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野宿ガール  作者: 五月雨拳人
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56話 決まり手は友情


     ◇


 紗月が撃沈してからほどなくして、一次会は終了した。


 教授が代表して勘定を済ませている間、学生たちは店の前でたむろしながら二次会の会場をどこにするか相談している。


 その結果、大方の予想通りカラオケとなったようだ。まあ、地方都市なので選択肢はほぼ無いのだが。


 幸貴も誘われたが、紗月を放っておくこともできないので断った。元より行く気などまったくなかったが、紗月をダシにしたおかげですんなりと受け入れられたのは幸いだった。


 居酒屋に入るまでは降っていた雨は、今は止んでいる。


 傘を差していたら紗月に肩を貸せないので、止んでくれて良かった。


 そう思って腕に二人分の傘を引っかけ、足元が覚束ない紗月に肩を貸そうとするが、身長差が15センチもあるので肩を貸そうとすると歩き辛かった。


 仕方なく紗月の腰にしがみつくようにして支えると、カラオケボックスに向かってぞろぞろ歩く連中とは逆方向に歩き出す。


「ほらさっちゃん、しっかり歩いて」


「う~……ラーメン食べたい。背脂こってりの、多め濃いめ硬めで」


「今そんな脂っこいもの食べたら絶対吐くからダメ」


「え~……」


「ラーメンより水飲みなさい水」


 駄々をこねる紗月に、幸貴は腰に回した腕に力を込めて無理やり歩かせる。


 雨上がりで湿度が上がったとはいえ十二月の夜はやはり寒く、幸貴は白い息を吐く。


 自分より10㎏近く重い相手を押し歩くと、あっという間に息が上がって汗が滲んできた。


 大学からほど近い国道沿いは、幸貴たちと同じように忘年会帰りの大学生の集まりがあちこちにいた。


 彼らも夜はこれからとばかりに次の河岸か二次会の会場へと向かうようで、歩道いっぱいに広がってこちらに向かって来る。


 幸貴は紗月を体全体で押すようにして、どうにか道の端に誘導する。その苦労の甲斐あって、ぎりぎりぶつからずにやり過ごせた。


 ほっとしたのも束の間、まだ居酒屋からほとんど離れていない。このペースだと、紗月のアパートに着くまで何時間かかるかわかったものではない。


「さっちゃん、ちゃんと歩いてよ~」


「歩いてるよ~歩いてる。わたし、ちゃんと歩いてるから」


 口ではそう言うものの、紗月は立っているのがやっとという感じだ。幸貴が支えていなかったら秒で転んでいるだろう。


「まったくもう、調子に乗って呑み過ぎるから……」


「だって~嬉しかったんだも~ん」


「忘年会が?」


 確かに会費千円で食べ放題呑み放題とくれば、酒も食事も人の三倍は入る紗月にとっては嬉しいことだろう。


 だが紗月はいやいやと首を横に振る。


「違~う。幸貴と一緒にお酒が呑めることが嬉しかったの~!」


 早生まれの紗月と遅生まれの幸貴では、誕生日に半年以上の開きがある。


 だが幸貴は、先に二十歳になったはずの紗月がどこかのコンパや呑み会に参加したという話を聞いたことがない。


 まさか……。


「もしかして、待っててくれたの?」


 こくりと頷く紗月。


 紗月は待っていたのだ。幸貴が二十歳になり、一緒に酒を呑む日を。


「も~、言ってよ~……」


「だって、言ったらわたしが凄い楽しみにしてるみたいじゃない。それに、幸貴がお酒が好きかわからなかったし、もし嫌いだったらわたしに付き合わせるの悪いし」


 今思えば、紗月の居酒屋でのはしゃぎっぷりは、めちゃくちゃ楽しみにしてたからだったのだろうか。


 それだけ楽しみなことを半年以上待たせて申し訳なくなるが、誕生日は自分ではどうにもならないので許して欲しい。


「って言うか、二十歳になって一緒に酒が飲めるのが嬉しいとか、あんたはわたしの父親か」


「そうです、わたしが幸貴のパパです」


「パパじゃないでしょ。それにうちはパパママ呼びじゃないし」


「そうなの? じゃあパパンママン?」


「フランス人かよ。見てわかるでしょ、めちゃ日本人だよ」


 二人とも関西人なので、一度漫才が始まったら止まらない。


 くだらない会話をしながらも、二人は寄り添うようにしてゆっくりと歩く。国道を走る車のヘッドライトが照らす二人の影は、一本の棒のようだった。



 国道沿いから一ブロックも離れれば、店はおろかコンビニすらなくなる。街灯は点々となり、そこだけ暗闇にぽつんと明るく浮かび上がる。


 雨上がりの空はまだ黒く厚い雲に覆われ、月も星も顔を見せないせいで道は真っ暗だ。


 二人は民家から漏れ出るわずかな光を頼りに、暗い道を歩く。


 大阪兵庫という都市部から来た紗月と幸貴は、四国に来て初めての夜はあまりの道路の暗さに驚いたものだ。


 今ではすっかり慣れてはいるものの、それでも暗い道を歩くのは単純に怖い。


 大通りではまだ何人か人とすれ違ったのだが、一本道を曲がってからは誰も見ていない。


 急に別の世界に入ったような気がして、幸貴は思わず紗月の腰に回した腕に力が入る。


