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fluere fluorite  作者: jorotama
第五章
16/29

fluere-tears fluorite 2

 四頭立ての大きな馬車に揺られながら、私は不機嫌な表情を隠す努力の一切を放棄して黙り込んでいた。

 ボルキナ国フィフリシス市からの船旅の殆どを、私はベッドで横たわったまま過ごすことを余儀なくされた。

 ……それは……まぁ……何と言うか、事故のようなものだったと思っている。


 実際、グラントがいなければ私は今、こうしてこのアグナダ公国の地を踏むことなく人生を終えていたんだろうから、彼には感謝しなければいけない。


 だけど……。


 私は大型客船『amethyst rose』から下船する何時間か前の出来事を思い出して、何とも言えず腹立たしく呆れた気持ちになっていた。


 まだ毒が体から抜けきらず、本調子じゃない私の下船支度をメイリー・ミーが手伝ってくれていた。

 ……メイリー・ミーは本当に可愛くて素直で、いい娘だ。

 私が床についている間、何くれとなく面倒を見てくれたし、よく気がつくのだ。

 聞けば、幼い頃病に倒れた母親を世話をしてくれていた人々の様子をよく見ていて、彼らが何をすれば母親が喜んだのかをよく覚えているのだと言う。

 もっと大きくなったら自分が母親の世話をするつもりでいたと、彼女は言った。

 なんて健気な女の子なんだろう……メイリーは。

 それなのに、たった一人残された肉親である老ラズロ氏をも失ってしまったなんてあんまりだと思う。

 私が彼女の手を煩わせて申し訳ない気持ちを告げると、メイリーは寂しそうな表情で


「何かをしている間は気がまぎれるの。お邪魔じゃなかったら、ここでお手伝いをさせてください」


 と言った。

 どうして、彼女のように幸せになるべき善良な人間に不幸は訪れるのかと、私は天の采配に疑問を抱かざるを得ない。


 ともあれそれは、数日間洗うことが出来ずに気持ちの悪い思いをしていた髪の毛を彼女の手を借りて洗い、着替えを終えて髪を乾かしている時だった。

 何故だか部屋にはグラントがいた。

 さすがに着替えの最中には席を外していたけれど、若い娘が身支度を整えている場所に同席するなんて失礼な話だ。

 だいたいグラントは数日間、この部屋に殆ど入り浸っている。

 まあ、メイリーも殆どずっとここにいてくれるし、時々ジェイドもグラントと話をしに来たりしているので、彼だけがいると言うのは語弊があるだろうけれど。


 なによりも度し難いのは、私が身動き取れずにいるのを良いことに彼は勝手に私の手を握ったり、その手や頬に口づけしたりの破廉恥な振る舞いに出ることだった。

 百歩譲って……それは私の抵抗が足りなかったと言うことかもしれないけれど、体が元に戻ればそうはさせないだろう。


 私達がいる船室に、グラントを探してこの船の警備担当者が船倉へ監禁している虜囚の入港後の扱いについての確認にやってきた。

 後から聞いた話によれば恐ろしいことに、メイリー・ミーを監視していたあの初老の女性と最初にメイリーを人質にした男ら三人は収監されていた営倉で死体になって発見されたそうだ。

 メイリーのいた女学校でシスタと呼ばれていた女の爪に、私が受けた毒と恐らく同じものが塗布されていたらしく、その爪によって自身と他の二人を処分したらしい。

 ナイフ投げの男は捕獲の際のダメージが比較的薄かったために別室へ入れられていたのだが、彼だけが今も生き残り船倉へ収容されているそうだ。

 ただ……彼は組織の末端であり、何も知らないのではないかとグラントが言った。

 そうかも知れない。

 なにしろ相手は、長い年月を掛けて周到にリアトーマとアグナダとの関係に亀裂を入れて行ったような慎重な組織なのだから。自分たちの正体へ辿り着く証拠を残すとは思えない。


「では、あの男の身柄の引き渡しは、機関からの正式な書類と身元証明を持った人間の迎えを待つという形でよろしいのですね?」


 体つきと顔が四角い中年の警備担当者が、グラントの前にしゃちほこ張って直立し、返答を待っている。


 ……機関からの正式な……?


 そう言えばグラントはこの出来事の説明を、この船の関係者に対してどのようにしたのだろうか?

