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天井裏のウロボロス  作者: 夙多史
Volume-03
121/228

Section5-8 それぞれの助かる道

「……マスター?」

 アトランティス上空。ウェルシュ・ドラゴンは自分の体に起こった異変を感じ取り、際議場の方角に首ごと目を向けた。

 ――契約が、切れかけています……。

 契約のリンクはアトランティスの〈不可知の被膜〉を持ってしても遮断できない。それが意味するところは二つだ。

 紘也自身がウェルシュとの契約を意図的に解除したか。

 紘也の身に、命に関わるなにかが起こったのか。

 契約のリンクは徐々に弱まっていく。意図的に解除したならば一瞬だろう。つまり、紘也の命が急速に失われつつあるということ。

 ――マスターっ!

 すぐにでも飛んで行きたい衝動に駆られたウェルシュだが、そこに襲ってきた火炎に気づいてどうにか踏み止まる。

 火炎を避け、放った者を睥睨する。

「ウェルシュ、あんたと戦いたくはなかったけど、こっちも必死なんだ。邪魔するなら叩き潰すよ」

 ガーネット色の隻眼をさらに真っ赤に充血させたヴィーヴルだ。グリフォンから遠ざかったことで幾分か頭が冷えているようである。

 だからこそ、わかってほしかった。

「……今のヴィーヴルではグリフォンに勝てません」

 彼女は万全の状態でも負傷し片目を抉られているのだ。今の状態で狂ったように暴れるだけでは今度こそ消滅させられてしまう。

「それでもあの野郎に一矢報わないと気が済まないんだよ! それに連盟を飛び出す時、ちょっと暴れちまったんだ。もうボスにも合わせる顔がない」

「死ぬ気ですか?」

「……」

 ヴィーヴルは答えない。代わりに両手の掌の上で炎を操り、煌々と燃える火柱を打ち上げた。二つの火柱は上空で弾けて混ざり合い、先程まで連発していた小太陽の数十倍の大きさまで膨れ上がる。

「……やはり、ウェルシュが止めるしかないようです」

 ウェルシュは元マスター――秋幡辰久から一つの指示を受けていた。鷺嶋神社裏の天然ビーチで紘也にかかってきた電話に交代した時だ。


 ――ヴィーヴルはもう、正気じゃないかもしれんのよ――


 ――俺が今から行ってもたぶん間に合わないだろうね――


 ――だから、その時にどうするかはウェルシュの判断に任せる――


 ――酷なことを頼むことになるが……最悪の場合、どうか楽にしてやってくれ――


 その場では電話の向こうの相手にただ頷くだけだったウェルシュだが、それが現実となった以上は真剣に考えなければならない。

「ヴィーヴルは……正気ではありませんが」

 まだ、なんとかなる。ウロボロスのエリクサーで回復したおかげだろうか。〈不可知の被膜〉を突き破った時ほどの獣さは見られない。

 なにより、会話が成立している。

 意志がはっきりとしている。

 だからまだ、助かる。

「ヴィーウルをグリフォンと戦わせるわけにはいきません」

 助けるためにウェルシュはヴィーヴルと戦う決意をする。今もリンクが切れつつあるマスターのことも放ってはおけない。だからなるべく早く蹴りをつける必要がある。

「……そう、どうしても邪魔するのね」

 一瞬、つらそうに表情を歪めたヴィーヴルは、全身を炎に変え、上空の小太陽を解き放つと同時に自分自身もウェルシュに突撃を開始した。


        ∞


 左胸を貫かれた紘也が血飛沫を上げて倒れた瞬間、真っ先に動いたのはウロボロスだった。

「うわぁあああぁああぁあぁああぁあぁああああぁあぁああああッッッ!!」

 紘也に駆け寄るのではなく、その攻撃者へと超加速で飛びかかる。本能的に紘也がもう助からないと察したからかどうかは、ウロボロス自身にもわからない。

 ただ無意識に、衝動的に、愛しき者を殺した者を圧倒的な力で撃殺することしか考えていなかった。

 怒りが悲しみを上回る。滲む涙で視界が霞むが、敵の姿はしっかりと捉えていた。年端もいかない少女に見えるが、その内に感じる力は絶大で、邪悪さはなく寧ろ透き通っている。だからこそ逆に不気味過ぎた。

