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「「え! 1人暮らし?」」

 閉店後いつものように店に遊びに来た瑞姫の突然の1人暮らし宣言に、結子と新太は同時に驚いた。


「どうして急に? 瑞姫さん実家があるのに……」

 生まれてこのかたずっと実家暮らしの瑞姫の家は勤務先の会社からも近く、まったく不便はないはずだ。

 なにか複雑な事情でもできたのかと、やや心配になり理由を尋ねた。

「実は、突然うちの親が自立しろって言い始めたんだよね。それで仕方なく」

 なんと、瑞姫を溺愛してやまない親バカ瑞姫ご両親が娘に独立を勧めたらしい。

 瑞姫もすでに26歳、ようやく子離れといったところか。

「それで、引っ越しはいつ?」

「来週の日曜日。とりあえず家族に手伝ってもらうんだけど、新太にも来てほしいんだよね…………新太、いい?」 

 瑞姫は照れくさそうに頬を染め、新太に引っ越しの応援を頼んだ。

「もちろん…………もちろんだよ瑞姫!」

 恋人瑞姫の可愛いお願いに声高らかに快く承諾した新太は俄然はりきり始めた。

「瑞姫、俺に任せて。料理でも掃除でも洗濯でも全部俺が一手に引き受けるから」

 お願いされたのは引っ越し作業だけなのに、すでに彼の脳内では瑞姫とのラブラブ半同棲生活がスタートしてしまったらしい。

「まったくもう、新太は大袈裟なんだから…………ふふ」

 すっかり浮かれまくる新太の姿を可笑しそうに笑いながら、瑞姫も何だかんだ嬉しそうだ。

 普段しょっちゅう別れ話にもつれ込む穏便とは言い難い新太瑞姫カップルの微笑ましい姿に、傍で見守っていた結子も瑞姫の新たな門出を微笑ましくお祝いした。

 





「結子、どこ行くの?」

 ついさっきまで茶の間の隅で体育座りしていた新太の隙を突きこっそり家を抜け出そうと靴を履いていた結子は、突然背後から鋭く尋ねられギクリと身体を固めた。

「どこって、ただそこら辺だよ」

「そこら辺ってどこら辺? 瑞姫の家?」

「ただの買い物だよ。スーパーで」

「スーパーで何を買うの? 瑞姫の家にお土産?」

「ただの食材だよ、食材」

「食材買って何するの? 瑞姫の家で一緒に料理?」

 結子がどこかに出掛けようとする度ひどく疑いしつこく尋問してくる新太に、結子もほとほとうんざりだ。

 決して瑞姫の家ではなくスーパーで夕食の食材の買い物だときっぱり宣言すると、なんとか振り切り家を飛び出した。





 

 玄関チャイムを押した瞬間ドアが開くと勢いよく飛びついてきて、結子の視界は闇と化した。

「…………吉隆君」

 視界を失くしても、いきなり結子に飛びつくものなど結子の経験上瑞姫の弟・吉隆しか存在しない。

「結子さん、いらっしゃい。どうぞ」

「は、はあ…………お邪魔します」

 とりあえず飛びついて気が済んだのかようやく結子から離れた吉隆に笑顔で促され、家の中に入った。

 


「瑞姫さんすごい! すっかり綺麗になったね」

「ふふ、まあね」

 部屋の中を隅々見渡した結子は思わず感嘆した。

 ついこの前までひどくごちゃついていたが、今日は完璧綺麗に整頓されている。

 普段はものぐさな瑞姫だが、やる時はとことんやるじゃないか。

「結子さん勘違いしないで。ものぐさ姉ではなく全部僕の仕事ですから」

「吉隆!」

 結子が褒めた途端弟にネタバレされ、瑞姫が激怒し吠えた。

 どうりでものぐさ瑞姫にしては仕事が丁寧なはずだ。

 


「瑞姫さんどう? 1人暮らしは慣れた?」

 吉隆が持ってきてくれたお茶を有難くいただきながら、瑞姫に現状を尋ねる。

「まあ、ちょっと寂しいけどね……」

「そっか…………瑞姫さんがいなくなってご両親もきっと寂しいだろうね」

 蝶よ花よで大切に育てた箱入り娘の瑞姫の独立に、溺愛親バカご両親は大層辛い心境だろう。

「結子さん心配はご無用ですよ。うちの両親は姉が出て行ってくれて一安心ですから。なんせ過去に男に2度振られてますからね、新太さんだけは絶対逃がしたくないと焦る両親の苦肉の策ですよ」

 いつの間にか当然結子の隣で一緒にお茶を飲んでいた吉隆曰く、瑞姫の自立は蝶よ花よで大切に育て過ぎたあまり身持ちが堅すぎる娘を心配になったご両親が、恋人新太と仲良くさせるためだったらしい。

「え? そうだったの?」

 もちろん超鈍感瑞姫はご両親の切実な思いなど微塵も気付けないだろう。

「まったく、新太さんも報われないよねぇ。恋人が超鈍感なうえ貞操観念だけは高すぎるもんだから、引っ越しは手伝わされても家には入れてもらえないなんて完全はりきり損だよねぇ」