 グラント自身一体どういう身元を持ち、現在どういう立場でどんな組織に属してリアトーマで活動していたのかも、今だに私には判然としてはいない。

 何か彼の事を知るための手がかりがあるかも知れないと、私は椅子に腰かけたまま彼らの方を注視していた。


「そうだな。それまでの間絶対に身元の知れた人間以外をあの場所に近づけないようにして貰えるかい?」

「勿論です」

「くれぐれも宜しく頼む。下船前に船長へは直接挨拶してゆくけれど、こんな事態に巻き込んでしまって申し訳なかったね。世話になった」


 笑みを浮かべて挨拶と礼を言うグラントに、警備の人間はどう見ても異様なくらいにうろたえながら首を振った。


「とんでもございませんよ。何か事があった時の為に俺達…いや、私達は船に乗っているんですから。バルドリー卿にそのように謝っていただくのは筋が違います」

「そうか、ありがとう。じゃあ、後日この船の警備宛てに美味いワインの樽でも贈らせてもらおう。感謝の気持ちは受け取ってくれるね?」


 ニヤりと笑うグラントに、警備の男はやっと少し緊張を解いた表情で


「はい」


 と答える。

 彼の頬と鼻の先を染める赤味は、熱さや照れのせいでなければ過度の飲酒によるものなのかも知れない。


 ……それにしても、今、彼は何か耳慣れない名前を呼びはしなかっただろうか?

 いいや、耳慣れ無いことはないけれど、聞き流すわけには行かぬような名前を……。


 何度も瞬きを繰り返しながら、メイリー・ミーとグラントに交互に視線を彷徨わせていた私に、警備の男性がチラリと赤い顔を向けてきた。


「奥様もお身体の具合が回復されてきましたようで、なによりです」


 ……奥様?


 誰の事だろうかとぼんやりしている私に代わり、グラントが言う。


「優秀な船医がいて君たちも心強いだろうね。とにかくお陰で助かったよ。本当にありがとう」


 はにかんだ表情で一礼し、警備の男性が船室を出て扉を閉めた瞬間に私は『その可能性』に気がついた。

 途端に私の心臓はバクバクと凄い勢いで打ち始める。


 初めて出会ったエドーニアの湖畔で、グラントは何と言っていたかしら?

 自分の祖父は傭兵をしていた。と、そう言わなかった?

 そしてフィフリシスでの夜に、彼はこうも言わなかっただろうか……。


『真実の中に嘘を混ぜる』


 と。


「グラント、貴方のお祖父様ってまさか、賢王ルカノールをエドーニアで捕まえた『あの』バルドリー卿なの?」


 鋭い声でそう問いただす私に、グラントはまるで悪戯を見つかった子供のようにバツの悪そうな顔で首を竦めた。


「……言ってなかったかい?」

「そんなことは仰らなかったんじゃなくて?グラント……『バーリー』さん」


 ……信じられない……。


 確か50年前の『フドルツ山の聖職者的紳士的協定』締結への立役者となった彼は、傭兵の出身でありながらその戦績と功績、後の行政上の実績によって、最終的には侯爵位まで与えられていた筈だ。

 ならば彼……グラントは、侯爵家の人間と言う事になるではないか。

 そんな人間が自ら商人を装い……いや、彼の言葉を信じるならば実際に商いをしながらリアトーマやボルキナ国を渡り歩いて諜報活動を行っていたなんて……。


「……呆れて、言葉も出ないわ……!」


 絶句する私をみて、メイリーが可愛らしく小首を傾げ


「あら……」


 と言った。


 ……『あら』じゃないわ。

 しかも、さっきの船内の警備担当の男の人は、私の事を「奥様」と言ったじゃない。


「……私が、誰の妻になったと言うの?」


 睨みつけた先、グラントは不精ひげに覆われた顎をさすりながら


「その方が話の通りが良くて都合が良かったんだ。それに、将来的にはそうなる予定だし」


 などと、到底まともでは考えられないようなことを言ってのけた。

 再び私が言葉を失っていると、メイリー・ミーが


「まぁそれは素敵だわ!おめでとう」


 と、嬉しそうな表情をした……。


 あまりにも驚き、そして必要以上に興奮してしまった為か、私はまた酷いめまいに襲われへたり込む結果となった。

 だからこうして毛布に包まれグラントの膝を借りて横たわると言うだらしない姿勢で馬車に揺られているのは、私のせいではない。


「フローさん、少し顔が赤いようだけれどお熱でも出たのかしら?」


 向かい合う席に腰を下ろしたメイリーが、横たわる私を心配しているようだ。

 熱などは出ていない……と思う。

 けれど、まだどうやら体の具合は本調子とは行かないようだ。

 この先、私はきっとこの国の諜報機関へと引き渡され、何らかの事情聴取を受けることになるだろう。

 グラントがエドーニアで言っていた通りだとするならば、私の活動によってアグナダ公国側の何人かの活動員が諜報活動を出来なくなると言う被害が出ているのだから、それは覚悟しておくべきことだとは思うのだが、今の体力で長時間の聴取に耐えられるかどうかが不安だった……。


