僕は妹と乾杯した
「ただいま」
パン屋から帰ってリビングに入ると、千夏はまだカーペットの上に横になったままだった。
「………………おかえりぃ」
「パン買ってきたよ」
「……あい。ありがとぉ」
未だ寝ぼけているらしい妹にパンの袋を渡し、キッチンで昨日の晩の残りのスープを温める。
それから戻ってきて、机の上に散らばる勉強道具を軽く片す。
その間に千夏はガサガサと袋からパンを取り出していた。寝ぼけ眼を袖で擦りつつ、ふわりと欠伸を一つする。
「ねぇ、おにーちゃん」
「何?」
「えへへ、呼んでみただけー」
にへらっと笑う千夏はいつもの数倍幼い。彼女は昨日の夜からずっとこんな感じだ。
千夏は着ていたダボダボの白いTシャツ(よく見たら僕のだ)の余った袖口からちょこんと指を出して、ちょいちょいと僕の服を引っ張ってくる。
「おにーちゃんは私のことだいすきなんだよね?」
「…………」
「わたしも、おにーちゃんのこと、だいすきだよ? えへへ、両想いだね」
「……牛乳まだあったっけ」
「ねね、私がどんなふうになっても、好きでいてくれるんだよね?」
「あ、そろそろスープの火止めなきゃ」
「もう、照れちゃって!」
「……いただきます」
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「ごめんってばお兄ちゃん! もう言わないから!」
妹が手を合わせてくるが、僕はパンを食べながら顔を背けた。
まったく、人が真剣に心配したって言うのに。
「私の心の中だけに仕舞っておくから!」
からかってくるとは許せない。……まぁでも、昨日よりか回復したのかな。
「分かってる、これは私達だけの秘密だよね、禁断だもんね」
「…………??」
「でも、本当にありがとねお兄ちゃん」
なんか途中の言い方がおかしかった気がしたけど、そこで妹は少しだけ真面目な顔をしたので、僕も彼女の方に向き直った。
「…………他のことも手を抜いちゃいけない、完璧じゃなきゃいけないって、今までは休憩しても、なんだか気持ちが休まらなかったんだ。でも昨日ので、ちょっと吹っ切れた。とりあえず、これからはぐっすり寝れそう」
心の持ち様が変わっても、千夏の状況自体は何も変わってない。でも、そんなことは本人が一番よくわかってるはずで、だからそれでもそう言えるんなら、きっともう問題ない。
先の見えない不安の中、それでもと思って勉強した二年前が記憶に蘇る。あの時なんで、僕は頑張れたんだっけと、少し考えて思い出す。
『さすがおにいちゃんだね! ぜったいだいじょうぶだよ!』
あ、と納得する。やっぱり僕達は兄妹なんだな。
「千夏なら大丈夫だよ。……大丈夫じゃなくても、大丈夫」
「ん!」
僕達兄妹はカチンとコップに入った牛乳で乾杯をした。
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「町内の夏祭り?」
「そうだ」
その日の夜。
夕ご飯を食べ終わり皆で食後のお茶をしていた時、父さんからそんな話が出て来た。
父さんは、今日は会社を早めに切り上げて町内会の会議に参加してきたらしい。
猫舌な妹はふーふーと息を吹きかけて一口お茶を啜っては、あちっと顔をしかめていたが、父さんの話を聞いてパッと顔を上げた。
「それって、毎年夏休みの終わりにあるやつだよね?」
「そうそう。毎年そこの商店街が中心になってやっているんだが、それを今年は隣の商店街と合同でやろうという話になってな」
「あら、そうなの」
僕はそのお祭りがどんなものだったのかを思い出す。
たしか商店街のそれぞれのお店が、出店を出したりするはずだ。あとはちょっとしたステージなんかもあって、町内の人が歌ったりしていた気がする。最近はあんまりだけど、小さい頃は僕も妹も毎年行っていた。
「初めての試みで人手が足りなくなりそうだから、地域の子供たちにいつもより声を掛けているところなんだ。それで冬二はどうかと思ってな。…………千夏は今年受験だから、アレだけど」
「うん、そうだね」
千夏があっさり頷いたことに父さんと母さんは少し驚いたみたいだ。
「あら、千夏はやりたがるかと思ってたわ」
「ううん。……だって私は、全部を完璧には出来ないから。まずは勉強する!」
「………ぐすっ、うちの千夏は賢いなぁ。多分これ、そこそこ時間を取ることになると思うから、もし千夏がやりたがったら父さん全力で止めてたぞぅ。その後嫌われて激しく落ち込む覚悟まであったぞぅ」
「あはは、何その言い方。お父さん何か気持ちわる!」
「グハァッ!?」
千夏が無邪気に放った言葉に、父さんが椅子から崩れ落ちる。
「あらあら、覚悟しておいて良かったわね。……それで、冬二はどうなのかしら?」
「……やってみようかな」
「! 本当か!? いや、父さんは助かるが!」
「無理しなくていいのよ?」
床に倒れていた父さんと、そんな父さんを見て微笑んでいた母さんがこちらを見てくる。
「うん、大丈夫。バイトとの兼ね合いで参加できないときもあると思うけど、せっかくの機会だし」
夏休みにしか出来ないことだと思う。それに来年には受験でそれどころじゃないかもしれないし。これまでは何となくこういう催しにはきちんと参加してこなかったけど、今、迷うくらいならやってみたいと思った。
「そうか、そうか……! よし、これであの爺さんにどやされずに済む……!」
父さんが何やら喜んでいるのが不可解ではあったけど。
「立派になったわねぇ、うちの子どもたちは」
母さんがお茶をすすりながら、一人呟いていた。