「吉隆!」

 本日姉に2度も吠えられ仕方なく手に持ったお茶をテーブルに置いた吉隆は、隣の結子に笑顔で振り返った。

「じゃあ結子さん、ごゆっくり。とりあえず今日は帰りますけど、僕はいつでもここにいますから」

 相変わらず暇を持て余してどうしようもない吉隆は、とうとうものぐさ姉に代わって一手に家事を引き受けたらしい。

 最後は姉にしっかりバイト料を請求し、今日のところは帰っていった。

 ようやく部屋に落ち着きが戻り、改めて目の前の瑞姫と向い合った。


「……あのさ瑞姫さん、幸いご両親も新太を気に入って下さったんだし、もう少し新太と距離を縮めてもいいんじゃないかな」

 瑞姫が家に上げてくれないと引っ越し後ずっと落ち込んでいる新太が哀れで、結子が今日ここを訪れたのも瑞姫の説得の為だった。

「新太と距離……? 今でも十分近いじゃない。週2回は必ず会ってるし、電話とラインは毎日だよ?」

 結子の言っている意味がまるで理解できないとばかりに、瑞姫は大きく首を傾げた。

「そうだけど…………たまには一緒に料理したりとか、並んでテレビ観たりとか」

 要するにこの家に新太を呼んでほしいと回りくどく勧めると、突然瑞姫は信じられないとばかりに軽蔑の目を向けてきた。

「結子さん今なんて言ったの? まさか新太をこの家に上げろなんて言ってないよね?」

「え、そうだけど…………たまにはお家デートもいいかと思って」

 瑞姫に軽蔑され一気に自信を失くしてしまった結子は、自分の考えが間違っていたかとビクビク聞き返した。 

「いいわけないじゃないの! 結婚前の男女がひとつの部屋で2人きりなんて、そんなの絶対ありえない!」

「……………………」


 どうやら瑞姫は結子が思った以上にとんでもなくガードが堅かったらしい。

 結婚するまで部屋で2人きりになることもできない新太に、結子も激しく同情した。

 

「……まさか結子さん、1人暮らしの凌の家に行ったりしてないよね?」

 突然結子に矛先を向けた瑞姫は疑念を浮かべ、じっと見つめてきた。

「まさか、一度も行ったことないよ」

 これ以上瑞姫の軽蔑には耐えられず、必死にぶんぶん首を振り完全否定する。

「よかった…………考えてみれば当たり前だよね。結子さんがそんなことするはずないもん。一瞬でも疑ってごめん」

「…………うん」

 結子の言葉に深く安心し結子を心から信頼する瑞姫の笑顔に、凌の家には行ったことはないが温泉旅館で一泊してますなんて口が裂けても言えやしなかった。

 結局新太の為に瑞姫への説得は全く叶わず、潔く諦めた結子はその日大人しく家に帰った。

  


 





「おかしい」

 店の玄関から外を見つめた結子は思わず首を傾げた。


 絶対におかしすぎる。

 普段は毎日は来るなと言っても用事があったら来るなと言っても、絶対に一日一度は店に現れる凌が閉店間際になっても一向に現れない。

 あまりにも彼らしくない行動に今度は何かあったんじゃないかと心配が募り始めた。 

 

「結子ちゃん、大変」

 とうとう閉店時間を過ぎ玄関前でうろついていると、2階から急いで階段を駆け下りてきた明美が悲壮な表情を浮かべ結子に近付いてきた。

「何かありました?」

 とっさに嫌な予感を覚えた結子は脅えを含ませ問いかけた。

「さっき凌君から電話があって、突然調子が悪くなったみたい。今日はどうしてもここに来れないって」

「……………………」

 普段ならどんなに具合が悪くたって地面を這ってでもやってくるだろう凌がどうしても来れないほど調子がおかしいと聞き、結子は言葉を失くした。

 

「結子ちゃん、何ぼうっとしてんの。早く行ってあげなさい」

「お母さん……」

 そっと結子の手を取った明美が優しくうながした。

「明日は休みなんだから、ずっと傍にいてあげなさい。凌君もきっと寂しい思いをしてるはずよ」

 1人暮らしの凌は親に甘える事もできないだろう。

 心細い心境だろう凌を助けてあげろと説得され、結子も決心し強く頷いた。


「結子、早く乗れ」

 突然、店の前に車が横付けに止まると、さっきまで厨房にいたはずの新太が車の中から声を掛けた。

「新太……」

 たった今事情を知った新太が結子を送るためすぐさま車を出してくれた。 

「結子ちゃん、早く」

「は、はい」

 明美に背中を押され、急いで助手席に乗り込む。

 新太がすぐに車を発進すると手を振る明美に見送られ、凌の元へ急いだ。






 玄関ドアを開けた凌の顔は血色悪く、明らかに様子がおかしかった。

「結子さん、どうして……」

 突然家を訪問した結子に、凌は驚き茫然とその場に立ち尽くした。

「私心配で…………凌さん、大丈夫ですか?」

 ひどく顔色の優れない彼にハラハラと問いかけるとようやく我に返ったらしい、凌はすぐさま笑みを浮かべた。

「結子さん、とりあえず入って」

 家の中へ促されたので、遠慮しつつも素直に応じた。

 具合の悪い彼をいつまでも玄関に立たせておくわけにはいかない。



 

