ディエンビアル盆地の戦い
暑い季節は、熱中症の恐れがある。
子供でも知っている常識だ。
それを防ぐため、水分をこまめに補給し、日中の行動は避け、体調が崩れたら迷わず休憩する。
熱中症は、場合によっては、命に関わるのだ。
これらの注意事項は、子供も、老人も、成人も、そしてもちろん兵隊であっても、守らねばならない鉄則であった。
その日、俺達は、交戦予定地のディエンビアル盆地にほど近い森の中にいた。
日の高い時分だ。
日差しを防ぐ目的で森の中に陣を敷いた俺達は、天幕の中で、氷の魔法使いに仕事をしてもらい、楽しいキャンプ生活を営んでいた。
除虫用に炊いた、煙の匂いが鼻につくことを除けば、およそ快適といっていい住環境である。
帝国軍の、陣地構築能力には定評があるが、特に俺が率いる部隊は、この手の設営能力が高かった。
戦争は長い。
長丁場に付き合うこともしばしばだった俺は、半ばは自分のために、この手の準備を、念入りにするようになったのである。
兵共は、近くの川で涼を取っているようだ。
小器用な人間はどこにでもいるらしく、今日の昼食には、川魚が食卓に供されていた。
なんでもおすそ分けとのこと。
塩焼きにしたそれは、なかなか美味であった。
作戦の決行を明日に控えて、呑気なことである。
気負わぬ兵達のやりように、俺は大変、満足していた。
その日、俺は天幕の中で、アリシアの髪をいじって遊んでいた。
最近のアリシアの髪は、驚くほど手触りが良い。
なんでも、皇后から、特別製の洗髪料を贈られたのだとか。
アリシアは、びっくりするほど艶々になったと言って、喜んでいた。
たしかに、よくわかるぞ。
このなめらかさは、癖になる。
たまらん。
アリシアは、今、俺の前にあぐらをかいて座っていた。
薄手の平服姿で、紙片を片手に睨んでいる。
短い袖から、白い二の腕が覗いて、彼女の姿はとても涼しげだった。
ひとしきり、彼女の髪の手触りを楽しんでから、俺は手を離した。
アリシアが、手にした書類を俺に回す。
斥候からの定時連絡だ。
王都を出立した騎士団の惨状が、そこには事細かに記されていた。
俺は、眉を顰めた。
「アランとかいう男は、相当な無能だな。どこをどうすれば、ここまで愚かになれるのか、理解に苦しむ」
「まったくですわね」
アリシアも、呆れたように口をすぼめた。
「想像力が、欠如しているのでしょう。指揮官というより、人間として致命的ですわ」
淡々と事実を指摘するような声音が、かえって、アリシアのいらだちを際立たせる。
敵のことであるとはいえ、一軍を預かる将として、無感情でいられなかったのだろう。
俺も彼女に共感することしきりであった。
輸送部隊からの略奪を目的とした五千の王国軍が、王都を出発してから、既に七日が経過していた。
普通の成人が歩けば、わずか三日の道程を、彼ら王国の軍隊は、二倍の日数をかけて、ようやく踏破したのである。
今、奴らは、俺達の思惑通り、物資を抱えて、盆地の底で身動き取れなくなっているはずだった。
それにしても遅かった。
待つ側の俺達が焦れるぐらいの、鈍重さだ。
これは全て、騎士団長の息子アランの、失策によるものであった。
軍隊を構成するのは兵士たちだ。
彼らは当然のことながら人間だ。
国によっては、畑から取れるという噂もあるが、帝国や王国では、人を募って集める職業人である。
当然、彼らに働いてもらうには、元気であってもらわねばならぬ。
故に、その健康管理についても、指揮官は、気を払わなければならないのだ。
今は、夏の盛りだ。
短期間の遠征とはいえ、進軍に際しては、相応の準備があってしかるべきであった。
アランとかいう男は、それを無視した。
たかが三日の距離とあなどったのだろう。
