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戦姫アリシア物語  作者: mery/長門圭祐
女王アリシア
85/116

アリシアのトラウマと皇子

アリシアが、不調だ。



その夜、アリシアはメアリを伴って、俺の寝所を訪れた。

諸侯たちの独走で、事態が急変したとのこと。


「ジーク。使いの者が来ています。父達が城門を突破した、と」


俺は、半分覚醒した頭で、アリシアの言葉を反芻する。

城門を抜いたということは、あとは詰めだけだな。

前線に、決定権を持つ人間が必要だろう。

決定権を持つ人間、つまり俺のことだ。


身支度を整えるため、俺は、従卒を呼びつけた。


「すぐに出る。貴女はここに控えていてくれ」


「はい」


俺の言葉に、アリシアが、小さく頷きを返す。

彼女は穏やかな気配の中に、多少の気まずさをこめて、視線を落とした。


柔かな生地の寝間着に身をつつんだアリシアからは、戦の気配を感じなかった。

常在戦場を体現するアリシア・ランズデールの姿も、今は見る影もない。


俺がよく知るアリシアであれば、俺への報告など部下に任せて、我先に飛び出したことだろう。

あるいは、先行する父ラベルに同行して、既に敵陣へと切り込んでいたかもしれぬ。


しかし今、アリシアは剣すら履かぬ丸腰で、俺の寝所を訪れていた。

彼女が常に友とした、果断と勇猛はすっかり影を潜めていた。


俺は、決意を込めて彼女に宣言する。


「必ず、決着をつけてくる。だから安心して待っていてくれ、アリシア」


アリシアは、目を僅かに見張ってから、小さく微笑んだ。


ありがとうジーク。


そしてアリシアは、一礼してから、俺の部屋を出ていった。


不調。

そうとしか言いようがなかった。


このところアリシアは、メアリを常に側においていた。

昼も、夜も近くに侍らせて、片時も離すことはない。

メアリもよく心得ていて、アリシアを気遣う様子を隠さなかった。


そして、もう一つ。

とても深刻な問題が発生していた。


アリシアから、俺への接触が、極端に減ったのだ。

いや、減ったなどというものではない。

ここのところは、完全に皆無だ。

完全に、一切、あの構われたがりのアリシアからの接触が、無くなってしまったのである。


ならばと、俺のほうから手を伸ばすと、アリシアは、不安げに瞳を揺らすのだ。


彼女は、まるで、なにかに怯えているようだった。

俺は、内心塞ぎ込んだ。


このアリシアの変わりようには、心当たりがあった。


エドワードだ。

奴の変態メールを受け取って以来、アリシアが調子を崩していた。


奴からの手紙を受け取る度、彼女は、嫌そうに顔をしかめていた。

そして先日は、ついに、泣きそうな顔をして、部屋に閉じこもってしまったのだ。

それほどに嫌だったのだろう。


おそらくもう二度と、奴の顔面にパンチなどできないはずだ。

近づくことさえ難しいかもしれぬ。

アリシアは、気色の悪いエドワードに怯えていたのである。


何を軟弱な。


あるいは、そう思われる人間もいるかもしれない。

だが、俺は、彼女の名誉のために、反論させてもらいたいのだ。

アリシアは、肉体的には、強靭であるが、その精神は人間の、しかも女性のものなのである。

アリシアの心情を慮るに、彼女を臆病者と、責める気にはなれなかった。


わかりやすい例をあげよう。


例えば、あの黒い虫、ゴキブリだ。


あの朽木や生ゴミを食べる、わりと人畜無害な昆虫だ。

彼らは、人類に対して直接危害をくわえることはほとんどない。

にも関わらず、忌み嫌われ、命を付け狙われる。

ある意味、大変に哀れな存在である。


世に、かの存在を、黒い悪魔として、恐れる人間は多い。

男女問わず、かなりの数が存在する。

戦闘力なら人後に落ちない、クレメンスの姉なども、相当に毛嫌いしていたはずだ。


俺の母などは、見かけただけで、悲鳴をあげて逃げ惑う。


しかし、これはおかしな話だ。

かの昆虫は、牙も毒針も持っていない。

蜜蜂のほうが、まだしも危険である。

人とあれとの殺し合いになれば、当然、人類が勝つだろう。


にも関わらず、あれは、大変な嫌悪を伴って、人間たちに恐れられている。


これは、なぜか?

