66話 紗月先生の野宿講座⑦
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野宿講座から数日後。
紗月と鞠莉は徳島県海部郡にある道の駅日羽山に来ていた。
時刻は午後三時。夕刻までまだ時間があるため、敷地内には多くの人が見られる。
ほとんどはドライブの途中に立ち寄った観光客なのだが、中には白装束に編笠を被った人がちらほら窺える。
遍路である。
ここは二十三番札所薬王寺から高知県の二十四番最御崎寺までの途中にあるため、遍路が必ず立ち寄る。
なので遍路のための休憩所や野宿をするための設備がある、四国内でも珍しい道の駅である。
ここには、矢内に車で送ってもらった。とはいえ大学から約50㎞ほどの距離なので、その気になれば徒歩でも来られる距離だ。よって帰りは本番を想定して歩いて帰る予定である。なに、半日も歩けばどうにかなるだろう。
紗月がこの道の駅を選んだのは距離的な条件もあるが、ここには苦い思い出があるからそれを払拭したかったというのが大きい。
紗月は思い出す。
最初の旅――自転車で四国を周ろうと思い立ったあの旅での過ち。
メタ的な話をすれば、第7話で遅れを取り戻そうと休まず先を急いだため、膝の爆弾が爆発してリタイアしてしまったアレである。
あの時無理をせずここで野宿をしていれば、また違った未来があったかもしれない。
もしかしたら順調に旅が続き、自転車で四国を一周できたかもしれない。
そうしたら、今とはまた違う未来があったのではなかろうか。
場合によっては達樹や赤井、鞠莉とも出会っていなかったのでは。
などと益体もないことを考えていた紗月は、自分を呼ぶ声で我に返った。
「先輩、どうしたっスか?」
「いや、何でもない」
紗月は頭を振り、頭の中から馬鹿馬鹿しい考えを振り払った。
「今日はここで野宿するんスね」
「そうだよ。けどまだ人がいっぱいいるから、夕方まで待とう」
「了解っス」
こうして二人は人が減る夕方まで道の駅を見て回ることにした。
道の駅日羽山には、道の駅によくある地元の特産品や産地直送の野菜などを販売している物産コーナーと軽食コーナー、観光や交通に天気の情報が得られるインフォメーションコーナーがある。
「普通の道の駅っスね」
「ふっふっふ、そう思うのは素人の赤坂三丁目よ」
意味がわからないことを自信満々で言いながら紗月が向かったのは、物販などが入った建物から離れた場所にある休憩所だった。
そこでは何人かが裸足になって中央の湯に足を漬けている。景色を見ながらのんびりと足を湯に漬けている様は、とても気持ちよさそうだ。
「足湯があるんスか!?」
「左様。この道の駅日羽山には、一般的な施設の他に足湯もあるのだ」
だがそれだけではない。足湯に驚く鞠莉を引き連れてさらに歩くと、主要施設から離れた木造の建物へとやって来た。
「さあ着いたよ。ここが今日の目的地、道の駅日羽山名物遍路用野宿施設」
それは、木材で組まれた格子で仕切られた部屋が三つ並んだものだった。中はそれぞれ木製のベンチが一つ置かれただけのシンプルなものだ。
広さはさほどなく、中でテントを張るスペースはない。格子の隙間から互いの姿が見えるためプライバシーがあるようでないが、その分何かあったら外からわかるのである意味安全な建物だった。
「ここで野宿するんスね」
「そうなんだけど、これは本来お遍路している人のためのものだから、お遍路さんが来たらわたしたちは遠慮しようね」
「うちらは今日だけのなんちゃって遍路っスからね。了解っス」
そうして二人は足湯に浸かった後ベンチでトランプをしながら夕方まで待った。
午後四時頃から人は徐々に減っていき、五時を過ぎる頃にはほとんどいなくなっていた。
懸念していた野宿小屋だが、幸いまだ誰も使っていない。どうやら今日は誰もここで野宿しないようだ。
となれば早い者勝ち、とばかりに紗月たちがトランプを片付け野宿小屋へと向かおうとしたその時、
「Excuse me? スミマセーン」
唐突に英語と微妙なイントネーションの日本語で話しかけられた。
振り返ると、そこには金髪碧眼のザ・アメリカ人といった感じの女性が立っていた。
身長は紗月よりも頭半分ほど高く、肩幅が広く骨格もしっかりしている。恐らく何か運動をしていたのだろう。小柄な幸貴や鞠莉が背負ったらひっくり返ってしまいそうな大きくて重そうなバックパックを軽々と背負っている。
長い金髪をポニーテールにし、Tシャツとデニムパンツというシンプルな出で立ちだが、身長が高くスタイルが良いのでどこかの土産物屋で買ったようなご当地Tシャツなのにまったくダサさを感じさせない。素体が良いと、着ている服の柄や値段は関係ないのだと思い知らされた紗月と鞠莉であった。
女性の名前はサミー・デイル。米国はカリフォルニア州出身の21歳で、大学の長期休暇を利用して世界中を旅行していると言う。
先月まではフィリピンを旅行していて、日本には北海道から入った。北海道を一周した後はフェリーで青森まで渡り、気ままに南下して四国に入ったのは三日前の朝。フェリー乗り場から霊山寺に直行して遍路を始めたというから桁外れの行動力だ。
