volume-04
157/228

Section4-6 翼を持ちし文化と農耕の神

 シトロンは待っていた。

 仕込んでいた術式の発動準備が完了するのを――ではない。

「遅いわね。隠れてるわけじゃないんだから、探知でもなんでもすればいいのに」

 その声色には少しばかりの不満と苛立ちを孕んでいた。

 待っているのは秋幡紘也だ。咄嗟にあんな()をついてしまったために慎重になっているのはわかるが、それでも数時間も放置されるとは思っていなかった。

「本気にされちゃったってことかしら?」

 シトロンには最初から蒼谷市を地図から消すつもりなどなかった。キリアン・アドローバーの術式も生きていなければ、彼と仲間だったというのも真っ赤な嘘である。

 全ては秋幡紘也を焚きつけるため。用があるのは彼だけだ。

 ここまで持ってくるためにキリアンは寧ろ邪魔だった。だからキリアンが排除されるまで秋幡紘也たちをケットシーに街の外へと連れ出してもらっていた。

「うにゃあ……本当に来るのかにゃ、ご主人?」

 シトロンの隣に猫座りしたケットシーが退屈そうに欠伸をしていた。そんな態度だが猫耳はピクピクと動いて警戒し、二股の尻尾も落ち着きなく上下に揺れている。

「怖気づいて逃げたんじゃにゃあか?」

「もしそうなら二度と家族に会えなくなるわね。大事な人も守れずに失って、深い絶望と後悔を背負って生きていくことになるわ」

「にゃはは、ご主人は酷いにゃあ」

「……」

 というかこの猫娘は、ウロボロスなんていう強大な幻獣を連れている秋幡紘也が怖気づくなんて本気で思っているのだろうか? 二股で力の強いケットシーではあるが、なんというか頭の方ももう少し賢明になってもらいたい。

「その心配は不要のようです」

 背後から女性の声。振り向いて確認する必要はない。シトロンが座っている位置より高い瓦礫の上(・・・・)で見張りをしてもらっている――もう一体の契約幻獣だ。

 スラリと高い身長に連盟のローブを纏い、フードから若葉色の髪が一房はみ出している。ドラゴン族の莫大な魔力と絶対的な存在感を内に秘めつつ、彼女の視線はある一点に向けられていた。

「……やっと来たのね」

 シトロンは立ち上がる。正門から堂々とやってきた三人――秋幡紘也、ウロボロス、葛木香雅里を出迎えるために。


 場所は崩壊した秋幡邸。


 わざわざわかりやすくキリアンが仕込んでいた術式の中心点に居座ってあげたのだ。葛木家の現場検証も終わっており、シトロンが宗主に手を引かせるように仕向けたおかげで他には誰もいない。侵入は容易かった。

 街中だが、ここなら既に結界に守られているし、戦闘を行えるだけの面積もある。なにより壊れるものが塀くらいしか残っていないから打ってつけだ。


 秋幡紘也を存分に叩き潰すには。


「遅かったわね。待ちくたびれたわ」

 声が届く距離まで歩み寄ってきた彼らにシトロンは挑発的に言う。葛木香雅里までついてきたのはスケジュール外だが仕方ない。彼女の相手はケットシーに任せよう。

 シトロンは口元に笑みを浮かべると、ローブの懐から短い杖を取り出して瓦礫から飛び降りた。


        ∞


「本当に俺んちにいたよ……」

 葛木玄永から居場所の予想を告げられた時にはまさかと思ったが、その後でキリアン・アドローバーの術式を詳しく聞けば納得できるところもあった。

 でも本当にそんなわかりやすい場所にいるなんて半信半疑だった。魔術をちょっとでも齧った者からすれば『見つけてください』と言わんばかりの位置だ。街一つの破壊を目論むならもっと巧妙に隠れていてしかるべきである。

 しかし、その疑問も彼女からの一言で掻き消えた。

「俺たち待っていたのか?」

 彼女は確かに『待ちくたびれた』と言った。向こうはわざと見つかるように秋幡邸を選んだのだ。

 なんのために?

 紘也により深い絶望を与えるため? 街を破壊する前に秋幡辰久の息子を甚振り殺したいということか?