その結果が、致命的なまでの損害を、王国軍にもたらした。
奴の指揮下におかれた王国軍の状況は、敵である我々をして、同情を禁じ得ないほどの惨状を呈していた。
まず、彼ら王国軍は、完全武装の重装備で、王都を出発した。
真夏の炎天下、鎖帷子を着込み、装甲を施したうえで、鉄剣と金属盾をかついでの出撃だ。
この時点で、冗談ではなく、死の行軍である。
鉄の重量に、焼けた金属が熱を持ち、兵士の身体から力と水分を奪い去る。
しかもアランの愚行はそれだけにとどまらない。
あの男は自分の軍に、日中の行軍を強いたのである。
暑熱地での進軍は、朝と夕に距離を稼ぎ、日中は兵を休養させるのが鉄則だ。
さもなくば、兵がバターになってしまう。
夏は日が長いのだ。
ゆえに焦って兵を動かす必要もない。
指揮官は、兵の体力を鑑みた上で、進軍速度を調整する必要がある。
その配慮を、アランは怠った。
王都を出て、城壁に守られない自分の状況に、不安になったのだろう。
出来る限り、旅程を縮めようと、奴は小心者の焦燥を爆発させた。
無駄な斥量に苦しむ兵達に、強行軍を強いたのである。
自身は騎乗し、魔術具で快適な歩みを楽しみながら、アランは馬上から、遅れがちな兵達を、「意志力の無い怠惰な無能」と罵った。
高みから吠えるだけであれば、楽な仕事であっただろう。
王都の中では、権力にあかせたその論理も通用したに違いない。
だがな。
精神力で、兵を動かせるなら、指揮官などいらんのだよ。
脅されようが、殴られようが、動けないものは動けないのだ。
王国軍は、アランのこの采配で、出撃の初日から、二千の落伍者を出すことになる。
その翌日にも、二千が脱落。
たった二日で、五千いた王国軍は、その兵力を、たったの千にまで減少させた。
アランは、我々と戦う前から、指揮下にある総兵力の八割を喪失したのである。
「史上、ここまで無能な指揮官が、兵権を握ったことがあったかしら? 」
アリシアの言であった。
同意するしかない俺は、そうだなと、適当な相槌をうった。
なおこの状況を予想していた我々は、ランズデール領都を動くこともなく、奴らを無視して、王都攻撃の準備を進めていた。
唯一の準備といえば、今回、戦場に持ち込む重弩弓の手配だろう。
重弩弓は、多大な破壊力を持つ飛び道具だ。
その威力は金属鎧すらたやすく貫通する。
一方、弱点は装填時間だ。
一発の弾を装填するのに、大の男がハンドルをまわしても、あほほど時間がかかる。
王国との戦争で、ラベル率いるランズデール騎兵隊に一度試してみようとしたのであるが、存在を察知された挙句に、夜襲に切り替えられて、完全に封殺された。
栄えある、帝国のお蔵入り兵器の一つであった。
「弩だけ、前線に輸送しておいてもらえませんか」
「承知した」
主戦場として想定しているディエンビアル盆地は、ランズデール領都から荷馬車で約二日、騎馬なら一日の距離にある。
人間は後から急行するとして、物だけ先に運んでおけば、俺達はその分、楽ができる算段だ。
俺は、盆地近くの森林地帯に、陣地の設営を指示したうえで、武装の輸送を開始した。
俺達は、作戦前にその陣地で一泊した上で、ゆるゆる決戦場に向かう予定だった。
囮として待機中の輸送部隊には、撤収するよう伝令を出してあった。
敵の無能につきあって、炎天下のもと、兵を疲弊させるのも馬鹿馬鹿しい。
俺の撤退指示に、囮部隊は荷駄を遺棄して、自軍陣地へと帰還した。
遺棄された荷車(製品名メタセコイアVTX3 仕様上の欠陥有り)には、糧秣を満載したままだ。
平原に取り残される、麦袋の山。
この異様な光景を目にして、奴らは、何の疑問も抱かないものなのだろうか。
俺は訝しんだ。
どう見ても怪しいだろう。
