怪談とわたし
嵐の夜だった。
私の私室には、四人の側仕えとアデル、そしてこの度、女官長に就任が決まったクローディアの、計七人が集まっていた。
この日、私たちは、女だけで集まって、怪談話に興じていた。
王国、夏の肝試し大会を開いていたのである。
私の部屋は、元は王女様のために用意されたものだ。
居室や書斎、バスルームから、侍女の控室まで備え付けた、豪華な一室である。
「アリシア様にかかると、小さな客室でも『豪華』とお褒めの言葉をもらえそうですわね」
メアリの言葉だ。
すまんね、語彙力不足で。
でも、私からすると、「豪華」としか言い様がないのだもの。
仕方ないじゃない。
南向きの、このお部屋は、日当たりもよく、とても居心地が良い。
広い窓の外には、白くてちんまりしたテラスまで、備え付けられている。
部屋の調度品も、しつらえも、まさにお姫様向けといった様子の可愛さであった。
テラスに顔を出せば、中庭からこちらを垣間見たりもできるようだ。
ひょこひょこ巣穴から顔を出す、穴兎のチラリズムで、通りがかったジークを誘惑してみたい。
彼は、反応してくれるだろうか。
メアリ辺りで試してみても良いのだが、下手に野生動物の真似をして彼女を挑発すると、狙撃されてしまうのだ。
狩猟民族の血が騒ぐらしい。
からかうのも命がけである。
当初、私は、前王妃の居室を、使う予定であった。
だが、彼女の部屋は、私には、華美にすぎたのだ。
加えて、装飾過剰気味の王妃の部屋は、使い勝手が悪かった。
先入観もあるのだが、前の主人とは、趣味があう気がしなかったので、別のお部屋に移ることにしたのである。
今の私の部屋は、私達が入城した当時、固く閉ざされていた一室だった。
だから、アリシアの居室として綺麗に改装してもらったのだ。
私のお部屋の周りには、侍女用の居室も準備した。
私の側仕えは、そこに詰めることにしてもらい、私達の王城生活がはじまったのだ。
広くて大きなお城住まいだ。
私も、一度ぐらいは、夢に見たことがあった。
そんな、乙女憧れの生活を始めた私は、早晩、問題に直面した。
「人が少なすぎて、夜、怖いのだけど」
「風が強い日は、特に恐ろしいですわ」
私の言葉に、女子力高めのエリスが同意してくれた。
残りの三人は、割と平気そうな顔で、へーとかほーとか言っている。
怖い派と怖くない派で、二対三か。
でも、本当に夜が怖いのである。
私達は、元王家に仕えていた女官達を、信用上の問題から、解雇していた。
メアリが育成していた、ランズデールの侍女部隊は、まだこちらに到着していない。
ジークは、「しばらくは司令部に詰める」とのこと。
彼の入城は先延ばしだ。
アリシアの私室の周囲に配した警備兵は多いのだが、彼らを私達の居住区画に入れるわけにはいかなかった。
結果、私の居住スペースの周りだけ、人口密度が低くなっていた。
ドーナッツ化現象というやつだ。
日が沈み、みんなが退勤してしまうと、王城は、幽霊屋敷みたいになった。
特に夜の静けさは、閑静を通り越して、不気味なぐらいである。
私の、お化けに対する耐性は、人並みだ。
一人で真っ暗闇の中に取り残されたりすると、やっぱり怖いのである。
いや、幽霊って、物理攻撃が効かなそうなじゃない?
