お祭りとわたし
そして、ランズデールのお祭りが始まった。
街はハレの日の活気に包まれて、賑やかだ。
ランズデールの領都は、垢抜けない田舎の街だ。
一言で言うと、茶色い。
全体的に、町並みが、赤茶けているのである。
木造の家屋に、土を踏み固めた道路。
どれも作りは質実で、しっかりしているのだけれど、華やかさには欠けると思う。
全体的に地味な感じだ。
お金が手に入ったら、少しは見られるようにしたい。
父は、見栄えに全く頓着しないので、私は独自に調査をしたことがある。
町並みを綺麗にするのも、領主の仕事だからね。
結果、衝撃の事実が判明する。
ダントツぶっちぎりで、領主館の立て替え要望が多かったのだ。
「マジでボロくて悲しくなるから、早いところ、新しく建て替えてくれ」
領民の声は、切実だった。
私は、この調査結果に驚愕した。
それはそうだろう。
自分の家が、みすぼらしいなどと言われれば、どんな人間でもショックを受ける。
私は、この屋敷は、そこそこ立派だと思うのだけれど、見る人の目は違うようだった。
そんな、全体的に、見た目が地味で、特に領主館が酷いと噂の、私が愛する田舎町ランズデールも、今日は、大変な人手で賑わっていた。
折角のお祭りなので、今日は、私の側近も自由行動だ。
私の傍には、護衛役のステイシーだけがつくことになっている。
お祭りは領主館前の大広場を中心に、大通りの周辺も含めて開催される。
出店が沢山出る予定だ。
この館の前の大広場だが、なかなか広いのである。
ランズデールの数少ない名所だ。
ここで閲兵式や出陣式が執り行われるのである。
今、その広場の脇には、屋台が立ち並び、食べ物を載せた台やら机やらが、所狭しと並んでいた。
「ジークは部屋でお休みのようだし、しばらくは、私達で見て回りましょうか」
「ええ、承知しました」
そして、私はステイシーと一緒にお祭りに繰り出した。
お祭りに繰り出した私は、隠れた趣味である、人間観察を楽しんだ。
少し離れたところから、私の側近達を眺めやる。
彼女達はやはり目立っていた。
特にお洒落大国の帝国から出てきた、クラリッサとエリスのペアは、否応なく注目を集めていた。
今日のクラリッサは、騎士服ではなく、大人しめな色合いのツーピースでまとめていた。
綺麗なお姉さんは、好きですか?
彼女には、男女を問わず視線が集中する。
あの素敵なお姉さんは誰、って感じである。
そして、普段よりも、大分控えめな服装で出陣したエリスは、田舎のランズデール的には、奇抜な服装をしたファッションショーのモデルさんである。
老若男女、皆が恐れて遠巻きにする。
あのおっかない女の人は何、って感じである。
エリスが一歩進むと人の波が割れる。
どこかの預言者が、進む道を作るために海を割ったそうだが、似たような光景であった。
エリスは、この有様にショックを受けたようだ。
彼女はひそひそと相方に囁いた。
「なぜだか私だけ、避けられているような気がするのですけれど……」
「気のせいじゃないから。露骨に怖がられてるから。ほら今、女の子が目逸らしたし」
「えぇ!? これでも大分抑えたのよ。まだ足りないというの!」
「まだ足りないというより、まだ過剰なんだけどね。その盛り気味の頭とか」
「そんなぁ!」
クラリッサが冷静に指摘する。
そう。
エリスは、お祭りと聞いて、ちょっとだけ頭を盛っていた。
一応、エリスの名誉のために、お断りしておくと、帝国では催し物の時、女の人が、髪を豪華に結い上げるのは、普通のことだ。
流行の先端を行くエリスとしては、これでも控えめに飾ったぐらいの認識だったのだと思う。
しかしど田舎のランズデール人から見れば、それでも十分すぎるインパクトであった。
まさにその姿は異邦人であった。
「帝国でも、時々、特盛り見てきたけど、なにも知らない人間からすると、威嚇してるみたいにしか見えないのよ、その頭。キシャーって言いそう。キシャーて」
「うぅぅぅ……」
若干涙目になりながらも、交流を果たそうと、頑張っていたエリスだったが、高すぎる文化の壁はいかんともしがたかった。