「アランの性格からすると、問題無いと思いますわ。自分以外の人間にも、考えがあると思い至らない男です。あと、あれの立場からすれば、いまさら手ぶらで帰るわけにもいかないでしょう」
アデルの人物評だ。
愚鈍を通り越して、純真といってもいいレベルの感性であった。
温室育ちの令嬢なら、まだ可愛げもあるが、アランとかいうあの男の容姿では、擁護してやる気にもなれない。
また、当然の話ではあるが、純真な馬鹿など、軍の指揮官にしてはいけない存在だ。
そのアランは、行軍中に減りすぎた兵に青くなり、一旦進軍を停止して、遅れた兵を回収させた。
結局、兵の再集結に二日を浪費しつつ、兵力を三千ほどまで回復させる。
残りの二千は、逃げるか、身動き取れずに行き倒れだ。
流石に哀れであった。
「軍隊の仕事とは、歩くことです。剣を振ることではありません。その程度のことすら知らない人間が、机上で戦術の巧拙を議論して、指揮権を振るうのですもの。こうもなるでしょう」
アリシアの口舌は、氷の棘をふくむかのように、冷たく鋭い。
彼女は、殊の外、兵を大事にする。
アランのような人間は、おそらく、彼女がもっとも嫌うところの人種であろう。
無能に率いられた王国軍は、それでもなんとか二日をかけて、物資のところまでたどり着き、これを回収した。
そして、王都までの帰路を、半日ほど進んだところで、破損した荷馬車に足を囚われて、身動きが取れなくなったようである。
王国軍は、予定を遥かに超える旅程の中で、糧秣が尽き、飢えと疲弊で身動きできなくなっていた。
その総兵力は、当初の約半数、二千五百にまで減じている。
国内、たかが徒歩三日の距離を、行って戻るだけでこの惨状である。
領主連合軍が、敵手を無能と断じて侮るのも、納得の指揮能力であった。
「そろそろ、行きましょうか」
アリシアが立ち上がる。
そしてランズデール領軍と帝国軍で構成される連合軍が動き出す。
兵たちの表情は締まりが無い。
油断するなよ、貴様ら。
ピクニックでは無いんだぞ。
我々が今回投入した連合軍の戦力は、騎馬隊のみ二千五百だった。
内訳は、ランズデール騎兵隊千、帝国軍騎兵隊七百、馬に乗れるだけの人夫八百である。
全員が、胸甲を付けただけの軽装備だ。
人夫にいたっては、平服である。
ただの肉体労働者だからな。
今回の戦いで恐れるべきは、弓や弩の類の飛び道具だ。
だが、それについても問題なかった。
「王国軍は飛び道具を持っていないはずです」
なんと奴ら、投射武器を持っていないそうだ。
騎士団長が、自らの地位を守るため、軍を弱体化させた結果である。
「高所と風上はおさえます。持っていたところで、どのみち、こちらまでは届かないでしょう」
アリシアはダメ押しの進言をくれた。
俺達は、軍を取りまとめ、決戦場であるディエンビアル盆地へと向かった。
騎乗する俺の横を走るのは、アリシアだ。
彼女はいつもの鉄帽子に変えて、季節感溢れる麦わら帽子を被っていた。
つばの広い帽子の下、影に目元を守らせながら、アリシアは目を細めて遠見の構えだ。
シルエットだけなら、いつもと同じだな。
ちなみに、この軽装でも、ほぼ戦闘力が変わらないのが、アリシアの恐ろしいところだ。
決戦の地ディエンビアル。
身動きが取れない王国軍に対して、連合軍は南側から展開した。
敵を盆地の外周から、包囲するように陣を敷く。
帝国軍と、ランズデールで雇った人足達は、下馬した後、徒歩にて戦場に立つ。
盆地の縁、高所から見下ろすように、俺達は敵軍を睥睨した。
低所に固まり、怯え、蹲ったように動かない王国軍には、既に死臭がただよっていた。
俺は武官の一人に視線をやる。
まずは、降伏勧告だ。
俺の指示を受け、男は、声を張り上げた。
「降伏せよ。これ以上の抵抗は無意味である!」
