アリシア姫の婚約話と皇子
皇子視点の話です
簡単な登場人物紹介
アリシア:嫁、別名ランズデール元帥、あるいは閣下
ジークハルト:旦那
メアリ:元祖侍女
コンラート:便利屋
クラリッサ:新型侍女一号
ルーデンドルフ:おじいちゃん軍人で大将
マルゼー:諜報担当の糸目。既婚者
俺達がアリシアをカゼッセル要塞に迎えた次の日、朝一番に幕僚達が召集された。
アリシア到着後、早々の緊急会議だ。
何事もなくアリシアとの会見が終わるなどという楽観は、皆とうの昔に捨てていたため、早朝の召集にも関わらず定刻前には全員が顔を揃えた。
コンラートが報告を始める。
「また、問題が発生しました」
「問題が起こるのは予測済みです」
「無事に事が進むなどとは誰一人考えておりません。
それより、問題の詳細を伺いたい」
もはや誰ひとりとして動じない。
精強をもってなる帝国軍幕僚団、皆、揃いも揃って訓練され過ぎである。
素晴らしい調教具合であると言えよう。
あるいは、アリシアをして査閲官に任ずれば、軍の練度も高まるかもしれぬ。
俺は、しかし、喜々として彼女に鞭打たれる帝国軍士官の姿を想像して、すぐさまその危険な考えを捨てた。
危険だ。
なによりその鞭打たれる士官の顔が、俺そっくりだったのが危険だ。
忘れよう。
コンラートの報告が続く。
「アリシア様との会見は終了しました。
会見終了後、クラリッサから帝国側の迎え入れ体勢についても説明し、無事ご理解を頂けた模様です。
非常に良好な感触を掴んだ、と報告にありました。
今後の状況についても、アリシア・ランズデール元帥の帝国への帰属を軸に進めていく予定です」
皆の表情に安堵が広がっていく。
そうとも、我々は成し遂げたのだ。
帝国軍は遂に、かのアリシアの呪縛を乗り越えた。
もう夜営の度に彼女の影に怯え、馬蹄の音に鉄帽子を幻視して震える必要はない。
それどころか、かの悪魔の大鎌は、そのまま我らを守る聖霊の剣となりえるのだ。
幕僚たちの顔は明るかった。
その明るい表情のまま、幕僚の一人が当然の疑問を投げかけた。
「それで、殿下とのお話はどうなったのだ。殿下とランズデール閣下の婚約に関わる話だ。あれも重要な案件であろう」
俺は肩身が狭かった。
コンラートの視線が冷たい。
「アリシア様に打診だけは行わせていただきました。ただ交渉中、ジークハルト殿下に問題が発生したため、それ以上の内容については、すべて保留となっております。現在、交渉再開の見通しは立っておりません」
「またか! 」
「ことアリシア様に関してとなると、どうしてこう殿下は弱いのか。相性が悪いのではないのか! 」
「相性は関係ないだろうが! 」
「いや、あるでしょうよ」
コンラートの返しが冷静すぎて辛い。
あと、またって言うな。
騒ぎを抑えるように、初老の重鎮ルーデンドルフ大将が口を開いた。
「ジークハルト殿下に起こった問題とやらについて、詳しく説明をお願いしたい」
コンラートは能面のように表情を殺すと、淡々と報告を続けた。
「アリシア様は大変お美しい方でした。その姿に心奪われた殿下が、会談中に支離滅裂な発言を繰り返されました。同時にアリシア様の肢体を凝視し、ご本人から苦言を呈されております。アリシア様随行のメアリ准男爵も、懸念を示されております。会談中も、終始、アリシア様が殿下のことを警戒されているご様子であったため、一旦すべての提案を保留、状況についても一時凍結する方向で調整中です」
「どういうことですか、殿下! 」
ルーデンドルフの怒号に、会議室が物理的に震えた。
やつは吠える前に、一瞬溜める癖がある。
幕僚のほとんどはそれを知っていて、とっさに耳を抑えたので、皆の鼓膜は無事であった。
運の悪い従卒が、衝撃でひっくり返った程度の損害は甘受すべきであろう。
それからは会議という名の罵倒大会であった。
一部、不敬罪に片足を突っ込んだような発言まで飛び出した気がするが、ここで反論しても火に油を注ぐだけだと判断した俺は、発言者の名を強く記憶するにとどめた。
会議に先立って俺は頼んだのだ。
ほとんど懇願であったと思う。
今少し、今少しだけ表現に手心を加えてもらえないだろうか、と。
結果わかったことが一つだけある。
やつには、クラリッサには、絶対に悪魔の血が流れている。
だが、一応言っておくぞ。
俺は童貞じゃない。