この問いに、あれを苦手とする者達は、皆、一様に口を揃えてこう言うのだ。


「とにかく、嫌なものは嫌! 」


要は、そういうことである。


アリシアが抱く、エドワードへの恐怖心は、生理的な嫌悪感に根ざしたものだ。


嫌なものは嫌。


アリシアにとって、エドワードはアレような存在になっていた。

アリシアは、「急性エドワード恐怖症」に羅患していたのである。


これが、エドワードに限定された問題であれば、俺も重視はしなかっただろう。

だが、事態はそれにとどまらなかった。

「エドワード恐怖症」が「エドワードという男に対する恐怖症」に変わり、最終的に「男性恐怖症」にまで発展する恐れがあったのである。


俺は、恐怖した。

なぜなら、既に、その端緒があらわれていたのである。


アリシアの接触拒否。

これは紛れもなく、男性恐怖症の兆候であると、俺は考えていた。


もしアリシアが、それを発症した場合、大惨事が予想された。

特に俺が大惨事だ。

それはもう、とんでもないことになる。

具体的にいうなら、死ぬ。

精神的に死ぬ。


憤死だ。

天下の帝国の皇帝が、嫁に拒絶されて憤死である。


笑い話にもならんな。

おれにとっては、極めて深刻な事態であるのだが。


ここ数日のアリシア不足で、俺は相当に参っていた。

これが常態化した日には、俺は間違いなくもたない。


そして、俺はまだ死にたくなかった。


総括しよう。


アリシアは不調、そしてその原因はエドワードだ。

その影響は極めて甚大で、特に俺に対して、大変な被害を及ぼしている。

その対処のためには、原因の根絶が望ましい。

ゆえに、俺は、害虫エドワードを駆除する。


俺と、アリシアの未来の為に、可及的速やかに奴の息の根を止める。

俺は重大な決意を胸に秘め、出撃した。



本営近くの街区からも、炎に照らされて立ち上る黒煙が、はっきりと見えた。


しかし、王都は石造りの街だ。

旧市街の火災は、大規模なものであったが、延焼のおそれは少ない。

道に出てきた市民達も落ち着いた様子であった。


街の治安を守るために、既に兵たちは配備済みだ。

俺は、残余の兵およそ二個大隊を引き連れて、王都内壁の西門へと向かった。


道すがら、縄を打たれて歩む王国兵の隊列と、何度かすれ違った。

捕虜たちの表情は、みな、明るい。

時として前後の同僚と私語しながら、何やら笑いあっていた。

俺達とすれ違うときには、やつれた顔に笑顔を浮かべて会釈する。


俺達もおざなりに、返礼をしながら道を急いだ。


「奴ら、楽しそうだな」


「あの国王から鞍替えできるなら、笑顔にもなろうってもんでしょうよ」


幕僚の言に、俺も心からの頷きを返す。

ジョンの元を離れて、アリシアに仕えられるのだ。

自分の未来を思えば、奴らの晴れやかな顔も納得であった。


それに、飯も美味いらしいしな。


元気な捕虜たちには、テントの設営や街路の整備を手伝わせている。

ようやく人の役に立つ仕事ができると、王国兵達は喜んでいた。

働いて食べる飯は美味いそうだ。

なお、衰弱して休んでいる兵たちは、働かずに食べる飯も美味いと言っていた。


要は、気分が軽くて飯が美味いのだろう。


捕虜となった王国兵達については、兵士というより、土木作業員のような扱いが定着しつつあるが、その点については、目をつむることにする。



新市街を突っ切り、俺達は目的地である西門に到着した。

警備にあたる領兵と、短く情報を交換してから、中に入る。


駆けつけた俺達を、大剣を引っさげたラベルが出迎えてくれた。

ラベルが手に持つ得物の刃は、既に血に濡れている。


「すまん、待たせたか」


「いや、投降兵の処理で、今まで手一杯だったからな。進撃はこれからだ。警備に残す隊を除いて、すぐに動ける」


「そうか。だが敵襲への備えも必要だろう」

俺は、剣についた血糊を見咎めた。


「ああ、これか」

ラベルはつまらなそうに、門の一角を指し示す。

そこには王国兵の格好をした死体が、何体か転がっていた。


全員、頭部を失っている。


