ある少女は懺悔した
「………………」
ベッドにパジャマで寝転がる。枕を胸元に抱えながら、今しがた掛かってきた電話で言われたことを思い出し、知らずため息が出た。
私、三国凪はどうやら、随分参っているようだった。
塾の夏期講習中、今日の分の課題を終えて割り当てられた個室に入り、機械的に寝支度を整えていた時、部屋に置いておいたスマートフォンが鳴った。
おばあちゃんからだったその電話は、おじいちゃんが私に友達を作ろうとしているという話だった。
……この年になってそんなことを言われていることに対して多少の葛藤はあるけど、それはこの際置いておくとして。
問題はそのおじいちゃんが紹介しようとしている相手が、よりにもよって先輩だということだ。この夏休みの間、ずっと悩んでいたことの大半を占める人。
桐山冬二。
文芸部の先輩――私が振った相手。
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私は家族が好きだった。
大好きなおじいちゃんは地元の老舗と呼ばれる商店を持っていて、お父さんとお母さんもそれに連なる仕事をしていた。
幼かった私が家族のために、将来は彼らの手伝いをしたいと思ったのはそれほど不自然な流れではなかったと思う。
けれど私は人と話すのは得意ではなかった。感情を顔に出すのが苦手だった。周りから冷たいと思われることも多かった。客観的に見て私は、商売には向いていないようだった。
しかし当時の私はならば、と思った。お客さんを直接相手にしなくても、お店の経営者としてなら家族に貢献できるかもしれない。
経営者になる為には、勉強をたくさんしなくちゃいけないと漠然と思った。
それが、私が勉強を始めたきっかけだ。
元から他に趣味もなく、友達も少なかった私は、中学を卒業する頃には勉強だけは人並み以上に出来るようになった。私は少しやり遂げた気分で、地元で一番の高校に進学した。
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私は高校に進学してから、途方に暮れていた。取り敢えずの目標として高校合格を掲げていたから、無事に高校に入れてしまった今、何をしたらいいのか分からなくなってしまったのだ。
高校生にもなると、幼い頃何も分からずに抱いた感情も薄れてきていた。
家族は最初から自分の好きなことをやればいいと言ってくれていた。経営のことを学んだところで、店を継ぐなら結局人とのコミュニケーションは必須だという至極当たり前の結論にも随分前に辿り着いていた。
一方その頃の私の家は、新店舗の経営が余り上手く行かず、一時的に暗いムードな時期だった。
それまでは家族揃って食べていた夕ご飯も、両親が夕ご飯の時間にいないことが頻繁にあり、一人で食べることが増えた。おじいちゃんが気に掛けて一緒にいてくれることもあったけど、ふとした時に孤独を感じることが度々あった。
当時の私はそのことに酷く動揺していた。
しかし、私に何が出来るという訳でもなかった。
以前に無理を言って店先に立たせてもらった時は、簡単な受け応えが出来ず迷惑を掛けたこともあった。
だから当時の私は大切な家族の危機に何もすることの出来ない自分に失望しながらも、何かないのかと漠然とした焦燥感に駆られる日々を送っていた。
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かくして自分の中での指針を失っていた高校生活最初の四月の休み時間。これからどうしようかと思いながら席についていると、周りの席の女の子たちが何やら話をしているのが聞こえて来た。
私は窓際の席だったので、窓の外を見ている振りをしつつ、そっと彼女達の声に耳を傾けた。
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私は中学に入った頃から学校で人と関わる機会が減っていた。その原因は私自身にあったとも言えるし、周りにあったとも言える。
自分の容姿が良いのかもしれない、と気づいたのはいつだったか。
少なくとも小学校の高学年くらいには自然と理解していた。そうでなければ、他に何の魅力もないだろう私の下に人が集まってくる理由は考えられなかったから。中学に上がる頃になると、それは一層顕著になった。
私は目立つのは苦手だったけど、こればかりはどうしようもなかった。もっと地味な見た目に変えたら違っていたかもしれないけど、おかあさん譲りの綺麗な亜麻色の髪は私の密かな自慢だったし、それを磨くことを赤の他人の為に止めるつもりはなかった。
けど、そのお陰で私はそれなりに苦労をした。基本的に男子とは距離を取って過ごしていたにも関わらず、私のことをよく知りもしない人達に告白されることが多々あった。お陰で人間関係に疎い私には、告白を断る経験だけが豊富に蓄積した。何の役にも立たないけど。
