アリシア姫のカゼッセル生活と皇子
マルゼーは愛妻家だから、そういう意味の好きじゃないぞ。
俺のもとにアリシアからカゼッセル要塞視察の要望が届いたのは、彼女の到着から五日目のことだった。
俺が案内役に名乗り出ると思うだろう?
当時のおれは彼女との婚約に関するあれこれで、落とされたり持ち上げられたりと忙しく、まともな精神状態ではなかった。
とてもではないが、落ち着いて施設の案内などできそうもない。
そこで俺は、この素晴らしい機会を他の連中に譲ってやることにした。
幸せのおすそ分けである。
ありがたく思え。
案内の武官を選抜するのも面倒であったため、幕僚に人選まで丸投げして結果の報告だけ受けとることにした。
結果、公平な抽選を訴える幕僚たちを階級の暴力でねじ伏せたルーデンドルフ大将六十二歳が、アリシア姫のエスコートを担当することになった。
アリシアは流暢な帝国公用語を話す。
要塞内の施設をめぐる間に担当武官や兵士らとも直接言葉を交わしたそうだが、アリシアは久々に顔を見せた将校のような馴染みようだったそうだ。
たまたま声をかけられる栄誉に属した新兵は、それから暫くの間、先任の下士官にさんざしごかれてるはめになったとか、「いい気味ですな」と同じく恨めしげな顔をした士官から報告を受けた。
練兵場に彼女が顔を出した際には、待ち構えていた馬鹿どもが、是非とも手合わせをと願い出たらしい。
当然のごとく、ルーデンドルフが全員まとめて豪腕で薙ぎ払った。
ちなみにこのルーデンドルフだが、視察後にこっそり抜け駆けしてアリシアと手合わせをしたらしい。
俺は特に結果は聞かなかった。
奴の実に晴れ晴れとした顔をみるに、そういう結果に終わったのだろう。
ルーデンドルフは、帝国軍の指揮官として王国軍とも幾度となく干戈を交えてきた。
しかし、決戦を回避するアリシアとは、結局ただの一度も対峙することなく終わっている。
帝国軍も犠牲を厭うことが多く、アリシアとの直接対決はついぞ実現しなかったが、やつも彼女に対してなにがしかの思いがあったのかもしれない。
このあたりまでは、麗しの姫君の臨御に張り切る兵士たちの図だ。
しばらくすれば要塞に日常が戻ってくる。
はずだった。
それからしばらくして、最近、やけに兵士共の士気が高いと、報告が上がってきた。
その頃の俺は、アリシア姫の覚えがめでたいことを大変不本意そうな顔をしたクラリッサから教えられて、奴ら同様とても士気が高かった。
おそろいだな兵士諸君。
俺は姫のおかげで元気いっぱいだが、君たちはいったいなにがあったのかね。
ちなみに原因も同じだった。
なんでもアリシアが、よく兵士詰め所に顔を出して、非番の兵士と話しをしているらしい。
自分の仕事を褒められて、単純な兵士共は張り切っているそうだ。
聞いて、俺は不機嫌になった。
安い独占欲だ。
アリシアが他の男どもと仲良く談笑している姿を思い浮かべて、俺は眉間にしわを寄せた。
が、詳しく話を聞いて考えをすぐに改めた。
アリシアだが、どうやら俺の評判を兵士に聞いて回っているらしい。
俺は颯爽と命じた。
「兵士共に俺を褒め称えるよう布告を出せ」
「そのアホな布告をアリシア様にバラされますよ」
俺は大真面目だったが、諌めたコンラートも大真面目だった。
しぶしぶ俺は、布告を取り下げた。
代わりにクラリッサとメアリから詳しい事情を聞くことにした。
「アリシア様ですけど、外出申請だけ出すとふらっとお部屋からいなくなっちゃうんですよ。
近衛騎士が近くにいると、兵士に直接話しを聞きにくいからって、詰め所に行くときはいつも一人です」
とはクラリッサの報告だった。
「しかし、護衛も連れずに女性のひとり歩きは危険じゃないか? 」
「コンラート、それを言うなら王国軍も男ばかりでした。もちろんアリシア様は一人で出歩かれていましたよ」
よくある懸念にメアリから冷静な指摘が入った。
忘れていたわけではないが忘れていた。
アリシアはアリシア・ランズデールだ。
「それでアリシアはなにをしてるんだ」
「ジークハルト殿下のことが気になるそうで、下っ端の兵士から直接の情報収集だそうです。アリシア様も兵士の統制には心を砕かれていましたからね。殿下のなさりようが気になるのでしょう」