我がスーパーパワーが、通用しない相手には、無敵のアリシアちゃんも、普通の女の子と同じくらいに、弱体化してしまうのである。
お化けに出会ったら、「きゃー!」とか可愛く叫んじゃうだろう。
しかし、夜の王城が怖いからと、逃げ出すわけにはいかない。
新女王アリシアの一挙手一投足は、王都のみんなの注目をあつめているのだ。
なんとか辛抱せねばならぬ。
そこで、例によって例の如く、私は側近達を、私室に招集した。
皆でいれば、怖くないの理論である。
カゼッセル要塞では個室派だったエリスも、「怖い」というとてもわかりやすい理由で、私の部屋に引っ越してきた。
こうして、一時的な、五人相部屋状態が、再開した。
「久しぶりで楽しいですね」
そう言って、クラリッサが笑っていた。
たしかに、久しぶりだったので、二人並んでベッドの上で、通販雑誌を広げてみたりした。
もう、王都の商店で買えるから、注文することはないのだけど、二人で、へんてこな商品をあれこれ品評するのはやっぱり楽しい。
同性ならではの気安さがある。
みんな大人だしね。
そして、この、相部屋状態を、耳ざといアデルが聞きつけた。
アデルは、実家の邸宅に寝泊まりしているのだが、生粋のお嬢様である彼女は、ルームシェアなるものに興味を持っていた。
「寄宿学校みたいで楽しそうね。今度、私も遊びに行っていいかしら。肝試しとかしてみたいわ」
アデルの提案だ。
彼女は、的確に私のツボをついてくる。
私は、学生時代、その手のイベントと、とんと縁がなかったのだ。
一度やってみたいなと、思っていたのである。
でも、少し心配なこともある。
「夜の王城で肝試しとか、雰囲気があり過ぎるくらいだけど、大丈夫? 本気で怖いよ?」
「余裕よ! 私のとっておきの怪談で、アリシアを涙目にしてあげるわ!」
アデルは、私の懸念を一蹴した。
「どうせなら、彼女も呼びましょう」
そして、アデルの実家に居候中の、元伯爵令嬢クローディアを伴ってやってきた。
クローディアは、私の数少ない、学生時代の友人だ。
彼女の実家は、宮廷貴族であったのだが、早めに王都を脱出して、今はバールモンド家に身を寄せている。
現在、彼女の身内は、全員が無役で収入なしの状態だった。
高貴な血筋のニートである。
「アリシアは、人手が足りないはずだから、再就職を狙うなら今がチャンスよ」
アデルのアドバイスに従って、彼女は私のところに、技能の売り込みにやって来た。
クローディアは、育ちのいい、お嬢様オブお嬢様とでもいうべき、女の子である。
幼少期、お猿オブお猿だった私とは、ものが違うのだ。
私は、軍人の知り合いは多いのだが、女の子の知り合いはほとんどいなかった。
お世話係の、深刻な人材不足にあえぐアリシアは、即日、クローディアの採用を決定する。
彼女は、ランズデール朝における、初代女官長の地位を得ることに成功した。
いや、だって、女官長の対抗馬が、酒乱気味のメアリなんだもん。
私に選択の余地など無かったのだ。
そして、クローディア初の出勤日に、親睦会も兼ねて、泊まりの女子会を開くことになったのである。
メインイベントは怪談話であった。
怪談の夜は、更けていく。
既にアデル、私、ステイシーの順で、お話を披露した後だった。
アデルが、開幕早々、容赦なく超怖い話をぶち込んできたせいで、部屋の空気はひえひえだ。
自分で語っておきながら、アデルも、自爆気味に怯えていた。
今は布団を肩まで被って、周囲をきょろきょろ見回している。
なんでそんな話しちゃったのさ、アデルちゃん。
私は苦笑気味だ。
私も、一つ、自分の知っている怖い話を披露した。
北方遠征の帰り、森を案内してもらった時の体験談だ。
ある日、森の中、私は、熊さんに出会ったのだ。
あれは、なかなかの恐怖体験であった。
奴はとてもビッグな生き物だった。
