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野宿ガール  作者: 五月雨拳人
49/68

49話 留年させてやろうか

今回から新章&新展開です。


     ◇


 九月某日。


 大学二年生も半分を過ぎると、これまで目を逸らし続けていたものにもそろそろ真剣に向き合わなければならなくなってくる。



 就職活動である。



 三年の先輩がひーひー言いながら駆けずり回っているのを見ると、否が応でも意識させられる。


 そこで自分にはあと一年しかないと考えるか、まだ一年あると考えるかでその人の危機感が計り知れるのだが、嶌紗月は後者であった。


 しかしふとした話のきっかけで、実は自分が安全地帯ではなく崖っぷちに立っていることを知らされた時は、心臓に毛が生えていると言われる彼女もさすがに肝を冷やしたようだ。



「先輩たちは就活か~。大変だね~」


 食堂でカレーの上に乗った駄菓子のビッグカツかと見間違うような薄さのカツを噛みしめながら紗月が言うと、


「あんた他人事みたいに言ってるけど、早い人はもう始めてるからね」


 対面で高橋幸貴が、うどんに七味をかけつつ言い切った。


「嘘!?」


「嘘じゃないわよ。エントリーシートとかはまだ先だけど、就活サイトに登録したり就活イベントやセミナーに行くくらいのことはみんなやってるわよ」


 なにそれ? どうやら自分はその『みんな』に含まれていないようだ。


「なん……だと……」


 さすがにエントリーシートという物は話に聞いて知ってはいたが、就活サイトやセミナーは初耳である。


 しかし何より、自分が知らないことを友人が知っていたのは少し裏切られた気がしてショックだった。


 奇妙な疎外感に震える紗月に、幸貴の隣でナポリタンを上品に食べていた樺山達樹がトドメを刺す。


「そもそも、大学というのは将来の展望に沿うために入学するものではないでしょうか」


「ぐはっ……!」


 口から血のようにカレーを吐く紗月。


 それ以上いけない。正論はいつでも正しいが、人を最も傷つけるのも正論であるということを忘れてはならない。


「将来の展望か……」


 今までの紗月にしてみたら『宝くじで一億円当たったらどうしようか』ぐらいの距離感がある出来事だったのに、いきなりその距離を詰められて戸惑う。



 自分は将来何になりたいのだろう。



 小学生の作文のテーマみたいなことを考えてみるが、さっきまでなかったものが急に出てくるはずもなく、紗月は眉をしかめながらルーが溶けきらずダマになったカレーを頬張る。


「二人ってもう将来のこととか考えてたりするの?」


 恐る恐る尋ねる紗月に、幸貴は事もなげに答える。


「わたしは適当に就職して、OLしながら同人活動かな」


「就職するの? わたしはてっきりプロの漫画家になるんだとばかり」


「わたし程度の実力でなれるわけないでしょ。っていうか、そもそもなる気ないし。こういうのは趣味でやるからいいのよ。仕事にしたら絶対描くの嫌いになりそう」


 今はインターネットで誰でも作品を発表できるし、通販など販路も充実している。もう商業誌連載だけが漫画家への道ではないのだ。そうして幸貴のように趣味として適度な距離を置きつつ楽しめるのなら、それも良いかもしれない。


「なるほどねえ。で、たっちゃんは?」


 達樹に水を向けると、ちょうどナポリタンを食べ終わったようで紙ナプキンで口を拭いていた。


 拭き終わった紙ナプキンを丁寧に折りたたんでテーブルに置くと、達樹は真面目な顔をして言う。


「実は、悩んでいるんです」


 ほうほう、と身を乗り出す紗月と幸貴。


「院に進もうか、それともインターンシップにするか」


「たっちゃんは弁護士志望だっけ?」と幸貴。


「はい。父が弁護士なので、わたしもなろうと幼いころから決めていました」


「それで本当に大学の法学部に入っちゃうところが凄いよ」


 理数系が苦手だから文系で受験し、そのまま何も考えずに文学部に入った紗月には耳が痛い話である。


 二人はすでに将来の展望を見据えている。それに比べて自分ときたら……。


 急に幸貴と達樹が自分よりも大人に見えた。


 そしてこのまま二人に置いて行かれるような焦燥感に襲われ、紗月は思わずテーブルの上に置かれていた二人の手を握った。


「え、なに?」


「どうしたんですか?」


「あ、いや……その、なんでもない」


 突然手を握られ幸貴と達樹がきょとんとすると、紗月は慌てて手を離した。


 まるで懸命にはぐれまいとする幼子のようではないか。自分にそんな子供じみたところがあったことに戸惑う。


「嶌、ちょっといいか?」


 落ち着こうとコップに入った水を飲み干したところで、紗月は名前を呼ばれ顔を上げる。


 見れば、いつの間にか自分たちの席のそばにジャージ姿の女性が一人立っていた。


 大学構内をジャージでうろつく紗月と同じくらいの背格好の女と言えば、彼女以外にはもう一人しかいない。


「ヤウチキ先生――あいたっ」


 ぽつりと呟いた紗月の頭が、軽く叩かれる。


「やないだ。矢内希やないのぞみ。ったく誰だ、人にそんな妙ちくりんな仇名をつけた奴は」


「みんな言ってますよ。たぶん先輩たちが言ってるのが伝染うつったんでしょう」


 幸貴が解説すると、矢内は心底腹立たしそうに舌打ちをする。


「クソ、三四年のアホどもか。勝手に人の名前をいじくりやがって……。留年させて内定をおじゃんにしてやろうか」


「講師にそんな権限ないでしょ、ってかあってもやらないでくださいよ。仇名つけたぐらいで人生終わったら可哀想じゃないですか」


「馬鹿もん。名前というものはだな、姓は先祖代々伝わる由緒あるもので、名には両親の期待や祈りがこもった大事なものなんだ。それを面白おかしく茶化すなんて分別のないガキならまだしも、いい大人の大学生がやっていいことではない。それに昔の歌にもあるだろ、名前それは燃える命と」


「生まれてないから知りません」


「わたしだって生まれとらんわ! ――っと、漫才をしてる場合じゃなかった」


 そこで矢内は咳払いを一つすると、ちらりと紗月を見る。


 厭な予感がした。


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