「きさまら卑怯者共に、我ら王国軍は屈したりなどしない! 正々堂々と勝負しろ!」
威勢だけはいいだみ声が、王国軍の陣から木霊する。
おそらく、これがアランだろう。
魔術具でも使っているのか。
わんわんと、耳に響く不協和音をともなって、極めつけに不快だった。
「者共、敵襲だ。進め!」
アランの声が王国軍の陣にて響く。
湿った盆地の底で、死んだように逼塞する兵士たちには、既に戦意など存在しなかった。
あの惨状で、動けるのか。
俺の危惧は、はずれた。
王国軍は動き出した。
見れば、華美な武装をした騎士の一人が、力尽き倒れた兵士の脚に、帯剣を突き刺していた。
哀れな兵が悲鳴をあげる。
それを見て、恐れを為したように、兵たちが走り出した。
仲間に追われての突撃であった。
「督戦隊ですわね」
アリシアが無感動に事実を述べた。
督戦隊。
兵を、恐怖で縛り、戦わせるための部隊である。
前に進まぬ兵を、後ろから切りつけて、無理やり敵に向かわせるのだ。
止まれば味方に殺される。
恐れを気力に変え、動かぬ身体を叱咤して、王国軍は、うごめくアリのように動き出した疲労に萎える脚を必死に動かし、坂道を駆け上る。
その歩みは、彼らの意思に反し、遅々として進まない。
だが、いずれはここにたどり着くだろう。
やむを得んな。
俺は、攻撃部隊に指示を出した。
這うように歩を進める王国軍を、上から迎え撃つのは帝国兵だ。
下馬し、得物を構えながら、包囲するように照準を定める。
彼らは、重弩弓を手にしていた。
横一列に展開した弓兵が、王国軍を包囲する。
無慈悲な弩弓の陣列を前に、これを目にした王国兵の表情が歪む。
最前列を行く者たちの命はあるまい。
自らの命運を、悟ったものの顔だった。
憐憫はあれど、これは戦争だ。
帝国軍指揮官の腕が、振り下ろされる。
「撃て」
号令一過、打ち出されるのは、つらぬく鉄の杭だった。
鉄の盾を貫通して、その後ろの鎧まで貫き通す。
苦悶の叫びをあげながら、前を走る男たちが倒れ伏した。
「弩など、一度撃てばそれっきりだ。進め!」
アランは、絶対に安全な後方に陣取りながら、吼えた。
そうだな。
だが、今回は例外だ。
帝国兵は慌てる様子もなく、矢を打ち出した弩を、後ろに控える人夫に回す。
代わりに受け取るのは、次弾を装填済みの新品だ。
最初から装填済みの弩を用意しておけば、連射もできるのだよ。
俺達の軍にはそれだけの物資があるのだ。
金があれば、この手の無理ができる。
そして帝国軍は金持ちだ。
「二射目、うてッ!」
そして、ありえないはずの第二射が、放たれた。
王国兵前列で、先ほどと同数の兵が倒れ伏す。
たった二回の斉射で王国軍は半壊した。
七百のボルトが二回ふりそそぐ。
三千足らずの戦力で、これに晒されればひとたまりもなかった。
幸運にも生き残り、不運にも最前列に押し出された、王国兵の目には、絶望があった。
彼らの前で、帝国兵は既に三丁目の弩を構えて、次の号令を待っている。
進めば鉄杭、立ち止まれば督戦隊のサーベルだ。
もはや前にも後ろにも、彼らの活路は存在しなかった。
王国兵は逡巡し、そして当たり前の結論に至った。
どうせ死ぬのだ。
ならば、楽な方を取る。
必死に走った結果、弩に貫かれて倒れるのなら、その場で座して死を待つほうがまだしも苦痛が少ないのだ。
諦めた彼らは、酷使してきた脚を止めた。
力尽きて、膝をつき、あるいは倒れ込むように地に伏せて、呻吟する。
王国軍は、すでに心が折れていた。
酷暑に喘ぎ、飢え、今持って全力で走りぬいた者たちは、もう動くことさえできはしない。
恐怖に焚き付けられて走ったものの、それ以上の恐怖にさらされては、彼らの心は動くはずもなかった。
彼らの中でもう既にこの戦いは終わったのである。