更にそのせいか女子からの身に覚えのない嫉妬の対象になることも多かった。私にも友人と呼べる人がいたことがあったけど、それも私に告白してくる異性の存在のお陰でほとんどの場合台無しになった。だから私の人間関係というのは家族か、同じ年ごろと言う意味で言えば親戚の早希くらいに限定されていた。
高校に入ってからはそんな中学の経験を活かし、私は人に対する態度を改めた。
男子とは可能な限り距離を取り、なおも近付いて来る人にははっきりと拒絶の言葉を言うようにした。
告白された時には、もう二度とそのようなことを考えないように言葉を尽くした。
心が痛むことはあったが、それでもある程度知り合いになる前なら、なんとか割り切れた。
相手を気遣うような素振りをすると、それが事態を悪化させていた可能性があると気付いたのだ。
どういう訳か、私は家族以外の前で上手く笑うことも出来ないのに、人の欠点や隠したいことを見抜くことには長けているようだった。それは昔から皆の輪の外から全体を見ていることが多かったから身に着いたものかもしれないが、それは今はどうでもよい。結果として、私は男子と適切な距離を置くことに成功した。
こんなことを続けていたら友達が出来ないことなど分かり切っていたが、どうせ私は人と上手くやることは出来ないのだから、と諦めている自分もどこかにいた。それに、まずは友達が出来ないことよりも、平穏な学校生活を妨げられないことの方が重要だ。
そうして高校に入学してから何人目か分からなくなる程度の人数の告白してきた人たちを断り、敵対心を見せて来た相手に対してこちらも応戦することが幾らかあった後。
この学校の人達は、私を腫物のように扱うようになった。
基本的には他者に干渉しない私に対して、取り敢えず様子見をすることにしたらしい。
元々、偏差値の高い高校だったので、大人しい人が多かったことも幸いしたのかもしれない。
かくして、私は一応は平穏な高校生活を手に入れることが出来ていた。
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閑話休題。
私は彼女達の会話の一部に興味をそそられた。
「ねね、二年の竜一先輩って知ってる?」
「あったり前じゃん、あのレベルのイケメン、知らない方が珍しいっしょ。しかも実家超金持ちらしいよ!? 父親が県議会の議員やってるらしいし」
…………。
私は外の空の様子が気になって仕方ない風を装いながら、内心ふむ、と考え込んだ。
彼女達の会話に出て来た人物。
沢村竜一。
彼の名前は聞いたことがあった。
曰く、女の子のような顔つきの美男子、曰く、怒ると凶暴で他人を寄せ付けない猛獣。曰く、彼の家系は、この町に根を下ろした議員の息子だと。
その時私の脳裏に、ある考えがよぎった。
――――彼と仲良くなることが出来れば、私の家が困ったときに助けてくれるかもしれない。
……当時の私が大分精神的に参っていたことを考えても、道理に反した考えだと思う。そもそも彼とどれだけ親密になったところで、私の家のことまで考慮してくれるかは今から考えれば甚だ疑問だ。
けれどその時の私は視野狭窄の極みであった。目の前に差し出された僅かな可能性に、それが家族の利になるのならばと飛びついた。
私はその沢村竜一先輩とやらに近づくために、文芸部に入ることにしたのだった。
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文芸部には“竜一君”(沢村先輩のファンは皆こう呼ぶらしい。家族以外の男の人を下の名前で呼ぶのは初めてだったけど、まぁこれは愛称みたいなものだろうしいいか)の他に、もう一人先輩がいた。
初めてその人と会った時、私は少し、いやかなり緊張していた。
名前を桐山冬二と言うその人は、かなり異様な風体をしていた。
まず、彼は私が今までに見た人の中で、一番太っていた。
しかしそれはだらしなさだとか、ひ弱そうな印象には繋がらず、彼からは何となく圧迫感というか……少なくとも、弱い人間には見えなかった。私は経験として、そのような臭いをかぎ分けることが得意だった。まぁ、いじめられっこにはありがちな特技だろう。
彼をどちらかと言えばいじめる側の人間と判断した私は、突然入部届を持って現れた私を見ても、特に驚いた様子を見せない彼のことを警戒していた。
だけど、入部届を何のためらいもなく受け取った後、これからよろしくと私に笑いかけてくれた顔が意外と人懐っこい感じがして。
……私は、なんとなく警戒の段階を一つ下げた。
そのように私の文芸部としての活動はスタートした。
しばらくすると文芸部で過ごす日々は、想定の何倍も充実したものになった。
自分は沢村先輩と仲良くなることで、家族の為にやるべきことをしているのだ、という安心感を得ながら過ごしていたから、というのもあっただろうけど。
