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熟達の冒険者ジュリアス・イサンクオンに聞いた魚類の瞳の話 前編

不調

 ダリオの嘆き谷という名前の由来は、そこに残る伝説に所以がある。

 帝国成立以前、その谷には天女が住んでいた。

 ダリオという猟師と恋に落ち、天より追放されて谷に隠れ住んだ。

 夫婦は仲睦まじく谷で暮らしたそうだ。

 いつしか天女のお腹は大きくなった。子を為したのだ。

 一年が経ち二年が経ち、十年、二十年と腹は大きなまま。子供は産まれてこない。

 禁を破り人と交わったためにその腹に魔を宿した。ダリオはそんな妄想に囚われて天女の腹を裂いてしまう。

 腹の中から魔物と瘴気が溢れて、谷を迷宮へと変じさせた。

 産まれぬ子供は天の神が夫婦に課した試練であった。

 あと数日、妻子を信じていられれば、ダリオもまた天の人と生まれ変わり三人は天界で暮らせたはずだった。

 天女の亡骸は魔を生み、瘴気を受けたダリオは死ぬこともできず谷間で嘆き続けている。



トリアナン迷宮案内より抜粋






 資源迷宮とは低層、つまりは入口からすぐそばで資源となるものが採れる迷宮を示す言葉だ。

 タリオの嘆き谷にはレイクラクと呼ばれる蟹と人を足したようなモンスターが生息している。多少硬いが初心者でも倒せる上に、このモンスターの肉は味が良い。

 他にも谷間の壁からは宝石や鉱石が産まれる。

 迷宮に満ちた瘴気と魔力により、どうしてかそれらが生えてくるのだ。


 ジュリアスはピンと伸ばした口ひげを整えた紳士である。

 いかにも騎士の伊達男といった姿で、腰には細剣を佩いて街を闊歩するのだが、彼の仕事着は実に地味な革鎧にクロスボウを背負い、腰には鉈といった野伏じみた姿である。


「この稼業で一流となれたからには、格好くらいは気をつけたいではないか」


 騎士崩れの伊達男といった風情はよそ行きで、仕事は真面目にこなすといった人物である。

 ギルドからの信頼も厚く、砂漠を越えた異国では爵位を賜り辞退した。


「身が重くなるのはゴメンでね。ははは、実を言うと帝国には借りが多すぎてな。異国で爵位は良くないのが本当のところだが、人気者にはなれたよ」


 飄々とした男でもある。

 筆者は帝都にいた折に、彼の濡れ衣事件を解決したこともあり知己を得ている。

 弁護人としていつも通りに仕事をした訳だが、どうしてか友人となった。筆者には理解し難いのだが、貰った金銭分の仕事で感謝するという人間性をジュリアスは持っていた。


 筆者がトリアナンへ左遷されて一月ほどしたある日、ジュリアスはドーレン領へ向かう際に、遠回りをしてトリアナンに立ち寄ってくれた。

 友人と旧交を温めるということのために、旅の予定を変えるところは実にジュリアスらしい。

 家政婦のアリスに教えてもらった庶民的な居酒屋で会った折に聞いた話である。


 以下は冒険者であるジュリアス・イサンクオンより聞いた話を小説としてまとめたものである




 駆け出しのころには、ダリオの嘆き谷にはお世話になったものさ。

 ベイルの好きな話もあそこには幾つもあってな。ははは、帝都七不思議をくだらんと言ったお前には物足りないものだろうがね。

 ベイル、お前と出会う一年ほど前かな。

 私はダリオの嘆き谷の深層を踏破したんだ。

 ははは、色々とあってな。そのことは公表しておらんよ。

 ベイル、この話は取引だ。

 墓まで持っていく話だったんだが、お前に話そう。だからな、頼みを引き受けてほしい。

 は、はははは。

 まだどんな頼みか言ってないのに、受けるのか。

 実にベイル・マーカスらしい。

 そう急かすな。

 話そう。

 良い思い出ではないし確証もないが、私はそれを信じているという不確かなものだがね。





 流れの冒険者というものは多い。

 特定の仲間を持たずに助っ人としてパーティーに加わる傭兵もどきだ。

 多少は蔑まれる傾向にあるが、彼らは総じて優秀である。

 例えば、前述していた黄泉歩きのガラルなどが極端ではあるが良い例だ。

 様々な事情を背負っているために、一所ひとところに留まることができない。それこそ、確かな何かを持つ者と出会わなければ居場所の無い者たちである。

 ジュリアスも若き日はそのように暮らしていた。

 腕は立ち仕事も真面目。

 特定の仲間とはどうしても打ち解けることができず、徒党を組んでは解散する日々を送っていた。

 トリアナンに数年滞在していた時期というのは、人生最悪の時間であった。



 当時、一流に足を踏み入れかけていた二十八歳のころである。



 ギルドの仲介で初心者のお守り役で食い扶持を稼ぐことになった。

 女性関係の諍いをギルドに仲裁してもらったこともあり、黒にも赤にもならない仕事をしばらくこなすハメに陥っていた。

「シーナと申します」

 と、目の前の娘は言う。

「ジュリアス・イサンクオンだ。大船に乗った気でいたまえ、はははは」

 この娘っこを一人前とはいかずとも、蟹くらいは狩れるようにしてやるのが仕事だった。

 魔法使いギルドの秘蔵っ子だという少女のお守りは、どうにも気が重かった。

