黒幕
ウェタル市国の近隣に位置する森の中にボロボロのローブを纏った傷だらけのスネークマンの姿があった。
「し、死ぬところだった……」
スネークマンの最上位個体――オタリは深い溜息を吐いた。
間一髪のところで、転移魔法を発動させ生き延びる事が出来たのだ。
「あの様子だとラーシャーも危ないな……」
あの上位個体の悪魔とラーシャーが対峙した場合、ラーシャーに勝ち目は無い。
物理攻撃に対する強さは無敵と言っても過言では無いが、魔法はそうとはならないのだ。
「失敗してしまったのですね」
その時、オタリの背後から声をかけられた。とても優しい口調だ。
背後に振り向いてみると、そこには盲目の少女の姿があった。
純白のローブを身に纏い、腰あたりまで伸びた金色の髪は輝きを放っていた。
そして一番印象に残るのは、目元にある傷であろう。彼女はこの怪我で両目を失明したのだろうと、予想が容易に付く。
「お、お前は何者だ?」
見覚えのない女だ。オタリはすぐ臨戦体制を取る。
「初めまして、私は友愛教の司教を務めさせてもらってるシュラミア・ハクタールというものです」
シュラミアと名乗った女は、盲目にも関わらずしっかりとした足取りでオタリに近寄る。
「友愛教……」
オタリはその名前に聞き覚えが無かった。
友愛教など所詮、貴族の間で流行している秘密宗教でしかない。辺境のモンスター程度がその名前を知るはずが無いのだ。
「とは言え、それも昔の話ですよ。友愛教はあの"大悪魔"によりほぼ壊滅状態……今の私は残党に過ぎません」
「お、お前は何の用で近づいてきてのだ?」
「いえいえ、貴方達に融資したやんごとなきあの方からの伝言を」
「あの方が――」
此度の戦で協調性のないモンスターを精神魔法で操り集結させた転移者を名乗る男だ。
オタリとラーシャーのみが知る真実だ。と言うよりは、オタリが彼に協力を要請した立場なのだが。
そうでもしなければ、勝算を見出せなかった。
「これ程協力してやったのに、敗北するなど無能の極み、死が相応しい……との事です」
その瞬間、オタリの周辺に漆黒の霧が立ち込める。
「哀れで惨めで悲惨ではあるのですが、あのお方の命令ですから、仕方ないのです。ご理解ください」
「舐めるなよ。人間風情があぁ‼︎」
オタリが魔法を放とうとした時だった。
オタリの身体がばらばらに砕け散った。
赤い鮮血が森の一部分を染め上げていく。サイコロ程度の大きさの肉片が辺りを埋め尽くした。
「なんて悲惨なのでしょうか。人間種を打倒したいばかりに転移者に魂を売った結果、この仕打ち……」
シュラミアが立ち尽くしていると、突然一人の男が姿を現した。
10代後半から20代前半程度、黒髪の青年で、街で見かけても直ぐに忘れてしまう様な、どこにでも居そうな平凡な見てくれだ。
「どうせくるなら、私では無く自分でやれば宜しかったのでは?」
「くるつもりなんて無かったよ。ただ気が変わっただけ」
「ふふっ、貴方様は本当に変わったお人ですね」
シュラミアはひっそりと笑みを浮かべた。
「そう言えば、オタリとラーシャーを倒したのは上位の悪魔だってさ。人型だったし君の目を潰した相手かもしれないね」
「あの憤怒の悪魔――関わりたく無いですね。手を出すならご自分でやってくださると嬉しいのですが……」
現在、顕現しているのが確認されてる上位の悪魔で、人型の個体は"憤怒の悪魔"とその配下だけである。
未確認の悪魔という可能性は充分にあるが、それでも彼女である確率の方が高いだろう。
友愛教により操られていた報復として、数ヶ月前に"憤怒の悪魔"と配下の人型悪魔が友愛教の各支部に襲撃を仕掛けてきた。
その結果、友愛教及び関係貴族は壊滅。微かに残った残党も散り散りになった。
シュラミアも憤怒の悪魔によって、両目を潰され、四肢の腱を切断され、杭で身体を貫かれて放置された。
もし、目の前の転移者を名乗る男が助けてくれなければ、長い時をかけて苦痛と絶望の中で絶命していただろう。
「別に今回は自分でやるよ。そのかわり配下の悪魔がいたらそっちの相手は頼むよ」
「本当は悪魔にすら関わりたくありませんが、命の恩人に逆らえませんのでやりますよ」
シュラミアは深い溜息を吐いた。
正直に言えば、残忍な方法で殺されかけ、身体的な一生の傷を幾つも背負ったのだ。近くでそれらの存在すら感じたくない。
とは言え、彼女は彼に逆らう事は出来ない。新たな目と四肢を与える代わりに、絶対の服従を誓う――その様な契約を結んでしまったのだ。
「僕の計画は誰にも邪魔はさせない。相手が悪魔だろうが関係ないさ」
転移者の男は、そう呟いた。