一歩、足を進める度に、同じ距離を逃げられる状況に、とうとう心が折れてしまい、彼女はお化粧直しに撤収した。
エリスの顔が、なまじ綺麗だから、威圧感が出てしまったのかもしれない。
一方のクラリッサは、放っておけない妹分を、見守る気分なのであろう。
お誘いに来る男性陣を、さらり、ひらりと躱しながら、エリスの後を追いかけて、領館へと戻っていった。
クラリッサは相変わらず、面倒見がいいお姉ちゃんである。
一方、面倒見が悪いことに定評のある私の姉貴分、メアリであるが、今日は一人でお祭りに参加する。
予定であった。
だがなんと、彼女にくびったけのコンラートが、急遽駆けつけたのだ。
息急きかけながら、メアリと合流するコンラートは彼氏のかがみである。
そんな誠実な相方に向ける、メアリの視線は冷たい。
「やぁ、待ったかい?」
「待ってませんよ」
この場合の待ってませんは、「待ってないわ、すぐに来てくれてありがとう」じゃなくて、「待ってないけど、あなたなんできたの?」の意だ。
相変わらず、日が高いうちのメアリは、冷たいセメントみたいな対応である。
白い大理石のような女だ。
しかし、これで、コンラートが喜んじゃうからたちが悪い。
メアリは、今まで大変身持ちがかたかったのだけれど、まさか、あんな変態が好みだったとは。
正直に言って、ちょっと意外であった。
「何をしに来たのです。貴方には、仕事があるのでしょう?」
「君を一人にしておくのが心配でね、メアリ。来てしまったんだよ」
仕方ない人。
ため息混じりにメアリが笑えば、コンラートが、優雅にエスコートを申し出る。
そして二人、連れ立ってお祭りに参加した。
ここで終われば、ちょっといいお話で追われたのだけれど、その後の展開が、よろしく無かった。
懲りないコンラートが、メアリにいたずらしようとしたのである。
腰を抱いたり、お尻を触ったりしようとするコンラートを、メアリはひらりひらりと躱し続けた。
ひょいひょいっと身軽に躱すメアリの姿は、とても優雅で踊るようだ。
だが、しかし、メアリとの付き合いが長い私は気付いてしまった。
メアリのイライラゲージが、がんがんと上昇していることに。
コンラート、そろそろまずいよ!
私は止めようとしたけれど、ちょっとだけ遅かった。
お尻に伸ばされた手を、ひらりと躱し、くるりと腰を回したメアリが、とうとうその牙を剥く。
ズドン、鈍い音がした。
メアリが、ローキックを放ったのだ。
しかも体重を思い切り乗せた、重いやつである。
膝上の、筋肉の薄い部分に直撃を受けたコンラートは、くの字に脚を曲げた。
あー、遅かったか。
メアリのローはかなり重いのである。
なにしろ彼女の足はぶっといから。
大根もびっくりのたくましさなのだよ。
あ、やばい、ちょっと寒気がする。
この殺気は、メアリだ。
違う、違うって、褒めてるんだって。
ほら、安産体型って言うじゃない。
痛みの叫びを噛み殺し、脂汗を流しながらコンラートは耐えきった。
彼は、なかなか根性があると思う。
でもね、私は思うのだ。
「ああなる前に、気づくべきでは」
「だよね」
うずくまるコンラートを置き去りに、スタスタと容赦なく歩き出すメアリは、やっぱり鬼の血が流れていると私は思う。
痛む足を引きずりながら、メアリの後を追うコンラートの姿が、惚れた弱みの哀愁を物語っていた。
でもセクハラは駄目だよ、コンラート。
なお、メアリの隠れファンは多い。
非公式ながらファンクラブがあるぐらいだ。
コンラートの行いは、おさわり禁止を謳うクラブの紳士協定に、大いに違反する行いであった。
これに厳しい制裁を加えたメアリの人気は、いや増したと聞いている。
何をしても、ファンが増えるメアリに、私は嫉妬を隠せない。
絶対、私が同じことをしたら怖がられるのに、メアリばかりずるいと思う。
どうしたら人気者になれるのかしら。
ここだけの話だけれど、私もファンクラブが欲しいのだ。
公式にできたら私もサポートしちゃう。
誰か作ってくれないかな。
女王様アリシアのファンクラブとかどうだろう。
ファンクラブでちやほやされる自分想像する。
