同士討ちと皇子
「夜襲を仕掛けましょう」
アリシアが提案した。
ランズデール騎兵隊は足が速い。
その上、夜目も利く。
夜襲は、効果的な戦術であろう。
だが、同時に博打の要素も強い。
加えて状況が混沌としやすく、彼我共に被害が大きくなる。
作戦にあたる部隊は、危険な橋をわたることになる。
それはアリシアの好むところでは無かったはずだ。
俺は、率直な印象を口にした。
「異論は無いがアリシアらしくない気がするな」
アリシアは俺の懸念に、首を横に振った。
彼女は悪戯っぽい笑みだ。
「仕掛けはしますが、戦うのは私たちではありません。敵陣営にいる王国人に、向こうの戦列から離れてもらおうと思いまして」
敵と陣を共にする王国人といえば、東部諸侯の軍だ。
総勢、三千弱の雑多な兵が未だ協商軍に従っていた。
これをどうにかしようと言うことか。
アリシアが、地図を見ながら呻吟する。
攻めるにふさわしい地を考えているのだろう。
敵の布陣を、ためつすがめつ眺めながら、アリシアは手に持つ駒を弄んだ。
と、そこに、メアリがやってきた。
この女は聡い。
彼女は、アリシアが悪巧みする気配を敏感に感じとった。
そしてメアリは、忠実なる従僕の表情で、謎のアピールを開始する。
アリシアの周りを世話を焼くふりでうろつきながら、わざとらしく目配せをしつつ尻を振った。
なんだ、その動きは。
ふざけているのか。
メアリは、相変わらず謎のやる気に満ちあふれている。
侍女の楽しい仕草にほだされて、アリシアは端整な顔をほころばせた。
「しょうがないわねぇ。こっちにいらっしゃい、メアリ」
相好を崩したアリシアが、手招きでメアリを呼び寄せる。
メアリは、駆け寄る忠犬の足取りでアリシアの前に跪いた。
アリシアは体を沈めると、メアリの耳元にそっと唇を寄せる。
「あのね、メアリ……」
アリシアが、ひそひそとささやく。
その内容は、俺には聞こえないが、耳打ちされたメアリは、静かに笑顔を浮かべて、聞き入っていた。
見た目だけで言うのなら、内緒話をするお姫様と、その侍女の図である。
まるで、秘密のお相手を告白するかのような微笑ましい光景だ。
だが、この内緒話の内容は、十中八九、少数部隊による夜間強襲作戦だ。
今度は一体、何をやらかすというのだろうか。
俺は、いささかの畏怖を込めて二人のやりとりを見守っていた。
メアリが、首を縦にふる。
それから、目を輝かせて手を打った。
「面白そうですわ。早速準備に取りかかります。アリシア様」
「お願いね。無理はしなくて良いから、危なくなったらすぐに帰ってきて頂戴」
「はい、勿論ですわ」
気持ちを通じ合わせた二人が、ふんわりと微笑み合う。
彼女ら二人のやりとりは、麗しい主従愛を感じさせた。
実態は、最強の戦争屋とその腹心であるがな。
あの二人は、まるでピクニックに行くような気軽さで騎兵の軍団を差配する。
きっとまた、戦場に、血の雨が降るのだろう。
いつの間にか部屋に来ていたコンラートが、まぶしい物を見るようにその目を細めた。
「見た目詐欺ですよね、やっぱ、最高ですよ。あの二人」
後半に本音がだだ漏れだぞ、コンラート。
そういえば、この男は、この手の娘が好物であった。
強い女が大好きなのだ。
俺のメアリは最高だぜと、満足げに頷きながら、コンラートは報告書を俺に押しつけて、部屋を出て行った。
奴は最近、気持ちが悪い。
前は、どことなく醒めた男であったのだが、なぜこんな男になってしまったのか。
良い女は男を狂わせるというが、それでも、コンラートはもう少し自重した方が良いと俺は思う。
アリシアとメアリによる悪巧みの相談は終わったようだ。
「吉報をお待ちくださいませ」
言い置いて、弾む足取りのメアリが退出する。
彼女は、これから騎兵隊の詰め所へと、直行するに違いない。
アリシアは、小さく手を振りながら、意気揚々と歩み去るメアリの背中を見送った。
