美しい人
何か言おうと開けた口にぽたり、と落ちたそれはひどく甘美で。
もっと、と言うようにさらに唇を開けば、ベットに横たわる私を見下ろすシャオランさんは瞳を細めて笑う。
指先から滲む赤色を、そっと唇の上に乗せる。そうしてそこをなぞるように指を滑らせた。
私は彼の動きに導かれるように、舌を出して必死にその赤色を舐め取る。
今、自分がどんな浅ましいことをしているのか、ほんのわずかに残った理性が警告してくるけれど、止まらない。
「ん……」
「カツラ、もっと俺を欲しがって……」
ちゅう、と彼の指に吸い付いた私に、シャオランさんは低く語りかけた。
ベットに腰を下ろし、私の口に含まれた指で舌をなぞる。口の中に広がる官能的な味わいに、私の思考は溶けていく。
胸の痣がひどく熱い。
さっきシャオランさんによって開かれたままのそこに、いつかのように彼の唇が落ちると、私の身体は陸の上の魚のようにびくりと跳ねた。
強い刺激に、両目から涙が零れる。
「や、も、やめ……っ」
「あなたに触れて欲しい。もっと、もっと」
「シャオ、ランさ……」
小さな子供がむずがるように、うまく動かない身体と落ちてしまいそうな瞼を必死に動かし、上から覆い被さるシャオランさんを見上げる。
指はとうに口から外され、私の耳の辺りをくすぐっていた。
彼の触れ方や体温にいちいち反応しすぎてしまう身体を持て余しながら、私がその瞳を見れば、いつも深い感情を湛えている黒色は今は静かに凪いでいた。
なみなみと溢れんばかりの愛情の中に、うずまくような悲哀が見える。なんで。
どうしてこの人は、いつも悲しそうなんだろう。
血に酔ったせいで重く感じる腕を持ち上げ、彼の頬に触れようとすれば、シャオランさんはそれに引き寄せられるようにして顔をゆっくりと近付けてきた。
お互いの吐息が混じり合うような距離。
いつもの私だったら顔を赤くして、悲鳴を上げているような近さで彼は囁く。まるで私の唇に言葉を乗せるようにして。
「我的美麗的人――」
告げられた言葉の意味はわからないけど、私の目からは涙が次々とこぼれ落ちる。
わからない。わからない、わからない。でも。
悲しい。
哀しい。
するとふっと困ったように微笑んで、シャオランさんの唇が目尻に溜まった涙を吸い取った。少しかさついた感触が、優しい。
よくわからないままにこの世界へやってきて、よくわからないままシャオランさんに保護されて。
自分のことも何もわからないままで、私はおろおろとするばかりだけど、それでも。
今、初めて思った。
私、この人のことを知りたい。
全部を、知りたいの。
私がまだ散らかったままの頭で、ただそれだけを何とか告げようとしたその時。流れた涙に口付けを繰り返していたシャオランさんの身体が、不意に緊張した。
私の上から身を引き、音を一切立てずに素早く扉の前に移動する。そして。
「……そこで何をしてる、ラサ」
「あらあ、これでもあたし気を遣ったつもりなんだけどお?」
シャオランさんが扉を開けた先に、いつも通りのラサさんの姿があった。
何事もなかったかのように美しい、だけどちょっと意地悪な笑顔を浮かべる。私は横になったまま、とろんと彼女を見返した。あ、胸がある。
「なんなら、一発やったあとでもいいわよ」
「話なら聞く。場所を変えたい」
ラサさんの視線から私を隠すように立ちふさがると、シャオランさんは少し苛立ったように彼を急かす。
「ビャクロクが戻ったの。『いいもの』が仕入れられたみたいでね。今回はあんたにも出張ってもらうかもしれないわ」
「お前の部屋に行こう」
シャオランさんは一度こちらを振り返り瞳で私に挨拶すると、そのままラサさんと一緒に部屋を出て行ってしまった。
ビャクロクさん、て誰だろう。
華の香りの余韻でふわふわしたまま、私はころんとベットの上で寝返りを打つ。
ついさっきまで近くにあったシャオランさんの熱が冷えていってしまうのが、なんだかすごく寂しい。彼がいなくなったことで、不思議な悲しさも波が引くようにどこかに行ってしまった。
なんだったんだろう、あの気持ち。
私はぼやっとする頭を振って、勢いよくベットから起きあがる。このままじゃ、また眠っちゃう!
ぱちぱちと何度か強めに自分の頬を叩き、それから私は目覚ましのために浴室へと移動した。熱いシャワーを浴びれば、すっきりするかも。
そしたら少しずつでもこの街のことや彼のこと、ラサさんのこととかメイファーレンのことも聞こう。それはきっと、私が知っておかなきゃならないことのような気がする。
支度がすむ頃にはシャオランさんが戻っているといいなあ、なんて思いながら私は浴室のドアを閉めた。