「んぐ、幸貴やめて吐いちゃう……」


 腹を締め付けられ、紗月が気持ち悪そうに口元を手で押さえる。


「あ、ゴメン」


 慌てて力を緩めると、紗月の喉が何かを飲み込むよう大きく動く。それから大きな溜息を吐くと、すっぱい臭いがした。


「危なかった……」


 もはや僅かな衝撃でいつ爆発してもおかしくないニトログリセリン女と化した紗月を抱え、幸貴は慎重に歩いた。


 亀の歩みの如き遅さで歩くこと数十分、ようやく紗月のアパートが見えた。


 かなり時間がかかったおかげで、紗月の酔いも少し醒めたようだ。目が虚ろなのは相変わらずだが、千鳥足だった足取りがかなりしっかりしてきている。これなら玄関に放り込んで帰っても問題ないだろ。


「さ、あともうちょっとだから頑張って」


「いつもすまないねえ」


「それは言わない約束よ、おとっつぁん」


 特に意味のない小芝居をしながら、紗月の腰を抱え直す。


 唐突に、紗月が俯いたまま小声で言った。


「ところで幸貴」


「うん?」


「あんた何かやってた?」


「何を?」


「武道的な何か」


 心臓が跳ね上がった。


 今ままでまったく触れて来なかったのに、どうして今ここでいきなり訊く。何か紗月に勘付かれるようなへまをしたのかという焦りが、幸貴の声を上ずらせた。


「ど、どうしてそう思うの?」


「前からね、思ってたんだ。幸貴って姿勢がいいな~って。いつも背すじが伸びてるし、歩き方もそれっぽいって」


 それだけ? と反駁しようとした幸貴の声を、紗月は上書きする。


「決定的だったのは今日、ってかついさっき。わたしの腰を抱えて歩く時の重心の低さ。普通なら回した腕かそれより上に重心がかかるけど、幸貴のはもっと低かった。明らかに素人の体捌きじゃない」


 しまった、そこか。


 身に付いた動きというのは、無意識に出てしまうものだ。それがどんなに苦い思い出にまみれ、心の奥底に沈めたものであっても。


 今度は幸貴が大きな溜息をついた。


 この期に及んで、もうすっとぼけるつもりはなかった。


「実はわたしね、恥ずかしいから言ってなかったけど中学の時に相撲やってたの」


「相撲?」


「そう、女子相撲」


 女子相撲は、公益財団法人日本相撲連盟が「新相撲」と名づけ、相撲とは違う競技かのように装い、1996年に連盟の加盟団体として日本新相撲連盟(後の日本女子相撲連盟)を発足させた。


 1996年に大阪で第1回全国新相撲選手権大会が行われたのが日本における新相撲の全国大会の最初である。そして第18回は幸貴の地元兵庫県で開催された。なお、2007年開催の第12回大会から名称が「全日本女子相撲選手権大会」に変更されており、それ以降は競技自体も「女子相撲」と呼称される。

ちなみに女子相撲は日本より、むしろ海外の方で熱心に行われており、特にヨーロッパにおいて盛んである


「けど、高校ではやめちゃったんだ」


「どうしてやめたの?」


「身長が伸びなかったから」


「え、でも女子相撲って確か体重別なんじゃ――」


 そこで紗月は思い当たる。彼女が高校生の時にやっていた柔道も同じ体重別で、それ故に何が起こったかを。


 身長が伸びないということは、体重も大きく変わらないということだ。


 しかし中学や高校は成長期真っ盛りで、周囲は竹のようにぐんぐん背が伸びる。そして背が伸びれば当然体重も増えて階級も上がる。


 だが中学時代に身長が伸びなかった幸貴は、三年間同じ階級に居続けた。周囲がどんどん体重を上げて階級が変わるのに。


 自分がライバルだと思っていた相手が階級という別の世界に行くのを何度も見送った。


「なんかね、自分だけ置いて行かれているような気がしたの」


 今だってそうだ。


 同い年なのに差がある。


 今さらながら古いコンプレックスを刺激され、苦笑にも似た笑みが漏れた。


「そっか」


 紗月はただそれだけ言うと、「よし!」と気合を入れるように足に力を込めた。


「幸貴、今晩泊まっていけ」


 仁王立ちでそう言われ、幸貴は言葉に詰まった。


「相撲やってたの隠しやがって。この分だとまだ何か話してないことがありそうだな。今晩泊まって全部話していけ」


 ああもう、まったくこいつは。


 気づいているくせに、どうして放っておいてくれないのか。


 一晩かけて、わたしの心の奥底に溜まった澱を吐き出させるつもりなのだろう。


 ふ、と鼻から息が漏れる。


 本当に、困った奴だ。


「しょうがないわねえ」


 だったらこちらも思う存分吐き出させてもらおう。


 中学から積もりに積もったものだ。一晩語っても足りるかどうか。覚悟してろよ。


 だけど口をついて出たのは、自分でもうんざりするくらいひねくれた言葉だった。


「酔っ払いをこのままにして帰って寝ゲロで死なれても困るから、今晩泊まってあげる」


 それでも紗月はにやりと笑った。


「そうこなくっちゃ」


 ああこいつ、全力で受け止める気満々だ。


 こりゃあ長い夜になりそうだ。


 まったく、困った友人を持つと苦労する。


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