ところで、バクレール侯爵という男がいる。
この男は、王国の東部に大領を有する領主貴族であった。
そして彼は、ランズデール家と敵対していた。
原因は領地の帰属問題だ。
領地の境をめぐって散々に揉めた結果、案の定、腕力に基づいた決着が図られ、この男はラベルにこてんぱんにやられたのだ。
バクレールは、ラベルとその娘アリシアに、深い恨みを抱いていた。
彼は、今回の戦争において、協商軍を王国へと引き込んだ主犯の一人であった。
しかし今、彼を取り巻く状況は、戦争開始当初とは様相を異にしていた。
無論、協商による王国東部での略奪未遂が原因だ。
協商の行いは、この地を治める領主達にとって、裏切りとも言うべき行為である。
結果約半数にあたる東部諸侯が、協商の軍を離脱する。
しかし、いまさら引くに引けない者達もいた。
バクレール侯爵もその一人であった。
彼は、女王アリシアとの確執が大きすぎたのだ。
ゆえに、今更許されることはないだろうと、この男は考えていた。
また、協商の狼藉も自らが招いた事態であったがために、この期に及んでそ知らぬ顔を決め込むわけにもいかなかったのである。
彼は、協商に対して不信感を抱きつつも、アリシアを打倒するまでは現状を維持することに決めた。
さてその頃の協商である。
協商が当初計画していた戦略は、既に破綻していた。
略奪を前提とした物資の調達に彼らは失敗したのである。
結果、協商軍は飢えと、それ以上の存在に怯えることになった。
なんと、王国には、化け物が住んでいたのである。
その、得体の知れない存在は、一日にして、協商軍、五千の兵を葬り去った。
この化物に襲われて生き残ることができたものは、ほとんどいない。
そのわずかな生存者達は、彼らが経験した恐るべき体験を語った。
彼らは歯の根も合わぬ有様で語る。
奴らは、馬に乗っていた。
奴らには、いかなる交渉も通じない。
そして、奴らは、ただ、ひたすらに強い。
協商軍の指揮官は、自分たちが置かれた状況と、王国軍の意図を正しく読み取った。
王国軍が目指すのは、各個撃破による漸減策だ。
王国には、恐るべき精鋭部隊が存在していたのである。
そして、その恐るべき部隊は、群れからはぐれた羊を狙う狼のように、協商軍の隙を伺っていて、略奪目当てに分派された集団を骨も残さず食い殺すのだ。
収奪を目当てに兵を送れば、また殲滅されるに違いない。
ゆえに、兵を分けることはできなかった。
この恐るべき部隊を排除しない限り、略奪は不可能だった。
ラズンデール騎兵隊の存在は、協商軍の動きを実績を伴う恐怖でもって縛っていた。
協商もまた、王国のことを知らなすぎたのだ。
窮地に陥った協商の将帥は、同時に疑念を抱いていた。
王国のアリシアは、すさまじい戦力を隠していた。
にも関わらず、なぜ我々を手引きした東部の諸侯達は、何の警告も寄越さなかったのか。
あるいは、彼らは裏で王国とつながっていて、自分たちを殺し尽くすべく罠へと誘い込んだのではないだろうか。
疑心暗鬼になりながらも、彼らはそれを問いただすことが出来なかった。
この前哨戦で被った痛手が大きすぎたからだ。
今は一兵でも惜しい。
糧秣の不足した彼らには、熟慮の時間も与えられず、疑問に蓋をしたまま進軍を続ける他無かった。
略奪者と裏切り者の群れは、破局間近の恋人のような、ぎくしゃくとした関係のまま王都を目指すことになった。
協商軍の将兵は、その日、予兆を感じていた。
日中、頻繁に軍の周囲を徘徊する敵騎兵の集団が確認されていたからだ
一定の距離を保ちながら、こちらの様子を窺うように、騎馬の一群が見え隠れする。
その様は、羊の群れを付け狙う群狼のようだ。
警戒に進む足を奪われた協商軍の進軍は遅れた。
協商軍は、騎兵隊による奇襲を警戒した。
特に夜間ともなれば、周囲は闇に閉ざされ組織的な反撃は難しくなる。
