皇后と皇子
「皇后なんて、なりたくてなったわけじゃないのに」
幼い日の記憶、母、皇后カートレーゼの言葉であった。
廷臣の誰かから嫌味か陰口を言われたのであろう。
小さくつぶやかれたこの愚痴を、彼女の腕に抱かれた俺はしっかりと聞いて憶えていた。
母、カートレーゼは、そこそこの名家の次女として生まれた。
性格は天真爛漫。
といえば聞こえは良いが、空想癖の強い、ふわふわとした娘であったそうだ。
カートレーゼには婚約者がいた。
お相手は、帝国中央に籍を持つ大変な名家の嫡男で、将来を嘱望される男であった。
母とその男は、しかし致命的に相性が悪かった。
感覚でものを話し、よく笑い、よく泣く母は、理知的なその男からすると、意味もなく感情に流される、白痴のような女に見えたらしい。
感受性が強かったカートレーゼは、そんな男を恐れるようになり、二人はやがて疎遠になる。
両家で協議した結果、婚約解消の運びとなり、その男はすぐに当時交際していた別の女と婚約を結んだ。
一方の母は、婚約解消などという未来は予期していなかったので、自宅に一人送り返された。
この婚約解消は、どちらが悪いというわけでもない、ただ相性が悪かったというだけの話だ。
しかし、男に欠点が無かったがゆえに、捨てられた女カートレーゼに落ち度があると当時は噂された。
そんな母の噂を聞いて、父フリードリヒは、母に会いに行った。
母から話を聞いた父は、その場の勢いで彼女を攫い、そのまま結婚まで突っ走った。
これが俺の両親の馴れ初めだ。
アリシアはこの話を聞いて感動の涙を流していた。
しかし俺は、一つ聞きたいことがある。
これのどこに感動する要素があるというのか。
身内の照れも無いとは言わないが、俺にはまったくもって理解できない。
いや実際問題、この話、酷くないか?
凄まじいまでの投げやり展開だ。
脚本家の気力が途中で尽きたとしか思えん。
一応、二人の関係を補足させてもらおう。
父と母は幼馴染であったそうだ。
お互い、好きに喋って好きに答える、気楽な関係であったらしい。
幼い日は、会話のキャッチボールが成立せず、互いに死球を出しながら楽しそうに笑っていたと、俺の伯父が教えてくれた。
さもありなん。
母の婚約が破棄された当時、第二皇子だった父は、残念ながら、それなりの遊び人であった。
気の多さもあり、いろんな女と付き合っては、国中を遊び歩いていたと聞いている。
一方の母は、婚約者と疎遠だったこともあり、男の手すら握ったことがない、初心な娘であったそうだ。
父から見た母は、気兼ねなく喋れる仲の良い友人であった。
その友人が、理由もなく悪し様に言われることに義憤を覚えた父は、彼女に会いに行った。
一方の、母は、自分とも仲良くしてくれる父に、淡い想いを抱いていたそうだ。
母は真っ赤になりながら、語ってくれた。
一応言うぞ。
両親ののろけ話など聞かされても、息子の俺としては困るのだ。
干物のような顔をして黙りこくるしか無い。
母はその点、理解しているのだろうか。
していないだろうな。
突然自分を訪ねてきたフリードリヒと話しているうちに、カートレーゼは感極まって泣き出してしまった。
当時の母は、辛い思いを抱えたまま、ただ耐えるばかりだったのだ。
そんなカートレーゼを抱きしめた父は、俺がこの女を守ってやらねばならぬという謎の使命感にかられ、彼女を攫ってしまう。
手が早かった父は、その晩には母の純潔を奪ってしまい、もうこの際だからと自分の嫁にもらってしまったそうだ。
脊髄反射で行動しているようにしか見えん。
これが賢帝と名高い現皇帝フリードリヒと、その皇后カートレーゼの馴れ初めである。
帝国の伝統や格式などと言われても、俺が鼻で笑い飛ばす理由がよくわかってもらえるだろう。
帝国の最高権力者からして、この程度のものなのだ。
格式(笑)
カートレーゼの実家にしてみれば、不良債権化していた娘が処分できたわけであるし、皇室にとっても、放蕩息子一歩手前の皇子が身をかためてくれたわけで、いずれにしても悪い話ではない。
ついでに言うなら、二人とも身内からは愛されていた。
