39話 全ての道はローマに通ず
◇
大洗に行く手段と費用の割り振りが決まったので、次はいよいよ経路を決めよう。
紗月が原付免許を取得したのは高校二年生の春である。今日まで兄のスクーターを借りて色々な場所を走ったが、大阪から出るのは初めてである。
「大洗ってどうやって行くんだろう?」
とりあえず紗月は、家にあったロードマップで調べてみた。
「うん、よくわからん」
よく考えたら今までは近所の知っている道を走ってばかりで、地図を見なければならないような遠出なんてしたことなかった。
とりあえず自分が住んでいる家がどこにあるかぐらいはわかったが、そこから大洗まで地図の道を指でなぞってもページが変わるともうわからなくなる。
これはまずい。
いくら道が繋がっているとはいえ、まさか一本道というわけではあるまい。さすがに地図くらい読めなくては話にならないだろう。
しかし今から誰かに教わって、すぐに身につくものだろうか。
居間でコタツテーブルの上に地図を広げて紗月が困っていると、後ろから兄に声をかけられた。
「お前地図なんか見て、どっか行くんか?」
紗月には、地元の大学に通っている二つ年上の兄がいる。今回は彼が通学用に使っているスクーターを借りる予定だ。
「ちょっとね――」
そこで紗月は気づく。このバカ兄貴、普段はまったく役に立たないが、これでも一応車の免許持ちで、去年大学合格後の春休みに家の車で日本海まで一人車中泊の旅に出たことがある。つまり一人旅の先輩である。
上手くおだてれば、大洗旅行に必要な知識と情報を引き出せるかもしれない。そう考えた紗月は、いつもなら絶対に出さない猫なで声を出した。
「なあ、お兄ちゃん」
「なんやお前……キモ」
「誰がキモいねん、しばくぞ」
「いたた、やめろや。柔道馬鹿のお前と違ってこっちはか弱いんやぞ」
「誰が柔道馬鹿で誰がか弱いねん。それよりちょっと訊きたいことがあるんやけど」
「なんや、急に改まって」
「あのな――」
それから紗月は大洗に原付で行く予定だが、道がわからなくて困っている旨を相談した。
「おい、原付って誰の――」
「もちろんアニキの」
「お前そういうのは最初に俺に許可取れや」
「許可なら今取ったやん。ええから相談に乗って」
「誰が許可した……って、もうええわ」
兄は大きな溜め息をつくと、紗月の手からロードマップをひったくる。それから紗月と同じように自宅から大洗までの道順を確認しながらページをめくる。紗月と違うのは、道順を正確に把握しながら地図を見ていることだ。
「結構しんどいぞ、これ」
地図を読み慣れた兄がそう言うのなら、実際かなり複雑な行程なのだろう。
「わかってる。けど行きたいねん」
「けどこれは俺でもナビなしはキツいな。お前やったら絶対迷うぞ」
「カーナビか~、ええな~。アニキのスクーターにも車みたいにカーナビついてたら良かったのに」
「無茶言うな」
そこで紗月は名案を思いつく。
「スマホをナビにできんやろか」
「やめとけ。冬ならまだしも真夏の炎天下でスマホを直射日光に長時間曝したら、最悪スマホが死ぬぞ」
「マジで?」
「よく聞く話や。熱でスマホのバッテリーが膨らんでケースが割れるって」
「スマホナビ駄目か。ええアイデアやと思ったんやけどなあ」
「常時表示させんと、現在位置の確認とかちょっと見るぐらいならええぞ。けどその都度停まってスマホを取り出さなアカンのはちょっと面倒やけどな」
「それぐらいやったらまあ、迷って変な道入るよりはマシか……」
名案だと思われたスマートフォンをカーナビ代わりにする案はボツになり、結局紙の地図をメインに旅をすることになりそうだ。
「それならせめて、わかりやすい道とかないん? できればまっすぐで一本道みたいなやつ」
「アホ言うな。そんな都合のええ道……いや、ちょっと待てよ」
そう言うと兄は、ぱらぱらと地図をめくる。目当てのページに行き当たると、紗月の方に向き直してテーブルに置いた。そして地図に書かれた一番太い道路を指さす。
「国道1号線。とにかくこの道を走ったらとりあえず東京までは着く」
「マジで!?」
「その代わりデカい道やからな、トラックとかビュンビュン走ってて原付やと怖いぞ」
「それは我慢する。で、東京から大洗までそんな感じの道はない?」
「お前なあ、ちょっとは自分で調べろや……」
文句を言いながらも兄は地図を調べてくれるが、さすがにそんな都合のいい道は見つからなかったようだ。
「国道6号線。これに乗れれば茨城までは行けるから、どうにかしてこれに乗れ」
「どうにかって、どうやって?」
「知るか。それくらい自分で考えろ」
やれやれといった感じで兄は立ち上がり、自分の部屋へと戻ろうとする。しかしふと立ち止まり、紗月の方へと向き直る。
「お前、このこと親父とお袋には言うたんか?」
スクーターを借りることも言い忘れていたのだから、当然忘れていた。というか、大洗に行くことばかり考えていて、他のことはまったく気にしていなかった。
「いや、まだやけど。今日の晩ご飯の時にでも言うわ」
「俺から言うたろか? 親父はともかくお袋はアカン言うかもしれんぞ」
「ええ。自分で言う。自分のことやし」
「さよか」
今度こそ立ち去ろうとする兄の背中に、紗月が声をかける。
「アニキ」
「あん?」
「ありがと」
「ふん、事故るなよ」
「うん」
兄の背中を見送ると、紗月は再び地図に向き直った。問題は、どうやって東京から茨城に繋がる国道6号線に入るかだったが、いくら地図を見てもいまいちピンと来なかった。
「ま、何とかなるか」
当日の自分が何とかしてくれるだろうと、未来の自分に丸投げして地図を閉じる。ちょうどその時、台所から母親が夕飯だと呼ぶ声がした。
「こっちも何とかせんとな」
立ち上がりながら、紗月は夕食の席で両親にどう話を切り出そうか考えていた。