「日本に来たらHENROやりたいと思ってまシタ」
「日本語上手っスね」
「OH、わたし日本語イパイ勉強しまシタ。プリキュア、セーラームーン、ダーゴンボゥ。みんな大好きデース」
「全部アニメかい……ってかドラゴンボールの発音むちゃくちゃいいな」
「米国でもインターネッツで日本のアニメーションイパイ見れマース」
外国で日本のアニメが見られるように、日本でも外国のアニメがインターネットで見られる。良い時代になったものだと思う反面、選択肢が多すぎて一日24時間では足りなくなってしまった。
紗月も一時期海外配信のアニメにはまり、字幕を目で追うのに苦労しながらも3シーズン全42話見たことがある。今思えばあれで語学を勉強していれば、今頃は外国語をマスターできていたのではなかろうか――いや、それはないなと思う。
「その中に、HENROがありまシタ。わたし、一度でいいからHENROしたいと思い日本に来まシタ」
そのわりには北海道やらあちこち回ってから四国に入ったようだが、本当に遍路をしたかったのだろうか。いや、それ以前に世界中回っているので、きっと見たアニメで興味を持った場所を片っ端から巡っているのだろう。
「Yes、わたし色んな場所行きたい思いまシタ。思ったら我慢できず、カレッジ長い休みなるとすぐにコレ持って飛行機飛び乗りまシタ」
そう言うとサミーは背負っていたバックパックを肩から外し、ひらりと胸の前に持ってくる。小柄な鞠莉なら押し込めるぐらいの大きさだった。
「サミーさんは、いわゆるバックパッカーというやつっスね」
「ハイ、わたしそれ。バックパッカー」
バックパッカー。その名の通り、バックパック一つで世界中を旅する者の総称である。
「ということは、お遍路の間は野宿を?」
「NOJUKU? あ~、キャンピング。Yes、わたしあまりお金ない。だからユースホテル泊りマス。それない時は、キャンプしマス。けど日本、あまりキャンプできない。けどHENROの間はキャンプできる聞いたので、なるべくキャンプしマス」
低予算で旅行するため、バックパッカーの宿はユースホテルか安宿になる。安宿代すら惜しい時はキャンプになるのだが、日本は先述した通り野宿には厳しいし、キャンプ場は市街地から遠く離れているのが常だ。
だが遍路に限っては野宿にかなり寛容だ。そこを利用しない手はないだろう。
「なるほど。で、わたしたちに何の用ですか?」
「Oh、忘れてました。わたし今日ここ泊りたい。ここキャンプオッケーな場所ですか?」
どうやらサミーも本日の宿をこの道の駅に決めたようだ。
であれば旅は道連れ世は情け、袖振り合うも他生の縁というわけで今夜はご一緒することとなった。
野宿小屋の一つに入ると格子の隙間から夕陽が差し込み、紗月たちは目を細める。
「ここはキャンプオッケーです。けど場所が決められているので、ここ以外でキャンプしないようにしましょう」
「OK。それで、ここはどうやって使うですか?」
「一応ベンチみたいなのがあるっスが、ここに寝るのはちょっと厳しいっスね」
「大丈夫」
紗月は外に面した格子に立つと、木材に打ち付けられていた取っ手を片手で掴む。
もう片方の手で留め具を外してそのまま勢いよく下に降ろすと、格子が木製の簡易ベッドとなった。
「あ、これベッドになるっスか!? まったく気がつかなかったっス!」
「Oh、これなら地面に寝なくてオッケーなので助かりマース」
思わぬギミックに興奮する鞠莉とサミーをよそに、紗月は以前ここに来た日のことを思い出していた。
自転車でここを訪れたとき、一人の遍路がまさにこの場所で格子を下ろし、ベッドを作って横になったのである。紗月はそれを見ていたから、遍路小屋の格子が簡易寝台になることを知っていたのだ。
(あの日ここに来たのは、一応無駄ではなかったのかな)
そう思うと、運命なんてどうなるかわからないし、どうとでも取れるものなのかもしれない。
「さて、寝床も確保できたことだし、そろそろ腹ごしらえしよっか」
「いいっスね。自分、お腹空いたっス」
「ではみんなでディナーしましょう」
こうして紗月たちは一緒に夕飯を食べた。
食事をしながら聞いた、サミーのこれまでの旅の話はとても面白かった。
そのせいか、奇妙な考えが浮かんだ。
自分と同じ年ぐらいの人が、世界を股にかけて旅をしている。
それに比べて自分は、狭い日本――その中でもさらに小さい四国の中をうろうろして満足してしまっている。
それで良いのだろうか。
もっと広い世界を見てみたくはないか。
そんなことを固い簡易寝台の上で考えていると、いつの間にか眠りに落ちていた。
翌朝。
この先も一緒に遍路をしようとサミーは言ってくれたが、事情を話して泣く泣く別れた。
サミーは遍路を終えたら九州へと向かうつもりらしい。そこから沖縄に行くか他の国に渡るかはその時の気分で決めるそうな。
「ものすごく自由な人だったね」
「そっスね。羨ましいっス」
「それじゃわたしたちも行きますか」
「うぃっス!」
こうして紗月たちはサミーとは逆の方向へと歩き出した。
荷物の重さを甘く見ていたので、大学に着くまで16時間かかった。
死ぬかと思ったが、鞠莉は良い経験だと笑ってくれたのが救いだった。




