おはよう
いつの間にか、布団から出るのに時間がかかる季節となった。とはいっても、この世界の布団はそれほど暖かい物ではなく、早く出て体を動かした方が寒くない場合もある。ロットが持っていた羽毛の毛布をいつかは手に入れたい。自分だけでなく子供たちの分も。
「おはよう、アグリ」
「おはよう、お父さん」
3人分の朝食を用意していると、父が部屋から出てきた。筋肉ムキムキの父でもさすがに寒そうで、体を擦っていた。
「ルツはまだ寝てるのか?」
「そうみたい、昨日も疲れてたみたいだから」
「そうか、今日は好きなだけ寝かせてあげよう」
父と2人だけで朝食をとった。変わらない日常、それも今日で終わりだ。
片付けは父に任せて外に出た。昨日降っていた雪は途中で雨に変わったのか、積もる事はなかった。今日が特に寒く感じるのはそのせいかもしれない。俺は少し厚着をして、小屋に向けて歩き始めた。ただ仕事ではなく、ある物を取りに。
「よっこらしょっ!」
小屋から出してきたのは、大きな風呂敷のような薄い布に包まれた大豆だ。まだ殻が付いているため、暖かい暖炉の前で外そうと持って帰るのだ。しっかり乾燥は終わっていて、袋の中からはカラカラと乾いた音がする。
「さて、帰りますかな」
これがすべてではないが、あまり持って帰ると父やルツに怒られそうなので止めておく事にした。
「ただいま」
ドアを開けると暖炉で温められた空気が、一瞬で外に逃げて行った。そんな何とも言えない気持ち良さに浸っていると、部屋の中から普段は聞けない声が響き渡った。
「お兄ちゃん! 早く閉めて!」
そんな妹をからかうためわざと開け続けると、成長したにらみ顔が俺を刺す。
「ごめんごめん」
頭をかきながら部屋に入る。見ると今起きてきた所らしく、父が朝食を温め直している。母に似たルツの金色の紙は寝癖であちらこちらにはねている。母には到底追いつけそうにない。
「ご飯今から?」
「うん」
「よく寝られたか?」
「うん、久しぶりにゆっくり」
その言葉を聞いて少し安心したと同時に、いつもは寝られていないことが分かった。アリアの言う通り、隠しているのだろう。さらに、昨日父に学校の事を聞かれていたが、返事は同じだった。これもアリアの言った通りだ。でも、すぐにでも聞きたい気持ちを抑え、とりあえず数日間は体を休ませる事に専念してもらう事に決めた。
朝食を準備した父は、まだ仕事があるようで外に出て行った。おそらく薪割りでもするのだろう。今思えば休みの初日と言うのに、最初の言葉は「おはよう」ではなく、お叱りの言葉だった事に少し笑ってしまった。そんな事も俺達らしいのだろうか。
妹が朝食が終わり、食器を重ねる。
「やるよ」
「いい! もう子供じゃないんだから」
そうかいそうかい。
ルツが立ち上がり台所に向かおうとした時、机の脚に右足を引っ掛けて派手に転んだ。
「いてっ!!!」
「大丈夫か?」
ルツが顔を上げると今にも泣きそうというより、すでに目に涙をいっぱいに溜めている。寝癖だらけの髪に、くちゃくちゃの顔はまだまだ子供のようだった。
そんな事を思っていると、机に置いてあった飲みかけのミルクが、ポタポタとルツの頭に落ちて、追い打ちをかけた。
「怪我は無いか? 大丈夫そうならここは片付けておくから、髪洗ってこい」
「うん……」
力なく立ち上がるルツを支える。朝から災難な背中を見送り、俺は片付けを始めた。
食器洗いが終わり、ペラペラのタオルで手を拭いていると思い出す。タオルを置いていた場所が変わった事をルツに伝え忘れていた。困っているだろうとルツの元へ向かう。
「ルツー、タオルの場所分かるか? 変わったんだ」
部屋のドアを開けると、そこには白く若々しい肌のルツがタオルを探していた。が、俺はそんな事よりもルツの体の状態に目を疑った。
「お前、それ……。どうしたんだよ」
「見ないで!」
「でも」
「あっち行け!!!」
思い切り体を押され、俺は部屋から追い出された。
俺は部屋の前で、ただただ佇む事しか出来なかった。あれは何かの見間違いか。可愛いルツがあんなになるまで。嘘だと信じたかった。しかし俺の目に入ったのは真実でしかなかった。
俺の妹の体は、痣と傷で醜い姿に変わり果てていたのだ。
しばらくすると、服を着たルツが出てきて、先ほどの事を謝った後「お願い」と口を開いた。
「お父さんには言わないで。心配かけたくないの」
「俺も悪かった。ごめん」
「うん……」
ルツはうつむいたまま動かない。しばらく沈黙の時が流れ、俺はルツの気持ちを尊重することにした。もちろん、父に相談した方がこの事は早く解決するのかもしれない。でも今だけは、そっとしといてあげよう。もう少し、少しだけ。
「ルツ、今から少し仕事を手伝ってくれないか?」
「何するの?」
「大豆、殻から外したいんだ」
「うん!」
仲直りした俺たちは、少しの時間一緒に仕事をした。ルツは案外楽しそうにしていてくれ、安心する。でも俺の心は怒りに満ちていた。ルツをあんな目に合わせた奴を俺は絶対に許さない。普段大した事では怒らないし、キレる事は体力が無駄になるためしないが、今回は訳が違う。俺の大切な妹に、母から任された妹に手を出した奴には。必ず。必ず、報いを受けてもらう。俺の中心が何かを叫んでいる事には気付いていた。しかし今は押し殺し、ルツと接する。
「これ結構楽しい」
「そう? 良かった」
ルツはひとつひとつ丁寧に大豆を殻から外していった。ブルーシートのような大きなシートがあれば楽なんだが、そうはいかない。こうしてチマチマと作業するしかなかった。
「これ、何に使うの?」
「そうだな、きな粉にしたり、うち豆にでもしてみようかな」
「うち豆?」
「茹でた豆を潰してからまた乾燥させるんだ。まぁ、昔の保存食だな」
作業も後半になると、父が帰って来た。暖炉の前で作業しているのを目にして言った。
「ちゃんと掃除してくれよ」
「分かってますよー」
何も変わらない兄妹。いつも通りだ。今はまだ。
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