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最終話 斜陽とひぐらしと、それから……

 どっと汗が噴き出して、うつむいた顔からポタポタとこぼれ落ち、制服のスカートやひび割れたアスファルトにシミを作った。


「あ……あ……」


 荒い息の間から、意味をなさない声が漏れる。


「ああ……」


 ぎゅっと鉄扉を握り閉めた手に、赤錆がつく。彼女が荒い息をつくたびに手もかすかに動くようで、浮いた塗装がぽろぽろと地面に落ちる。


「あ…………あ、あ………………はははははっ」


 途切れ途切れの声は、途中から笑いに変わる。


「あははっ……ははは、はははははっ、あはははははははははははっ」


 小さな笑みはたちまち哄笑に変わった。

 ほんの少しだけ赤く色づきはじめた日差しの中、遠くから聞こえるアブラゼミの声よりも高く、アヤの笑い声は空へと突き抜ける。


 ひとしきり笑ったあと、アヤは真顔に戻り、冷静な顔で立ち上がった。

 制服についた埃を手で払い、すぐそばに停めてある吉田の車の後部座席から通学鞄を取った。

 車内は冷え切っており、汗をかいた体には寒かった。


「寒っ!」


 体をぶるっと震わせて、アヤはドアを勢いよく閉めた。

 町まで歩いて帰るのは少々辛いが、そんなことはどうでもいいくらいに爽快だった。


「サカイさんの噂、本当だったんだ。ラッキー!」


 サカイさんの噂には続きがあった。


 ――もしあなたが誰かを殺したいと願うならサカイさんの元へ行けばいい。彼女が殺してくれるから。でもその際は、絶対に『殺してくれ』と言ってはいけない。憎い相手は『大切な人』であり、『助けてくれ』『殺さないでくれ』と言わねばならない。そうすれば、人を憎んでいるサカイさんは嬉々として殺してくれるだろう。『サカイ』というあだ名の真意は『逆』さの『意』味。そう、逆意さん、なのだ。


「ああ、本当にすっきりした!!」


 これでもういじめられなくてすむ。理不尽になくこともない。

 きっと他の子たちもホッとするだろう。


「私、いいことしたよね」


 アヤはまた、はははっ、と声を上げて笑った。

 もうこれ以上、脅されて泣く人も、ひどい暴力を受けて泣き寝入りする人も居なくなる。

 サカイさんが言うような後悔なんてしないし、悪夢に苛まれもしないし、全然苦しくなんてならない。それこそ未来永劫、良心の呵責なんて覚えない。

 唯一後悔するとすれば、もっと早くに試さなかったことだ。レイナたちに意地悪されなかったら、きっと一生ミラーハウスの真実を知ることはなかったし、あの邪魔者は消せなかったろう。

 そういう意味では、レイナたちに感謝している。


『ミラーハウスに入ると別人のように人が変わる』


 それは一面的な真実だ。

 ではなぜ、人が変わるのか。

 それは、人だって変わるだろう。――殺したいほど憎い相手が死んだなら。


「さー、帰ろ、帰ろ、今日の晩ご飯なにかなー? お母さんに聞いてみよっかな」


 取り出したスマホの充電はまだまだ充分にある。

 通信アプリを開いて、スタンプ付きでメッセージを送る。

 と、すぐに返事が返ってきた。


「ハンバーグ? やったー!! あ、チーズ入りがいいな。リクエストしてみよ」


 肉汁がしたたる熱々のハンバーグを想像した途端、お腹がぐうっと鳴った。

 夕飯の時間まで保ちそうもない。

 どこかのファストフードに寄り道して、ちょっと間食してしまおうか、としたらどこがいい? 夕食のことを考えたらハンバーガーはやめておきたい。じゃあ、ドーナツ? でももう少しガッツリしたものが……

 アヤの頭の中は、どこに寄ろうか、なにを食べようかという悩みでいっぱいだ。


 アブラゼミの声にヒグラシが混ざりはじめたことも、かけっぱなしの車のエンジンがまるで助けを求めるように音を立てていることも、気づかない。


 スキップでもしそうなアヤの背後、 裏野ドリームランドという呪われた廃墟が、暮れ始めた陽にひっそりとそびえている。


 眠るように。

 死んだように。


 あるいは、

 次の犠牲者を待つように。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。

よろしければ、感想などお気軽にお寄せいただければ幸いです。

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