そしてたしかに、アデルちゃんのお父さん、バールモンド辺境伯によく似ていた。
特に、胸毛のモジャモジャ具合は、そっくりであった。
三年前の話になる。
当時、私とメアリは、三人の護衛と一緒に、北部の山林を歩いていた。
近隣領主の方に、狩りのお誘いを頂いたのだ。
私達二人は、猟場の下見に来ていたのである。
当時は、長きに渡る蛮族との戦いに、ようやく目処がついたところであった。
山に入る人間は少なく、道も森も荒れていた。
加えて、雨が降ったばかりで、足場が悪かったのもまずかった。
一人の護衛が足を滑らせて、傾斜のきつい斜面から滑落してしまったのである。
甲冑を着込んだ彼は、滑り落ちるうちに勢いがついてしまい、ごろごろと谷底まで転がっていった。
「私が、救助にあたります。メアリは人を呼んできて」
「了解しました、アリシア様」
救助活動は、初動が大切だ。
今ここにいるのは、私とメアリ、それに随員の騎士二人。
護衛を、メアリと私で一人ずつ分配し、私は救助を担当、メアリには救援を呼びに、走ってもらう。
そして私の方についた随員には、連絡係として、その場に待機してもらうことにした。
私の場合、単独行動のほうが身軽に動けるのだ。
メアリならともかく、並の騎士ではついてこれまい。
私は、一人、山の斜面を駆け下りた。
滑落した男は、すぐに見つかった。
彼は、谷底近くまで転がってしまったが、幸い大きな怪我はしていなかった。
打ち身と、小さい傷ばかりだ。
「申し訳ありません、アリシア様」
「大した怪我がなくてよかったわ」
顔にできた擦り傷を撫でながら、彼は、面目なさげに謝罪する。
私は安堵して微笑んだ。
それから、私はこの騎士に手を貸し、二人で山の斜面を登った。
道から谷底まで降りて戻るまで、およそ半刻ほどか。
救助は無事完了し、私はほっと一息ついた。
無事帰還できそうだ。
そして、最初の道まで私たちは山の斜面を登っていった。
私たちは無事、もといた道までたどり着く。
しかしここで問題が発生する。
今度は連絡のため待機させていた男がいない。
彼は忽然と姿を消していた。
「誰も、いませんね」
「変だわ」
すわ、神隠しか、と思われたが、違った。
私たちは、周囲をよくよく観察し、そして見つけたのだ。
そこに何かがいた跡を。
足跡などは無かった。
騎士を隠した犯人は、用心深く、藪から手だけを伸ばして、獲物を引きずり込んでいた。
争った形跡は無い。
だが、茂みの中に、重いものが引きずられたような跡が続いていた。
私は、救助した兵と顔を見合わせる。
「あなたはここで待機ね。わたしは追いかけるわ」
「ひえぇ」
大の男が、情けない声をあげるな、バカタレ!
びびりまくっている小心者の騎士を置き去りにして、私は、獣が通った道を、一目散にひた走る。
連れ去られた、騎士の命が心配だった。
あるいは、もう喰われてしまったか。
私の危惧は、幸運にもはずれた。
彼は、生きていた。
頑丈な甲冑が幸いして、熊は仕留めるのを後回しにしたらしい。
だが、彼は頭部に一撃もらってしまい、ズルリと皮が剥けていた。
一部、頭骨がむき出しになるような、ひどい怪我だった。
出血もしている。
私は、彼の剥がれた皮を戻し、応急処置をして固定した。
それから急ぎ、元来た道へと取って返す。
血を流し、彼自身も酷く怯えていたが、幸い歩くのに支障はなかった。
道を急ぐ私達。
そのとき、ふと、私は背後を振り返った。
気配を感じたのだ。
なにものかの気配、というか視線を私の感覚がつかまえた。
私は、木々の間に視線を走らせて、そしてやつとの出会いを果たす。
目が合った。
「そこに、熊が、いたわ」
ひゅっと、みんなが息を飲む。
アデルは涙目だ。
クローディアは、布団をかぶって饅頭みたいになっている。
メアリは熊鍋おいしかったですね、と先にオチを口走った。
おいこら!