騎兵の精鋭を敵に回すのは、極めて危険であった。
協商軍の指揮官は、これに備えることにした。
騎兵は森を通ることはできない。
そこで協商軍は、見通しの悪い森を背に野営をすることを決めたのである。
森を背に、守る場所を前面のみに限ってしまえば、その分警戒を密に出来るのだ。
これは合理的な判断であった。
そして彼らは、メアリが潜む素敵な森のほとりへと腰を下ろすことになったのである。
「おいでませ協商軍」
これ見よがしに姿をさらした騎兵部隊は囮であった。
彼女は、みかけの戦力で協商軍の足をからめとり、彼らを自分たちの元まで誘いこんだのである。
森に潜むメアリ達は徒歩であった。
馬は無い。近くに置いてきた。
そもそも、彼女達には戦う気がなかったのだ。
「夜になったら起こして頂戴」
レンジャー部隊もびっくりの森林迷彩に身を包んだメアリは、仕事の時間まで午睡を決め込むことにした。
蚊に刺されることを嫌ったメアリは、帝国印の虫除け薬を体中に塗りたくっていた。
森の中はひんやりとすずしく、野生児との付き合いも長いメアリからすれば割に快適であったそうだ。
そして、夜が舞い降りた。
闇が帳となって視界を覆い、外の世界を包み隠す。
明るい協商軍の陣地から見みると、暗黒の外界はまるで別の世界のようであった。
野営地では、厳重な警戒が敷かれていた。
立ち並ぶ陣幕の周囲には二重の警戒線がしかれ、くまなく兵を配して敵の襲撃に備えている。
哨兵も、緩むことなく夜の先を監視する。
遅々と進む時間の中で、時刻が深夜を回っても兵の緊張感は衰えなかった。
当然だ。
気を緩めたら、死ぬのだから。
むしろこんな状況下で眠れるような兵は、なかなかの大物といえるだろう。
協商は、アリシアの軍による夜襲に備えていた。
しかし、あたう限りの備えをした彼らだが、その対策は万全とは言えなかった。
物資の乏しい協商軍は、かがり火を用意するにもその数に限りがあったのだ。
その数少ない光源のうち外周を守る幾つかが、突如、すさまじい勢いで飛来した何かによって倒される。
風では無い。
間違いなく、夜の闇に潜む何者かが、立ち並ぶ明かりを狙ったのだ。
「敵襲!」
怯えの色も濃く、哨兵が警告の叫びを上げる。
やはり来た。
王国軍が来た。
敵の騎兵が来てしまったのだ。
兵の槍をつかむ手に、力が入る。
恐怖に膝を震わせながら、それでも男は踏みとどまった。
ここで退くわけにはいかぬ。
それにこんな敵地のど真ん中では、逃げ場も無いのである。
股何かが飛来し、その度にかがり火が倒される。
外は、さらに暗くなった。
もう既に鼻の先まで、色濃い夜闇に閉ざされている。
先を見通すことなどできはしない。
今にも、馬蹄をとどろかせて、巨大な騎兵の姿が現れそうだ。
彼の危惧は、だが、いつまで経っても現実のものにはならなかった。
どうした。
まだこないのか。
訝しげに、周囲を見回す。
そうこうするうちに、彼の警戒の叫びに応えて、後ろの陣地で兵士達が動き出した。
続々と集まる協商兵。
指揮のために現場指揮官が駆けつける。
それでも、まだ敵は現れない。
代わりに、闇の中で剣戟の音が鳴り響いた。
どこの隊かはわからないが、戦闘が始まったのだ。
暗闇の中、金属が打ち交わされる音の中に、協商語の叫びが混ざる。
「王国軍だ! 数は少ないぞ、押し返せ!」
味方の声だ。
どうやら押しているらしい。
敵の姿は、まだ見えない。
あるいはこれも罠かも知れぬ。
彼らが逡巡するうちに、またしても声が響いた。
「駄目だ、攻めきれない! バクレール侯の陣まで退け!」
「押せ! 勝てる、勝てるぞ!」
前者の叫びは王国語、後者は協商語であった。
この二つの言葉が意味する所を、協商軍の者達は正しく理解した。
まず、この暗闇の中で友軍が善戦しているということ。
