50 神獣とエルフ
聖女を手元から奪われたサハラは、当然機嫌が悪い。
サハラが面会に同席するという想定外の事態に予め心積もりはしていたものの、険しい顔つきのサハラと二人きりになったアシュリーは…これ以上、状況が悪化しないよう祈るしかなかった。
「大公、あの娘は…何者だ?」
「表向きは、他国の元侯爵令嬢…今は除籍されて平民となっています」
自身の感情を隠そうなどと考えもしないサハラは、思い切り訝しげな表情をアシュリーに向ける。
「突然の事故により魂を失った…その元侯爵令嬢の身体に取り残されたのが、前世である今のレティシアです。彼女は異世界からの転生者で、現世で生きた17年程の記憶がありません」
「肉体が滅びなかったとはいえ、それは死を迎えたも同じ…現世に留まったのは、魂が欠けたせいかもしれないな」
「この世界で目覚めてまだ日が浅く、魂と身体が同化していない状態だと聞いております。そのためか、私が触れても異常が起こらない…唯一の女性なのです」
「…触れても?……触れたのか…?!」
アシュリーのことを生まれた時から知っているサハラは、まさかの話に目を見張る。
「はい」
「何と!…そうか…ならばその影響で…」
アシュリーの魔力から感じたわずかな違和感は、レティシアとの接触による変化であると納得したサハラは、頷きながら興奮して乾いた口元を数回撫でた。
「サハラ様、レティシアは…特別です」
「…ふむ…だが、あの娘は…ん?…レイヴンが来たか…」
部屋の外から男性の声が聞こえたかと思うと、すぐに扉が開いて…急くようにスルリと隙間を通り抜けたレイヴンが姿を現す。
長い銀髪に紫の瞳、強いオーラを放つ彼は…その見た目と威圧感から、周りに冷たい印象を与える。レティシアの側にいた時とは、明らかに雰囲気が違う。
「サハラ、何用だ?私は暇ではないんだぞ……おい、先客ありではないか…」
帝国魔塔の大魔術師は、神獣にとんでもなく無愛想だった。
♢
先客となったアシュリーはスッと立ち上がり、レイヴンに一礼をする。
「あぁ…大公殿下、先程は大変失礼をいたしました」
「また、お会いできましたね」
「レイヴン、忙しいなら悪かったな。レティシアとかいう異世界人の話をしたくて…お前を呼んだ」
「レティシア?彼女がどうかしたか?」
「…何だ…あの娘はお前のものではないのか?…あんなにニオイをつけているではないか…」
「…えっ…?!」
驚きのあまり思わず声を上げたのは、勿論アシュリーだ。
サハラとレイヴンは“長くこの世を生きる者”同士、いつも対等に会話をするが…その口調は、よく言えば堅苦しさがなく、悪く言えば雑。
「サハラ、魔術をニオイと一緒にするな。獣みたいだぞ…発言に気をつけろ」
「…獣?失礼な男だな、お前の発言こそどうなんだ。
なぜ、そうまでしてあの娘を守る必要がある?あれでは、他の魔術師たちも気付くぞ」
「大いに結構、レティシアが“エルフの加護”持ちだと勘付くレベルの魔術師なら…手は出さん」
「“加護”を二つもか?…レイヴン…それは、未来の嫁に与えるやつだろうよ。お前、何をやってる?」
「嫁などいつ来るか分からんではないか、誰かさんのように召喚するわけでもあるまいし」
面倒臭そうにそう言うと…レイヴンはドカッとソファーに座り、目の前に運ばれてきた紅茶を盆の上から取り上げ呷った。
「現世のレティシアとは縁があって、幼いころからそっと見守って来た。だが、違法薬を…それも失敗作を…過剰に体内へ取り込んだレティシアの魂を救ってやれなかった。
今は、前世である彼女が残された身体で自由に生きるくらいの手助けはしてやりたい。サハラ、私は“加護”を与えはしたが二つではないぞ。一つは“加護”を織り交ぜた特殊な魔術だ」
「どっちも似たようなものではないか、やかましいわ。お前がそこまでする娘なら、私も何か“加護”を与えてやろうか?」
「それは私が頼むことではない。…が、この魔法の国で…彼女が生きやすい程度に気遣ってやってくれると助かる」
「ふん。まぁ…あの娘に手を出せば、雷撃を食らって皆黒コゲになる…ククッ…」
エルフの神力は、自然との繋がりが非常に強い。サハラの口ぶりでは、中でも強力な雷の力がレティシアを守っているようだった。
「大公殿下は、彼女を秘書官として側に置かれるそうですね」
「はい。ご安心ください、私もレティシアを大切にするとお約束いたします」
「…よろしく頼みます…」
レイヴンが丁寧に頭を下げたことに、サハラとアシュリーは仰天する。
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「大変不躾な質問で申し訳ありません、レティシアは…レイヴン殿に想いを寄せていたわけではないのでしょうか?」
「…ん?」
透き通った紫色の瞳が、大きく二度…瞬きをする。
アシュリーは、レイヴンしか知らない事実を聞きたい。突然質問を投げかけられ戸惑ったレイヴンは、顎に手を当てて固まった様子を見せていた。
「私はエルフと人間のハーフだ。異種族間、特に同じ時を刻めない者同士の恋がどんなに儚いものか…よく知っている。私たちのどちらかに恋愛感情があったとして、その恋を成就させることは難しかっただろう。
王族の婚約者であるレティシアに、心の拠り所となる相手がいても不思議はない。しかし、それは私ではなかった」
「立ち入った話をいたしました…どうかお許しください」
レイヴンが構わないというように軽く手を上げた途端、サハラが口を開く。
「大公、レイヴンは人間とのハーフだが、その能力が半減するどころか倍増した…稀で貴重な“10人目のエルフ”だ。こいつの両親は、異種族であっても結ばれるべくして巡り合い、深く愛し合った素晴らしい夫婦だった」
「余計な話をするな」
「…だから、レイヴンはこう見えて愛情深い男…」
「まだ言うか?」
ギロリと睨みを利かせるレイヴンと、知らんぷりをするサハラ。そんな二人の間に挟まれたアシュリーは、少々責任を感じて黙っていた。