「う、ウロボロス!?」

 驚いた声は香雅里のものだ。彼女も今ウロボロスの存在に気づいたのだろう。その時には既にウロボロスは祭壇の頂に辿り着こうとしていた。

「『主』よ!?」

 神官服を纏った女が緊迫した表情で少女を庇う位置に割って入った。

「グリフォンはなにをしているのです! 十字は反逆を打ち据える――」

「雑魚は邪魔だぁあッ!!」

 ブォン! と、裏拳の要領で振るわれたウロボロスの拳が女――リベカ・シャドレーヌの横顔に炸裂した。

「あぺっ」

 特急列車でも突っ込んできたような衝撃に、リベカはまるで瞬間移動でもしたかのように消えた。いや、吹き飛んだ。

「……ウロボロス」

 特に焦った様子もなく少女――『朝明けの福音』の〝聖女〟ヨハネは錫杖を手前に翳す。透明な輝きが球状に彼女を包む。

 ウロボロスは右手を空間の歪みに突っ込み、引き抜いた黄金色の大剣で防御結界を中身の少女ごと叩き斬った。

「!?」

 驚愕に目を見開くヨハネは、自分の体が腰から真っ二つに両断されていることを認識する。その断面には血が滴る人肉や内臓や骨などはなく、切り株のような綺麗な年輪が覗いていた。

「木人形!?」

 今度はウロボロスが驚愕する番だった。忍者よろしく身代わりの術でも使われたのかと思い、本体を探すべく周囲に視線を泳がせる。

 だが、その木人形こそがヨハネの本体である。

「くっ、やはりまだ神木の体は馴染まぬか。――リベカ、我は先に離脱する。後は其方に任せたぞ」

 ポゥ、と。

 真っ二つに分かれたヨハネの上半身と下半身が透明な輝きに包まれた。宙に浮かび落下することのない少女の体は、そのまま流星のごとく蒼穹の彼方へと飛び去ってしまった。

「あっ」

 ウロボロスがヨハネの本体を理解した時にはもう遅かった。しまったと思うが、目の前から敵がいなくなったことで状況を再認識する。

「紘也くんっ!?」

 大剣を放り捨ててウロボロスは祭壇から飛び降りた。駆け寄り、愛沙に抱かれた紘也の様子を見て足を止める。

「ひろ……や……くん……」

「ウロちゃん!? どうしよう!? ヒロくんが、ヒロくんがぁ!?」

 泣きじゃくる愛沙。紘也の左胸は心臓の位置こそ外していたが、赤黒い穴が穿たれ、血が留まるなく溢れ出ている。顔色は真っ白。石床に血溜まりを作るほど血を失っているのだから当然だ。

 ウェルシュ・ドラゴンの〝守護〟のおかげか、即死だけは免れている。心臓を外しているのもそのためだろう。

 けれど、誰が見ても、助かる道は絶望的だった。

「秋幡紘也……」

 立ち尽くす香雅里も気丈に意志を保とうとしているが、目の端に涙を浮かべていた。

 と――

《己ら!》

 八つに重なった声が響いた。全員が振り向いた先には青い和服の少女が転がっていた。リベカが殴り飛ばされたことで光の十字架から解放された山田だった。

《己ら。早くその人間の雄を助けろ! でないと。吾も……》

 すっと、喋っている途中の山田の瞳から光が消えた。上げていた顔がこてんと床に落ちる。喋ることもなく、動くこともなくなった山田は、手足の先からゆっくりと光の粒子に変わっていく。

 ヤマタノオロチの契約のろい

 紘也と山田、どちらかの命が失われた場合、もう片方を道連れにする呪い。

 ハッタリかもしれないと誰もが思っていたが、どうやら本当だったと確認してしまった。

 できれば確認したくなかった。

 それはつまり、紘也が死――

「まだです!」

 考えたくない考えを、ウロボロスが一際強い口調で振り払った。

「まだ、手はあります!」

 そう言って、ウロボロスは紘也の血溜まりの中に足を踏み入れる。そして愛沙から紘也の身体を奪うように受け取り、抱き止める。

「う、ウロちゃん?」

「あなた、なにをするつもり?」

 怪訝な顔をする二人を無視し、ウロボロスは紘也に語りかける。

「人間には劇薬、いえ、もうほとんど毒薬ですが……これしかありません」

 ウロボロスは自分の左手首を見る。

「エリクサーの原液です。紘也くん、どうか堪えてください」

 かぷりと噛みついた左手首から血を啜り、しかし飲み込むことはせず、ウロボロスは紘也の唇に自分の唇を重ねて流し込んだ。


        ∞


 全身が焼けるような痛みを感じた。

 自分はどうなったのだろうか? 直前の記憶を思い出せない。

 ただ、自分が死んだという事実だけを認識している。

 ――本当に?

 死んだのならば、この痛みはなんだろう? まさか死んだ後は天国も地獄もなく、かといって無でもなく、このような堪え難い痛みに延々と晒され続けるだけなのだろうか? それはなんとも酷な話だ。

 ぼんやりとした意識が、痛みを感じるたびに徐々に覚醒していく。

 違う。

 これは生の痛みだ。

 それを理解した途端、痛みは嘘のように消え、代わりに活力が全身に漲るような感覚を覚えた。

「うぐっ……」

 自分の呻き声が聞こえた。

 気のせいか、唇に熱い感触がある。けれど優しく柔らかく、そして心地よい感触。

 ――一体なにが?

