僕は彼女と再会した
日が沈み、辺りが暗くなる。いつの間にか、通路に置かれた提灯に明かりが灯されていた。昼間の日差しとは打って変わって辺りに吹く涼しい風が、ステージの熱を冷ましていく。どこからか祭囃子が聞こえてきて、僕はそれを待ち合わせの広場で聞いていた。
「お待たせしました、お兄ちゃん」
千夏と早希ちゃんがやって来た。二人はステージ衣装から着替え、浴衣を着ていた。
僕は返事をして立ち上がり、二人と並んで歩き出した。
三人でお祭りを見て回ることになっていた。
ステージ前は緊張してそれどころじゃなかったからと千夏が言っていて、早希ちゃんは緊張とは無縁そうだけど、彼女もステージ前は振り付けの確認をしていたから、見て回る時間はなかったらしい。
僕も一人だったし、特に断る理由も無かった。
霞と吉彦はステージの後、祭りの準備を一緒にしていた子供達に引っ張られていったし、竜一に至ってはいつの間にかどこかに消えていた。
じゃあ、行こっかと千夏が立ち上がった僕の隣に来て言う。
早希ちゃんも当然のようにその反対側に収まった。
…………ええと。例えばこれが早希ちゃんじゃなくて霞だったら、別に僕もなんとも思わないんだけど。
二人のことをチラチラと周りの人が見ているのが分かった。それはステージの影響か、それとも単に浴衣を着た見目麗しい彼女達が人目を引くのか。
特に中学生くらいの子達からの視線が凄い……けど、話しかけられたりはしない。
ねぇねぇ、と千夏が腕を絡ませながら聞いてくる。心なしか周りから向けられる視線が厳しくなった気がする。視線は既に睨むの域に達している。僕が彼女の兄だって分かってるのかな。
「これ、お兄ちゃん書いた看板だよね!? 私分かるよ!」
「へー。なんか、絵が下手な人が必死に誤魔化して書いたみたいな感じがする絵だねー」
「しょうがないじゃん! お兄ちゃんなんでも出来るけど絵の才能だけは壊滅的に無いんだから!」
早希ちゃんがからかうような瞳で僕を見ると、僕を挟んで千夏がフォローの振りをした追い打ちを掛けてくる。なんてことだ、二対一じゃないか。それならこっちにも考えがある。
「君達随分好き勝手言ってくれるね? ……『今日は、私達のステージを観に来てくれてありがとうございます。……最後まで、目を離しちゃイヤだからね?』」
「ぎゃぁぁあああああ!?」
「頭おかしいんじゃないですかー!?」
僕が彼女達のステージの物真似をすると、千夏は悲鳴を上げてその場にうずくまり、早希ちゃんは顔を真っ赤にして詰め寄ってきた。ガッと腕を掴まれて、
「っ! あ、ご、ごめんなさい」
我に返った彼女がパッと手を離した。あ、いや、別にそこまで気にしなくていいんだけどね。
と、歩いてると屋台の良い匂いが辺りに漂ってくる。
「ん~、良い匂い! ね、何か食べようよ! 二人はどう?」
僕と早希ちゃんの間に漂っていた微妙な雰囲気を察してか、あるいは全く関係なしにか(千夏だから多分後者)、千夏がそう言った。僕達が勿論、と頷くと、千夏はパンフレットをじっと真剣な表情で覗き込む。
「たこ焼きイカ焼きたい焼きお好み焼き焼きそば綿菓子りんご飴……時間的にも経済的にも、全てを口にすることは出来ない……大切なのは何を選ぶか、何を切り捨てるのか。計算しろ、この場の最適解を導き出せ……」
プスプスと頭から煙を上げていた千夏は、やがてふらふらと近くのりんご飴の屋台に引き寄せられて行っていた。
「ああ、呼んでいる……夏っぽいものが私を呼んでいる……こっちは私に任せて、二人はなんか美味しそうなの買ってきて……」
結局本能のままに行動を開始した千夏と僕達は再びこの場に集うことを誓い、一時解散する。
「私達はどうしましょうかー」
早希ちゃんに言われて辺りを見回す。この辺にあるのは、たい焼きと焼きそばと……。
その時早希ちゃんがあ、と何かに気づいたように声を上げた。
そして少しの沈黙。
どうしたのだろうと彼女の視線を追うと、たこ焼き屋の看板には「カップルサービスします!」の文字が躍っていた。
「……今だけ、付き合いませんかー? 私達」
沈黙を破って早希ちゃんはなんてことないようにさらりと言った。
なので僕も可能な限り平静を装って答える。
「そうしようか。安くなるみたいだしね」
どれくらい安くなるんだろ? 分かんない、なんて白々しい台詞を吐きつつ僕達は半歩ずつ身体を寄せ合って、たこ焼き屋の列に並んだ。
お祭りという非日常に浮かれていたという言い訳の余地を残しつつ、僕達はそろそろとタイミングを見計らって手を伸ばし――早希ちゃんの白い手がそっと僕の手を捕まえた。
最初はこわごわとそこにお互いがいることを確かめるように、それからぎゅ、といきなり強く握られ、思わず声が出そうになったのを慌てて堪える。
そうこうしているうちにいつの間にか順番が来ていて、慌ててたこ焼き屋の店員に注文を伝えると、
「かしこまりました。……それにしても、初々しいですね。お兄さんもお姉さんもモテそうなのに」
店員のお姉さんに、そうからかわれる。
「……は、はい。えっと、はじめて、です」
早希ちゃんは彼女には珍しくたどたどしい、鈴の音の鳴るような声音でそう答えた。
楽しんでいってね、と言った店員さんがたこ焼きを詰める為にこちらに背を向けると同時、くいっと服の袖を引かれる。
隣の少女は片手で僕の服をつまみながら、もう片方の浴衣の袖を纏った手で口元を抑え、大事な秘密でも告白するかのように頬を上気させつつ、こそこそと僕の耳元に口を寄せた。