そして、敵とおぼしき王国軍が、劣勢に陥り東部諸侯バクレールの名を呼んだことだ。
敵はバクレール。
ここで、疑問が氷解する。
敵は、東部諸侯の兵だったのだ。
友軍の振りをしていた王国の者達であるが、案の定、敵の手先だったのである。
あるいは奴らは裏切ったのか。
協商軍が劣勢と見るや、奴らは密かにアリシアの軍門に降ったのだろう。
その際の手土産として、東部諸侯達は協商の陣を強襲した。
だが、協商軍は油断していなかった。
故に奇襲に失敗したのである。
たしかに、東部諸侯の兵は、非常に練度が低かった。
正面からぶつかれば、彼ら協商軍の敵では無い。
現在の優勢にも合点がいった。
「武器を取れ! 我らをたばかった痴れ者共を、討ち果たすぞ!」
同じく認識を共有した協商の指揮官が叫びをあげる。
意気上がる協商兵のときの声が、それに応えた。
前哨戦の雪辱を果たすときである。
そして協商軍は、前進を開始する。
暗闇の向こう側にいるはずの、裏切り者の軍を倒すために。
この間メアリ達は、片手に刃を潰した剣を持ち、もう片手には鉄鍋をもって、せっせとそれを打ち鳴らしていた。
百人そろって整列し、素振りの稽古の要領で、鍋底を割れと剣を振る。
剣戟の音に聞こえた物は、剣と鍋との衝突音だ。
力強くぶつけ合い、剣と鍋から火花を散らす。
ランズデール騎兵隊が愛用する鍋は、長い遠征にも携行される頑強な一品だ。
叩けば、カアン! ガイン! と、良い音色を響かせた。
なにしろ年季が入っている。
兵達による鍋の扱いも、手慣れたものであった。
当然のことではあるが、戦闘など発生してはいない。
単なる欺瞞だ。
夜の闇の中では、音が世界を支配する。
アリシアに策を授かったメアリは、鍋と剣を利用して、偽りの激戦を演出したのである。
遠目に敵陣を眺めやって、幕僚の一人がメアリに進言した。
「奴ら、動き始めましたね」
「よし、次、行くぞ」
臆病物共め。
ようやく動き出したか。
動きの遅い協商軍を尻目に、メアリ達は暗闇の中を走り出す。
向かう先は、東部諸侯の陣地である。
間抜けな同国人達に、敵襲を知らせてやらねばならぬ。
さもなければ、彼らは皆殺しにされてしまうだろう。
闇夜にも、細い月は顔を出していた。
目が慣れさえすれば、夜だろうと先を見通すことはできるのだ。
煌々と周囲を照らすかがり火に、べったりと張り付いていた協商の兵とは違い、メアリ達は夜闇を恐れていなかった。
加えて、ランズデール人は夜目が利く。
山林をいくならいざ知らず、平地を駆ける程度のことであれば、なんの障害も無い。
そしてメアリ達は、東部諸侯の陣に到着した。
整列し、大声を張り上げる。
めいめい、この場にふさわしい大声で、東部諸侯の兵達をたたき起こすのだ。
「協商軍が攻めてきたぞ!」
「裏切られた! やはり協商は敵だ!」
「奴ら、俺たちを皆殺しにする気だ!」
「アリシア様、万歳!」
「メアリさん、あなたのことが、好きでした!」
一通り適当な事を叫んだ彼らは、そのまま転進し、森の中へと逃げ込んだ。
あとは森の中を抜け、隠した乗馬に跨がって撤収するだけである。
森の中には、一筋の細い獣道が通っていた。
メアリは、長きにわたり森の民アリシアのお守りを担当していた経験がある。
故に彼女は、森林での行軍に自信があった。
メアリは、部下に足下の注意を促しながら、迅速に安全圏まで離脱を果たす。
「結果がどうなったかを見届けられないことだけは、残念ですわね」
一つ、未練がましく言葉を残して、メアリは王都へと帰還した。
作戦に参加した兵は合計百名。
損害は、虫刺されを負傷とみなすのであれば、軽傷者が九十八名であった。
二名の無傷な隊員の内の一人はメアリであった。
場所と時間は戻って、東部諸侯の陣地である。
メアリにたたき起こされた兵士達は仰天した。
協商軍が攻めてくる。
