妖人アシュトン・ラズウエルの語った話 2
ちょっと復調
不条理なので苦手な人は注意
当時、僧であったアシュトンはスルメ人間を諦めることができなかった。
御隠居の身に起きた出来事の真実が知りたくてたまらず、越した後の屋敷の庭を調べてみたものの得るものはなかった。
屋敷はまだまだ使える状態だったが、土地と屋敷を買い受けた商人は屋敷を解体した。何があったかは知らないが、解体を請け負った職人が勿体ないとため息を洩らすほどであったという。
空地となった土地は湿気が強く、あのままでは屋敷も遠からず腐り果てていたかもしれないので、そこに怪奇的な何かは無かったのかもしれない。ただ、後々にかかる金のことを考えて屋敷を処分したと考えるのが自然だ。
なんにしろ、御隠居が姿を消したというイヌツゲの茂みもなくなった。
屋敷はなくなり、庭園も潰され、名残は庭木が残るだけとなった空地を訪れたアシュトンは落胆していた。
これで、何もかもスルメ人間とやらの足跡は失われた。
夕暮れの今、何も無い空地に立ち尽くすと寂寥感に襲われる。
空地を歩いてみると、小さなテントがあった。
大工か何からしき小ざっぱりとした身なりの男がいて、休憩時間なのか鍋で煮ものを作っているようだ。
空地に不審者が居座らないように地権者の雇った管理人であろう。
「どうしました、神官殿」
よく通る声で男は言う。
ゴマ塩頭の初老の男である。人足を長年続けた者に特有の逞しい体つきをしていた。
「ええ、以前にあったお屋敷の方と縁がありましたので」
「ああ、なるほど。もう見る影もなくなってしまいましたなあ」
男は管理人のドリアンと名乗った。
いかにも懐の深い人足の長老といった風情の、人懐っこい笑顔を浮かべる男である。
「食事時に失礼してしまいましたかな」
ぐつぐつ煮える鍋からは、土くさい匂いがした。ちらりと見ると、蛙や野菜が見えた。下々(しもじも)、その中でも下の食す類の『煮』だ。
「ああ、こっちのことは気にしないでくだせえ。神官様も、転ばないように気をつけて下さいよ」
アシュトンは会釈をして庭の跡地を見て回った。
スルメ人間の痕跡は当然ながら見当たらない。
そこかしこに茸が生えていた。
湿地にでも迷い込んだような有様で、湿って泥濘になった所も多々あった。
「水路の水か……」
貴族街の水路を拡張する工事が行われたのは確かだが、この屋敷にだけその影響が出るというのも妙なことだ。
敷地の隅の泥濘には虫でも湧きそうな有様で、湿った悪臭が漂っていた。
屋敷を解体したときのものか、廃材が積み上げられている。
不意に視線を感じて見てみれば、廃材の奥に何かがあった。
後になって振り返ってみれば、それは霊感のようなものの為した行いなのかもしれない。
泥濘に足を踏み入れて、廃材の積まれた背後を覗けば、石造りの小さな祠があった。
「あっ」
祠から小さな干からびた何かが出てきて、すぐに引っ込んだ。
「どうされました」
背後から声をかけられて、振り向くと管理人のドリアンがいる。
「ああ、そこに、何かが」
「神官様、ここは私有地なんで、そろそろ出ていってもらえませんか。あっしが怒られるんですよ」
ドリアンの言葉には有無を云わせない、暴力的な響きが含まれていた。
「分かりました」
従わないとタダではすまない。暗にそう言っている。
「ああ、そうだ。体が冷えたでしょう。ここは、どうにも、足から冷たくなるんで」
季節は夏だ。
寒いなどというものは無い。
「そ、そんなことは」
「どうぞ、温まっていって下さい」
ドリアンに手を取られて、テントまで連れていかれた。その手に篭る力もまた、暴力の予感に充ちていた。
ぐつぐつと煮える鍋からは生臭い匂いが立ち昇っている。
ほとんど洗ってもいない椀に注がれたスープには、先ほどそこかしこで見た茸が入っていた。
「せっかくだが、肉類は……」
「俺の食いモンは、汚いって言いてぇのかよ」
ぞくりと背筋が震えるような声音であった。
「いただきますよ」
「あぁ?」
「い、頂きます」
「お、そうか」
人懐っこい笑みが浮かぶが、ドリアンのそれは寒々しいものに感じられた。この笑みの下には、脂ぎった暴力がある。さっきまでの彼は、怒りを爆発させようとしている者の顔だった。
珍しい類のものではない。いつでも怒りを爆発させる瞬間を見計らっている者はいる。そのどれもが、厄介な無頼かチンピラの類である。
差し出された椀の汁を飲むと、あまりの生臭さに嘔吐しそうになった。
なんとか汁を飲み、渡された木製のスプーンで具である蛙の足を口に運ぶ。
思い出したくもない味だ。
後年になってきちんと調理された蛙を饗された時も、どうしても食べられなかった。
「キノコがうめぇんだ。さあ、食えよ」
毒々しいキノコである。
ドリアンの鋭い瞳に射すくめられて、意を決して口に入れると、馥郁たる香りが鼻を突きぬけた。美味い。なんだこれは。