いや、でかい野生動物って本当に怖いのだ。
メアリはお尻と一緒で、神経太いから、平気かもしれないけどね。
私は、お話を再開した。
当時の私も、怖がるアデルやクローディアと、似たりよったりであった。
怖くて固まったのだ。
熊が迫っていた。
先程、完全武装の騎士を連れ去った、野生の獣である。
その野獣が、私に対して、明確な敵意を向けながら、追いすがっていた。
熊の体長は、父ラベルより、さらに頭二つ分ほど高い。
その巨体が、私達の後ろを、音もなくついてくるのだ。
体重なんて私の十倍以上あるだろうに、ほとんど足音をさせない。
とても怖かった。
後で聞いた話だが、大きな肉球のおかげらしい。
肉球すごい。
ぷにぷにするだけの、素敵器官じゃなかったのね。
するすると、木々の間をまるで幻みたいに、熊が走る。
奴は、凄腕のハンターであった。
連れ去られた騎士は、殺されてはいなかったものの、熊に獲物として、認識されていた。
熊の所有物に対する執着心は、凄まじい。
私アリシアは、熊の獲物を横取りする格好になってしまったのだ。
私は、男を先に逃がし、一人、熊と対峙した。
負ければ生きながら、肉や腸を喰われることになるだろう。
「あの時は、さすがの私も恐怖で、魂が震えたわ」
「でも、勝ったのでしょう?」
「はい」
「どうせ震えたのも、武者震いですわよ」
メアリは身も蓋もないことを言う。
ご指摘の通り、私は熊との一騎打ちに、からくも勝利を収めたのだ。
私は、熊にむしゃむしゃされることは無かった。
代わりに土鍋につっこんで、むしゃむしゃしてやったのである。
やつとの戦いでは、幸運にも助けられた。
熊と向かい合った私は、どう戦うべきか、さっぱり見当がつかなかったので、格闘戦に賭けたのだ。
これが正解であった。
私は小柄だ。
体格差が大きい相手は、密着して戦ったほうがよい。
熊が立ち上がった瞬間に、私は、奴の腹へと飛び込んだのである。
そして気がついた。
熊って、お腹に潜り込まれると、為す術がないんだね。
懐に入りこんだ私に対し、熊はばたばた暴れるだけで、有効打を放つことができなかった。
もちろん多少は引っかかれたりもした。
戦い終わって、装備を確認してみたところ、皮鎧がごっそり削られていたけれど、その程度ならさしたる脅威ではない。
熊の厚い胸板、というかおなかの毛に埋もれながら、私はかっと目を見開いた。
いける。
あと、熊の毛ってあんまりもふもふしてないな。
たわしみたいだ。
超チクチクする。
熊とゼロ距離で密着した私は、攻撃に移る。
奴の脇の下から背中まで、ぬるりと下から潜り込み、私は熊のぶっとい首に、腕を回したのだ。
そこから、暴れる熊とロデオをしたりもしたけれど、最後は、奴を窒息させて倒すことに成功した。
抜手で体の中に手を突っ込んで、気道近くを直接握りつぶしたのだ。
こんな真似ができるのは、多分人類で私だけだろう。
首が太すぎて腕が回らなかった時は、焦った。
とにかく無我夢中であった。
私は熊を打ち倒した。
「最後は、鍋にして、みんなで食べたよ」
「お味はどうでした」
エリスが興味津々に問いかける。
血湧き肉躍る話が好きらしい。
「あんまりおいしくなかったよ」
へー。
すごーい。
感嘆の声が上がる。
アデルは、ちょっと悩んでいた。
「でも私たちでは、どうしようもありませんね」
「アリシア様がいれば、大丈夫なんじゃない? 」
「なるほど。では、『熊より怖いアリシア様』というのが、今回のお話のオチですわね」
熊が出たら、アリシア様に守ってもらいましょうか。
エリスの言葉にみんなが笑う。
地元に時々熊が出るアデルちゃんは、笑い事ではないらしく、真剣になにかを検討するふうだった。
可愛い女の子の騎士役なら、悪い気はしないかな。
物理攻撃が効く相手なら、どんどん私に頼ってくれたまえ。
私たちは、楽しく怖がったりしながら話を続けた。
窓の外では、一向に雨音が止む気配はない。
むしろ、雨脚が強くなってきたようだ。
暗い夜を引き裂いて、稲光が走る。
閉め切ったカーテンの隙間から、漏れる雷光が、室内を白黒のコントラストに染め上げた。
続くのは落雷の轟音である。
ドンガラガッシャーン!