それは、恐るべき事態であった。
なにしろ彼ら東部諸侯の総兵力は、三千にも満たない。
対する協商軍は、三万以上。
実に十倍の開きがある。
兵の練度も協商が上だ。
万が一、攻めかかられれば、とても対抗できるものではない。
「そんな、まさか」という思いとと共に、「やはりな」という諦観が、兵達の胸に去来する。
彼らもまた、協商のことなど信じてはいなかったのだ。
兵達に動揺が広がる中、バクレール候が姿を現した。
彼は兵を鎮めんと大声を張り上げる。
今この状況下にあってバクレール候は、冷静であった。
「狼狽えるな! これはアリシアの計略だ。ここで乱れれば、敵の思うつぼだぞ!」
彼の見立ては、間違ってはいなかった。
だがその上で、俺はこの男の判断を、愚かであると断じたい。
バクレール候は、メアリの策に従って逃げるべきであった。
なぜなら、彼以外の者達が騙されていない保証など、この地上のどこにも存在しなかったのだから。
候に叱咤されて、兵達は、一時、落ち着きを取り戻す。
だが、闇夜の中に大軍の気配が近づくにつれ、彼らはまたしても浮き足立った。
やっぱ、逃げよう。
王国兵達は思った。
手遅れになってからでは遅いのだ。
もともとこの戦いは、最初から敗色濃厚だった。
協商に略奪されたと聞いた我が家の事も心配である。
愚かな領主に従って、こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。
俺には、家に残した年老いた母親と身重の妻と八人の子供達がいるのである。
子だくさんだな、お前。
期せずして、陣の片隅で悲鳴が上がる。
迎撃に出てきた協商軍の先頭集団が、王国の陣地に到着したのだ。
襲撃してきた協商軍は、目を血走らせて剣を振りかざし、いささかのためらいもなく諸侯の軍へと襲いかかった。
「逃げろ! 協商が攻めてきた!」
叫びが上がり、一人の兵が駆けだした。
あとは雪崩のごとくである。
後ろを振り返る事無く走る、兵達の心は軽い。
あばよ、バクレール!
一兵卒も、心の中では領主のことなど呼び捨てである。
ある者は森の中へ、そしてある者はただただ遠くを目指して。
彼らは力一杯走り出した。
そして、東部諸侯の軍は崩壊した。
騒ぎの中バクレール候は、兵の離散を食い止めようと、声を枯らして叫び続けた。
逃げようとする士官の襟首をつかんで引き戻し、帯剣を抜き放って威圧する。
まさしく、無駄な努力であった。
やはり、状況判断力に乏しいと言わざるを得ない。
こういうとき、俺なら、いの一番に逃げ出す。
死んでは元も子もない。
実は、第一皇子ジークハルトは逃げ足の速さに定評があるのだ。
アリシアに襲われたときに逃げなかったのは、あの娘が強すぎて逃げ出す隙がなかったからだ。
バクレール候は、貴族の矜持を守り愚かにもその場に踏みとどまった。
協商は、そんな誇り高いバクレール候の姿を捕らえると、その周囲を取り囲んだ。
候に対して槍を構え、その周り包囲する。
「いたな、二重の背信者め! その首を差し出せ!」
「待て、私は違う!」
暗闇の中、戦場の狂騒に酔った協商軍は、聞く耳を持たなかった。
そして、指揮官の号令のもと、バクレール候めがけて一斉に長槍が突き込まれた。
彼はそこで戦死した。
この日の同士討ちで、東部諸侯の軍は離散した。
彼らの戦意は最初から乏しかった。
統制を失った連中は、またたく間に闇夜に溶けて無くなったのだ。
一方、その指揮官だった東部諸侯達の命運は二つに分かれた。
状況を読める者達は、三々五々、兵士に紛れて逃げ出した。
彼らは、命を繋ぐと言う意味で正しい選択をしたと言えるだろう。
一方で無実を釈明せんと残った甘い考えの持ち主もいた。
その者達は、翌朝、協商の本陣へと呼び出され、その場で処断されて果てた。
いずれにせよ、東部諸侯の軍は敵の陣営から消えたのだ。