「そうよ。言ったはずよ。『止めたければ止めてみなさい』って。これはあなたに与えてあげた最後のチャンス。ここで私を止められなかったらコウに……諫早孝一も、鷺島愛沙も、あなたの大切なモノは全部この街ごと消えることになるわ」

「あ? あんたふざけてんですか?」

「待て、ウロ」

 ウロが表情を怒りに歪めて飛びかかろうとするのを、紘也は手で制した。

「お優しいことだな。やめろ、と言ったらやめてくれるんじゃないか?」

「ないわ。もし私が『本当はやりたくないから。止めてほしいから待っていた』なんてくだらない妄想をしてるなら捨てなさい。あなたを直接叩き潰すことは街の破壊と同じくらい秋幡辰久にとっての見せしめになるんだから」

「……そうかよ」

 本当に見せしめになるかどうかは疑問の余地があるが、彼女はそう確信しているのだろう。でなければわざわざ待ったりしない。

「今度はこっちから質問していいかしら?」

 もう話すことはないとでも言わんばかりに戦闘が始まるかと思った紘也だったが、意外にも会話は続くようだ。

「あなたや葛木家ならもっと早く私の居場所を掴めたはずよ。ちょっと遅くなり過ぎじゃない?」

「準備に手間取っただけだ」

 紘也の準備もそうだが、葛木家が防御結界を施す準備がある程度完了するまで動くべきではないと判断していた。迂闊に襲撃をかけて半端な状態でも街を破壊する術式を発動されては困るからだ。

「へえ、どんな準備をしてきたのかしら?」

 もしかすると時間稼ぎのつもりなのか、興味深げにそう訊ねる彼女に――


「当然、あんたをぶっ飛ばすための準備ですよ!!」


 拳を握ったウロが地面を抉るように蹴って答えた。爆発的な速度で突進するウロ。容赦なく敵の魔術師を爆ぜ飛ばす一撃は――パシン! 間に割って入ったもう一人のローブの女に片手で易々と受け止められた。

 衝撃で彼女のフードがふさりと落ちる。

「大変申し訳ありませんが、あなたのお相手は私が務めさせていただきます」

 微風に靡く若葉色の長髪に羽飾り。百人が百人とも『美人』と答えるだろう整った輪郭に健康的な白い肌。金色の両眼は無感情の色を湛え、拳を突き出したまま舌打ちするウロを見据えている。

「この場で戦闘を行うと我が主人の邪魔になってしまいます。とはいえ、お互い主人から離れるわけにはいかないでしょう。横にずれていただきます」

 紳士然とした丁寧な口調で告げた瞬間、唐突にウロの体が真横に吹き飛んだ。なにが起こったのか紘也には見えなかった。いや違う。見えなかったのではない。元々不可視の衝撃がウロを横殴りにしたのだ。