結婚式当日、ほとんど一方的に捨てられたカートレーゼのことを、心配していた彼女の姉は、花嫁に抱きついてわんわん泣いたと言うし、父フリードリヒも、彼の父、当時の皇帝から、一途な嫁をもらったのだから大事にしろと、説教混じりに祝福されていた。
なんだかんだ、暖かい親族関係であったと言えよう。
そんな二人に、問題が発生したのは、フリードリヒが、皇子としては多大な実績をあげていたことに起因する。
私生活がだらしなかった父は、しかし公人としては極めて優秀な男であった。
行政改革や、不安定化した属州の帝国帰順を実現した父は、次期皇帝の最有力候補となる。
そんな第二皇子フリードリヒの兄であるオットーもまた有能で、しかも父と異なり良識に恵まれた好人物であった。
「俺に皇帝の座は荷が重い。俺は宮廷の取りまとめに専念する。皇帝は任せた」
オットーは、話し合いに先立ち、弟フリードリヒの支持を宣言。
これにより、そのままフリードリヒが皇帝として戴冠することになる。
結果、母は、全くその気がなかったにも関わらず、皇后として冊立されることになった。
母は困った。
当然である。
結婚してから一年余、あれよあれよという間に皇后にまで祀り上げられてしまったのだ。
婚約解消からまだ二年も経っていない。
母は、困った困ったと悩み抜いた結果、父とも相談して、三つの取り決めを自らに課した。
夫であるフリードリヒの私生活を支えること。
皇子を産んで育てること。
政治に口を挟まないことの三つである。
母は、その三つの誓いを果たした。
カートレーゼは、第二夫人、第三夫人とも暖かい関係を結び、意外と家庭人であった父を影から支えた。
子供は三人、皆、皇子である。
「一人くらい女の子が欲しかった…」
とは後のカートレーゼの言だ。
末の弟には絶対聞かせられぬ。拗ねてしまう。
最後の誓いは、外戚の影響を廃するためのものだ。
母は、政治の事はわからぬと、常日頃から口にしている。
政治に口を挟まぬ以上、皇后を介して、国政に関与することはかなわない。
母は、皇帝のため、母方の親族からの雑音を遮る盾となった。
結果、皇帝は、その政治的手腕に裏付けされた強い帝権を確立する一方で、その皇后カートレーゼが親族にもたらす恩恵は少なかった。
ゆえに、彼女に対する支援もまた、必要最低限なものに留まることになる。
カートレーゼの親族による後ろ盾は極めて弱い。
彼女を支えるのは、皇帝の寵愛だけであった。
俺の母は、弱い皇后であった。
立場も力も。
政治的な思惑を抜きにした時、俺とアリシアの婚約を一番に喜んだのは、母カートレーゼであったと思う。
俺でさえも、当初はアリシアの軍事的な才能に傾倒する中、母だけは、新しい義娘を迎える日を心から楽しみにしているようだった。
母は、アリシアの姿絵を見ては目を細め、ステイシーからの報告を読んでは、アリシアの仕草に笑いを零した。
「こんな可愛い女の子が、私の義娘になるなんて。見直したわ、ジークハルト!貴方のことだから、絶対に、怖い女の人をお嫁に連れてくると思っていたのよ」
本当に良かった、そう零した母は、たしかに怖がりであった。
母にも、当然、アリシアが、王国の優れた武人であることは知らせてあった。
だがアリシアの話を人づてに聞くうちに、皇后カートレーゼは持ち前の空想癖を発揮してしまう。
彼女の中のアリシアは、たちまち愛らしく可憐な娘の幻想で覆い尽くされた。
アリシアは軍の将帥だ。
しかし、母の知る将軍像が、歌劇で見るようなきらきらしいものでしか無かったのも悪かった。
せいぜい男装の麗人くらいの女性を考えていたのだろう。
「こんなに愛らしい子なのに、将軍なんてすごいわ。戦場に立つ姿はきっと凛々くて美しいのでしょうね」
母は、アリシアの姿を思い浮かべては、うっとりと頬を染めていた。
実態は違う。
当然違う。
俺は、だが、母の想像を修正するすべを持ち合わせていなかった。
母は、戦争のことなど知らぬがゆえに、かける言葉が浮かばなかったのだ。
戦場にあって、血と臓物と恐怖を撒き散らしながら疾走し、その重槍と馬蹄でもって敵軍を蹂躙する。