「ぎゃーっ! 」
悲鳴を上げたエリスとアデルが、首を竦めて、クラリッサに抱き付いた。
恐怖耐性が低めの新参クローディアなど、布団の上から枕までかぶせ、複合装甲で身を固めた鉄壁の防御態勢だ。
彼女は、初対面であるはずの、クラリッサのあぐらの上に乗っかって震えていた。
クラリッサが苦笑する。
「なんで皆さん、私の周りに集まるんですかね」
多分、安心感があるからじゃないかな。
私もこの機会に、誰かにひっつきたいのだが、隣接メンバーに恵まれなかった。
私の隣はメアリとステイシーだ。
メアリは、禁酒を言い渡したせいで、若干機嫌がよろしくない。
ステイシーに触るのは、心理的に抵抗がある。
ステイシーからは、時々邪悪な気配が漂うのだ。
気づいてはいるのよ。
でも彼女は、優秀だから手放せないのだ。
「では次は私ですね」
そして女の子の避難所になっていたクラリッサが、お話を披露する番になった。
彼女にくっついていたアデルとエリスは、二人、手を取り合って身を引いた。
クローディアは、尺取り虫のようにひょこひょこと、私の方に這いずってくる。
クローディアの動きが、既に若干のホラーだ。
そしてクラリッサは、いつもよりも幾分、低めの声音で語り始めた。
「これは、ある貴族家に仕えた、家庭教師から聞いたお話です。その貴族の一家は、父と母、そして学校に入学したての少女の三人家族でした……」
この家庭教師の女性は、ほとんど専任で雇われていた。
女の子は、人なつっこい娘で、彼女ともすぐに仲良くなったそうだ。
主人と使用人というよりも、年の離れた親戚のような付き合いであった。
ある日、両親がパーティーに招待される。
たった一泊ではあるが、彼らは自宅を空けることになった。
その日、家庭教師は、午後一杯、女の子との授業が入っていた。
教え子と二人で、日が暮れるまで勉強した家庭教師は、ふと中庭に目をやった。
二体、見慣れぬ像が見えたらしい。
家庭教師は、女の子に尋ねた。
「お庭に、新しく像を置いたのですね。女神像かしら。でも、ちょっとお庭の雰囲気から浮いていますわ」
家庭教師は、教え子に向かって、冗談まじりに言ったそうだ。
女の子も窓辺に近づき、中庭に目をやった。
像を見た彼女は、真っ青になって家庭教師を振り返ると、叫んだ。
「今日は、泊まっていってくださいませ! それから、扉と窓を塞ぐのを手伝って下さい!」
突如、血相を変えた女の子に面食らったものの、家庭教師は、教え子の言葉に従った。
部屋の中の調度品を引きずって、扉の前に積み上げる。
女の子は、絨毯に跡がつくのもお構いなしで、懸命に扉の前に積み上げる。
とにかく慌てた様子であったそうだ。
ベッドも一部分解して、窓を塞ぎ、扉の後ろは机や椅子や衣装棚で完全に封鎖した。
それから、日が沈み、夜は更けていった。
時計の針が進むのが、ひどく緩慢に感じられた。
そして深夜。
がちゃがちゃがちゃっ。
ドアノブを、外から回す音がしたそうだ。
当たり前の話だが、深夜に私室をたずねてくるような相手に心当たりは無い。
故に、ドアの先にいるのは得たいの知れない何かで間違いなかった。
賊か、怪物か。
しばらくドアノブと格闘していた侵入者は、、それが施錠されているとわかったのだろう。
今度は、部屋の扉になにか重いものをぶつけ始めた。
ハンマーだろうか。
ガン、ガンという打撃音に、木製の扉が悲鳴をあげる。
衝撃と振動が走るたび、二人は生皮を剥がされる思いがしたそうだ。
だが、扉は頑丈だった。
得体の知れない何者かが、部屋に入る込むのを阻止したのである。
しばらくして、部屋はまた静かになった。
諦めてくれた。
ほっと、ベッドの上で胸をなでおろす、二人。
その安堵を、切羽詰まった声が切り裂いた。
「お嬢様、開けてくださいませ! 私です、お嬢様、扉を開けて、私を入れてくださいませ!」
今度は聞き慣れた使用人の声がした。
助けを求めて扉を叩く。
どん、どん。
必死の懇願が、扉のノックとともに続いた。
開けて下さい、お願いです、開けて、開けて下さい。
声は、いつまでたっても止むことはない。