自分たちの敗北で。
「卑怯な! 臆病者どもめ、進め!進まんか!」
現実を見据えられず、無能な男と督戦隊は、未だに騒ぎたてている。
だが、もはや、兵は動かない。
いかに暴力を振るわれようと、くずおれたまま、王国兵は動きはしない。
大勢は決した。
ちなみにであるが、俺たちの弩は三丁目で打ち止めだ。
次の斉射後、帝国兵は全速力で撤収である。
今、陣の後ろでは、人夫たちが、必死にハンドルをまわして、次の弾を込めている。
敵の足が早ければ、帝国兵は下がらせて、ランズデール騎兵隊が引き撃ちにて、敵を消耗させる算段であった。
「二射目で、敵が折れると思いますよ」
これはアリシアの見立てだ。
連射用の弩を何段分用意してあるかなんぞ、敵からはわからんからな。
もしこれが、百も二百もあるのなら、死ぬまで打ち込まれることになる。
敵の手の内がわからない以上、恐怖は大きい。
敵軍の心は折れていた。
戦意を喪失した王国兵を殺し尽くすのは容易いだろう。
だが、死ぬのは王国の民だ。
それは、俺達の望むところではない。
死ぬのは、無能とその取り巻きだけで十分だった。
ここからが俺の策の本番だった。
アリシアに目をやれば、彼女は不承不承の頷きを返す。
心配してくれるのは、ありがたいが、できれば応援してもらいたい。
安全策はとっているのだが、アリシアはそれでも納得し難いそうだ。
俺は、構わず口を開く。
「卑怯というか。ならば戦ってやる。一騎打ちだ。俺が相手をしてやろう」
そうとも、一騎打ちである。
アランを殺せば勝ちなのだ。
ならばアランだけ殺せば良いのである。
それには一騎打ちが一番手っ取り早い。
戦場の華だしな。
実は、俺はこの手の博打が大好きなのだ。
アリシアが顔をしかめる。
またジークが危ないことしてる……。
彼女はそう言いたげだった。
だが、これが一番犠牲が少なく、確実で、しかも楽なのだ。
彼女も結局は納得していた。
俺は帝国軍の総指揮官だ。
アリシアから、一騎打ちを挑まれても、奴は逃げるだろうが、俺が、相手では退くわけにもいかないだろう。
王国兵をことごとく殺す必要などなかった。
無能な指揮官一人が死ねば、残りはみな投降するだろう。
もっとも臆病者のアランは、自ら前には出ないはずだ。
ゆえに引きずり出す必要がある。
俺は、畳み掛けるように言葉を重ねた。
「百数える前に出てこい、威勢のいい指揮官どのよ。それとも震えて足が動かないか? ならば、誰かに運んでもらえ! 」
「なっ、いやっ、それは……」
うろたえた声が、王国軍の陣、深くから響いてくる。
どれだけ後ろにいるというのか。
俺は構わず、ゆっくりと数を数え始めた。
それでも奴は出てこない。
やむを得ん。
あれを出すしか無いか。
俺達は、奴の退路を塞ぐべく最終兵器を投入する。
「口撃準備」
「まじすか」
俺と係の男が会話する。
男は、その担当でありながら、困惑した表情を浮かべていた。
口撃準備、そのために、急ごしらえの舞台がせり上がった。
二人の小柄な人影が、上にのぼる。
拡声の魔術具が、彼女ら繊手に握られた。
バラの唇を釣り上げて、ついに奴らが戦場に舞い降りたのだ。
奴らとは、元公爵令嬢アリシアと現辺境伯令嬢アデルである。
二人は夏の空に映える鮮やかなドレス姿であった。
戦場のもう一つの華、口合戦の始まりだ。
敵指揮官を挑発して、前線へと引っ張り出すのである。
口火を切るのはアリシアだ。
そして、彼女の花びらのような唇から、毒を滴らせた弾丸が撃ち出された。
「さっきまでの威勢はどうしたの、アラン? もしかして口だけなの?」
「アリシア様、あの男、怖気づいたんじゃありませんこと?」
