僕は衝突を止めた
「…………な、んで、彼女が?」
僕がどうにかそれだけ絞り出すと、竜一はあれ? という顔でスマホを取り出した。
「……やべ。言ってなかったか。送ったつもりだったんだけどな」
そして僕とのやりとりを確認し終えたらしい彼は、少し焦ったような表情を浮かべた。
……まぁ、竜一には割とそういうところがある。
けど様子を見る限り彼女の方には僕が来るという話は伝わっていたようだ。それはつまり、彼女は僕と会うことを了承したということ。
なら、そこには問題はないと言える。
問題なのは――今の彼女に、何を言うべきかということだ。
乾いた唇を舐める。
考えがない訳じゃなかった。
むしろその逆。
ずっと考えていたことだった。
「…………えっと、」
僕が口を開くと、少し呆れたような表情で竜一の方に視線を飛ばしていた凪が、こちらに視線を戻した。
僕が話をしようと息を吸う、その間神社は沈黙に包まれた。
辺りの音は夏虫の声と、風が僅かに運んできた祭りの喧騒。――――そして、カツン、カツン、と硬質なものをぶつけるような音がした。
「…………!」
それはつまり、石造りの階段を上る音。ここに訪れようとしている人がいるということ。
この神社は基本的に人気が無い。竜一の方に目を向けるも、黙って首を横に振った。彼が誰かを呼んでいる訳ではないらしい。
部外者の誰かがここに来るのを勿論止めることは出来ないけど…………どうしたものか。
そんなことを考えるうち、足音の主はここに辿り着く。
階段の終着点、鳥居の下に現れたのは、下駄を履いた一人の少女。
肩甲骨の辺りまで伸びた鴉の濡れ羽色の髪が、神社の僅かな明かりに艶やかに照らされていた。
彼女の深い紺の浴衣は夜の闇に溶け入るようで。
家族の前では猫のように人懐っこく、人前では何もかも見透かすような印象を与える大きな瞳は、今はただ静かにスッと細められていた。
華奢でなおかつ女性らしさを併せ持つ、一際目立った容姿。
神に愛されていると囁かれる少女。
僕の妹が、そこに立っていた。
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どういう訳か、別れた僕について来ていたみたいだ。
入り口付近で立ち止まった彼女の後ろから現れた早希ちゃんが、この場にいる人物を見て驚いたように立ち尽くしている。
千夏は神社の建物の傍にいた凪と竜一に対して向き合うように立っていた僕に寄り添うに――――否。僕よりも一歩前に出て。
凪の方を見て、口を開いた。
「あなたが、三国凪さん。兄を振った人ですよね? ……どうして今、兄の傍にいるんですか?」
僕は千夏に誰に振られたかまでは話さなかったはずだ。
それなのに、千夏は凪がそうだとほとんど確信を持っているようだった。
けど確かにこの状況を見れば、そうなるか。僕の交友関係が大して広くないことは彼女も分かっていただろうし。
「あ、ああ。えっとよ、俺が声かけたんだ。そろそろ話し合ってもいいんじゃないかって思って――」
「ちょっと黙っていてください。私は、今、この人に聞いているんです」
竜一の言葉を、千夏は制した。そして視線を凪に向ける。
凪は、無表情だった。
わずかな沈黙の時間が流れた。彼女からの返事が無いことに千夏が焦れたような表情を浮かべた時、凪は肯定も否定もせず、ただ無表情のままで一つ尋ねた。
「……傍にいては、いけないですか?」
その発言に、千夏は苛立ったように眉間にしわを寄せた。
「ッ! ダメに決まってる。だって、あなたから振ったんですよね? それなのにまだそんな風に傍にいて。期待させるのは、残酷だと思わないんですか!?」
「……千夏、僕はもう別に」
「お兄ちゃんは黙ってて。……あんな風に泣いてるお兄ちゃんの姿、私、初めて見た。どんなに酷いことを言われたんだろうって、考えただけで胸が張り裂けそうになった」
彼女はその瞳を潤ませていた。僕は彼女にあの時どれほど心配をかけていたかを今更ながら理解した。
「それでも、お兄ちゃんが気にしないでって言うから、そんなの無理だけど無理矢理聞かないように我慢して。それでお兄ちゃんは夏休みに色々な新しいことを始めて、バイトとか、ランニングとか、このお祭りだってそう。それでやっと、忘れてくれたはずだったのに。……今更、お兄ちゃんに何の用ですか」
千夏の後ろで、早希ちゃんがハッと何かに気づいたように僕を見ていた。
