190 蜜月
「ルデイア大公殿下、レティシア・アリス様、この度は誠におめでとうございます」
「ありがとう…結果は申し分ないということだな。ゆくゆくはレティシアを私の伴侶にするつもりでいる。イルム殿、今後ともよろしく頼む」
「名誉あるお役目、確と務めさせていただきます」
刻印の儀を執り行い、対の紋様が身体に現れた婚約者や公認の恋人は正妃となる資格を持つ。医師による定期的な検査や体調管理は、王族側が果たすべき大切な義務の一つ。
儀礼に則って寝室を訪れたスカーレット・イルムは、アシュリーの祖父の血筋、やや遠い血縁にあたる。
単身帝国へ渡って医術を学んだ彼女は優秀な治癒師でもあり、40歳を過ぎた現在、アルティア王国と帝国を行き来する生活をしていた。濃赤色の髪を後頭部でシニヨンスタイルにしたスカーレットの知性溢れる顔立ちは中性的で、凛としながらも医師に相応しく物腰が柔らかい。
「紋様を検めさせていただきましたが、番特有の“花宝”と呼ばれる紋形でした。また、レティシア様のお身体は大公殿下の強い魔力を受け入れる準備がすでに整っておられます。蜜月の間も全く問題はないでしょう。国王陛下には、私から本日中にご報告をいたします」
スカーレットは丸い片眼鏡を外し、カウチソファーで恋人を大事に抱え満足気に頷くアシュリーと、膝の上に乗せられて小首を傾げるレティシアへ向かって軽く頭を下げる。
「…かほう…?」
「はい…花の宝、と書きます。男性王族の能力の証でもある刻印の紋様は、現れる場所、形や色、大きさも様々でございますから、全て写し絵が残されております。我々の祖先は多くの絵柄を元に研究を重ね、紋様をいくつかの系統に分類いたしました。その中で“花宝”と名付けられた紋形にピタリと当て嵌まったのです。先程写し取りました紋様は、大切に保管させていただきます」
「もしかして…形によって意味合いが変わるのですか?」
「私が今この場で申し上げられますのは、神より賜った伴侶のお印に間違いないという事実のみです」
「刻印の形色に格差があれば、個々の能力や正妃への待遇諸々…争いの火種となり得るからね」
「…あ…」
レティシアの素朴な疑問の答えは、どうやら国家機密レベルの極秘事項らしかった。そもそも、儀式自体が男性王族にのみ伝えられる秘術のようなもの、刻印の詳細を公にしない理由も十分に理解できる。
例え側妃が何人いようと、伴侶の紋様を持つ正妃の座は盤石で揺るがず、決して蔑ろにしてはならない。重要視されるべきはその線引きを決定する紋様の有無であって、解釈ではないのだろう。
「そうよね…考えなしにごめんなさい。イルム様、大変失礼をいたしました」
「お気になさらず…どうか、お二人が番として巡り合えた奇跡を喜んでください。今後、レティシア様は大公殿下の寵愛を一身にお受けになるでしょう」
「そういうことだ。紋様の意味が何であれ、私が愛する女性はレティシア唯一人と決まっている」
「大公殿下の仰る通りでございます」
小柄な娘へと頬を擦り寄せる…アシュリーの幸福で満ち溢れた表情に感慨深い気持ちが込み上げて来て、スカーレットは切れ長の目をそっと伏せた。
不意に、十年近く前の記憶が脳裏に浮かぶ。
誘拐されて魔力暴走を起こし、心を病んで宮殿の奥に閉じ籠もる第三王子。将来有望視されていただけに、周りの誰もが憐れんだ。王家の血を引く者は手を差し伸べることができず、いつしか病状すら耳に届かなくなる。
神獣の花嫁として召喚された聖女の献身的な治療により回復したと知ってはいたものの、一年の約半分を帝都で過ごすスカーレットは、立派に成長したアシュリーの姿を今日まで目にする機会がなかった。
「イルム殿、どうされた?」
「…いえ、美男美女で本当にお似合いでいらっしゃいます。見惚れてしまっておりました」
「レティシアはたおやかで美しい女性だ。まぁ、少々そそっかしいところもあるが…そこがまた可愛くてな。今朝など、紋様がないと言って…」
「でっ…殿下!」
ちょっとした惚気話ならばまだよしとして、あの失態を面白おかしく語られては堪らないと、レティシアは躊躇せずにアシュリーの口元を両手で押さえつける。