「決して、答えてはいけませんよ……」
家庭教師は、女の子にそう言い聞かせながら、彼女の肩を抱きしめた。
使用人の声は、最初、懇願するようであった。
だが、埒があかないとみるや、突如として様変わりする。
「開けてぇ! ねぇ、開けてぇ! いいから、すぐに開けてよぉ! 中にいるんだろぉ? ちょっとだけでいいからさぁ、ちょっと動かしてくれるだけでいいからさぁ……」
何かが絡みつくような、粘着質な呼び声は、夜通し続いたそうだ。
二人はベッドの上で抱き合ったまま、ずっと震え続けていた。
そして、長い長い一夜が開ける。
翌朝、帰宅した両親が見たのは、荒れ果てた屋敷の惨状だった。
家中が荒らされて、絨毯には、おびただしい数の靴跡が残っていた。
押し込み強盗が入ったのだ。
彼らは大慌てで、娘の部屋にいそぐ。
扉をなんとか叩き壊した両親を待っていたのは、憔悴しきった二人であった。
彼女たちは、生き残ったのである。
調査の結果、その当時世間を騒がせていた、強盗団の仕業であったことが、判明する。
住み込みの使用人が、引き込み役であったそうだ。
もし、深夜の声に答えていたら、彼女たち二人の命は、間違いなくなかっただろう。
部屋にバリケードを築いて立てこもった女の子の判断は、まさにファインプレーであった。
この教え子の女の子は、目が良かったそうだ。
「中庭にあった像から、人の眼が覗いていたの。その中の人と、目があった気がしたのよ」
女の子は、とっさの判断で、部屋の中に立てこもることにしたらしい。
重い衣装棚も、二人がかりであれば動かせた。
命からがら救助された二人は、お医者のところへ搬送されたそうだ。
「幸い、二人は無事でした。でも結局、強盗団は見つからず、事件の捜査も、打ち切られてしまったそうです。もしかしたら、その強盗団は残っていて、別の誰かを狙っているのかもしれません……」
「ぎゃーっ!」
悲鳴が、怖がり女の口からほとばしる。
私もちょっと乗っかって、きゃーと可愛い感じで叫んでみた。
ここで練習しておいて、ジークの前で披露するのだ。
その時だった。
部屋の扉を乱暴に叩く音がした。
ドンドンッ。
アデル、エリス、クローディアの非戦闘員三人が、また「きゃーっ」と悲鳴をあげた。
残る四人の顔からは、表情という表情が抜け落ちた。
すごいタイミングであった。
すわ、幽霊かと思わせるような。
これが仕込みなら、このドッキリの仕掛け人には、ご褒美をあげねばなるまい。
だが、そうではなかった。
この時間に、私の部屋に人がたずねてくることはありえない。
夜中にお部屋に押しかけるような、非常識な警備兵を、私は雇った覚えはないのである。
もし緊急の連絡があれば、ステイシーに魔術具で、信号が飛ぶ手はずになっている。
「ステイシー」
「部下からの連絡は、来ていません」
そして、致命的な返答が、彼女から返ってきた。
この瞬間、今扉をたたいたのは、招かれざる客だと確定したのだ。
私と警備担当のステイシーの間で、手短に情報が交換される。
メアリはベッドから降りて、武装を確保しに行った。
アデルは、異様な空気を嗅ぎ取ったようだ。
眉根をしかめる。
「どういうこと?」
「賊よ。多分だけど」
え、ほんとに?
うん、ほんとに。
目を丸くしたアデルと、短くやり取りをする。
私たちは既に、臨戦態勢に移行していた。
肝試しは楽しい。
でも、実は私は幽霊を信じていないのだ。
もし怨念なんてものがこの世に存在するのなら、間違いなく私は取り殺されているからだ。
それぐらい私は人を殺してきた。
憎悪で人が斃せるならば、王太子の撃破も、さぞ楽だったことだろう。
間違いなく私とメアリの怨念で、あの男は死んでいたはずだ。
だが、そんなことはできなかった。
ゆえに死霊も生き霊も、この世には存在しない。
要するに、今私の部屋の入り口をノックをしたのは、人間だ。
そして、その音の主は、護衛にあたるステイシーの部下でもないという。
であれば、敵以外にはありえない。
単純明快な理由であった。
しかし、どういうことだ? 警戒網を抜かれたのか。
疑問は尽きないが、状況の打開が最優先だ。