それこそが将軍アリシアの実像だ。
敵と味方とを問わず、畏怖と崇敬をもってその名を語られる勇将である。
決して、歌劇に見る、凛々しくも華やかな麗人などではありえない。
「勇は美の厭うところをなすなり」とうそぶきながら、あのきれいな顔に平気で泥を塗りたくって迷彩までするのがアリシアなのだ。
俺とアリシアとの婚約が決まり、アリシアに関する調査が進むに従って、母も否応なくこの現実を知らされることになる。
アリシアの個人的な武勇や、王国内での地位などを聞くにつけ、カートレーゼの恐れはいや増した。
母は、自分の弱さをよく知っている。
新しく迎える義娘に、辛く当たられたらと思えば、その思いも当然であっただろう。
だんだん血の気が薄くなっていく皇后のことを、父は大層心配した。
相談を受けた俺は、母にアリシアへ手紙を書くことを勧めた。
母は、「アリシアさんに嫌われたりしないかしら」と心配しながらも、手紙を書いた。
手紙を受け取ったアリシアは、「お義母さまに嫌われたりしないかしら」と心配しながら、返事をしたためた。
俺は笑った。
そっくりなのだ。
カートレーゼとアリシアは、その事績だけ見れば対極にある二人だ。
にも関わらず、口にする不安は同じなのである。
母もアリシアも、社交が苦手だ。
そして、お互いがお互いを、立派な相手だと思いこみ、びくびくと怖がっている。
俺は、不安げなアリシアの様子を手紙に書いて、父にも届けた。
父からは、可愛らしい嫁の困惑に、でれでれした内容の返書が返ってきた。
アリシアが俺の両親から歓迎されるのは、悪い気はしない。
だが父には、自分が、50も近いおっさんである自覚を持ってもらいたいところであった。
そして俺の婚約者アリシアと皇后カートレーゼの文通が始まった。
お互い、相手の事を憎く思ってなどいないのだ。
すぐに二人は仲良くなった。
「皇后さまは、とても優しい方なのですね。良かった」
アリシアは、そう言って柔らかく笑った。
彼女は皇后カートレーゼのひととなりに安心したようだ。
あぁ、良かったな。
しかし、一方のカートレーゼは、極端に振り切れた。
「ぎゃー!アリシアちゃんが可愛いわー。逢えなくて辛いわー!早く逢いたいわー!」
酷い。
ああ、予想していたとも。
だが酷いことに変わりはない。
あと、あんたは安心しすぎだ。
アリシア相手にぼろが出るぞ。
親父、なんとかしてくれ。
なんでも「カートレーゼ陛下」呼びだったアリシアが、その時の返書では、初めて「お義母さま」と呼んでくれたらしい。
興奮に乱れた筆跡と、延々と連呼される「アリシア」の綴りが、母の歓喜を物語っていた。
ほぼ同時に、父からは、「俺はまだお義父さまと呼んでもらえないんだが、どうしたらいい?」と血を吐くような手紙が送られてくる。
何をくだらん争いをしているのか。
あと、父よ、一人称が変わっているぞ。
アリシアは、手紙の中で、皇后になるにあたってのあれこれを、母に尋ねているようだった。
そして、関係が深くなるにつれ、アリシアは、彼女の真情も母に見せるようになる。
アリシアは手紙に綴った。
自分に皇后が務まるか心配だ。
私などで大丈夫なのだろうか。
いつかは、お義母さまのような立派な皇后になりたい。
これを受けて、母は歓喜の鼻血を吹き出す。
その勢いは、献血にも使えそうな出血量であったそうだ。
真っ赤にドレスの胸元を染めた母を、侍女達が大慌てで救護したらしい。
以上、父からの情報だ。
自慢の嫁から、立派な皇后などと呼ばれたのだ。
よほど嬉しかったのだろう。
最近は無駄に政治の勉強なども始めてしまい、周りがヒヤヒヤしているらしい。
一方のアリシアであるが、こちらもカートレーゼを慕わしく思っている様子であった。
アリシアの実母は、既に他界している。
優しい皇后カートレーゼに、アリシアはすぐに懐いてしまった。
特にアリシアが、強い尊敬を抱いたのは、母の社交のやりようであった。
社交界における母の派閥は、比較的大きく、そして力がとても弱かった。
なぜか。
母の派閥は、利害関係者の集まりなどではないからだ。
