僕には時間がなかった
「水色の浴衣を着た背の高い黒髪の女の子? こっちには来てないわねぇ」
「すみませんありがとうございます!」
「その子がどうかしたの……って、もういない」
お礼を言ってすぐに走り出す。
が、暫く移動したところで流石に苦しさを感じ、立ち止まった。
「…………っ……くそっ」
膝に手を突き、呼吸を整える。
人混みをかき分けながら走り、ある程度目ぼしい場所に来たら人に尋ねてはまた走り出すことを繰り返すうち、すっかり息が切れ始めていた。
今日まで祭りの準備で睡眠時間を削っていたし、今日は朝からお祭りの準備に、お祭りが始まってからはお店の手伝いやステージにと来て、流石に限界が近かった。
夏休みに入って体力がついたとは言え、気を抜けば今にも比喩抜きで倒れてしまいそうだった
「――――すいませーん、ちょっと、人を探してるんですけど」
その時、聞こえて来た声に顔を上げる。
見ると、演劇部の人達が周囲の人に声を掛けて回っていた。
その中にたまたま混じっていたらしい、利香が僕を見つけて駆け寄ってきた。
「さっき竜一さんから部長に連絡があってぇ。なんでも、ある女の子を探して欲しいって」
彼女が説明してくれた内容に思わず息を呑む。
「竜一が…………」
あの竜一がそんなことを。普段の彼を知っている人なら、それがどれだけ異常な行動か分かるだろう。……どうやら僕は、得難い友人を持ったらしかった。
「しかも見つけてくれたら、何でもするって言ったらしくてぇ。今、部長たちが血眼になって探してます。だからそのうち見つかりますよぉ」
「そっか……」
利香と話しながら息を整え、顔を上げた僕の様子を見て、利香が目を丸くする。
「もしかして、もう動く気ですかぁ? 大分お疲れのようですけどぉ」
「もう時間がないんだ、心配してくれてありがとう」
「……じゃぁ、動き出す前に一個だけいいですかぁ?」
手、出してくださいと彼女は言った。
「? はい」
彼女の指示はよく分からなかったけど、考える時間が惜しかったので僕は言うとおりにした。
すると、その手を握り返される。
「……?」
きっと頭に疑問符を浮かべていただろう僕を見て彼女は笑った。
いつもの誰にでも好かれるような笑顔ではなく。
勝ち気で蠱惑的な、小悪魔的な笑み。
計算高い彼女の、滅多に見せない微笑み。
「ねぇおにぃさん、ここで私が離さないって言ったらどうします? このまま花火が終わるまでここにいましょうよぉ、もう十分頑張ったじゃないですかぁ。今だけじゃなくて、お祭りの準備や、ステージや、バイトだってそう。それに彼女に会っても、また振られるだけかもしれませんよぉ? 私なら裏切りませんから、全部私のせいにしていいですから……ここで、休んでいきましょうよ」
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ドン、ドンと花火が打ち上がり、皆が光の方へと歩いて行く。私はその流れに逆らって、歩き続けた。今立ち止まったら、もう歩けなくなりそうだったから。
歩いている最中、片手に持っていた巾着の中でスマホが振動していた。
発信元を確かめて……少し迷った末に、通話を繋げた。
「もしもし……どうしたの、千夏。体調は大丈夫?」
『大丈夫だけど……それより、今どこにいるの?』
もしかして、私のことを探していたのかもしれない。
さっきから動揺してしまって、周りが全然見えていなかったことに気付く。
「お兄さんとはぐれて迷子になっちゃってた、ごめーん。……あと、ちょっとだけ調子良くないから、まだ早いけどもう帰ろうかなって思ってる」
『…………そうなんだ』
ごめん、と再び私が謝ると、私がどこにいるかを聞かれたくないのを悟ったのか、彼女はそれ以上聞いてこなかった。
それより、と彼女は話題を変えた。
『ねぇ、早希……県外の高校に行くなんて、私全然聞いてないけど。本気なの?』
「…………」
私が何と答えるべきかと考えを巡らせているうちに、千夏はそっか、と納得したように言った。
『本気、なんだ。……大変だろうけど、頑張ってね』
「…………っ」
『高校は別々になっても、時々は連絡してね』
それから幾らか会話をして、ばいばい、と通話が切れるまで、私はちゃんと返事が出来ていただろうか。
千夏は分別がついているというか、ちょっと淡泊なところがある。
彼女の感情はその声からはうまく読み取れなかった。もしかしたら、何も思っていないのかもしれなかった。
親友だと思っていたのは、私だけだったのかな。
千夏は何も悪くないのに、勝手に裏切られた気分になって悲しみで胸が張り裂けそうになる。
それでも私が彼女のことを大好きだったことには変わりがない――代わりがない。
これから千夏以上の友達はもう出来ないだろうという予感を抱きながら、再び溢れてきた涙を堪えて歩いた。
あの兄妹は本当に、私の心をかき乱す。
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人混みから離れるように歩いて行くと、いつの間にか見慣れた公園に出ていた。
フラフラと、吸い寄せられるように入口に向かう。
特に行く当てがあった訳じゃなかった。気持ちを落ち着けられるならどこでも良かった。
それでもこの場所を選んだのは、未練がましいと我ながら思う。自分で振った癖に。
ベンチに座ると、ここまで早足で歩いてきた為か、慣れない下駄を履いていたせいか、靴擦れが痛んだ。
とてつもなくみじめな気分になった。
なんでこんなことになっちゃったんだろう。
お祭りの音は遠く聞こえた。
さっきまで、あんなに楽しんでいたはずのお祭りは、今は誰か知らない人たちのもののようだ。
私がいなくなっても、皆の楽しい時間は、当たり前に続いている。
そんな当然の事実に気づきたくなくて、私は目を閉じた。