私とメアリは、立ち回りの邪魔になるスカートの裾を、破いて捨てる。
これから寝間着は、ズボン型のパジャマにしたほうが、良いかもしれぬ。
クラリッサは、防具を身につけ、ステイシーは、冷徹な顔で剣を抜いた。
扉がノックされたのは、一度きりだ。
施錠は厳重で、それこそ熊の体当たりでも、あの鉄扉は突破できまい。
ただ、通気口を押さえられると、不覚を取る恐れがあった。
火を放たれても厄介だ。
「こちらは、非戦闘員三名よ。セーフルームへ避難するわ」
「必ずしも、賛成はできない案です。アリシア様でなければ、反対していましたわ」
ステイシーからは、条件付きで賛同をもらった。
解釈に迷ったけど、一応、条件付きの賛成でいいんだよね。
「ステイシーは解錠。賊の開扉と同時に、私が鉄針を投射。目前の脅威を排除した後、退避します。前衛は私とメアリ、後方はステイシーとクラリッサ。被護衛者はエリス、クローディア、アデルの順に続いて」
「了解」
「りょ、了解です」
私だって、お城住まいで寝所を襲撃されるのは、初めてだ。
意外と珍しい事態である。
このレアイベントに、初の顔合わせで遭遇してしまったクローディアは、もしかしたら何かを持っているかもしれない。
でも危ない職場だって、誤解されたらどうしよう。
「もう、辞めます!」って言われると、私、困ってしまうのだけど。
なんとか宥めて慰留させないと。
大丈夫だよー、こんな年に一回ぐらいしか無いと思うよー。
私は部屋の明かりを、全て消すように指示をだした。
それからステイシーにサインを飛ばす。
サインを受けたステイシーが、扉の横に立ち、がちゃり、がちゃりと鍵を外す。
三箇所も施錠してあるから、ちょっと大変そうだ。
「どうぞ。開いていますわ」
ステイシーが、招かれざる客に、立ち入りの許可を出した。
扉の外からは返事はない。
十数え、二十数えても、敵は動こうとしない。
ゆっくり数えた数字が、もうすぐ百に届きそうになったとき。
扉が叩きつけられるような勢いで開かれた。
扉の向こうの人たちは、ちょっと粘ったようである。
でも、その程度の溜めでタイミング外すほど、私たちはぬるい集中力してないよ。
私は、敵の先頭に鉄針を投擲した。
男が盾にしていた、木の机を貫通する。
男の体を、暗い色をした金属芯が縫いつけた。
男が激痛で動きを止める。
男の後ろにはもう一人の賊が続いていたが、部屋の暗さに怯んだところを、ステイシーに討ち取られた。
突入してきたのは二人、だが部屋の外にはまだ敵の気配がする。
そのとき、何かが、部屋の中に投じられた。
待ってましたとメアリが手にした鉄棒で打ち返す。
ナイスバッティング!
案の定、それは発煙筒だった。
廊下に、もくもくと白煙が広がっていく。
催涙弾ぐらいは、持ち込んでいるとみるべきだ。
制圧戦闘なら私たちも経験がある。
油断はないよ!
部屋の外で慌てたような気配が動き、そのまま遠ざかっていった。
すんすん、とステイシーは煙の匂いを嗅いだ。
「ただの煙幕ですわね」
なるほど。
であれば単なる時間稼ぎかな。
敵は撤退したと見てよさそうだ。
私は、部屋に転がる、賊の二人に目をやった。
メアリが足で死体をひっくり返す。
「装備を見るに、誘拐狙いかと思われます」
誘拐って誰狙い? などとは聞く気になれなかった。
十中八九、私が目当てである。
このアリシアを直接誘拐である。
帝国軍でさえ難しいと諦めたというのに、随分と度胸のある連中だ。
舐められてるなぁ。
そう言いたいところだけれど、私の寝室まで入り込まれては、あまり偉そうな口は叩けない。
どちらかと言えば、私達の負けだろう。
引き際もよく弁えている。
優秀な兵隊であった。
「まずは移動しましょう。隊列を組んで頂戴」
これ以上の調査は、明るくなってからのほうがよい。
襲撃を撃退した私達は、私室、セーフルームへと移動する。
暗い廊下を隊列を組んで、私たちはそそくさと移動した。
夜のお城の廊下は怖い。
思わぬエキシビジョンマッチに、アデルちゃんは硬い表情だ。
エリスはなぜか楽しそう。
そして、一般人代表のクローディアは、ガチ泣きしていた。