勘違いするな。
会議後、俺の執務室には、これまでと今後のアリシアに関わる者達が集まっていた。
コンラート、クラリッサ、ルーデンドルフ、マルゼーだ。
議題はもちろん俺とアリシアの婚約話だ。
「はい、では無事暗礁に乗り上げた、ジークハルト殿下とアリシア様の婚約問題について、対策会議を始めます」
「まて暗礁に乗り上げて、無事ということはないだろう」
「沈没しなかっただけましという意味ですよ。あの態度じゃ、既に破談を言い渡されててもおかしくなかったんですから、首の皮一枚でもつながってるだけマシと思ってください」
ぐうの音も出ない。
へこんだ俺が沈黙すると、ルーデンドルフが発言をもとめた。
「軍人の私が政治の話をするのもおかしな話ではあるが、そもそもアリシア嬢との縁談は、政略的なものではなかったのか? 殿下との婚姻は、彼女自身の立場を強化するものでもあるし、新領の統治にあたるであろうランズデール公の後ろ盾ともなる。先の王国王家との婚約と比較して、こちらの条件が劣るものとはとても思えぬ。無論、アリシア・ランズデール元帥を、帝国軍にお招きしたい軍部の思惑もあるが……。この婚約、アリシア嬢にとっても悪い話ではないはずであると、ただそれだけを提案すればよかったのではないか? 」
「まったくもって、閣下の仰られるとおりであります。ですが、今それを殿下の口からアリシア様にお伝えしても空々しく聴こえるだけかと」
ルーデンドルフが唸る。
「実際にその場を見たわけではないのだが、殿下の好意は、そこまであからさまなものであられたのか? それこそ、もうごまかしが効かぬほど」
「はい」
「そうか……」
沈黙したルーデンドルフに代わって、コンラートが口を開いた。
「いっそ、このまま殿下には、個人的な感情で突き進んでもらって、アリシア様から引導を渡してもらうのはどうでしょうか。その後、改めて政略的な相互利益に基づく婚約を打診させてもらえばいい」
「コンラート、お前まで裏切るのか……」
「俺は帝国全体のメリットを見据えて話をしています」
「そうか。貴様は忠義者だな」
概ね察して頂けるであろうが、この時点で俺はすっかりなげやりになっていた。
アリシアと初めて戦場で出会った時に投げ込まれた投槍もかくやという投げっぷりだ。
しかし、ここで俺にとっての転機が訪れる。
マルゼーの発言だった。
「殿下がアリシア嬢を射止められるのであれば、それが一番良い。違いますか? 」
「ああ、そうなる」
「であれば、アリシア嬢の側仕え、メアリ嬢を引き込んでみては? 彼女を籠絡するうえで、必ずや役に立つはずです。主人のためとあらばメアリ嬢も嫌とはいわないでしょう」
マルゼーのこの提案は、俺にとってまさしく福音であった。
どん底にあった俺は、一も二もなくこの提案に飛びついた。
でも籠絡とか言うな。
すっかりやさぐれていた俺は、そのまま強引に会議の終了を宣言すると、さっさと自室に引っ込んでふて寝した。
最近酒量が増えている気がしたが、飲まねばやっていられなかった。
翌日、メアリを執務室に呼び出した。
クラリッサに伴われてきた彼女に、俺は早速要件を伝えた。
その時々のアリシアの気持ちであるとかを俺に知らせてくれないか、と。
「私が、仮にそのお話をお断りした場合、アリシア様のお立場はどうなりますか」
「なにも変わらないな。俺の立場は確実に苦しくなりそうだが」
「殿下のお立場が、ですか? 」
「ああ、俺の恥ではあるが、聞いてくれ」
そして、俺は、包み隠さず現状について彼女に伝えた。
つまり俺がアリシア嬢に盛大に警戒されて、婚約に関する交渉が暗礁に乗り上げていること、現状の打開策が見当たらずに情報の提供を頼みたいことなど全部だ。
俺の好意についても包み隠さず話した。
どちらにせよ俺の気持ちはバレているのだ。
下手に取り繕っても仕方がない。
半ばはヤケクソであった
メアリは時折訝しげな表情を浮かべつつも、最後まで俺の話を聞いてくれた。
最後に俺は聞いた。
アリシア嬢の今のお気持ちを伺いたい。
そしてできればとりなしを頼めないだろうか、と。
その時のメアリの返事は、俺には信じられないものだった。
「アリシア様は、素晴らしいお部屋やドレスを贈ってくださった殿下にとても感謝しておられます。
会談でも、殿下は、とても紳士的で情熱的なお方であられたと伺っています。