「…………やっぱり、恥ずかしいね」
――心臓が跳ね上がるのを必死に隠しつつ、僕はうん、とか、そうだね、とかそんな言葉を返した。
店員さんから商品を受け取って店の前から離れた後も、僕達の手は繋がれたままだった。
僕達はそれからもう一軒寄って、綿菓子を買うことにする。
「あ、二人共いたー!」
二人で列に並んでいる途中、千夏の声が聞こえ僕達はパッと手を離した。通りはお祭りを楽しむ人で混んでいたから、千夏は僕達の不審な動きに気づかなかったかもしれない。
「二人共、良いの買えた? 私はねー、ほら、こんなに!」
「お、おー。凄い量だね、これ、いくらだった?」
「それが何かねー、お店の人がステージを観ててくれてたらしくって! サービスしてもらっちゃった!」
得意げに胸を張る千夏を見て、これはサービスしたくもなるなと思う。多分僕が店員でも同じことをしただろう。早希ちゃんも可愛い小動物を見るような目で千夏を見ていた。
「そうだ、こんなのも貰っちゃった」
そう言って、千夏が見せてくれたのは……何やら、問題が載ったチラシだった。初めて見る。この近くの大学の大学生が出しているお店で配っていたらしい。要は、クイズ大会のようなものか。
「へぇ……。解答して回収ボックスに入れると、後で優勝者の発表があるのか」
「なんか面白そうじゃない!? 三枚貰ってきたから、皆でやろうよ!」
その時丁度近くに空いているベンチを見つけ、僕達はそこで買ってきた食べ物を三人で分け合いながら、のんびりとクイズを解いたりお祭りの感想なんかを話した。
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「……ん、」
「? どうしたのお兄ちゃん?」
「あ、いや。電話が来てたから」
辺りがそれなりに騒がしかったこともあって気付かなかったけど、スマホに通知が届いていた。
発信元は竜一。不在着信の後に、神社で待ってる、と端的な文が送られて来ていた。
どうしたんだろう。
とりあえず今から行くということと、千夏とその友達もいるけどいいかと送ると、出来れば一人で来てくれと返ってきた。
「ごめん、竜一が呼んでるからちょっと行ってくるね」
どんな用事か分からないけど、滅多なことでは竜一は僕に電話してこないから、何かあるんだろう。
まだクイズを解いている途中だったし、三人で回ると言っておいて申し訳ないけど。
少し考えるような素振りを見せた千夏は、こくんと頷いた。
「……分かった! じゃあ、クイズの方は出しておくね。まだ途中だろうけど……大丈夫! 私も半分くらいしか終わってないし! 様子分かったら連絡ちょーだい!」
早希ちゃんからもクイズの解答用紙を回収しながら彼女はぐっと親指を突き出してそう言った。早希ちゃんもまたねー、とひらひらと手を振る中、僕は神社に向かうことにした。
彼の言う神社は、お祭りをやっている場所からそう離れていない場所にある。すぐに着くだろう。用事が終われば、またすぐ戻って来れるはずだ。
しかし僕は通りを離れる前に一度振り返り、そしてお祭りの様子を目に収めた。
思えば予感がしていたのかもしれない。今まで積み上げてきたものが突然崩れ去るような、そんな予感が。
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「よォ、冬二」
神社はお祭りの行われている通りを少し先に進み、その脇にある石造りの階段を上った先にある。
階段を上り鳥居をくぐり抜けると、竜一は境内の奥にある神社の、たしか拝殿と言うんだったか、賽銭箱のある参拝なんかをする建物の前に立っていた。
僕は拝殿に続く参道の途中で立ち止まった。彼とはステージの後に別れたばかりだ。なのにその時の竜一の雰囲気は、いつもと何か違って見えた。
「な、なんだ。竜一か。どこ行ってたの? 突然いなくなるからびっくりしたよ」
「あァ、わりィわりィ」
神社という静謐な雰囲気の場所のせいか、その場の空気は祭りのそれとは異なるもののように感じられた。
階段を上った時に額にかいた汗を拭った。それでも、じっとりとした不快感までは消えてくれなかった。
「それで……用って、何?」
「あァ、それはな……って、お前の最初の質問の答えにもなるんだけどよォ。俺はさっきまで、駅にこいつを迎えに行ってたんだよ」
こいつ?
彼の言葉に首を傾げると、竜一は黙ってその場を一歩退いた。
その時になってようやく僕は正対する竜一の背後に、誰かがいたことに気づく。
どうして気付かなかったのだろう、今日一日慣れないことをした疲れが出ていたのか、それとも――気付きたくなかったのか。
商店街の夏祭り。駅に迎えに行っていた。一人で来て欲しい。竜一と僕の共通の知り合い。
脳が状況に散りばめられた要素を繋ぎ結論を出すと同時、
「――久しぶりです。先輩」
夏休みに入るまで、毎日のように聞いていたその声。
小柄な体躯にしゃんと伸びた背筋。
腰の辺りまで伸びた亜麻色の髪。
透き通るような大きな瞳。
三国凪がそこにいた。
バクバクと心臓が異常な音を立てているのを、頭の冷静な部分で認識していた。少し離れていていも聞こえてくる、祭りの会場からのアナウンスを、別世界の出来事のように聞いていた。
『……えー、夏祭りはこの後の花火をもちまして、終了となります』
夏の終わりが、近付いて来る。