「襲撃ではない。兵に紛れて逃げようとした、愚か者どもがいたのでな。捕縛してその場で処断した。既に王国軍は瓦解している。組織だった抵抗は無いだろう」


「なるほど」


あの死体は、変装して逃げおおせようとした、騎士団の幹部たちのものだろう。

剣についた血は、ラベル自らが、処断した時についたものであるようだ。


特に危険が無いならば、兵を進めるべきだ。

俺はラベルと、方針について手早く打ち合わせた。


「作戦の目標としては、要所の制圧と、要人の確保ないし処断になる。消火作業に人間を割く必要はあるか? 」


「騒動をおこした兵たちに話を聞いたが、火災がおきた場所は、貴族街のど真ん中だ。周りが緑の庭園ばかりならば、延焼はしないだろう」


俺は頷く。

自宅を焼かれたくない宮廷貴族共が、必死になって消火に努めることだろう。

放置で問題ないな。


目標を取りまとめて、戦力を割り振る。

周囲は闇夜だ。

兵は分散させずに、まとまって行動させたほうが良い。


要所をおさえるとして、目標はどうすべきか。


第一は、やはり王城だ。

早めに城内を制圧したううえで、万が一の略奪などに備えなければならない。


要人としては、国王、王妃、王太子、および騎士団長とその側近達だ。

奴らの身柄を確保する。

生死を問う必要がない分、気楽であった。



俺の部隊に加えて、ラベルが直卒した領軍の一団が加わった。

そして王城までの道を急ぐ。


旧市街は、王都の中心地だ。

しかし、今、王城に至るまでの街路はさびれ、ところどころに打ち壊されたような跡があった。


かろうじて、街路灯の一部は、生きている。

点灯する頼りない光と、細い月明かりを頼りに俺達は、中央の街路をひた走った。


旧市街には、華やかなりし頃の喧騒はなく、街は息をひそめるように静まり返っていた。

もっとも、流石は王国の目抜き通りだ。

しっかりと整備された街路は、極めて走りやすかった。


深夜の行軍演習には、もってこいである。

他国の首都中枢を、演習場代わりに使う機会などそうはあるまい。

贅沢なことだ。


足を進める俺達のもとに、先行させた斥候からの報告が届いた。


「殿下、王城前に敵兵の一団を発見。王国騎士団の軍旗も確認しました」


敵残存部隊だな。


数はおよそ二百ほどと報告された。

対するこちらは、俺が直卒する兵だけで、千以上を数える。


敵ではない。


「蹴散らす。総員、戦闘準備! 」


俺は、戦いに備え激を飛ばす。

後続のラベルの部隊にも、伝令を出し、最後の敵集団との戦闘に備えた。


なお、戦闘は発生しなかった。

王城前の広場で、俺達を待っていたのは、敵部隊ではなかったのである。


そこにいたのは、白旗をあげた王国兵の集団であった。

俺は、周囲を密に警戒させつつ、投降兵と思しき王国軍の部隊を包囲した。

向こうは当然、われわれの接近に気がついているはずだ。

なにかしらの動きがあるだろう。


連合軍と、王国軍の残党とおぼしき部隊のにらみ合いは、すぐに終わった。

一人の騎士が敵陣を出て、俺達の元へ近づいてきたのである。


騎士の足取りは軽いが、その身のこなしには隙が無い。

陣頭に立つ俺の姿に目を留めたこの男は、気安く手を挙げて、俺を呼んだ。


「殿下、おまちしてやした」


無精髭を生やした、騎士の顔には見覚えがあった。

この男が、アリシアと話している所を、以前見たことがある。


「貴様、たしかランベルトと言ったか」


「はい。まさか殿下にまで、名前を覚えていただけているるとは。光栄です」


「ああ、アリシアから話は聞いている。それで、これはどういうことか? 」


俺の質問に、ランベルトは、大したことでもないというふうに、端的なこたえを返した。


「騎士団長と、奴の手下を捕獲したんでさ。いちいち探して回るのも面倒かと思いまして、先に集めておきました。おい、連れてこい」


ランベルトの最後の言葉は、彼の部下に向けられたものだ。

その言葉を受けて、二十人ほどの身なりの良い男たちが、引きずり出される。