 物少ない殺風景な部屋は音1つなく静かで、1人で心もとなかっただろう凌の様子を感じ取った。

「座って」

 テーブル前に結子を促し、凌も向かいに一緒に座ってしまったので慌てて止める。

「凌さん、何やってるんですか! 早くベットに入って下さい」

「大丈夫だよ」

「だめです。調子が悪いのに休まないでどうするんですか」

 なかなか動いてくれない凌の手を強引にひっぱりベットに連れて行こうとすると、凌は結子を不思議そうに見上げた。


「調子…………そういえば治ったみたいだ」

「は? まさか」

 本人もたった今気付いたかのような口ぶりでそう言われ、すぐさま疑いの目を向けた。


「結子さんの顔を見たらすっかり元気になった…………今日は会えなくて、さっきまでずっと寂しかったから」

 結子に会って突然調子が回復したと喜ぶ彼の顔をマジマジ観察する。

 確かに顔色も戻っている。逆に赤みも差し健康そのものだ。


「凌さん、本当に?」

「うん、もう大丈夫だ」

 嬉しそうに結子を見つめしっかり頷いた凌に、彼の言葉通りすっかり回復したことが結子にも感じ取れた。


「そっか……それはよかったです」

 幸い彼の具合もたいしたことはなく、ようやく安堵が訪れほっと息を吐く。

 少し冷静を取り戻した結子はハッと我に返り、今の状況を改めて振り返った。

「やだ……私ったら連絡もせず図々しく押しかけてしまって。しかもこんな格好で……」

 よくよく自分の姿を確認すれば今だエプロンをしたままではないか。

 いくら心配で慌てていたとはいえ、勢いのまま身一つでやってきてしまった自分が今更とても恥ずかしくなった。

「凌さんももう大丈夫なようなんで、私も帰りますね。突然来てしまって本当にすみません」

 誤魔化すようにエプロンを外すと、これ以上この場にいるのが居た堪れなくなり慌てて立ち上がった。

 


「結子さん、帰らないで」

「は……」

 ハッと息を呑んだ結子はカチンコチンに身体を固めた。

 突然背後から凌に手を取られ、そのままぐっと引き寄せ強く抱きしめられた。


「寂しいんだ…………お願いだ。このまま一緒にいてほしい」

「凌さん……」

 寂しいと訴える凌に、彼がまだ病み上がりで今だ心細い心境なのだと悟った。

 そんな彼をこのまま一人にできるはずもない。


「……凌さん、安心して下さい。今日は私がずっと傍にいますから」

「本当に!?」

「はい」

 結子が帰らないと聞き、喜び露わに結子をのぞき込んだ凌にしっかり頷く。


「ありがとう結子さん…………嬉しい」

 よほど感激したのか、彼の頬が見るからに赤くなった。

 そういえば、今まで何度となく家に遊びに来ないかとさりげなく誘われてはいたが、恥ずかしさが勝ってしまいさりげなく誤魔化していた。

 結子が傍にいてくれて嬉しいと喜んでくれる彼に、今日ばかりは精一杯応えようと結子も俄然はりきり始めた。


「凌さん、お腹空いてませんか? もうご飯は食べました?」

「いや、まだ」

「何も?」

「うん……さっきまで食欲がなくて」

 やはり凌はさっきまで食欲も出ないほど具合が悪かったらしい。

 このまま彼を1人残し帰らなくてよかったと改めて思い直し、さっそくどうしようか悩み始めた。

 すでにもう時間は遅い。今から買い物に行くとなればその分凌を待たせてしまう。


「凌さん、冷蔵庫に何か食材は残ってますか? 簡単なものでよければ私が作ります」

「本当? じゃあ一緒に作ろう」

「え!? 駄目です。凌さんはゆっくり休んでてください」

 病み上がりの凌をキッチンに立たせるわけにはいかないと慌てて止める。

 結子の言う事も聞かず、凌はさっさとキッチンに向かって行ってしまった。



 冷蔵庫をのぞき込み材料も揃っているし消化にも良いだろうと、うどんにしようか聞いてみる。

 凌もそれで良いと言うのでさっそく作り始めた。


 一緒に作ると言ってきかなかった凌だが、ネギを刻む結子のそばにぴったりくっつき離れようとしない。

「凌さん、すみませんがお湯が沸いたのでうどんの方よろしくお願いします」

 決して邪魔だとは言えずさりげなく傍から離すと、ようやく気付いた凌はうどんを茹で始めた。

 

「結子さん、こうして2人で料理してるとまるで新婚夫婦みたいだね」

「しん……」

 結子をのぞき込み恥ずかしげもなく本気で言ってのけるので、当然何も返せず沈黙してしまった。 

 





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