健康診断とわたし
会議室に流れた大団円っぽいムードのせいで、かの、えーっと羽虫皇子のことは皆の頭から抜け落ちてしまった。
みんな、私達ならどうとでもなるだろうという気になってしまったのだ。
ちなみにだが、本当にどうとでもなった。
とんだ雑魚であった。
わたしが婚約話を持ち出すきっかけにしかならなかったと言っても良い。
いまはジークである。
あんなにも彼との関係を進めるのを渋っていた手前、なんとも気恥ずかしくはあるのだが、彼との婚約が決まった私はすっかり舞い上がってしまった。
本当に春がきたような心持ちで、城塞のくすんだ壁さえ私には輝いて見える。
ちなみに魔法は感情にも左右される。
弾むような心持ちで歩いていた私の足取りは、物理的にも弾んでいたらしく、腕をびよんびよんとすごい勢いで振り回されたジークはちょっと大変だったそうだ。
でも、その時のことを振り返って「そうやって振り回されるのも楽しいのだから、俺は幸せものだな」とか言うのはやめて欲しい。
真っ赤になってします。
ジークは私のお部屋までエスコートしてくれた。
人生初の腕組エスコートである。
楽しい! 嬉しい!
折角なので、お部屋でお茶などご一緒したかったのであるが、彼は仕事が詰まっているそうで本日はここまでということになった。
ジークは私の手を両手で包み込むようにして握ると、そっと別れを惜しんでくれた。
もうこれだけで、私は、愛しの皇子様と結ばれたお姫様の気分である。
気持ち目をうるませて、ジークを下から見上げる。
彼はうっとうめいたあと、壁に頭突きして帰っていった。
ゴッという鈍い音までかっこよく聞こえた。
でもなんで頭突きしたんだろうか。
人生初のモテ期にわたしは舞い上がっていた。
しかし当然のごとくそんな幸せは長くは続かなかった。
私はこの時、自分の人生をよくよく思い返しておくべきであった。
いや、盲目であればこそ、短い夢をぎりぎりまで見れた分、幸せであったのかも知れぬ。
なにごとも前向きに考えるべきだ。
私の人生に訪れた初の春は、丸一日保たずに終了した。
小春日和よりも短かかった。
翌日の健康診断で、私を診てくださったお医者様が、無慈悲にも私に告げたのだ。
接触禁止です。
今思い返してもこの時の絶望感、筆舌に尽くしがたい。
今からそれについて語ろう。
私は帝国第一皇子ジークハルトの婚約者として正式に迎えられることになった。
これにともなって、健康診断を受けるとことになったのだ。
帝国は歴史からよく学ぶ国だ。
当然のことながら、お家断絶の危険性についてもよく調べていた。
帝国は男系。
皇統を繋ぐには皇子がいる。
しかし歴代皇帝と宮廷は、単純に妃を多く用意して皇子皇女を量産すればいいというものでもないことに気が付いていた。
国を治めるには母方親族の後ろ盾も必要で、結局、帝として戴冠できる皇子を産める妃は限られてくるからだ。
そんな理由から、帝国では、帝位継承権を持つ皇子を産んでくれるお妃様の健康管理に、かなり力をいれていた。
元気な皇子を産んでもらうための投資だそうだ。
皇帝のお妃様候補ともなると、いいものを食べて元気そうな印象があったのだが、実際に診てみると偏食、少食、運動不足に変な趣味など、問題を抱えてるお姫様も多かったらしい。
ここで問題が発覚したお姫様は、全員、健康増進ブートキャンプに放り込まれて、きっちりがっつり矯正されるのだそうだ。
このキャンプ、割と容赦無いことで有名で、泣いて帰りたがる姫君が続出するらしいと、クラリッサが笑って話してくれた。
私には間違いなく関係ない。
こういった取り組みのおかげもあるのだろう、現在の帝国の皇統はきわめて太かった。
帝位継承権のある男系男子が、三親等以内に二十近くいるのだ。
相当である。
そしてジークの婚約者となった私も、この信頼と実績の帝国式健康管理プログラムを受けることになったのだった。
正直に言おう。
私は皇統云々には、ほとんど興味はなかった。
個人的には、しばらくジークとの、恋愛であるとか、青春の甘酸っぱいなにか的なものを楽しみたい気持ちでいっぱいであったのだ。
加えて私は、自分の健康に絶対の自信があった。
生まれてこの方、風邪などひいたこともなく、快食、快眠、快便の健康優良人間である。
身長、体重をはじめとした各種身体計測後に、簡単な問診を終え、私は魔法使いであるから魔力に関する測定をして、若干の騒ぎをおこし、結果を受け取るためにお医者様の前に座っていた。
私は、もうすっかり合格を貰ったつもりであった。
私の主治医となられるお医者様は、ヘルマン先生というおじいさまだった。
彼は私を見るなり、開口一番こういったのだ。
「これはこれは、お美しい姫君だ。皇子もおかわいそうに」
うん? 私は訝しんだ。
お美しいはお世辞であっても褒め言葉だろう。
ではジークがかわいそうとはどういうことであろうか。
疑問符を頭に浮かべる私をよそに、ヘルマン先生は診断の結果を教えてくださり、最後にこう締めくくった。」
「アリシア様はまさに健康そのもの、皇妃となられるに何の不安もございませんな」
よっしゃ!