全員が猿ぐつわを噛まされていた。


そのうちの、特に大柄な男は、間違いなく手柄首だろう。

王国の騎士団長であった。


「無駄にうるさかったんで、布を噛ませてあります。処分はお任せしますんで、受取にサインを頂けますかね」


ランベルトは、茶化すように笑ってから、ここに至った経緯を語ってくれた。


騎士団長の人望は、皆無だった。

当然だ。

この男は、地位と、権力と宰相の威光で、兵を従えていたに過ぎない。


既に将兵たちに見限られていた騎士団長は、この事態に直面して、兵の離散をとめることが出来ず、王宮で孤立していた。

直属の兵士にまで見捨てられるのだから、その嫌われ様は、悲惨といってもいいだろう。

兵を殺すばかりの無能であったから、仕方ない事ではあった。


その、落ち目も落ち目、株価が最安値の更新を続ける騎士団長に、ランベルトは取り入った。


手勢の二百ほどを引き連れて、この穀潰しどもの護衛を買って出たのである。

ランベルトの手下は、ほとんどがこの男の子飼いの王国兵だ。

これに、帝国から紛れ込ませた間者達も合流していた。


騎士団長が、護衛と思って近づけた者達は、王国軍に埋伏させた、帝国の手先であったのだ。


「兵に逃げられた騎士団長殿は、さぞや寂しい思いをしておられるだろうと思いましてね。手下をかき集めて、お邪魔した次第です。いやぁ、この期に及んで疑いもしないとは、驚きでしたよ。こちらとしては、大助かりでした」


よほど心細かったんでしょう。

嘲るように、ランベルトは言う。


「貴様は、その騎士団長の信頼を、まんまと裏切ってのけたわけだ」


「半年ぐらい前になりますかね。最初に、団長殿にお会いした時は、俺も随分と舐めた態度を取られたもんでして。人を侮るのはいけませんな。こけにした方は忘れていても、された方は覚えているもんです」


耳に痛いな。


「なるほど、俺も気をつけたほうが良いか」


「ま、その辺は負けなきゃ、問題にはなりません。殿下は負け知らずですから。それで、どうします、この痴れ者共? 」


ランベルトは顎で、怯えと怒りに震える団長一味を指し示す。


俺は少し考えてから、頼りになる同盟者に、処分を丸投げすることにした。

王国のことは王国人に、だ。

特にラベルは、この騎士団長と浅からぬ因縁があったはずだ。

俺が手を下すよりも、彼に任せたほうが良いだろう。


「ラベルに伝令だ。騎士団長一派を捕縛した。処分を任せたい。そう伝えてくれ」


俺からの知らせを受けて、ラベルは間もなく到着した。

ランベルトから経緯の説明を受けたラベルは、手放しでその手際を賞賛した。


「手間をかけたな。とても助かった。名をランベルトと言ったか。覚えておく。後で、私からも、礼をさせてくれ」


謝辞を口にしたラベルは、さっぱりした表情を浮かべていた。

部下を引き連れて、すたすたと虜囚達の元へゆく。


それから、広場の脇にある溝の近くへ、騎士団長達を引きずり出すと、一人ずつ首を切り落としていった。

ためらいも葛藤も無く、また懺悔などを聞くこともない。

あっさりとした処刑風景であった。


全員の首を落とした後、刃を一振りして血糊を払ってから、ラベルが戻ってきた。


「奴らの言い分は聞かないでもよかったのか? 」


「あの者たちと、話が通じたことがないのだ。聞くだけ無駄だろう。わざわざ、男を痛めつける趣味もない。処断してしまえば、後腐れもないしな」


騎士団長を処断した名目は、軍規違反。

これに背任や収賄の容疑が上乗せされることになる。


彼らの首は、暫くの間、手頃な場所に晒しておくそうだ。

躯は、他の犠牲者達とまとめて焼く手はずになっていた。


「軍規は正された。それだけのことだ」


これが、団長一派の最期であった。



王城前の広場に、俺達は集合した。

黒々と佇む、王城は完全に静まり返っている。

連合軍に急襲されたにも関わらず、反撃を試みるでもなく、恐慌をきたすでもない。


灯り一つない広大な宮殿は、死んだような有様で、ただひたすらに不気味であった。


この中に、人間が残っているのか?