「さすが、図体がでかいだけの腰巾着。王太子の後ろから、吠えるばかりの臆病者は、まったく変わっていないのですね。本当に勇敢な男なら一騎打ちなど望むところでしょうに」
「今も、兵の後ろで、震えているんじゃないかしら? まったく、みっともない。よくもまぁ、あんななりで、王都から出てきたものね」
「屋敷から出てきただけでも、評価して差し上げるべきではなくって? アデル」
「でも、ここで逃げ出すのはありえませんわ。だって堂々の一騎打ちですのよ? 」
「そうね。流石にここで逃げるのは、醜態ですわね。私なら恥ずかしくて死んでしまうかも」
女二人は華やかな嘲笑の声を響かせる。
台本など一切無い。
あれらは全部、アドリブであるそうだ。
俺は、実感した。
女は二人以上になると、とても強い。
特に口撃力がすごい。
絶対にすごい補正がかかっている。
多分、火力は五割増しぐらいではなかろうか。
まともにやりあうと、男は絶対に対抗できないのだ。
奴らのそれは、平時にあっては暴虐だった。
心を切り裂いて、容赦することがない。
しかも女は、相方がいると、人が変わるのだ。
この効果がとんでもないのである。
アリシアは元来、大人しい性格である。
だがしかし、アデルを隣に置けば、あら不思議。
あっという間に速射砲の完成だ。
彼女らは、二人、組みになって、勢い良く挑発の言葉を叩きつけた。
引きこもるだけの、臆病者をなじる言葉は強くなり、嬌声に似た、甲高い声が木霊する。
彼女らの二人芝居は、クライマックスに差し掛かっていた。
「えー、マジ敵前逃亡ですの!? キモーイ」
「敵前逃亡が許されるのは、クソ雑魚貴族の御曹司だけですわ。死ねばいいのに」
アリシアは恥ずかしげに頬を染めながらも、ちょっとノリノリで言葉を紡ぐ。
一方のアデルは、完全に巣だ
まこと恐ろしい女だ。
できれば、アリシアには、友人を選んでもらいたい。
散々に挑発されたアランは、それでも自分の足で前に出ようとはしなかった。
しかし奴の意思とは関係なく、状況が動く。
それは、酷使され続けた王国兵であった。
怖気づいて、動かぬアランを、冷たい視線が取り囲む。
偉そうに吠えていたこの男が、なんといまだに戦おうとしない。
自らの命を諦めた兵たちは、内心に隠していた、蔑みの色も露わにして、アランの周囲を包囲した。
貴様が前に出ないなら、前に出させてやるよ。
そして王国兵は、潮が引くように後退した。
督戦隊も、ここに至ってアランを見捨てる。
百歩以上も取り残されて、アランは一人、その場に残された。
薄らでかい銀色の甲冑姿でその場に立つ。
間抜けな姿は、美術館に展示される、陳列物のようだ。
あれに題名をつけるのなら、なんとすべきだろうか。
「虚勢」、あるいはシンプルに「みかけ倒し」あたりでもいいかもしれぬ。
「出てきたか、さっさとこっちへ来い。相手をしてやる」
「どうして……」
アランは、自分の実像を思い知らされていた。
兵たちに見捨てられた男は、ただ恐れ慄くばかりだ。
だが、今更、逃げ場もない。
大柄な体躯をゆらしながら、アランはもったいぶるように前に出た。
大物ぶっているつもりか。
おびえて尻込みしているだけにしか見えんぞ。
そして奴は、たっぷり無駄に時間をかけて、俺の前に進み出た。
御大層な仕草で剣を上に掲げる。
「我が名はアラン、現王国国王ジョンの……」
「誰も聞いていない、黙れ」
俺は、奴の口上など待たずに右手を振るった。
飛び出すのは、アリシア譲りの投槍である。
俺は、可及的速やかに決着をつけるつもりであった。
長広舌に付き合って、この男の寿命を伸ばしてやる気などさらさらない。
貴様が一秒早く死ねば、それで助かる命があるのだ。
先手必勝、さっさと俺に殺されろ。
「卑怯な!」
アランが恐怖したように叫ぶ。
卑怯も糞もあるか。
