ラウエレス・エルザ・キリシア
黒衣を纏った女司祭――ラウエレス・エルザ・キリシアは短剣で自分の手首を斬りつける。
そこから溢れ出した血液は地面に流れ落ち、血溜まりが形成される。
そこから、血液型変異し多種多様な異形の魔獣が姿を現した。
彼女は今から千年前に、魔族すら駆逐し世界を圧巻した民族の末裔だ。それも完璧なる先祖返り――。
微かな血を頼りに形成された魔獣は、みるみるうちに大型化していき、人の体躯の何倍以上にも膨れ上がる。
「食い殺せ」
ラウエルスが命じると何体もの魔獣が、ミリスに向かい襲いかかってくる。
「炎弾っ!」
炎の弾丸が、先頭にいる魔獣の身体を燃やし尽くす。その背後からすぐ他の魔獣が現れるがそれをすかさず炎弾で吹き飛ばす。
シュラミアの言っていた魔獣使いとは、この事だったのだろう。自分の血肉を利用して、魔獣を生み出し、使役する。
だが、肉体は作れても魂は作れない筈だ。彼女が幾万の魂を魂を内包していると言うのは、そう言う事なのだろうか。
「何度やっても同じことよ。こんくらいの魔獣を何体放っても私には届かない」
魔獣の強さも大した物ではなく、そこら辺のオーガやオークと大差は無い。この程度なら幾ら生み出そうが、問題は無い。
しかし、進軍する魔獣の背後に身を隠しながら、ラウエルスが距離を詰めてくる。
ミリスは炎弾を何度も放つが、軽やかな身のこなしで回避される。
「陽影――相剋」
マリスが放ったのは、本来交わらない闇属性と聖属性の魔力を無理矢理融合させるこの荒技は、エルミール家に伝わる相伝の魔術だ。
合わさった二つの魔力は、ミリスの手から離れると同時に炸裂する。
無数の魔力の結晶体が、ラウエルスと魔獣に向かい放たれる。
炎弾とは比べ物にならない速度と視界を埋め尽くす程の数は避けられず、ラウエルスの足や腕、胴体を何発も貫く。
だが彼女は怯むことも、痛がる素振りすら見せなかった。
次の瞬間には二人の距離は、眼前にまで近づいていた。
ラウエルスは短剣をミリスに振り下ろす。
ミリスは咄嗟に避けるが肩辺りを掠め、腕の肉を削ぎ落とす。
「首を狙った筈なんだけど……意外と速いね」
ラウエルスはそう言うと、すかさず短剣を腹部に突き刺そうとする。
「いっ……転移っ!」
ミリスは転移魔法を発動しようとするが、痛みで意識が乱れ、うまく魔法が発動しない。
転移魔法は発動条件に全意識の集中が必須なのだが、痛みで上手くそれができない。
短剣は、ミリスの腹部を貫いた。
「ぐぅ……⁈」
冷たい物が腹部を裂く感覚がミリスを襲う。
「重爆っ……!」
ミリスは咄嗟に唱えたのは、辺り一帯を更地にする大魔法だった。
辺りは白い閃光に包まれ、視界を完全に塞ぐ。地面を抉る様な轟音が辺りに響き渡る。
視界が戻ると、そこなら半径100メートル以上の巨大なクレーターができていた。もし、ミリスが一瞬でも結界を展開するのが遅れていたら塵になっていただろう。
だがしかし、ラウエルスはまだ生きていたのだ。
どうやって生き延びたかは分からないが、片腕が欠損する程度の被害で収まっている。普通ならばあの魔法を射程圏内で喰らっておいて、あれはあり得ないのだ。
「化け物……人間じゃない……」
ミリスの発言に、邪教の最高位司祭は苦笑を浮かべた。
「よく言われるよ」
ラウエルスの腕は、凄まじい速度で腕が再生していってるのが分かる。あれでは数分で元通りになるだろう。
ミリスも回復魔法で傷口を塞ぐ。とは言っても、身体のダメージが完治した訳ではない。
「混成魔術・炎雷」
炎と青白い電撃が混ざり合い、ラウエルスに真っ直ぐに飛んで行く。