母のそばは、社交界であぶれた者達のたまり場であった。
カートレーゼの派閥は、行き場を無くした女たちの避難所だったのである。
帝国は、比較的まだマシなほうではあるが、それでも女の立場は弱い。
男は、なにかしらの失態があったとしても、剣、あるいはペンをもって、挽回の機会が与えられる。
腕力や知力をもって、地位であれ、名声であれ、自ら勝ち取ることが可能なのだ。
つまり、パワーだ。
男は、パワーがあればなんとでもなる。
しかし女はそうはいかない。
本人の不名誉もそうであるが、一族の失態によって、立場を無くす者も多い。
女は、たとえ追い詰められようと、生きるために、社交界から離れることはできないのだ。
たとえそこが針のむしろであったとしても、だ。
母は、自分の落ち度といわれて、婚約を解消されたことがある。
その不安と辛さを知っていた。
故に、皇后となった母は、そんな女たちの逃げ場所を作ったのである。
母は、皇后であることぐらいしか、取り柄がない女だといわれている。
俺はそうは思わないが、地味な皇后といわれれば、たしかにその通りではあるのだろう。
しかし、皇后相手に無礼を働く人間がいないのもまた事実。
故に、いっとき、立場を無くした者たちが逃げ込む避難所の旗頭とするには、うってつけであった。
この皇后のやりように、アリシアは大層感銘を受けたようだ。
もっともな話である。
王国時代、アリシアは、社交界で爪弾きにされていた。
当時の彼女であれば、間違いなく母の近く寄り添っただろう。
アリシアは勢い込んで名乗りをあげた。
「私も、お義母さまのお手伝いをいたします!」
アリシアは、強い感銘を受けた様子で、母のことを褒めそやした。
お義母さまは、やさしく志の高い方だ。
わたしもお義母さまのようになるのだ、と。
母はそれを伝え聞いて、それはもうだらしなく笑み崩れていたそうだ。
二人の仲の良いやりとりは、年の離れた姉妹のようであった。
ま、ここで話は終わらなかったがな。
アリシアは、母の派閥への参加をわりと大々的に表明し、母も暖かくそれを迎え入れた。
ここで混乱が発生する。
母、カートレーゼの派閥は、例えるなら草食動物の集まりだった。
狼の牙からのがれるための、兎や子鹿の隠れ場所である。
アリシアも性格だけなら同じである。臆病な草食系。
しかし、身代は違う。
彼女は王国の女王だ。
ゆえに彼女が持つ権力もまた桁外れだ。
つまり例えるなら、アリシアは象だった。
主食はたしかに草であるが、その気になれば、獅子すらもその豪力でなぎ倒す。
そう、兎の群れの中に、この心優しく巨大な象が、「私も仲間に混ぜておくれ」と木々をなぎ倒しながら突っ込んできたのだ。
それはもう大騒ぎになった。
突然増えた社交のお誘いに、母は半分涙目になりながら、派閥の取りまとめやら、申し入れやらをさばいていた。
「アリシアには内緒にしておいてね!」
必死に筆記具を走らせる母の背中を、父は大変微笑ましく眺めていたそうだ。
父よ、少しは手伝ってやってくれ。
最後に、この現皇后と次期皇后の文通は、おれにも一つの爆弾を運んでくる。
アリシアは尋ねたそうだ。「皇后になって一番大変だったことはなんですか」と。
カートレーゼは答えた。「皇子を授かるまでが本当に辛くて苦しかった」と。
皇后カートレーゼが俺を産んだのは、結婚から四年目のことであった。
三年間、子宝に恵まれなかった母は、立場の弱さもあって大変、苦労したらしい。
「辛かったら無理しなくていいのよ、アリシア。私はなにがあっても貴女の味方だから」
自分の事を思い出したカートレーゼは力強く受け負った。
いざとなったら、第二夫人をジークハルトにあてがっても良いのだから、と母は言ったそうだ。
母よ。
少しは息子の気持ちにも配慮しておくれ。
アリシアはその言葉に励まされ、柔らかく宣言する。
「はい。でも、私、頑張ります。だから、大丈夫です!」
宣言通り、アリシアは頑張った。
相手は俺だ。
察しろ。
メアリ「豚をこえて象になってしまわれた!」
アリシア「ぱおーん」