一騎打ちといっただろう。
俺の身体強化を乗せた一撃は、奴の胸甲に直撃したが、それを抜けずに弾かれた。
ちっ、やはり魔法の防具か。
俺は内心で舌打ちしたが、この一撃で決着であった。
耐えきれなかったのは、アランではない。
奴の乗馬の方であった。
体勢を崩して暴れる木偶、アランの体重は重すぎた。
まして魔法の品は重量がかさむ。
大方、冷房の魔法まで仕込んでいるのだろう。
日中、酷使され続け、無駄な重しを背中にのせて、しかもその木偶が暴れるのだ。
この虐待に、さしもの名馬も力尽きた。
栗毛の悍馬は、口角からは血の泡を吹き、どうと横倒しに崩折れる。
アランは鈍重だった。
勢い良く地べたへと投げ出されると、ごろごろと転がっていく。
白銀の鎧の表面を、彈ける泥と土埃が汚す。
仰向けに倒れ、したたかに背中を打ち付けたアランは、ぐぇえと蛙のような声を挙げた。
無様もきわめれば、ここまでになるのか。
俺は、逆に感心してしまった。
手足を無様にばたつかせて、見た目はむしろ亀のようだ。
ひっくり返ったまま、身にまとう鎧の重量で、アランは身動き取れなくなっていた。
隙しかない。
俺は長槍を繰り出した。
下腹近く、股関節付近の鎧の隙間をねらう。
大腿部の動脈を貫く一撃だ。
絶叫が上がり、血が吹き出す。
赤茶けた地面を黒い血が濡らし、ひろがっていく。
手応えからすれば致命傷だ。
直ちに絶命はしないだろう。
そこで乾いて死んでいけ。
たすけてくれぇ、という命乞いの声が、弱々しく響いていた。
だが誰もそれを哀れとは思わなかった。
俺は、死にかけの男に一瞥をやり、敵陣に向き直る。
それでこの戦いは終わりであった。
他愛もない。
俺は、槍を高く振りあげる。
「我々の勝利だ! 」
この声に応えるように帝国軍と、王国軍から、割れるような歓声が上がった。
大音声で、俺の勝利と戦いの終わりを祝福する。
目の前の王国兵に目をやれば、目を真っ赤にして笑っていた。
俺が手をあげて答えれば、男は右手を壊れたように振りまわした。
この男、絶対、帝国兵より喜んでる。
一騎打ちの経験は、初めてではなかった。
勝つのも無論、初めてではない。
だが勝利を、敵から祝福されたのは、これが初めての経験であったと思う。
今しがた、俺に負けた男の人望が、知れようというものであった。
俺が馬首を翻せば、いつのまにやら背後についていたアリシアと目線があった。
「お疲れ様です、ジーク」
アリシアが意味深げに唇を釣り上げる。
俺は、驚いた。
アリシアは、護衛のつもりなのだろうか? だが気配ぐらいは出してくれ。
暗殺者かと思ったわ。
あと、ついでに聞きたいんだが、馬の気配まで消すとかどういう仕組みだ。
俺は、いろいろな思いを胸に秘めたまま、笑った。
アリシアも笑う。
二人すれ違いながら槍の穂をぶつけ合うと、ガインと鉄がたわむ音がした。
応えるように、連合軍が再びの歓声をあげ、王国軍は急ごしらえの白旗を力いっぱいに振りまわす。
まだ、敵軍にも元気なやつが残ってるのか。
俺は一人苦笑した。
こうしてディエンビアル盆地の戦いは幕を下ろした。
われわれの軍の戦死者は、当然の如く皆無であった。
アリシア「えーマジ完全敗北!?キモーイ」
アデル「キルレ0が許されるのは、王国騎士団だけだよね」
アリシア&アデル「キャハハハ!」
◇◇◇
第二巻、お手にとって頂けた方、ありがとうございます!
とてもうれしいです。
でも、みんなどこに隠れてるのか、それだけが不思議です。
一巻もなんですけど…
あと誤字を修正いたしました。
お手数をおかけして恐縮なのですが、気になる方は再ダウンロードをお願いします。
ホント申し訳ない。二回も見直したのにあんなに残ってるなんてショックでした…