だが彼女の眼前に、地面から一瞬にして肉の壁が生え、その攻撃を容易く塞ぐ。
あれは魔獣なのだろうか。見た目は文字通りの肉の壁だ。そもそも魔獣とは、人間の血肉を操作して作り出した人工の生物らしい。どんな姿にでも作れるのかもしれない。
――暫くしてから、肉の壁は腐り落ちていきラウエルスが姿を現した。
「もしかして、エルミール家の者? カルミア王国には、魔法を掛け合わせることができる魔導士の一族がいると聞いた事がある。なら、尚更分からない――何故私の命を狙う? それも他国の貴族が他国の領土で……」
「貴方の命が必要なの。大切な人を蘇せるために」
「そう……でもね、私だって私が必要なんだよこの世の中で誰にも必要とされていなくたって、誰からも疎ましく思われていたって、私は私の為に必要なんだ――だから命はあげられない」
彼女がそう言い終えた直後だった。大地が揺らぎ、巨大で無数の牙が生えた口が地面を突き破り、ミリスを飲み込まんとする。
「回避っ!」
ミリスの身体は瞬間的に動きが早まり、口が閉じ切る前に抜け出す。
ミリスを食い殺そうとした化け物は、辺りは地面を突き破り姿を表す。それは、体長30メートルはあるだろう。蜥蜴と蛙を合わせたような魔獣が姿を表す。
「この魔獣は⁈」
「さっき切り落とした腕を変異させた魔獣だ。与えられた血肉の量が、血液から作った魔獣とは訳が違う。そう用意には倒せない……」
その魔獣は、ミリスに突進して飲み込もうとしてくる。
「魔法効果拡大、魔力量制限解除――炎槍」
ミリスの放った炎の槍は、魔獣の図体に巨大な風穴を開ける。魔法効果拡大と魔力量制限解除により数倍の威力に増幅されたそれは、魔獣の体内を焼き飛ばした。
攻撃を受け一瞬動きが緩んだ隙に、突進を避ける。
だが、その先で待ち受けていたのはラウエルスだ――。
「操魂術・撃」
彼女の手から放たれた魔力の塊は、ミリスに向かい一直線に飛んでいく。
ミリスの腹部に直撃したそれは、腹を貫き風穴を開ける。
「炎槍!」
ミリスは咄嗟に反撃する。それは、追撃しようと短剣を突き刺そうとしていたラウエルスの心臓を貫く。
「魔力量制限解除――回復」
ミリスは咄嗟に回復魔法で傷口を塞ぐ。だが、瞬間的に流れ出た血液は相当量だ。貧血で視界が揺らぐ――立っているのもやっとだ。
相対するラウエルスは、心臓を炎の刃で貫かれようとも平然と立っている。その頑丈さは、正直言って気持ちが悪いくらいだ。
「一体なんなの……?」
「操血術師。ずっと前に絶滅した生き残り……」
今のミリスにはわかる。彼女が、魔獣を有象無象に生み出し、高度な魔法技術を駆使し、千年前に君臨した民族の先祖返りという話も真実であると。
気づけば、ミリスにより風穴を開けられた大型魔獣も完全に傷口が塞がっていた。
ラウエルスは、自分の手首を再び短剣で斬りつける。地面に流れ落ちた血液は、辺りに瞬時に四方八方に広がっていく。
「操血術・終極――骸」
その地面に這い広がった血は、無数の魔獣に姿を変える。だが、その魔獣の数はさっきの比ではない。一滴の血が、数十――数百の魔獣に変わっていく。
視界を埋め尽くす程の魔獣が、ミリスの周りを囲い込む。目のない蛇の魔獣、人型の魔獣、体毛の無い猪の魔獣――その種類は多種多様だ。
「もう詰みだ。さっきの爆発魔法を使ったところで、私の血のストックはまだまだある。そっちの魔力が尽きるのがどう考えても先だ」
「そう……見たいね。でも……」
ミリスは懐から、水晶玉を取り出す。
「私は、最後にこれにかける!」
ミリスはそれを叩き割った。