こんなにもお世話になっているのだから、是非、殿下にも一度会ってお礼を申し上げたいとアリシア様は仰られています」
「天使かよ」
あぁ、天使だな。
だがコンラート声に出てるぞ。
地獄から天国だった。
俺は逆方向の動きも体験したことがある。
きっとこれで釣り合いが取れたのだろう。
なにがどういう理屈でここまで好意的な解釈に至ったのかはさっぱりわからなかったが、アリシアが喜んでいるそうなので、俺はもう深く考えるのを止めた。
これ以上話を聞いて、この夢が終いになるのを恐れたのだ。
とりあえずメアリに個人的に礼したい旨告げると、彼女は酒を所望したので秘蔵の赤ワインをもたせて帰らせた。
メアリという側仕え、見かけによらず、酒飲みであった。
「追い詰められすぎて、幻覚が見えるようになったのかもしれん」
「俺まで巻き込まないでくださいよ」
どうやらコンラートは俺と同じ夢をみているらしい。
やつと一緒に、その夜はおれも一本開けた。
どん底で神経をすり減らしていた俺は、このメアリの言葉で緊張の糸が切れてしまい、それからしばらくは流れてくる書類に決済するだけの日々をすごした。
それから毎日、クラリッサが報告に来たが、彼女の報告内容も概ね、メアリの言葉を支持するものであった。
「もう、アリシアが天使ってことで全部片付けたいんだが」
「アリシア様が天使ってことには同意しますけど、展開には納得行かないです」
お前の納得など、どうでもいいわ。
それから数日後のこと、アリシアが執務室の扉を叩いた。
刺繍の教室が開かれた日のことであった。
すこしうつむき加減に頬を染めたアリシアは、彼女が刺繍をさしたというハンカチを俺に差し出しながら言った。
「殿下にお礼を申し上げたくて、頑張ってさしたのですが……。不格好で申し訳ありません」
俺は人生最高に幸せであった。
愛天使がバリスタで俺の心臓にボルトを叩き込んでくる。
俺は死ぬかもしれない。
「ありがとう、アリシア。とても嬉しい。不格好などと言わないでくれ。必ず大事に使わせてもらう」
アリシアが顔を輝かせて言う。
「そう言って頂けると、とても嬉しいです。もう少し練習するつもりなんですけれど、できれば殿下のご希望をお聞きしたくて……」
「そうだな。俺は貴方の髪の色が好きだ。よければ銀の色でさしてもらえないか」
「ええ、次は銀糸で挑戦してみます。でもそれなら、殿下の髪色もどこかに入れてみたくなりますわね」
「俺の髪色は地味だからな。やはり貴方の銀がいい」
「銀色、お好きですか」
「好きでもあったし、好きになったのもあるしだな。とても綺麗だと、俺は思う」
「そうですか。その、ありがとうございます」
少し赤くなったアリシアは、指先で自分の髪をつまんだ。
彼女の肩の下まである髪に手がかかって、銀色が揺れる。
次の俺の言葉は、ほとんど衝動的なものだった。
「もし良かったらなんだが、貴方の髪を一房もらえないだろうか」
アリシアの頬に朱が刺した。
図々しかっただろうか、と俺は危惧したが、彼女がおずおずと右手を差し出したので、俺ははさみを手渡した。
今、それは、最初にもらった刺繍入りのハンカチに包んで、俺の胸ポケットにしまわれている。
彼女に贈ることを考えるなら、俺の髪ももう少し手入れしておけばよかったかもしれぬと、すこしだけ悔やまれた。
アリシアの弾むような足取りが執務室から遠ざかっていく。
それを確認すると、俺はすぐさま彼女のドレスを新調すべく、経理のものを呼び出した。
追加注文を出すのだ。
次は二十もあればよかろう。
今度のドレスは、きちんと採寸してもらわねばなるまい。
服屋をカゼッセルに呼ばなくては。
靴も新調したい。
今度は宝飾品も要るだろう。
彼女に似合う宝石は何であろうか。
なんでも似合いそうだな。
とりあえず全部取り寄せるか。
アリシアの存在が外部にはまだ出せないということすら失念していた俺は、クラリッサから「そういうの重すぎるからマジでやめろ! 」と諌言されなければ、間違いなく発注を出していたはずだ。
それぐらい俺は舞い上がっていた。
盛大に振り回されるだけ振り回されて、最高の結果だけを手にした俺であったが、一つだけ確信を持って言えることがある。
アリシアは天使だ。
間違いない。
ジークハルト「マルゼーのメアリ好きすぎ問題」
マルゼー「誠にもって汗顔の至り」




