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水野勝成

今週もよろしくお願いします!

 明石ジュストの岡山城下の陰謀を打ち破った俺達は九州を目指す旅の途中、備後福山の城下に入った。備後福山はお祖父様の従兄弟、水野勝成様10万石の領地だ。


 水野勝成様はお祖父様の従兄弟……なのだがその人生はなんというか強烈で現実じゃないのではないのか、と思わされるほどだ。まず高天神城攻めで初陣を飾ったかと思うと天正壬午の乱で数万の北条軍と対峙。鳥居元忠が攻めようとしたのを抜け駆け、とキレて率先して突入し、名のある将を始め三百を討ち取って北条軍は退却し、甲斐がお祖父様の所領となる決定打の一つになった。その後小牧・長久手の戦いでは鬼武蔵と恐れられていた森長可殿を井伊直政殿と共に討ち取ったが、父の家臣をぶった斬って出奔し、なぜか西国に流れて千石で雇われては相手を撃滅する生活をしていた。しかも虚無僧姿で放浪する。追手はすべて反撃して倒す。雇われては活躍し、気に入らないやつがいると斬殺しては出奔を繰り返す日々。死の虚無僧ってどこの講談だ。例えば肥後で佐々成政殿に雇われ肥後国人一揆の城をいくつも攻め滅ぼしたり、小西行長殿に雇われて天草諸島でも転戦している。その後大坂の陣で攻め手の大将となり、伊達政宗殿と揉めて取られた馬を取り返すなどしているが、本多忠朝隊や小笠原秀政隊を蹂躙して両大名を討ち取った毛利勝永隊に反撃して押し返し、お祖父様に『やるなよ』と言われていた自ら槍を奮って先陣、で大坂城に突入した剛のものだ。個人の直接戦闘力でも部隊指揮能力でも戦国の世でも有数の武将であろう。お祖父様が亡くなった後は無事に恩賞として西国の毛利を監視するべくこの福山10万石を受領したが、そこで弱点である北側を鉄板で固めた五層天守など大城郭を築き上げただけではなく、水道の建設や新田開発、煙草など特産物栽培の奨励など福山の街を発展させてきているのだ。(ちなみに筆者注だがこれどこのチートだと言う感じだがここまで全部実話だ。)


 その水野勝成様はちょうど落成なったばかりの福山城で俺たちを出迎えてくれた。


「おお、忠長様お久しぶりですな!お、そこにいるは武蔵か!大坂は楽しかったな!」


 と。そして俺たちは勝成様にこれまでの経緯を斯々然々(かくかくしかじか)、と説明した。


「……うーむ。明石隊は大坂で撃破しましたが、取り逃がしたのはこの勝成、一生の不覚でしたな。」

「いえ、むしろ明石の場合は落ち延びてからあの様な力を手に入れたようで。」

「違いありませんな!大坂でその力、奮ってくれればもっと楽しかったでしょうに!」


 ……楽しかった、のか。やっぱすごいなこの方。


「ところでこれからは九州に向かわれるとのこと。」

「はい。秀頼の噂や烏丸中将の動きからしますと、奴らが策動しているのは薩摩、もしくは肥後かと思われまして。」

「ならばこの勝成も連れて行っていただけませぬか?」

「それは心強い。しかし勝成様、ご領地のまつりごとはよろしいので?」

「すでに計画や算段はついてきておりまする!それにわしよりも家老の三村殿や子の勝俊の方がしっかりしていますでの!」


 と言って豪快に笑う。


「それに忠長卿、貴殿も領国をご家老に任せてのこの旅路じゃろ?だったらわしがそうしてもよいではないか?」


 と言ってニヤっと笑う。


「それに知っての通り南九州はわしの遊び場みたいなものじゃ。肥後も天草もよーく知っておるでの。かならず役に立つかと。」

「勝成殿のいう通りだと思います。お力添えいただければ非常にありがたいかと。」


 と武蔵。


「ではこちらこそよろしくお願いします!ところで勝成殿、肥後は詳しいでしょうがよそは。」

「それなんですがの、黒田家に仕えていた時代に豊前や筑前、立花家に仕え筑後もすみずみまで行ったことがありましての。」

「流石に薩摩は。」

「ふふふ。薩摩も潜り込んだことがあるのじゃ。」

「それは本当に心強い。」


 ということで名将というか猛将というかとにかくすごい水野勝成様も一行に加わった。

 その後は流石に人を増やすようなことはなく、九州に入り、筑前の福岡城、黒田忠之様の城下に入った。黒田様はちょうど先代の長政殿が亡くなって引き継いだばかりで、さらに五層の大天守閣も取り壊したばかりであり、


「忠長様にお越しいただきましたがこの様に代替わりやら城の取り壊しやらで落ち着いておらず、申し訳ありません。」


 と謝られたが


「急に押しかけたこちらが悪いのでどうかお構いなく。博多にしばらく逗留いたします。」


 と挨拶をして博多に宿を取り、これからの作戦を練ることにした。


「……肥後はどちらかというととかげの尻尾切りか。ここは大隅から薩摩に入り、秀頼を見つけ出すのが先決か。」

「でしょうな。日向から大隅を目指しましょう!」


 と決して、俺たち一行は薩摩を目指して出発した。いよいよ薩摩潜入が始まるのだ。

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