 書庫で司書でもしてそうな娘っこは、未だ十四歳である。そして、ローブに杖という魔法使いスタイルは駆け出しがするものではない。

 駆け出しは、革鎧か胸当てをつけていつでも走って逃げられるようにするべきだ。たとえ魔法使いであってもそれは変わらない。


 シーナは美しい少女だった。

 青い髪に青い瞳、青い果実とでも表現したものか。

 ジュリアスの好みではないし、どうにも子供というのは苦手だ。変な気持にはならないが、やりにくい。

 男相手であれば、鼻っ柱をへし折るのも鉄拳ですむが、いいとこのお嬢様というのはそうもいかない。



 シーナは呑み込みが速かった。



 蟹人レイクラクを安全に狩れるようになるまでに一月ほどで到達していたが、彼女には悪い癖があった。

 蟹人を倒した時にだけ、素材を取らずに残酷な殺し方をする。

 その時も、シーナは蟹人の甲羅の隙間に酸の雫を垂らして苦しめていた。

 見かねたジュリアスは鉈を蟹人の急所である額の隙間に差し込んだ。


「それをやると、いつか人に試すことになる。だから、やめろ」


 そんな者を何人も見てきた。

 オークは女を攫うという俗説を信じてオークだけを嬲り殺しにする騎士がいた。駆け出しのころに仲間をゴブリンに殺されたから執拗に嬲り殺す女戦士がいた。盗賊の頭を叩き割ることに生きがいを感じている神官もいた。

 そういった連中は、人に同じことをするようになる。

 噂に聞くゴブリン殺しのように高潔と呼べる憎しみを維持する者もいるだろう。しかし、それはごくごく稀だ。


「蟹人は恐ろしいのです……。だから、いなくなってほしい」

 シーナの言葉には、昏い悦びがある。

「これは、狩りやすい魔物だ。それ以上のものじゃない」

「いいえ、この甲羅には人の苦しみが詰まっているのです」

「野営の準備をする。その後で、聞こう」

 どうしてこんなことを言ったのか、染み付いたレディファーストからか。それは後になっても分からないでいる。


 魔物避けの香を炊き、焚火を挟んで向かい合った。

 焚火の前には串に刺した蟹人の肉がある。じゅうじゅうと音を立てて、美味そうな匂いを漂わせている。

 ジュリアスは一本を取って、口に運んだ。

 美味い。

「食わないのか?」

「それは、人の味がします。食べられません」

「何が、あった?」

 シーナは目を伏せて、口を開く。



 わたしはトリアナンのスラムで生まれました。

 浮浪児ではなかったのですけれど、資源迷宮でその日暮らしをする冒険者の娘でした。父は酒浸りで、……わたしをよく打ちました。

 母に似ているわたしを、毛布の中で可愛がることもありましたけれど、たいていは打ちました。


「そうか、それは苦労をしたな」

 ジュリアスには聞き慣れた話でしかない。

 しょせん、人は獣だ。金の無い生活は人を獣にする。だから、冒険者になった。人になるために、こんなやくざな仕事を始めたのだ。



 父は金がある内は酒を飲み、なくなると蟹人を狩るのです。

 母はずっと昔に父の不注意で蟹人に喰われて死んだのです。


「それで、蟹人を恨んでいるのか?」

「いいえ。あれを見てしまってからです」



 それに気づいたのは十歳のころでした。

 父のやるサシュオ麻薬の毒が、わたしにも回ったからかもしれません。

 寝所に引きずりこまれて、父の行為が終わる時です。

 絶頂に達した父の目が、とび出るのです。

 蟹人にそっくりな顔になるのです。



 それは、ひどく厭な物言いだった。

「辛かったのだな。だが、もう終わったことなんだろう?」

「いいえ、終わっていません。マーケットに並ぶ蟹人の肉は、わたしに語りかけます。父の声で、酒を買ってこいと、シーナは可愛いねと、母の名を……」

 この娘は心の病気だ。

 帝都にはそれ用の病院がある。教会の癒し手にも、それ専門の者がいたはずだ。

「それは呪いのようなものだ。よい司祭を知っている。紹介しよう」

 どうしてこんなことを言ってしまったのか。

「呪いというのなら、解く方法は知っています」

「蟹人を駆除することか?」

「いいえ、こうするのです」

 焼いていた串を取ると、シーナは薄笑いを浮かべて食べた。

 暖かなひと時だというのに、空寒しい咀嚼である。血を啜る魔物は怖くない。血を吸わない者が血を吸う様は、これほどに寒々しい。

 こんなとき、冒険者稼業を投げ出したくなる。

「ジュリアス様、お願いがあるのです。依頼として、たった一つ、たった一つだけ、お願いがあるのです」

「……言ってみろ」

「ダリオの嘆き谷の深層にいるという、怪魚を、黒竜魚を見たいのです」

 蟹人や人食い貝を喰らう魔魚である。

 一流の、それこそ英雄の率いる冒険者が相手取るような魔物だ。

「どうして、そんなものを見たい?」

 シーナは無垢な笑みをみせた。


 わたしの瞳は、絶頂を迎えると魚のようになるのです。


 焚火の炎に照らされたシーナの瞳は、奇妙に丸く見えた。



魚の出る怪談はままある。

最近はクトゥルフを連想させるために控えているが、水場のものはとても忌まわしい。


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