「…むっ…」
「内緒にしてくださいっ!」
青い瞳の目尻を吊り上げたレティシアの必死の形相に、スカーレットは思わず笑いを押し殺す。仲睦まじい恋人同士の日常や関係性が垣間見え、微笑ましい限りだと思った。
紋様が刻まれる身体の部位は、大まかに胴体と四肢に分けられる。紋様は心臓から離れる程小さくなる傾向にあり、それに比例して魂の結びつきも弱まっていく。手足になれば輝きや色味にも変化が見られ、過去には手首や太腿に紋様の現れた低い身分の公認の恋人が、社交界の荒波に揉まれて婚約に至らなかったケースも見られた。
精神的な繋がりは数値に表して比較できる代物ではなく、優劣の証明は難しい。ただ、刻印による繋がりがあるのとないのとでは大きな差がある。それ故に、正妃の絶対的な条件とされていた。
神の恩恵を受けていても、互いを思いやり、幸せになる努力は必要だと考えるスカーレットは、目の前の二人ならば末永く愛し合うに違いないと目を細める。
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王宮へ報告に行くスカーレットを見送った後、アシュリーから誘われて森の中の東屋でティータイムを満喫した。
木々が風にそよぐ音や小鳥のさえずりが耳に心地よく爽快で、光のカーテンのように揺らぐ木洩れ日は安らぎを与えてくれる。ただし、アシュリーの膝の上からは一度も下ろして貰えなかった。
そんなイチャイチャ状態でも、プロの使用人たちは自然と振る舞い菓子や紅茶を置いて静かに去って行く。レティシアは口へ運ばれる焼き菓子と、緩んだ恋人の顔を交互に見つめては笑みを浮かべた。
こうして、別荘での一泊二日儀式の旅を無事に終える。
一部の使用人を別荘に残し、護衛騎士や従者s、侍女たちを引き連れ、魔法陣を使って一足先に大公邸へと戻った。
儀式の成功?を祝うシェフが全力を出し切った豪華なディナーに舌鼓を打ち、本物の星空の下で熱い口付けを交わせば…甘いムードに感情の昂ったアシュリーがベッドへ直行しようとするのだから困ったものだ。
別荘を片付け、馬車に揺られて邸へ戻って来たパメラが止めなければ、一体どうなっていただろう。
浴室でしっかりと身体の手入れを受けたレティシアが、刻印後の閨事情についてパメラに聞いてみたところ、一晩で何度も求め合うことは普通…との答えが返って来て、子孫繁栄の柱となる男性王族の強靭な精力に絶句する。
♢
「…ピンクもいいな…ロザリーの見立てか…」
「……正解……」
見慣れたいつもの寝室で、ロザリーが選んだ“すぐに脱げる”ナイトドレスに身を包んだレティシアは、ベッドに横たわって黄金色の眼差しを全身に浴びていた。
レティシアの足首から上へ上へと、アシュリーの手が肌の表面をしなやかな動きで滑って行く。ドレスの下を潜って中間地点へ辿り着くと、指先で器用に紐を引っ張る。さらに侵入を続け、腰と脇を通って紋様を撫で…最後に胸元のホックを外した。
「……んっ……」
「昨夜は…私の魔力を受け入れた君の身体が弱らないかと心配だった…でも、今夜は何度も抱くよ…いい?」
素早くガウンを脱いだアシュリーのがっしりとした腕が、枕の両脇へ伸びて来て囲われる。今までとは違う男の色香と濃厚な魔力香にあてられて、レティシアの心臓が激しく踊った。
強く求められる悦びに、身体の中心が勝手に熱くなって湿り気を帯び始める。ギシッとベッドが軋んで、欲望を隠さない雄の顔が鼻先まで近付くと…無意識に足を擦り合わせて身動いだ。
「レティシア…?」
「…殿下…愛しています…」
「私も愛している」
「…いっぱい抱いてください……ぅんっ…」
レティシアの返事を律儀に待っていたアシュリーは、金と赤に光る瞳を見開いて噛みつくように唇へ吸い付いたかと思うと、火照った肌を隙間なく合わせてレティシアを力強く抱き締めた。
「…ごめん…寝れないと思ってくれ…」
いつも読んで下さる皆様、本当にありがとうございます。
次話の投稿は11/19~23頃を予定しております。宜しくお願い致します。
─ miy ─