この作戦により、協商軍と帯同していた王国軍は、綺麗さっぱりいなくなったのである。
協商は、夜戦の後片付けを手短に済ませると、すぐにその陣を引き払った。
そして、彼らは進軍を再開する。
協商軍は、逃げ散った諸侯の兵を追撃したりはしなかった。
追撃をするだけの兵糧が無かったからだ。
とはいえ、協商軍の心は軽い。
彼らは、アリシアの計略を跳ね返す事に成功したからだ。
やはり、王国兵は弱兵であった。
そもそも、正面から迎え撃つだけの戦力があったのなら、今回の戦争も国境付近での戦いになったはずである。
だが、そうはならなかった。
つまり、王国にはそれだけの戦力が存在しないということである。
「我が軍に潜り込んでいた鼠共は、始末した。卑劣な奇襲や裏切りさえ無ければ、王国軍は恐れるものではないことも判明した。進軍すべし」
勝利を目指し、協商軍は王都への道を行進する。
アリシアは、メアリの土産話を聞き、放った斥候から、計略の顛末を報告されて機嫌良く笑った。
「完璧よ、メアリ。良くやってくれたわ。褒めてつかわす」
「はっ、これも陛下のご威光によるものかと」
二人は顔を見合わせてから、堪らず吹き出した。
主従は、今日も仲良しであった。
侵攻してきた協商軍と東部諸侯の間には、ろくな信頼関係が存在しなかった。
東部諸侯は、協商軍の略奪未遂という裏切りを憎んでいたし、協商軍は、東部諸侯がもたらした女王アリシアに関する間違いだらけの情報に憤っていた。
彼らは、どちらも自身を被害者だと思い込み、利己的な不信感を相手に抱いていたのである。
アリシアは、その不信に水をやり、肥料を与え、そして同士討ちという華を咲かせたのである。
結果は、彼女が望んだ通りの物となった。
アリシアと特に関係が悪かった東部諸侯のうち、バクレール侯ら数名が死亡し、残りは行方不明となる。
反面、彼らに殉じる形で戦死した王国兵の数は意外に少なく、その数は百にも満たなかった。
残りは全て逃亡した。
一方の協商軍は、戦死者、三名。
東部諸侯とも敵対した彼らは、東部諸侯から糧食の支援を得ることもできなくなった。
もはや、協商軍が生き残る道は、アリシアの軍を破るより他、無くなったのである。
同士討ちの計略を成功させたメアリと、彼女が率いる百の兵であったが、こちらも損害無しとはいかなかった。
彼らもまた尊い犠牲を払ったのだ。
作戦の翌日、帰還した将兵達が詰める兵舎には、深い悲しみの気配がただよっていた。
戦友の変わり果てた姿を前にして、一人の兵が哀惜の涙を流す。
「俺の、相棒が……」
力なくうなだれる男の前には、手荒い扱いで底が抜けた金属鍋が転がっていた。
鍋が壊れたのだ。
調子に乗って、力一杯叩きすぎたのである。
あほかな?
今回の夜襲で、盛大に底をぶったたいた結果、鉄鍋のいくつかが大破していた。
鍋は叩くようには出来ていない。
当たり前だ。
鍋は調理器具なのだ。
ランズデールではどうか知らんが、少なくとも帝国では、そういうことになっている。
どんなに作りの良い鍋とはいえ、むくつけき男達の全力を受け止め続ければ、底も抜けようというものであった。
中には、太鼓の達人のごとき技を披露していた者もいた。
乱打にさらされた鍋の底は、哀れにもでこぼこになっていた。
こうも粗末に扱われては、作り手の金物屋は怒るだろう。
尊い殉死者を悼んで、ランズデール人達は黙祷を捧げた。
愛する鍋のかたきを、いざ討たん。
彼らは、完全な逆恨みを胸に秘め、復讐を誓い立ち上がる。
そして、ランズデール騎兵隊もまた、必勝を期し決戦場へと向かうのであった。
なお、この作戦に従事した兵達には、焦げ付き防止加工が施された帝国製の特注鍋が支給された。
旧い鍋はまとめて鋳溶かされて、再利用されることになったそうだ。
アリシア「ぽんぽこぽーん!」
メアリ「腹太鼓ですわね」




