211 デビュタント
デビュタントの二日前。
ロウエン子爵家へ三度目の訪問となったこの日、無事ダンス練習を終えたラファエルと共に邸へ戻ると、薄ピンク色の包装紙に金色のリボンを掛けた大きな箱が届いていた。
「…これって…まさか私の…」
「乗馬服ですね」
「やっぱり!」
小さく頷くラファエルの横で、レティシアが瑠璃色の瞳を丸くしている。箱の中身は白いシャツとキュロットの上下に、黒のジャケット。贈り主はアシュリーだ。
人生で初めて乗馬を習い始めるレティシアへのサプライズプレゼント。尤も、届くことを知っていたラファエルに驚きはない。
感情豊かな彼女ならば飛び跳ねるとまでは言わないが、きっと大喜びするだろう…との予想に反して、レティシアは折り目のついた新品のシャツを身体にあてがい静かに鏡を見つめている。公爵令嬢として完璧なその佇まいを、ラファエルは訝しげな顔で眺めた。
「どうされました?…サイズはピッタリですよ」
「…えぇ。ねぇ、ラファエル」
「はい」
「アシュリー様は、会う度にお菓子やお花をたくさんくださるの。…私、色々といただき過ぎていないかしら?」
か細い声で不安気に呟き、チラリとこちらを見上げて来る。言われてみれば、近ごろ入手困難な有名店の焼菓子が家族にまで回ってくることも少なくない。
我が義姉ながら呆れるほど無欲な人だと、今度はラファエルが水色の瞳を丸くする番だった。一方で、いつもとは違う儚げな雰囲気にうっかり庇護欲が芽生えてしまわぬよう気を引き締める。
「…そういうお言葉は、高価な貴金属を欲しがるとか…一度盛大に駄々を捏ねてから仰っても遅くないのですが…」
「え…何?」
「いえ、独り言なのでお気になさらず」
「へ?」
「婚約者…恋人へ贈り物をするのは我々男性にとって大きな喜びです。それが愛する人の望む品であれば尚良い。義姉上はラスティア国君主の寵愛を受ける唯一の女性なのです。どうかそのお立場をお忘れなきよう…過度な謙虚さは徒となりますよ」
「…う…」
「デビュタントのドレスは義父上が準備をなさいましたから、大公殿下もこの機会に何か贈りたいとお考えになったのではありませんか?」
「…でも、デビュタント用の宝石類は全てアシュリー様が…」
「未婚の王族には婚約者のための予算が予め組まれているとご存じでしょう。大公殿下は予算を超えて散財される御方ではございません。義姉上を想って選んでくださったプレゼントは、素直に受け取るべきです」
アシュリーを敬愛するラファエルの厳しくも優しい意見に、レティシアはぐうの音も出ない。
「そうよね、あなたの言う通りだわ。長い婚約期間中ずっと遠慮し続けるわけにもいかないし…あら?待って…乗馬といえば、数日前にお義父様からやっとお許しを貰ったばかりよ。乗馬服の仕上がりが随分と早いような…」
「…はは……流石、大公殿下です…」
以前、運動不足の解消にレティシアが乗馬を考えている…とアシュリーへ情報を漏らした張本人は、途端に返事の歯切れが悪くなる。ラファエルの引きつった笑顔には気付かず、レティシアは一人で首を傾げた。
(カラス…ううん、ネズミ?魔力を持つ耳のいいネズミが邸内に潜んでいるに違いないわ!)