……僕は彼女、三国早希にだけは、何も話していなかった。
夏休み直前のあの日、部活の後輩である三国凪に告白をしたこと。
そして振られたこと。
本人たちに確かめたことは無かったけど、親戚なんだろうってことは察していたから。
千夏は睨みつけるように凪を見つめ、けれど凪は一言何かに気づいたように呟いただけだ。
「あなたは、お兄ちゃんが大切なんですね?」
「何を当たり前のことを」
「では、あなたは先輩が泣いてたって言いましたけど――――そのこと、今ここで言う必要ありました?」
千夏の動きがぴたりと止まった。
「それ、先輩は隠しておきたいだろうなって、誰でも想像つきますよね? 何で言ったんですか?」
「私に罪悪感を抱かせたかったんですか? でもそんなこと、先輩があなたに頼みました? 頼んでませんよね。本当は、ただあなたは自分が気に入らない相手を攻撃したいだけ」
「…………急に、何言い出すの?」
千夏が、低い声でゆっくりと尋ねた。それは、震えそうになった声を必死にとどめているようにも聞こえた。
「いえ、大好きなお兄ちゃんが取られちゃって悔しかったんですよね? それも、私みたいな、よく分からない、ぽっと出の女に」
女の子としても小柄な部類の凪が、160センチ後半の千夏を見上げるようにしてそう言うと。
「……ッ!!」
千夏は突然凪に近づき、胸倉を掴み上げた。
一瞬のことで、止める暇もなかった。
身長差のせいで、Tシャツの胸元を掴まれた凪はぷらりとつま先が宙に浮いていた。
「お前が!! 私たちを! 知ったような口で語るな!!」
「千夏! 落ち着いて!」
「離してお兄ちゃん!」
すぐに僕は駆け寄って、千夏と凪を引きはがしたが、千夏は僕から逃れようともがいていた。
「まぁ、まぁまぁ!! ちょっと誤解があるみたいだな! ここは俺の顔に免じて許してやってくれ!」
珍しく焦ったような表情をした竜一が、二人の間に割って入った。
「どうして会わせたんですか! お兄ちゃんとあの人を!」
僕に羽交い絞めにされたまま、千夏はキッと竜一を睨んだ。竜一はう、と怯んだように目を逸らした。
「……だってこいつら、誰かが言わなきゃ多分もう会おうとしないと思って」
「! そういうの、余計なお世話って言うんですよ! こんな性悪女、私が絶対にお兄ちゃんの傍には居させないから!」
千夏は言う。
一方、凪はいつもの何を考えているのか分からない無表情で、ぽつぽつと呟いた。
「……余計なお世話は、どっちですか。そもそも、普通は兄が告白された相手とか、こんなところまで来たりしませんよ」
「あなたの話は早希からよく聞いていました。孤高の存在、高嶺の花、皆の憧れ。恋愛に興味なし、お兄ちゃんが大好きな女の子。…………逃避、ですか?」
虫の音ばかりの静かな神社に、彼女の淡々とした声が聞こえていた。
「自分は兄のことが好きなんだって思っておけば、周りのことを無視して、考えないでいられますからね」
「お姉ちゃん、言い過ぎ」
千夏の腕を掴んだまま、早希ちゃんは二人を見遣り首を傾げた。
「ちょっと、一旦お互い頭冷やしましょう? ……こっちは私がいるので、お兄さんはお姉ちゃんのことお願いしていいですか」
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早希ちゃんが千夏を連れて階段の方に消えるのを見送った後も、凪は表情を変えずに参道の上に立っていた。僕はよっこいしょ、と社の前の段差に腰掛けた。
「座る?」
僕はそう尋ねながら隣の空いたスペースをぽん、と軽く叩いたが、彼女からの返事は無かった。彼女は立ったままだった。何に寄りかかるでもなく、立っていた。
「あのさ、千夏のこと…………」
「……」
僕が話し始めても、彼女の表情は何も変わっていなかった。
多分、彼女はずっとそうやって生きて来たんだろう。
敵対する人間を、今みたいな平気な顔で叩き潰して、生きて来たんだろう。
――――そんな人間でないことを、僕はよく知っていた。
「ごめんっ、なさい…………!!」
ぽつり、と神社に吐き出された声。
立ったまま俯いた、凪の表情は見えなかった。
ただ、ぽた、ぽたと石畳の上に透明な雫が落ちていった。
「全部っ、私のせいです……!」
「あの子は、何も悪くない。素敵な子だと思います」
ぼろくそに言っていたように思えた。
「素直な感情のままに、大切な人を守れる人間が、腹立たしかったんです」
「ごめんなさい」