 瞼を持ち上げる。

 眩い陽光に再び閉じたくなるのをどうにか堪え――秋幡紘也はそれを認識した。


 ペールブロンドの少女が、自分を抱き締めて口づけしている光景を。


 頭が真っ白になった。

 ついでにやっぱり死にたくなった。

「ヒロくん!?」

「ほ、本当に生き返った。傷口も塞がって……よかった」

 だが、歓喜に涙する愛沙と香雅里の様子を見て理解する。自分は、ウロボロスに救われたのだと。この口づけは、なにかを口移しで飲まされたのだと。

 これはノーカン。

 ノーカンにしておこう。

 ウロが紘也から顔を離す。その澄んだ青い瞳が潤み、表情がくしゃりと歪んだ。

「紘也くん、紘也くん……ふぇえええええええええええええん!」

「うわっ痛っ!? 馬鹿やめろ急に抱き着くな!?」

 引き剥がそうとする紘也だったが、絡みついたウロボロスはなかなか離れてくれない。挙句の果てにチーンと紘也の裾で鼻をかみやがった。

 ――ったく、こいつは。

「もう、好きにしろ。お前のおかげで助かったみたいだからな。ありがと」

 そのまま数分間、紘也はウロボロスが落ち着くまでされるがままだった。ウロボロスが離れたところで、ようやく疑問を訊ける。

「俺は、なにを飲まされたんだ?」

「えっ? あー、あたしの血です」

「……」

 紘也は無表情で沈黙した。愛沙を見ると小首を傾げられ、香雅里を見ると『お気の毒』とでも言いたげな顔をされる。

 ふう、と息を吐いて天を仰ぐ。

「……ついに俺も、人間をやめる時が来たのか」

「なんでですか!?」

 ギャースと喚くウロをいつものようにスルーする紘也。あまり彼女を直視し過ぎるとさっきの光景がフラッシュバックして顔が赤くなりそうだ。そして死にたくなりそうだ。

《ぷはぁ!》

 と、向こうから息継ぎをしたような声が聞こえた。

《はっ! 吾は。生きてる。おお。おおお! よくやったぞ己ら!》

 紘也が生き返ったことでどうにか消滅を免れた山田だった。

「そういえば、アレも消えかけてたんですよね」

「完全に忘れていたわ」

《扱いの差が酷い!?》

 涙目でショックを受ける山田に、愛沙が優しく微笑んだ。

「ヤマちゃんも助かって本当によかったよぅ」

《ううぅ。やはり吾の女神は愛沙だけだ》

 立ち上がった山田は涙を後ろに流しながら愛沙に抱き着くのだった。

「そういえば、『黎明の兆』の奴らは?」

 なんか全部終わった後的な雰囲気に忘れそうだったが、ここはまだ際議場である。リベカやヨハネはどうなったのか。

「〝先導者〟ヨハネなら逃げたわ。リベカ・シャドレーヌは――」


「まさか生き返るとは。あなたはゴキブリかなんかですの? 秋幡辰久の息子!」


 香雅里が言いかけたその時、壁際の瓦礫から当のリベカが忌々しげに紘也を睨みながら這い出てきた。

「いやあんたも充分しぶといですよ!? 殺すつもりで殴ったんですけど!?」

 どうやらリベカはウロに殴られて瓦礫に埋もれていたらしい。

「……やはり、あなただけはここで確実に息の根を止めておかなければいけませんわね」

 怨恨のどす黒いオーラを纏わせるリベカ。ぎりぎりと歯軋りの音がこちらまで響いたような気がした。

「グリフォン! 見物はそろそろおやめなさい!」

 キッとリベカが睨んだ先は石柱の天辺。そこに猛禽類の翼を生やした青年が超然と佇んで紘也たちを見下していた。

「フッ、なかなか楽しめる余興だったのでな」

 嘲笑うように言って、グリフォンは石柱から飛び降りた。軽やかな着地音を立てた彼から目を放し、リベカは紘也たちの後方に声を投げる。

「そしてユニコーン! あなたもいつまで倒されたフリをしているんですの!」

「えっ?」

 香雅里が反射的に振り返る。背後にあった巨大な氷の塊は、次の瞬間には白い輝きと共に蒸発した。

「あーあー、バレてたのかよ。俺様的にはあのままやり過ごす予定だったってのに」

 その中心からかったるそうに歩み出てきたのは、言うまでもなく、香雅里が戦い倒したはずの騎士服の青年だった。

 紘也たち身構える。自然と愛沙を庇うような陣形になった。

 戦いはまだ終わっていない。

 寧ろ、ここからが本番だ。

 腕組みをしたグリフォンがククっと笑う。


「さて、決戦と行こうか、雑魚ども」


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