「ああ、確かに、これは美味いです」
「そうだろう。ここにしか生えないからよぉ」
夢中で食べ終えると、先ほどまでの感情はどこへやら。ドリアンの印象もすっかりよくなっている。
「神官様、お気をつけて」
「ああ、ありがとうございます」
アシュトンは上機嫌で帰途についた。
歩き慣れた道であるはずなのに、教会に辿り着かない。
道に迷いながら酔っぱらったように歩いていると、古い町並みの通りに出た。
この当時、アシュトンはすでに男性器の処置を終えた宦官であった。
「もし、寄っていかれませんか?」
声をかけられて見やれば、髪を帝都風に結った婀娜な女が手招きしている。
「はて、私のことでしょうか」
「ええ、そうですよ。神官様なのでしょう?」
「そのとおりです」
「桑の実がございますの。いかが?」
歩き疲れていたこともあって御馳走になることにした。
女の一人暮らしだという長屋に通されて、桑の実を振る舞われた。
「道に迷ってしまいまして、教会への道を教えて頂けませんか?」
「ほほ、ここからは少し遠いですよ。今日はお泊りになられませ」
断ろうとしたが、女に言いくるめられて一晩厄介になることになった。
夜に忍ばれるということはなかったが、夜中に妙な鳴き声がして寝にくい。くちゃくちゃと何かを咀嚼するような音である。
変な家だと思いながらまんじりともせず、床についた。
翌日は寝不足で、ぼんやりしたまま女に案内されて湯屋へ行った。
暑い湯だというのに、目は冴えなかった。
どうにも歩くのも億劫という体になって、その日も女の家に泊まることになった。
くちゃくちゃと音がする。
ああ、厭な音だな。
そう思いながら、泥のように眠る。
そのようにして、ずるずると過ごした。
季節が一つ過ぎて、また一つ。いつしか年を巡る。
女は老いず、アシュトンは老いた。
もう教会には戻れまい。
ずっと、夜中の音は続いた。
蒸し暑い夜だ。
その日は、なぜか見たくなった。その音がなんなのか、見たくなった。
女の部屋の扉を開ける。
茸が部屋中に生えていた。
女はスープの入った椀を手にしていて、匙で茸に食事を与えていた。
茸の傘の部分に唇があって、それがスープを咀嚼している。
「見てしまったのね」
「ああ」
「そう、ここにいるのは厭?」
アシュトンは部屋に戻り眠った。
朝になって、アシュトンは帰ることに決めた。
「じゃあ、帰るよ」
「そう。また、いらっしゃい」
もう来ることは無いだろうなと、そう思った。
通りに出て少し歩くと、トリアナンの街並みに出た。
教会へたどり着いてから気づいた。
何年もあの町にいてすっかり老いたはずなのに、あの日に戻っていた。自らの身体も老いてはいない。
三日ほど行方が知れなくなっていたらしい。
どれだけ記憶を整理しても、あの町に過ごした年月は妄想とは思えなかった。
ドリアンの行方を追うために地権者に連絡を取れば、管理人など置いていないということになった。
地権者は管理人を名乗る無頼の存在に当然の対処を行う。
無頼漢によって浮浪者が追い出されるというのは、珍しい話ではない。
空地に向かった時には、遅かったようだ。
さんざんに殴られ蹴られしたであろう痕のあるドリアンがよたよたと歩いていて、アシュトンに気付くと喰ってかかってきた。
「お前、あっちに行ってただろう。俺の番だったのにっ、お前が邪魔したんだなっ」
狂ったように叫ぶズタボロの男は、ひとしきり叫んだ後に膝をついて泣き崩れた。
「せっかく茸を見つけたのに」
「あれは、なんなのですか」
ドリアンはふらふらと立ち上がると、アシュトンの問いには答えずに何処かへ去った。
空地を見ると、無頼たちがドリアンのテントや家財を燃していた。
次に訪れた時に、空地に茸は生えていなかった。
あの祠はあったが、何を祀っているものかも分からず怪しいものも見受けられない。
後日、祠のことを地権者に尋ねた。
「はあ、ありましたな。昔からあるらしいんで壊してないんですが、縁起も悪いんで潰してしまいますか。地鎮の儀式を頼めますかね」
逆に頼まれて、アシュトンが地鎮祭を執り行うことになった。
儀式が終わった後に祠は人足たちに砕かれた。
念の為に祠の下を掘ってみると、魚の頭の骨が出てきた。
かつて、トリアナンの街が出来る以前、亜人のシャーマンは魔除けに魚の頭を使ったという。
◆
マーカス先生、その後からですよ。
どうにも私は、あちら側に縁があるようになりました。
自己流で色々と学びまして、今があります。
様々な妖しいものを見て、喰らいましたけれど、あの茸だけは見つからないのです。
あそこに戻ってはいけない気がするのですけれど、何を見ていたのか、ドリアンはどうなったのか……。
マーカス先生、もしも似た話があったら教えて下さいませんか。
残念ながら、初めて聞く話である。
明日は夜釣り予定