公爵家当主ダグラスが乗馬の許可を先伸ばしにしたのには理由がある。練習の開始時期を遅くすればするほど、レティシアが大公邸へ引越した後に公爵邸まで通う回数も増えるからだ。要は、愛娘に会いたいが故の単純な作戦。
そして、レティシアへ乗馬服を贈るために“GOサイン”を今か今かと待ち受けるアシュリーへ吉報を伝えたのは、ゴードンに使役されたネズミ…ではなくラファエルだった。
そんな公爵家の男たちの様子を見守る公爵夫人クロエは、大公妃見習いとなるレティシアを補佐する正式な依頼を先にちゃっかり受けていたとか…。
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社交界デビューを祝う華やかなデビュタント・ボール。純白のドレスを身に纏った若い令嬢たちは盛大な拍手を浴びながら一人一人名を呼ばれて登場し、アルティア王国国王より祝辞を賜る。
二曲目を無事に踊り終えた頃には、皆一様に誇らしげな表情を見せていた。成人貴族として大きな課題を乗り越えたエマ・ロウエン子爵令嬢も例外ではない。ラファエルと腕を組み、ゆったりした歩みでダンスフロアの端へ移動する彼女の背筋は、入場時と比べて随分伸びている。
「レティシア、綺麗だよ…首飾りもよく似合っているし可愛い…あぁ、私はさっきも同じことを言ったかな?」
「ありがとうございます、アシュリー様。ふふっ…このやり取り、もう何回目ですか?」
大公邸での同居を阻む壁が消滅し、待ちに待った瞬間を迎えたアシュリーは、うれしさのあまり語彙力崩壊気味。
彼がレティシアの肩を抱き、手を取って口付ける度に周りからため息や囁き声が聞こえ、同時に強い視線を感じる。真正面から観察する不敬な者こそ存在しないが、王宮では婚約後初披露となる公認カップルを隠れ見る目つきというものは思っていた以上に鋭い。これぞ社交界だと理解しつつ、鋼の心臓で仲睦まじい姿を堂々と見せつけるアシュリーを見習い、今後は精神を養って行こうと決心した。
親族や知り合い同士が集まって簡単な挨拶を交わす和やかな歓談タイムを過ごし、婚約者特権の制限時間ギリギリになったアシュリーが義父の手によってレティシアから引き剥がされ…泣く泣く王族の席へ戻った後、ひょっこりカインが現れる。
「美しいお嬢さん、次は是非私と踊っていただけませんでしょうか?」
「はわっ…?!」
「イグニス卿!気付かなかったわ、いらしてたのね」
そろそろ次の曲が始まろうかというタイミングで、カインは後方からスムーズに右手を差し出す。
三曲目以降は参加者なら誰でもフロアで踊ることができて、パートナーの組み合わせは自由。彼が望んだ相手は、レティシアの隣に立っているエマだった。
「…ウツクシイ…オジョウサン…?」
「えぇ、ご令嬢のお名前を伺っても?」
「…………」
舞踏会である以上、エマとて誘われる場面を想像していなかったわけではないだろう。しかし、実際は美男子の魅惑の笑みと軽いウィンクにより一瞬で石像と化す。
細マッチョで甘いマスク、好青年タイプのラファエルとは違い、カインは大人な雰囲気と野性的な男らしさが魅力。社交に手慣れた所作や言葉選びはラファエルと大きく異なる。私語禁止の図書館通いで異性とは最低限の関わりのみで生活をして来たエマの交流対象者としては、少々ハードルが高過ぎた感が否めない。
離れた場所では、妹の成長を応援するかのように…姉のベラが両手を強く握り絞めていた。
「そのご様子、イグニス卿は途中参加でいらっしゃるのね。こちらはエマ嬢。彼女のお父様は、大公付き秘書官のドレイクス・ロウエン子爵ですわ」
「あぁ!そうでしたか。大変失礼をいたしました」
「エマ嬢、イグニス卿は王国騎士団の所属で、アシュリー様の護衛を任されている隊長さんなの。私もよく存じ上げているお方よ、どうか安心なさって」
「…隊長さん…それはご立派なお役目ですわね…」
レティシアの簡単な紹介を聞いただけで、エマはカインに真っ直ぐな尊敬の眼差しを向ける。
声を掛けた時の初心で純粋な反応は、世間知らずの大人しい箱入り娘という印象。カインの知る背の高い女性は、実姉を筆頭に自己主張強めのしっかり者ばかり。それとは正反対なエマは意外で逆に面白い。とはいえ、レティシアに身元を保証された立場のカインが下手な行動を取れば今度こそ“即クビ”に違いなかった。失敗は許されない。
「エマ嬢?初めまして。大公殿下をお護りする護衛隊長さんこと…カインと申します。間もなく26歳。現在、誕生日を祝ってくれる優しい女性を募集中です」
切れ長の目と口元をキリリと引き締めたカインが、冗談半分の自己紹介をして赤い瞳を細めると…エマの強張っていた頬がフッと緩んだ。
(…あら?…)
会話の強弱と言えばいいのか、カインの話す速さや間の取り方、声の高低と響き、それに合わせた一瞬の目線やちょっとした仕草が人を惹きつける。下半身の緩さに些か問題はあるものの、女性の心を掴むのが本当に上手いのだと…レティシアは思わず感心してしまった。
ここまで読んで下さいまして、誠にありがとうございます!
次話の投稿は10/5~10頃を予定しております。宜しくお願い致します。
─ miy ─