「今のは、風……?」

 香雅里が力の正体を予想する。そうなると、あのドラゴンは地と風の二属性を操るということだ。

「やってくれましたね!!」

 塀を突き破ったウロがその瓦礫を吹き飛ばして戻ってくる。だが、そこに向けて既に大地の槍が幾本も射出されていた。

「チッ」

 ウロは〈竜鱗の鎧(スケイルメイル)〉を発動させた腕を顔の前でクロスさせる。大地の槍程度ではウロボロスの強靭な鱗に傷一つ刻むことは叶わない。

 全ての大地の槍を防ぎ切ったウロが顔を上げた時には、若葉色の女性の姿が消えていた。

 見失ったウロは首を回して周囲を警戒する。だが、警戒すべきは周りではない。戦いを外から見ていた紘也は若葉色の女性がどこに行ったのか知っていた。

「ウロ、上だ!」

 紘也が叫ぶと同時にウロは上空を見上げ――風を纏った巨大な岩塊が降り注いでいる光景に目を見開いた。

「い、隕石って馬鹿じゃないですか!?」

 ウロは咄嗟に自分の手首に噛みついて魔力を〝循環〟させる。〝貪欲〟の魔力ドーピングにより高まった魔力で、隕石と自分の間の空間に大穴を穿った。

 隕石は吸い込まれるようにどことも知れない空間に呑み込まれていく。あのまま落としたり砕いていたら、ウロだけではなく紘也たちまで危なかっただろう。

「お見事です。流石は〝無限の大蛇〟――ウロボロス様でございますね」

「あたしはドラゴンです! あんたと同じですよ!」

 ウロはキッと上空を睨みつける。被害なく防がれることを承知で隕石もどきの岩塊を落としたと思われる女性は……背中に翼を生やして浮かんでいた。

 ドラゴンと聞いて思い浮かべるような蝙蝠に似た翼――ではない。


 白鳥、もしくは天使。そう思ってしまうような、純白の羽毛に覆われた巨翼だった。


「風と大地を操る羽毛の翼のドラゴン……あー、はいはい。なるほど、わかりました。あんた、ケツァルコアトルですね?」

「はい、仰る通りです」

 ウロの看破に、若葉色の女性は隠すことなく頷いた。


 幻獣ケツァルコアトル。

 蛇の体を持ち、鳥のごとく空を翔けるアステカのドラゴンだ。中米文明においては〝文化〟と〝農耕〟を司る神、または〝金星〟の神、〝風〟の神など様々な形で信仰対象となっている。司る特性は人間を助け、守り、導くことから神々の中でも群を抜いて人気があるらしい。

 そして神と言われるだけあり、戦闘となっても普通のドラゴンなどよりも遥かに強い力を持っている。


「人間に好意的な種族のあんたが、その人間に危害を加えようとする奴に加担するなんて落ちぶれたもんですね」

「神は必ずしも慈悲のみを与えるというわけではありません」

「まあ、なんだっていいです。神だろうがなんだろうが、今のブッチブチにブチ切れてるウロボロスさんには関係ないお話です。呑み込んでやりますよ。〝神喰い〟――一度やってみたかったんですよね」

 凶悪な笑みを浮かべるウロボロスだが、ケツァルコアトルに怯んだ様子はない。そのままウロも翼を生やして飛び上がり、秋幡邸の上空で強大なドラゴン同士の激突が開始された。

「秋幡紘也、今のうちに彼女を捕縛するわよ」

 香雅里が日本刀――〈天之秘剣・冰迦理〉を抜き、片手の指に数枚の護符を挟んだ。

「ああ、勝てそうか?」

「わからないわね。ケツァルコアトルと契約できるレベルの魔術師だもの」

 確かにドラゴン族との契約は並み外れた魔力がなければ不可能だ。彼女はさらにケットシーとも重複して契約している。大魔術師とはまでは行かずとも、かなり高位の魔術師だと予測できる。

「あなたはここを動かないで。まずは私が様子を――」

「そうはさせにゃいにゃよ」

「「――ッ!?」」

 紘也と香雅里は同時に後ろを振り向いた。地面に展開された魔法陣からケットシーが飛び出し、香雅里の握っていた日本刀を蹴り落す。

「つッ!?」

 手首の痛みに苦悶の表情を浮かべる香雅里。その背後にケットシーは素早く回り込むと、彼女の背中を締めつけるように強く抱き着いた。

「にゃっははーッ! おみゃあはご主人の邪魔ににゃるから、別の場所でみゃあと遊ぶにゃ!」

「お前ッ!」

 紘也が引き剥がそうとケットシーの背中に手を伸ばすが、二股の尻尾で弾かれた。そしてすぐに気づく。香雅里とケットシーの足元に転移の魔法陣が展開していることに。

「私は大丈夫よ、秋幡紘也! すぐに片づけて戻ってくるから、あなたはそれまで絶対生き延び――」

 香雅里の言葉は最後まで聞けなかった。転移が完了し、二人はここではないどこかへと移動したのだ。

「くそっ!」

「嘆く暇はないわよ」

 地面を殴りつけたい衝動に駆られる紘也に冷淡な声がかかる。

「あなたにはこれから私の相手をしてもらうのだから」

 ゆっくりと歩み寄ってくる少女が手に持った短めの杖を振う。

 杖の先端に赤い魔法陣が描かれ、そこからサッカーボールほどの火炎が紘也に向けて射出された。

 四大元素の『火』を象徴とする『杖』を使った儀式魔術だ。かなり簡略化された低位の即席術式だが、今の紘也を甚振るには充分過ぎる。

 なんとか横に飛んでかわした紘也に、少女は口元に酷薄な笑みを浮かべた。


「まあ、魔術を捨てたあなたに、私の相手が務まるかどうかはわからないけどね」


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