メアリからの情報はいつも、わかりやすい。
そうか、おれのことが気になるのか。
「それで俺の評判はどんなものなんだ。気になる」
「さー、悪くないんじゃないんですかー、知りませんけどー」
「アリシア様は兵士の間に無駄な諍いが無いことを喜んでいらっしゃいましたよ」
返答は、片方がメアリで片方がクラリッサだ。
もうどっちが生粋の帝国軍人か、俺にもわからなくなってきた。
諍いとメアリは濁したが、いわゆるいじめや派閥争いのことだろう。
よくある話だ。
軍隊は閉鎖的な社会でもある。
場所によっては下士官、あるいは先任によるいじめが横行していたりもする。
餓鬼でもあるまいし、サル山の真似事のようなこの手の行為が、俺は大嫌いだった。
軍が弱くなる。
戦場で後ろから刺されるような理由を積み上げる輩は、すくなくとも俺のもとには必要ない。
「アリシア様も同じお考えです。自分が必死に戦っている後ろで、内ゲバに精を出す馬鹿共が許しがたいと仰って」
「なるほど、その点、俺は姫のお眼鏡には叶いそうか」
「ええ、とても喜んでおられました」
そうか、おれも喜んでいいかもしれん。
兵士というか男というのは馬鹿な生き物だ。
慰安に楽団が来れば、わらわら群がるし、仮に可憐な女性将校がいれば、やはりわらわら群がる。
便所の前を通りかかったアリシアが、多少臭ったのだろう、
「施設はきれいに使い給えよ、諸君」
などと言ったものだから、暇な単細胞どもが寄ってたかって磨き上げたそうだ。
そして頑張ったのを褒めてもらおうと、わざわざアリシアに報告をした。
アリシアもよく心得ていて、清掃に参加したとかいう兵士たちを、一人ずつ名前を呼んでねぎらったそうだ。
それを聞いた他の馬鹿どもが便乗し、結局要塞中の便所が磨き上げられたというのだから、たいしたものである。
俺は大量のドレスをアリシアに贈ったが、このままだとあっというまに元本を返済されてしまいそうだった。
アリシアの目撃情報は、要塞中に散らばっていたが、特に頻繁に出入りしていたのは厨房だった。
食い物の在り処を覚えたアリシアは、勝手に茹でた腸詰めやら、野菜の酢漬けやらを失敬し、これもどこから探し出したのか堅パン片手にむしゃむしゃやりはじめることが何度かあったそうだ。
当時、アリシアの待遇は皇族に準ずるものとして扱うよう布告を出していた。
彼女が口にしているものは、とてもではないが、身分ある人間に食わせるような代物ではない。
困った厨房の人間が、ありあわせの食材でアリシアのおやつを用意することにした。
歓待を受けたアリシア姫は「殿下につけておいてくれたまえ」と、大層ご機嫌であったと、俺のところまで報告があった。
厨房でのつまみ食いは、彼女の趣味でもあったそうだ。
その後も時折遊びに来るアリシアを、厨房につめる職員はせっせともてなした。
人、それを餌付けと言う。
彼らは、やせっぽちのアリシアに、如何にして肉をつけるかひどく悩んだらしい。
アリシアの燃費は、およそ信じがたいほどに悪く、調理師の何人かは栄養士の資格までとって奮闘した。
彼らの努力は、後に実を結ぶ。
アリシアはでかくなった。
横ではなく縦方向にであったが。
ちなみに当初の予想に反して、アリシアは練兵場には姿を見せなかった。
結局、視察の時に一度顔を見せたきりだったらしい。
あてが外れた兵士たちは、がっかりした様子で日々の訓練に励んだようだ。
担当武官が、なんとかアリシア様を呼べないかなどと泣きついてきたが、当然のごとく却下した。
なんでも姫に頼ろうとするな、馬鹿ども。
アリシアの身分が王女となり、彼女の公式における敬称が殿下になってからも、要塞の士官、兵士らは頑なに彼女を閣下と呼び続けた。
「俺達が必死になって迎えた閣下を、何故、なにもしていない宮廷の連中に取られにゃならんのですか」こう口を滑らせた兵士は、盛大に指導を受けていたが、あるいはこれこそが帝国軍の本音であったのかもしれない。
アリシアは美人だからな。
意外にも気さくに話しかけられて、単純な男どもはすっかり参ってしまったんだろう。
アリシアも、要塞に詰める馬鹿どもも皆、楽しそうであった。
カゼッセルは本日も事も無し。
結構なことであった。
アリシア「私、今回はなにもして無くね?」
メアリ「せやな」




