第29話
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
少し長いですが、分割せずに公開します。
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要は自分のマンションへ帰ると、寝室へ行き、ベッドの上に倒れ込んだ。じっと動かず、うつ伏せのまま、ふかふかの枕に顔を埋めた。息苦しくなると、ゆっくりと仰向けになり、薄暗い部屋の天井を見上げる。白いペンキで塗られた天井は沁み一つ無く、ぼんやりと見つめ続けていると、自分の目の中のゴミが、眼球を動かす度、行ったり来たり浮遊しているのが見える。
歌穂の笑い顔が、頭から離れない。歌穂がホテルへ何の躊躇もなく入っていく姿も。何もかもが夢であればいいのに、そんな風にすら思った。
そんな中、ふと、祐介のことを思い出した。そうだ、祐介はあの状態でちゃんと家に帰られたのだろうかと、心配になった。しかしすぐに思い直した。子供じゃないのだ、平気だろう、と。祐介を見ていると、不意に弟を思い出す。背が小さいからとか、そう言う理由ではなく、祐介と竜太には、似たところがよくある。清々しいほどに爽やかな笑い方をし、構えることなく要に接してくるところは、よく似ている。
要は小さく笑い声を上げた。と、同時に、今はそんな事を考えている場合じゃないと、急にもう一人の自分が注意を促してきた。
それと同時に、祐介のヴィジョンを思い出す。
このとき、すでに頭の中は完全に歌穂の事を忘れて、祐介のヴィジョンだけが、頭の中にあふれ出す。
何かが足りないのだ。
記憶喪失とは別の、何かだ。それが何なのか分からなかったため、祐介には黙っていた。要は、祐介と別れてからの帰り道、歌穂の事と祐介の事を交互に、ずっとその何かを考えていた。記憶の旅をしてる時に感じた違和感。中学、高校ではさほど気にならなかった翳む記憶は、幼くなればなるほど、翳むどころか消えている。
そして、なんとも不思議なことに、祐介には「嫌だな」と思うような記憶が一切無かった。血の海以外、これまで生きてきた記憶の全てが、楽しいことや何て事のない、日常の記憶のみだった。
「そうか」
要はベッドから起き上がった。
祐介の記憶への違和感。それは、彼自身が嫌悪感を抱いたときの記憶が、一切無いということだった。
普通、どんなに穏やかな生き方をしていて、どんなに人に好かれていても、嫌な思いをした経験はあるはずだ。良い経験よりも悪い経験の方が遥かに少ないはずだが、人というものは、嫌な経験ほど良く覚えている。嫌なことは、心に深い傷を作り、印象に残りやすい。そのため、嫌な記憶を忘れることが出来ないお陰で、楽しかった記憶というものが追いやられてしまう。だが、楽しい記憶は潜在意識の中には、ちゃんと残っている。ふとした時に、ああ、そう言えば、こんな楽しいこともあったっけ、と思い出せる。
要が今まで人に触れて見てきたヴィジョンの多くは、大抵、嫌な記憶や悪事を働いているとき記憶の方が色濃く、楽しかった記憶は色褪せて見えていた。
だが、祐介の記憶はどれも変化のない色合いだった。それもそのはずだ。嫌な記憶がないのだから。
普段から、悪態をつく心の声が祐介から聞こえてこないのは、これらにも関係があるのかも知れないと、要は思った。
記憶の穴。
もしかしたら、それが祐介にとって、嫌だった記憶なのかも知れない。一度、記憶喪失になったことで、記憶の消し方を無意識のうちに覚えてしまっているのではないだろうか。
要は自分が立てた仮説に、首を傾げた。
記憶喪失でも、時間が経って思い出す人達も多くいる。彼等は、潜在記憶がちゃんと残っていたのかも知れない。では、祐介は?要が触れた限り、潜在記憶そのものも、消えているかのようだった。
「それでも、血の海は思い出してる……」
何かがあるはずだ。何か、重大な何かを見落としている気がした。
要は再びベッドに横になると、目を瞑り、見落とした何かを思い出そうとした。
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