あ、だめだ。
なぜだか、私が、鞭持って荒ぶってる姿が浮かんでしまったのだ。
そういう、いかがわしい感じのクラブじゃない。
握手会とかする感じの、ゆるーい集まりにしたいのである。
なのにどうして、鞭が出る。
私は一人で頭を抱え、隣を歩くステイシーが、なんのことかと首を傾げた。
私のよくわからない懊悩はさておき、皆それぞれ、お祭りを楽しんでいるようだった。
道行く人はみんな笑顔だ。
なにしろ美味しいものがいっぱい食べられる。
なんと、今回のお祭りでは、準備に携わった領民は、食べ放題の飲み放題なのだ。
食べ放題は領民限定。
そして、領民である証明は、鮮やかな黄色で目印を付けた大きな木のお皿である。
会場設営のお手伝い、あれに参加するのが、条件だった。
お手伝いの参加者には漏れなく、この木製の大皿が一枚ずつ配られたのだ。
この大皿を持って屋台の前に立てば、おっちゃんやおばちゃんが、できたての料理を振る舞ってくれる。
そして配膳の人が、欲しい品を取り分けてくれる仕組みになっていた。
ちなみに配膳の人は時間交代制だから、食べ損なったりはしないよ。
飲み物も、飲み放題だ。
ただ、アルコールに関しては酸っぱい感じの安酒だった。
美味しくなかったので、私は水を飲んでいた。
どの屋台にも、行列ができている。
その中でも、一番の人気は、メアリ、クラリッサ、エリスが作ってくれた、帝国印の豪華料理であった。
女の子が三人、誇らしげに胸を張りながら、次々と突き出されるお皿に料理を盛っていく。
自分のお店に行列ができると、こう、自慢げな気分になるよね。
わかるわかる。
男性にはミートパイが、女性にはアップルパイが好評で、そして男女問わず、煮込みハンバーグが大人気であった。
肉食人種かつ、お子様自舌。
私がいっぱいいるな。
地元民との味覚的一体感を感じた私は、一人、心の中で頷くのであった。
大盛況の帝国料理は、あっという間に品切れとなる。
またたく間に、ハンバーグのお鍋は空になってしまい、代わりに芋や小麦粉でかさ増しした肉団子が、今は机の上に載せられていた。
そちらも、すぐに無くなりそうな雰囲気だ。
ふと見れば、料理と一緒に調味料の小包も配っているようだった。
ハンバーグやミートパイに使った、旨みの素だ。
「これをスープに混ぜれば、ご家庭でも、同じ味が食べられます!」
わかりやすい宣伝文句に、女性陣の手が伸びる。
中には男性でも手に取る人がいた。
奥さんがいるのかしら。
あるいは、自分で調理するのかもしれない。
実はエリスの実家は、調味料を作る会社にも、出資しているのだそうだ。
急遽決まった、娘エリスの王国行き。
その機会を逃さずに、営業攻勢をしかけるブレアバルク家のフットワークは、やはりすごいと私は思う。
経済戦争の尖兵として、王国という巨大市場に楔を打ち込むことに成功したエリスは、満足げな笑みを浮かべていた。
果たして、この商魂たくましい、彼らの目論見は、うまくいくのであろうか。
この売り込み作戦の成果は、そのうちに現れてくるはずである。
帝国のお料理が、広まってくれると嬉しいな。
私は思った。
私は帝国のお料理が好きだ。
やっぱり美味しいは、正義なのである。
私たちのお料理は大人気であった。
しかし、好評を博す料理があれば、その反対のお料理も、もちろんあったのだ。
そして、そんな、いまいち評判が良くないお料理の中でも、ぶっちぎりの不人気商品が、保存食の黒パンであった。
黒パン。
なにも、祭りで食べるような食べ物ではないということも一つの理由だが、そもそもの問題は、このパンが不味いことにあった。
ぼそぼそごわごわした食感に、若干酸っぱい味がする。
黒パンを一口かじれば、口の中が貧しさでいっぱいになるのだ。
何が悲しくて、お祭りの席でこんな悲しい気分になる食べ物を口にしなければならないのか。
不人気になるのも当然であった。
もっとも、いまいちなお味も、仕方がないことではあった。
なにせ、実はこの黒パン、古い備蓄食料の処分品なのだ。
ランズデールは今、空前の好景気だ。
加えて、今年は大豊作。