おれは、ランベルトに王族たちの居場所について尋ねた。

俺の問いに、ランベルトは否定をもって答えた。


「いえ、宰相シーモア公の邸宅に移っているはずです。宰相殿から遣いが来て、少し前に王室の紋章をつけた馬車が出ていきました」


「なるほど。そういうことか」


宰相は、私兵を抱えていた。

国軍とは別に、金で雇った兵たちだ。

王国兵が離散しようとも、彼の元であれば、安全は保障される。


という名目で、宰相は王族達を呼び寄せたようだ。


ちなみに、宰相の私兵には、宰相からの要望で帝国兵も相当数混じっている。

既に、王族の身柄は押さえたものと判断して良さそうだ。


ラベルは、王城周辺の警備にあたるといい、その場に残ることを決めた。

ジョンは従兄弟であったはずだ。

良いのかと問えば、「また言い合いになってもつまらんからな」と、寂しく笑った。


俺は単独で宰相の邸宅へと向かった。


王国随一の権勢を誇る奴の邸宅は、王城正門のすぐ近くだ。

流石に王城とは比べるべくもないが、その敷地もまた広大なものであった。

警備の私兵に守られた敷地内には、篝火が焚かれている。

炎に照らされた邸内は、王城前などよりもよほど明るかった。


その門前で、俺達は、宰相自らに迎えられた。


「ジョンがここにいると聞いた。事実か」


「はい。ご案内します」


恭しくシーモアは頭を垂れると、俺達を敷地の中へと導いた。


案内されたのは、正門からほど近い、離れの一室だった。

周囲から隠されるようにひっそりと佇む居館の一室で、俺達は、国王夫妻の亡骸と対面することになる。


彼ら二人は、王族の正装に身を包み、死に化粧を施されていた。


死は、服毒によるものだろう。

死者の表情からは、なんの感情も読み取ることはできなかった。

だが、手や調度品の一部には、争った跡が見えた。

状況を鑑みるに、やはり激しく抵抗したものらしい。


「間違いありません」


ジョンの顔を知る近侍の人間も、僭主の死を保証した。

古い王国の王の最期であった。


これは後に聞いた話になる。

夫妻の周囲が荒れてた原因は、彼らの最後の抵抗が原因ではなかった。


夫婦喧嘩だそうだ。


宰相が、自裁を勧めた時、ジョンは、悄然と自らの運命を受け入れた。

彼自身、察してはいたのだろう。

覚悟はできている様子で、命乞いなどをすることも無かったそうだ。


だが、元王妃は違った。

その女は、癇癪を起こして暴れたのだ。


自分は、愛してもいない男のために、半生を捧げてきた。

望んだわけでもない王太子まで産んでやったのに、こうなったのはお前のせいだ。

そう言って、ジョンに掴みかかったのだそうだ。


国母として、彼女が責務を果たしていたのならば、その言葉にも、まだ聞くべきところはあっただろう。

だが、王族としての権利を振りかざし、奢侈に溺れていただけの人間に、悪し様に罵られるのは、ジョンとしても不本意だっただろうと思う。


ジョンは、家族に対しては、誠実で優しかったはずだ。


一国の王として生を授かってしまったのが、ジョンの不幸であった。

市井に生きることができれば、多少は抜けたところがあるが、気の良い一家の長として、その生を、全うできたのではないかと思う。


もっとも、直言するラベルや、古くからの重臣達を遠ざけ、佞臣を重用して国政を疎かにした事実が無くなるわけではない。

ただ美しいだけだった王妃も、ジョンが、望んで迎えた伴侶である。

結局これは、ジョン自らが招いた結末であった。

それに巻き込まれる形で命を落とした、兵士や国民にとってみれば、同情する余地はなかった。



ジョンは死んだ。

俺達にとって、この男の生死は重要ではない。

彼の失策が取り返しのつかないものである以上、鬼籍に入るのが遅いか早いかの問題でしかなかったからだ。


現国王ラベルと、次代の女王アリシアの障害が、また一つ減ったというに過ぎない。


それよりもエドワードだ。


奴の姿はこの場には無かった。


俺にとっては、奴の処断が最優先だ。

俺は、エドワードの所在を宰相に問うた。


「それで、エドワードはどこにいる? 」


俺の言葉に、宰相は、うなだれた。

その態度が状況を語る。


奴を始末しない限り、アリシアの平穏は訪れず、結果、俺への拒絶も続くのだろう。

拒絶である。


ふざけるな! 俺に死ねというのか!