それ以上に、純粋に楽しかった。
私の高校での態度は客観的に見ても酷いものだったと思う。私について事実を誇張した噂が流れていることも知っていた。しかし二人の先輩はそれらを何も気にすることなく、普通に話をしてくれた。
私達はあの校舎の片隅の教室で、時に適当に、時に真剣に、色々な話をした。
家族以外の人とこれだけの時間を共有したのは初めてだった。
二人についても色々なことを知った。
竜一先輩の度々噂で聞くような他者を受け入れない視線というのは、単に人とのコミュニケーションが苦手なだけみたいだということも分かったし、桐山先輩が陰で三枚目の癖に空気を読めないと罵られているのは、譲れない芯があるからだと知った。
私はそんな二人を素直に尊敬するようになった。また自惚れじゃなければ彼らも私を受け入れてくれていたように思えた。何にもなかった私でも、ここにいて良いんだと思えた。ここでは人との関係に怯えていた私でも、自然に居られるんだと安心できた。
一学期の途中で両親の店の経営が軌道に乗り、私が当初文芸部に入った目的は失われたが、最早そんなことはどうでもよくなっていた。ただ、ようやく自分の居場所を見つけられた嬉しさで一杯だった。
「ぼっ、僕と、……つ、付き合って下さい!」
――――だからこそ、先輩から告白された時には、それを踏みにじられたように感じたのだ。
私は2人の先輩、どちらのことも異性として見たことはなかった。
友人とも違う、同胞、あるいはやはり先輩、と呼ぶのが一番適切なのか。それとも一番近しい感情を向ける相手というのなら父親、ということになるのだろうか。
とにかく、私は先輩に対して好意的な感情を持っていたのは間違いなかったが。
しかし私はそもそも人を好きになるということが理解できていなかった。中学から高校に至るまで、それどころじゃなかったという言い訳をさせて欲しい。
結果として私の中では、異性としての好意を向けられていた喜びよりも、恋愛に対する忌避感と困惑が勝っていた。
何より、先輩の告白によってこの居心地の良い空間が壊れてしまったことが分かって、それがどうしようもなく恐ろしかった。せっかく出来た自分の居場所がなくなってしまうのが嫌だった。
これからまた部活に入る前と同じように一人で過ごせる自信は無かった。こんな暖かい場所を知ってしまったら、今更一人ぽっちになんて、戻れるはずない。
でもだからと言って、先輩と付き合ってみるという考えは頭に浮かばなかった。
正直に言って、ショックだったのだ。
私は純粋に信頼していたというのに、貴方は違ったのかと、背中から刺されたような気分だった。
だいたい、何で私なんかのことを好きになるだろうか。
以前からこの人には少し、私を過大評価している節があった。もし万一付き合うことになったとして、正しく私という人間を知った先輩に、がっかりされたくもなかった。
様々な感情が入り乱れ、極度の混乱の中で私の取った行動は。
「え、ごめんなさい。無理です」
先輩を振ることだった。そしてこの口は、告白の断り文句を言うのは慣れていた。もう二度と私を好きになんてならないように、これまで振ってきた人と同じように、気づけば自然に悪意ある言葉選びをしていた。
「こっちからしたら逆になんで告白されたのかって感じなんですけど。はぁ……最低です。貴方と仲良くしてたのなんてそんなの、竜一君が居たからに決まってるじゃないですか」
実際、最低な気分だった。
私の居場所を壊した先輩も、そして最早家族のように思っていたこの人を悲しませた自分も嫌いだった。”竜一君”目当てで入った自分に対する罪悪感も今頃になって湧き出してきて、止まらなかった。…………こんな自分を、罰して欲しかった。
だから高圧的な態度を取った、ここまで言えば、この人も自分を嫌ってくれると思った。
叱って欲しかった。浅はかで自分勝手でどうしようもない自分を。
でもそんな自分勝手な私にも優しい先輩は最後まで、ただ悲しそうな顔をしていた。
私は、それ以上先輩の顔を見ていることが出来ず、背を向けた。
「用って、このことだったんですか? じゃあ、もういいですよね。私帰ります」
――――だから、台無しにしたのは、私だ。全部壊したのは、私だった。
前話の四十五話について、内容にほとんど変更ありませんが、一部修正を行いました。
以下、今後の展開について。
人によってはネタバレと感じる人もいるかもしれないので、ご注意ください。
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今後、三国凪に対していわゆる"ざまぁ"的展開はありません。そのような展開を期待していた方には、大変申し訳ありません。
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