王都に、高い税を収めなくていいと聞いて、農家の人が頑張ったのだ。
現金で笑ってしまうが、おかげさまで、新麦がたくさん収穫できそうなのである。
となると扱いに困るのが、備蓄用の古い小麦粉や、調理済みの黒パンだ。
小麦粉は、今回のお祭りで、大放出してしまったのだが、調理済みのパンはそうもいかない。
古いパンが、倉庫に余っているのだけれど、どうしよう。
担当のお役人は困ってしまった。
とりあえず、今日のお祭りに出してみようかと積み上げた結果、案の定、在庫の山になってしまった次第である。
平たい大きな黒パンが、うず高く積まれた机の後ろで、売り子の女の子が、悲しげに佇んでいる。
私の心がぎしりと痛む。
売れ残り、その響きは私の心に突き刺さるのだ。
なにしろ、私は、売れ残り歴17年余の実績を持っていた。
貴族令嬢としては、異例の長さである。
机の上に高く高く積み上がったパンの山は、少し前の私自身の姿であった。
世界で一番、売れ残りの悲しさを知る貴族令嬢、それが私、アリシア・ランズデールなのである。
ゆえに、私は、黒パンの壁の前で足を止めた。
「おひとつ、もらえるかしら」
「私にも一つ、くださいな」
私の言葉に、担当の女の子が、ぱぁっと笑顔を輝かせる。
そして、彼女は、一番でかくて、食いでがありそうなパンを渡してくれた。
でかい!
そして重い!
この黒パン、中身が詰まっている感じがする。
いわゆる、ふかふかのパンではない。
ぎっしりパンだ。
私とステイシーは、小麦粉の塊のような、黒パンを受け取って、その場を後にした。
するとどうだろうか。
周りで見ていた人達も、ぱらぱらと黒パンのテーブルに並びはじめたのだ。
私たちにつられたのかもしれないな。
私は、心の中で小さく笑う。
これなら、可哀想な余りものを無くすことができそうである。
私は、ほっと胸をなでおろす。
令嬢アリシア、黒パンの売れ残り問題を解決だ。
領主の娘として、仕事をした気になった私は、軽い足取りで、お祭りの会場に戻っていった。
ところで、ひとつだけ、私が失念していたことがある。
黒パンが売れ残った、もう一つの原因だ。
この黒パン、味が美味しくない事もあるのだが、それ以上に貧乏食である事が問題だった。
大きな黒パンは、これ一つとスープがあれば、一家で一日分のお食事になってしまう優れものだ。
コスパ最高である。
しかも長期の保存も効く、とても良い食べ物だ。
しかし、今の景気絶好調のランズデールで、黒パンをお持ち帰りしてしまうと、「うちの家、貧乏なんですぅ」と周囲に喧伝することになってしまう。
つまり、一家の見栄的にまずいのだ。
黒パンとは、すなわち貧乏の証。
ゆえに、お祭りでは、貰い手がいなかったのである。
私はそんな爆弾に手を伸ばしてしまった。
貧しさの象徴、黒パンを、笑顔で受け取るランズデール公爵家令嬢アリシアの姿が、領民の目にどう映ったか。
しかも、従者にまで、一つ持たせるおまけ付きである。
「うちの地元のお嬢様が、貧乏すぎてやばい」
その、あまりにあんまりな事実が、領民の心を苛んだ。
領民は考えた。
領地が豊かになったのは、アリシアお嬢様のお力もあってのこと。
ゆえに、お嬢様には、もっと良いものを、食べてもらわねばならぬ。
断じて酸っぱい黒パンなどを、もそもそと、食わせるわけにはいかないのだ。
結果、一つの基金がランズデールにて設立された。
その名も銀の羽募金。
基金の目的は、恵まれない少年少女の栄養状態改善だ。
この基金は、設立のきっかけとなったエピソードも含め、王国に広く普及することになる。
そして、数年後、基金の名前も目的も、王国中に知れ渡った頃合いで、ついに私の耳にも、話が届く。
その時、私が感じた恥ずかしさが、いかばかりであったかは、皆さんのご想像におまかせしたいと思う。
王城住まいの女王のもとへ、お涙頂戴のエピソードが、盛りに盛られて届けられたのだ。
メアリなど、目に涙を浮かべて爆笑していた。
「まさしく、シンデレラですわね! 」
私は、情けなさに、遠い目になった。
こんなネタで、お話の主人公になんて、なりたくなかったよ、メアリ……!