「まさか、逃したのか? 」


内心の苛立ちで、八つ当たり気味の声が出た。


正直、宰相には悪いことをしたと思う。


宰相は絞り出すように、言葉を発した。

額には脂汗をかいている。


「……現在、行方知れずです」


「どういうことだ? 」


宰相は、経緯を説明した。

なんと、エドワードは、野生動物じみた勘に従って、宰相の誘いを断っていた。

奴は、国王夫妻に同道することを拒み、少ない近侍とともに王宮に残ることを選んだのである。

これを知らされた宰相は、すぐに王宮に捜索の人間を回したが、時既に遅く、エドワードは姿をくらました後だった。


広大な宮殿を、しらみ潰しに捜索して回れるほど、宰相の手勢は多くない。

ジョンを確保している以上、王太子の身柄確保は、さほど重要ではなかったのだ。

エドワードの確保を諦めた、宰相の判断は、間違ってはいなかった。


だが、俺にとって必要なのは、その手の合理的な理由ではなかったのだ。

俺は、ただひたすらに、エドワードの首を求めていた。


「ご苦労だった。後でまた、使いの者をやる」


俺は、そう言い捨てて、深夜の王宮に取って返した。


無駄だと諌める声に生返事を返しながら、脚はひたすらに、エドワードをもとめ前へ進んだ。

出処不明の焦燥感に急き立てられて、俺は王城の前に立つ。


伏兵など無いことは、既に聞いていた。

俺は、無人の前庭を突っ切り、王宮の正門を突破した。


俺は、多分、寝不足とアリシア不足で、少しおかしくなっていたのだと思う。


いや、人間を捜索するなら、明るくなってからにすべきであろう。

気付けよ俺。


幕僚たちも、常識に従って、そう進言したのであるが、頭が茹だっていた俺は、聞く耳を持たなかった。

灯りも乏しい城内を、やみくもに調べて回る。


数多ある応接室や、談話室を回る中で、中に隠れ潜んでいた、侍従や侍女を幾人も捕らえた。

捕縛を免れていた、騎士団長の側近も何人か確保に成功した。

ついでのように、王城に忍び込んでいた、火事場泥棒も始末した。


戦果は意外に大きく、「殿下のわがままは、結果が悪く無いからたちが悪い」、などと、幕僚からは笑われた。


俺は、歯噛みする。

俺が求めているのは、そんなものではなかったのだ。


夜も遅い。

施錠されている部屋も多かった。

これらについても、力づくで破ってろうとしたが、流石にこれは止められた。


「何処だ、何処へ行ったエドワード!? 」


俺の叫びが、王城の廊下に響き渡る。

奴の姿は見当たらない。

鬼気迫る俺を見て、護衛の兵士が怯えたような視線を向ける。


大丈夫なの、この人?


「大丈夫です。問題ありません。最近、お嫁に相手をしてもらえなくて、ちょっと神経質になってるだけですから」


この発言は、クレメンスだ。

爽やかな笑顔で応対し、周囲の者達を宥めていた。


貴様ぁ! それは、俺の憔悴っぷりを知っての発言であるか!?

俺は、夜通し、広大な王城の中を彷徨った。

しかし、結局目的を果たすことはできなかった。

エドワードは、ついに見つからなかったのだ。


夜を徹した捜索の末、とうとう、東の空が明らみ始める。


朝だ。


お空、綺麗。


俺の目からは涙が伝った。


俺は情緒が不安定になっていた。

これはいかんと判断したクレメンスが、俺をおさえて指示を出す。


「はい、ここまで。撤収、撤収します!」


「おい、貴様……!」


はい、撤収ですよー。

残念でしたねー。

アリシア様に慰めてもらいましょうねー。


まるで子供をあやすような言葉を口にしつつ、クレメンスは俺を羽交い締めにした。

護衛の兵もそれに続く。


俺は暴れた。


待て、まだエドワードが見つかっていない。

エドワード、どこにいる! エドワードーーーッ!