 馬車が小一時間程走り、騒がしい港の喧噪を抜け、商業地とそれに続く住宅街を越え…大きな庭を持つ富裕層の邸宅が立ち並ぶ地域へと入っていた。

 この馬車は何処へ向って走っているのだろうか?

 どんな人間に何を聞かれるんだろう……。


「私は……どうなるの?」


 膨れ上がる胸の裡の不安に押し出されるように、ぽつりと私の口から言葉が零れた。

 体が弱っている時には、心まで弱ってしまうんだろうか。

 そんな泣き言めいた事を言うつもりなど微塵もなかったというのに。


「どうともならない」


 頭上からグラントのきっぱりとした声が言う。

 首を巡らし見上げると、グラントの暗色の瞳が微かに笑みを含んで私を見返している。


「俺はエドーニアの女諜報員など発見していないし、フィフリシスではジェイドと二人でラズロ爺さんの遺した暗号とメイリーを手に入れてきた。君は一切この件には関わっていない」


 ……それは……。


「……そんな……だって……私……」


 驚きに見張った瞳を、グラントからメイリー……そしてジェイドへと移動させる。

 ジェイドが微かに鼻をならし、肩をすくめた。


「貴女の手柄を無かったことにするのは心苦しく思いますけど、どうやらその方が都合が良いようなので、そう言う方向で話を進めさせてもらうことにしました」


 私は信じられない気持でジェイドを見た。

 リアトーマとアグナダ公国間の現在の状況を考えれば、私は私のした事を詫びることは出来ないけれど、グラントやジェイドにとって「私」は仲間の活動を妨害し、リアトーマ国の当局による拘束者まで出した……許し難い存在の筈なのだ。


「私は……エドーニアで貴方のお仲間のことを……」

「……誰も死人は出ていないんだ」


 グラントが身を起しかけていた私の肩を優しく押しとどめながら、そう言った。


「もとより、君のような素人同然のお嬢さんに発見されたこちら側の未熟さを恥じるべきところだ。発見、監視されてリアトーマからの逃走中に怪我をした者もあったが、命は落としていない。それに運悪くリアトーマ側に拘束された仲間は…この国で活動していて拘束されたリアトーマ側諜報員との交換交渉が出来ているからね」

「でも……」


 メイリー・ミーがこちらを見て、ほんのりと寂しげな微笑みを浮かべた。


「フローさんがいたから私は今、生きてここにいるわ……。それに、貴女がいたから……お父様の残そうとした情報も無事にグラント達の手元にあるんだもの……」


 だけど……。


「君は暫くの間、この近くのウチの別邸で体を治すんだ。……メイリー、君も一緒においで」

「ありがとうグラント。……ここのお屋敷にお邪魔するのはメリスがいた頃以来ね……なんだか懐かしいわ」

「今はメリスの子供たちがいるよ」


 そのままグラントとメイリーは、昔を懐かしむ会話を二言三言話していた。


 カラカラと軽快に車輪を回し、馬車は進んでゆく。

 グラントの膝を借りて横たわる私の目線からは、路肩に生える木々の緑と午後の空の青さだけが見えている。

 空の色は同じ青だけれど、ここがエドーニアから遠く離れた場所であることを私はしみじみと噛みしめる。

 ボルキナ国のフィフリシスもエドーニアから遠い街ではあった。


 でも、あの時にはあまりにも急激な環境と状況の変化に、正常な感覚が麻痺していたのかもしれない。

 いま私は自分が遠くへ来たことを……馬の蹄の音や馬車の走る振動と一緒に感じている。

 心の中にはこの先への不安と、罪悪感を伴う……開放感……

 グラントの膝の上、目を閉じるといつの間にかウトウトとまどろんでいたらしい。


「フロー、着いたよ」


 声をかけられて、私は目を醒ます。

 目の前の大きな門扉が微かに軋みながら開かれた。



2012・9・17

 ご指摘いただきました誤字、脱字・誤変換等修正いたしました。

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