セーフルームは、固い扉に、窓際の通気穴と、体当たりで突破できる非常口を備えた素敵なお部屋だ。
最大十人が十日に渡って、立てこもれる。
毛布もある。
この毛布は、今なら新品だから臭くない。
古い毛布は、年老いたヤギみたいな匂いになるのだ。
臭くて眠れないことがある。
その点、新品の毛布はとても良い。
消毒液の匂いが、清潔感を醸し出す。
伝言を廊下の壁にインクで書きつけてから、私達は鉄壁のセーフルームへ潜り込んだ。
そこで一夜を明かす。
暇だったので、怪談話を続けたのだが、途中で飽きてしまって皆、就寝した。
一人だけ、場慣れしていない娘が、眠れなかったそうだ。
「大丈夫よ、そのうち慣れるから」
「は、はい。頑張ります」
エリスが力強く請け負うと、出勤初日に徹夜になってしまったクローディアは、こくこくと頷いていた。
エリスは、元気いっぱいな様子である。
でも、彼女が私達のところに来てからは、特に危ない事件は遭遇していないと思うんだけど。
「なかなか、神経が太い人ですわね」
対抗意識を燃やすアデルちゃんの台詞である。
非戦闘員の女の子でも、性格って大分違うよね。
翌朝、ステイシーの直属の護衛が、私達を迎えにやってきた。
朝食は、お部屋の中の非常食で済ませた。
伝統の保存食、黒パンだ。
酸っぱくてボソボソした食感が、懐かしかった。
私たちは、私室に戻ると、すぐに身支度をととのえた。
その後すぐに、幹部全員を招集しての会議である。
当然議題は、昨晩あった襲撃だ。
「こちらの被害は、警備の兵が一名死亡、一名重傷です。敵は王宮内の地理に詳しい模様。侵入者のうち二名の殺害に成功しましたが、身元が明らかになるようなものはなし。奥歯に自裁用の毒薬を仕込んでいました」
ステイシーが報告する。
「プロの仕業だな」
「誘拐のプロって嫌な響きですね」
嵐の日は、雨音が物音を殺す。
夜陰に乗じて侵入した賊が、一直線に私の私室をめざし襲撃を敢行したようだ。
警備の薄い箇所を、縫うように突破されていた。
私の私室は、改装を行っていた。
リフォーム業者に問い合わせれば、部屋の位置を割り出すぐらいは難しくない。
動きも装備も、洗練されていた。
少なくとも、単なる物盗りではないだろう。
ジークが唸る。
「アリシア狙いの誘拐未遂。そうなると、下手人は決まったようなものだな」
「えぇ、協商でしょうね」
協商。
静かだった隣国が、本格的に仕掛けてきたということだ。
挨拶代わりに、誘拐とは。
本当に面倒だ。
私はげんなりとした顔で、皆を眺める。
私は戦争より内政がしたいのだ。
黙って引き下がってくれないかなぁ。
だがしかし、ここで私は、自分の認識違いを知ることになる。
戦争は、もうたくさんだ。
そう思っているのは、私だけであったのだ。
会議に首を並べた男どもは、王国人も帝国人も、みなやる気を漲らせていたのである。
しまった。
内戦で、ろくに戦闘がなかったせいで、こいつら気合いを溜めっぱなしだ。
「ガス抜きにはちょうど良かろう。連中にその気があるのなら、相手をしてやろうじゃないか」
ジークの好戦的な発言に、皆が同意の頷きを返す。
やめて! やっと戦いが終わったのに、次の戦争をはじめないで!
私の願いは届かない。
男どもは、楽しそうに、兵の動員限界を確認し、防衛戦の話を始めていた。
メアリもノリノリだ。
奴は禁酒で気が立っている。
冬眠明けの熊のような状態だ。
不用意に仕掛ければ、血の雨が降るだろう。
さらに、今回の一件で面子を潰されたステイシーが、修羅の雰囲気になっていた。
ステイシーから殺気が漏れるのを私は初めて見た。
穏やかな心を持ちながら、激しい怒りで何かに目覚めてそう。
超怖い。
見渡す限り、ストッパーが一人もいなかった。
肝試しをしていたら、本物の悪党が現れて、最終的にはこの騒ぎである。
王国の女王になって、初の国際イベントが、隣国との戦争になるだなんて……。
私は、自らの抱えた業に、痛むこめかみを、おさえたのだった。
アリシア「王国北部の生態系は、アラスカかシベリアみたいなんやな」
アデル「ハラショー!」