ミッションクリアである。
私の男の子と女の子に関わる知識は、クラリッサから借り受けた恋愛小説で急速に充実しつつあった。
やってみたいあんなことこんなことがいっぱいあった。
私は有頂天だった。
夢が広がる!
皆さんは御存知のことだろう。
人の夢と書いて儚いと読む。
空想の世界に一部意識を飛ばしていた私にも、その現実は等しく降り掛かった。
「はい。ですから、これからしばらくは皇子との物理的な接触はお控えください」
「え!? 」
私は固まった。
「接触禁止です」
より簡潔に、より厳しい内容が申し渡された。
私は目が点になった。
ヘルマン先生は続けた。
「これはたしかに危うい。しばらくは清く正しい交際をお心がけください」
清く正しい交際とは何であろうか。
あるいは物理的な接触とやらの定義について、帝国と王国で見解の相違があるのやも知れぬ。
私は、確認のため、具体的な事例を挙げてみることにした。
「膝の上に乗ってはだめですか? 」
「はい、なりません」
「後ろから抱きしめてもらうのもだめですか? 」
「前からであろうと後ろからであろうとなりません」
「腕を組んだりするのは? 」
「難しいところですが、避けたほうがよろしいでしょうな」
「じゃあ私が抱きつくのは? 」
「それはジークハルト殿下が死にかねませんな」
失礼だな!
私だって恋人を絞め殺したりしないよ!
私は納得できなかった。
当然である。
私は理由を求めた。
ヘルマン先生は答えた。
「アリシア様がお若すぎるのです」
「私は十七歳です。帝国法に則れば結婚も可能な年齢のはず」
「実際の年齢ではありません。アリシア様のお体の話をしております」
私は詰まった。
原因はこのちんちくりんボディだ。
いやしかし、最近は伸びてきている、もうじき標準には追いつくはず。
それに触るぐらいならいいじゃないか。
体のデカさなんて、そんなの関係ねぇ!
「多少触るぐらいなら、問題ないでしょう!? 」
「殿下が保たぬと仰せなのです。殿下の理性が」
うん。
なるほど、そういうことか。
言いたいことは私にもわかった。
これも殿下の思いやりだったのだ。
少し照れる。
私だって大切にしてもらえるのは嬉しい。
でもその結果が接触禁止だと思うと、やはり悲しい。
「お父君のランズデール公も、大変な偉丈夫であられると聞き及んでおります。何卒、もう一年ほどは我慢して頂きたい。将来のお妃様のお体を思えばこそなのです」
「で、その一年ほどは接触禁止なのでしょう? 」
「はい」
はぁー……。
私は深くため息をついた。
あのさ! 接触禁止とかさ! いまどきそんな決まり、学園にも存在しないよ! 神学校かよ! 帝国のお妃様縛り、マジでめんどくさい! こんなところまで口出してくるのか! ばか! あほ! 間抜け! 改正しろ!
私は叫びたかった。
叫ばなかったけど、でも叫びたかった。
世界の中心で接触禁止の撤廃を叫ぶアリシア。
酷い絵面だ。
気づけば私は涙目であった。
今までの人生で、ろくに流れもしなかった涙がこぼれそうになる。
私の涙腺は生きていた。
でもこんなとこで生存を主張してくれなくても!
一年ほど、という曖昧な基準に納得できなかった私は、接触許可をもらえる具体的な身長の数字を明示してもらうと共に、手を繋ぐまではセーフという妥協点をなんとか勝ち取った。
私の人生の中で、ここまでの粘りを見せたのは初めてのことであったように思う。
まさしく激戦であった。
体重を基準にしようという提案については、暴食での強行突破を図った私の魂胆があっさりと見抜かれ、即座に却下された。
ヘルマン先生は、まことにタフな交渉人であられた。
健康診断を終えた私は部屋に帰ってふて寝を決め込んだ。
寝る子は育つと聞いたからだ。
無気力になった私がごろごろしていると、部屋に戻ってきたクラリッサが大変素晴らしい助言をくれた。
「背は夜伸びるそうなので、お昼寝しちゃうと逆効果ですよ」
私は飛び起きた。
アリシア、今日から早寝早起きをこころがけます!
そして、ここで先んじて宣言しておこう。
私は、この接触禁止令を戦時特例を理由に、すごい勢いで無視することになる。
一線超えなければなんだっていいのだ、と勝手に解釈したのだ。
私はあの告白の日以来、自分の欲望に素直になることにしたのである。
アリシア「このお話、本当に必要かなぁ!?」
クラリッサ「無いとガン攻めされた殿下がすぐパパになっちゃうから必須ぞ」