今だから言える。

しつこい同性愛者のようであった。

考えるだけで鳥肌ものであるが。


そして、俺はずるずると引きずられるように、城から引きずり出されることになる。


夜を徹した捜索劇で、俺は疲れ切っており、クレメンスに抵抗することはできなかった。

なされるがまま、俺はどこからか手配されてきた馬車に放り込まれる。


両脇を、護衛の騎士に囲まれて、俺の身柄は、本営まで護送された。

馬車の中では、深夜、半敵地にもかかわらず、兵をこき使ったことについて、遠回しにねちねちと責められた。

おれは、出荷される子牛のような大人しさで、それを聞いていた。


もっとも小言の半分も頭に入っては来ない。

頭の中は、今日からまた始まるであろう、孤独と絶望感で一杯であった。


そして、俺は、外壁西門前の本営に帰還した。

悄然とした足取りで、馬車を降りる。


城は落とした。

王も捕らえた。

こちらの犠牲は皆無だ。

被害と言えば、兵士の何人かが、石畳でこけて足を挫いたのが、最大の損害であった。


戦略上の目標は、完全に達成した。


しかし、俺は、個人的な最重要目標であったエドワードを、取り逃がしてしまったのだ。

鉛のように重い一歩を、本営に向かって踏み出す。


その俺を、アリシアが迎えてくれた。


城門の前で、彼女はずっと、俺の帰りを待っていてくれたのだ。

彼女は、俺の姿を目にするや、満面の笑みで駆け寄ってくる。

朝焼けに照らされたアリシアは、けぶるような笑みを浮かべていた。


「良かった、ジーク! 心配したんですよ。貴方がいつまでたっても、戻ってこないから」


「すまん、アリシア」


俺の謝罪は、何に対してのものだったのだろう。

俺が力なくうなだれると、アリシアは、慌てたように首を振った。


「いいんです。ジークが無事ならそれで。……もう、そんな顔しないでくださいませ」


しょげかえった俺を見て、アリシアは、困ったように目を細める。


それから、あたりをきょろきょろと見回した。

少し、ためらうような様子を見せてから、おずおずと両手を広げる。


「なんだか、元気が無さそうでしたから。もしお嫌でなければ、どうぞ?」


これは、あれだな。

触っても大丈夫なんだよな。


しかし、俺はまだエドワードを始末できていないのだが。

いや、もうどうでもいいな。


俺はアリシアに応えようとして、ふと自分の姿を思い返した。

夜通し、城の中を駆け回った俺の体は汗臭い。

この状態でアリシアに触れてもよいのだろうか。


戸惑う俺を見て、彼女は少しだけ笑う。

それから、えいっと小さく掛け声をつけつつ、俺の身体に飛びついた。

首の後ろにそっと手を回してから、顔を寄せる。


背伸びするように、俺に身体を寄せながら、アリシアは耳元で囁いた。


「今日は、ゆっくりお休みくださいませ。後のことは、私がなんとかしておきます」


それからふわりと身体を離すと、アリシアは、本営の方へと戻っていった。

彼女の足取りは、明るく軽い。


アリシアは、意外と元気そうであった。


なんだろう。

もしかして、俺は、また空回ったのであろうか。


俺の隣に、幕僚の一人が立つ。

男は、呆れたような表情を浮かべていた。


「勝手な思い込みで、兵を引っ張りまわさないで頂きたいですな」


「そうだな」


俺は、素直に返事した。

とりあえず、アリシアの男性恐怖症の恐れは、無くなった。

それは間違いない。

俺は、それで納得することにした。


兵たちには、特別に報奨を出し、深夜の労働を労った。

汗を流し、人心地着いた俺は、昼過ぎまで、泥のように眠った。


そして、起きた時には、あれほど執着していたエドワードのことなど、もう殆ど忘れていた。


だから、あの狂騒は、きっと、真夏の夜の夢だったのだと俺は思う。

クレメンス「いや、夢落ちできるほど、綺麗な話と違うからな」

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三巻 https://www.amazon.co.jp/dp/B078MSL5MY/
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