そんな黒パンの、裏事情を知るよしも無い当時の私は、ステイシーと二人、お祭りを楽しみながら、町を歩いていた。
楽しいなぁ。
そんな呑気な平穏を、鋭い警笛の音が切り裂いた。
ピッピィー!
有事の知らせだ。
緊急事態を知らせる笛の音には、いくつかの種類が存在する。
災害時が一つ、野獣や狼藉者の発生が一つ、そして領都の防衛関連が一つである。
今回は、最後の音色、つまり、ランズデール領の防衛に関するものだった。
現在、ランズデールは戦争中。
お祭り中であったとしても、警戒がゆるいわけではない。
私は、ステイシーに目線で合図を送ると、返事も待たずに駆けだした。
ステイシーは音もなく私の後に続く。
笛の音が響いたのは、近くの路地だ。
私は、迷わず、そこへと踏み込んだ。
建物の陰になって、周囲は昼だと言うのに薄暗い。
目を慣らしたほうが良いな。
その場で、しばし待機する。
結果的に、私は、それ以上、駆け回る必要はなくなった。
私が、視界の明るさを調整していると、血相を変えた下手人が、向こうからやってきたのである。
男の後ろには、衛兵の姿が見えた。
不審者を追いかける警備の兵は、大声で私に向かって何事かを叫んだ。
私は状況を察した。
貴様か、無粋なやからめ。
そして私アリシアは、容疑者らしきその男に、手にした物体をフルスウィングした。
手にした物体、それすなわち黒パンである。
黒パンは硬くて重い。
スパーン。
路地裏に快音が響いた。
そして、鋭い角度で、男の脇腹に突き刺さった黒パンは、その質量を遺憾なく発揮して、男の体を弾き飛ばした。
パンと側面衝突したその男は、短い距離を水平に飛行してから、勢い良く壁面に突っ込んだ。
土壁に衝突。
ごっ、という鈍い音をさせて、男がズルリと崩れ落ちる。
他愛なし。
またつまらぬものをはたいてしまった。
気絶したらしい容疑者に、油断なく視線を向ける私の元へ、衛兵の一人が駆け寄ってくる。
彼は、短く、この男について教えてくれた。
「間諜かと」
「了解」
男の取り調べをせねばなるまい。
調査用の人員を手配してから、私は周辺の警備を強化した。
次の手立てを考えながら、しかし私は、一つの新発見に打ち震えていた。
その発見とは、黒パンの新たな可能性のことだった。
私は、黒パンで、不審者をやっつけた。
そう、でかい黒パンは武器にもなるのだ!
今回、黒パンは、非殺傷武器として、なかなかの働きを見せていた。
あるいはこの不人気保存食品には、無限の可能性があるやも知れぬ。
私は、その時、一つの天啓を得たように思った。
黒パンのいくつかは、部隊の標準装備として、採用すべきではないのか。
有事には殴打武器、そしていざとなったら食べられる。
これは、なかなかの有用資材であると、私には思えたのだ。
もちろんただ錯覚だ。
アリシアの思いつきは、10%の大成功と、90%のアホなアイデアに分類される。
残念ながら、今回のひらめきは、九割のほうのそれであった。
そんな物とは関係なしに、私たちは、とりあえず、このよくわかんない、不審者を連行したのだった。
アリシア「この後、黒パンはスタッフが美味しくいただきました」




