21話 サイン会場
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三月二十七日(月曜日)
午前十一時頃。
紗月は愛媛県四国中央市の国道192号線を西に向かってバイクで走っていた。
前回の旅から少々間が開いたのは、天気や冷蔵庫の中身も関係していたが、一番の理由は前回の旅で増えてしまった体重を元に戻すのに時間がかかったからだ。
まだ膝が本調子ではないので激しい有酸素運動ができず、食事制限だけで地道に体重を落とし、ようやく佐田岬行きの旅を決意したのが昨日のことであった。
中学高校と柔道部だった紗月は、その運動量からダイエットなどとは無縁の生活を送っていた。だがさすがに現役を退いて数年も経てば、油断から体重が激増することもあるだろう。ものには限度があるが。
「まさか現役時代より一階級上がってしまうとは……」
ともあれ、前回の旅は四国三大岬を巡るという本題とは違った目的で二日を費やした挙句、結局天気が崩れて行けなかったので、今回は直接佐田岬に向かっていた。
「それにしても、さっきからする妙な臭いはなに?」
四国中央市は製紙工場が集中している。特に現在紗月が走っている国道192号線から国道11号線にかけては、道の両端が工場に隣接しているの過密地帯だ。
そのため工場に出入りするトラックで昼夜を問わず渋滞しているのも特徴である。
「臭いし渋滞で動かないしもう最悪~」
フルフェイスのヘルメットをしていても感じる臭気と渋滞に辟易しながら、紗月のバイクは西へと向かう。
午後三時頃。
佐田岬半島に入ってから、紗月は焦っていた。
四国中央市で思った以上に時間を取られ、あと二時間もすれば日没が始まるからだ。
対向車は多いが、紗月の前に車はない。この時間に佐田岬や三崎港に行く観光客などほぼいないからだ。
ここから佐田岬灯台まで、どんなに急いでも一時間以上はかかる。もし陽が沈んでしまえば、灯台に着いたとしても暗くて何も見えないだろう。だから何としても、太陽が出ているうちに到着したかった。
その焦りが、ついついアクセルを握る手に力を入れてしまう。必要以上にスロットルを開け、バイクは制限速度を越えて走る。
猛スピードのバイクがトンネルに差し掛かった時、対向車線から二台のバイクがやって来た。先頭のライダーが紗月を見ると、バスケのドリブルのように右手の平を地面に向けて上下するリアクションをしてきた。
「――!」
それを見た瞬間、紗月の心臓が跳ね上がる。と同時に回し過ぎていたスロットルを緩め、制限速度まで落とす。
「やっば~……」
まだドキドキしている心臓を落ち着かせようと、大きく深呼吸する。慌てるな。まだ時間はある。それよりも、スピードを出し過ぎて事故を起こしたら元も子もない。
それからは安全運転を心がけ、トンネルを抜ける。
と、そこにはパトカーが数台停車し、警察官がレーダーを構えながら立っていた。
「やっぱり、サイン会場か~……」
サイン会場とは、制限速度を越えてゴキゲンに走っていたライダーやドライバーを『もう、スピード出し過ぎ! べ、別に事故を起こしたら危ないから停めたわけじゃないんだからね!』と停車させて住所氏名を記入させ、お返しに記念用紙と国にお金を払う権利をくれるツンデレイベントのことである。
パトカーの横を通り過ぎる時、数台の車が停められてドライバーが警官の渡した用紙にサインしているのを見た。
もしあの時ライダーが身振りでこの先でネズミ捕りをしていると知らせてくれなかったら、きっと自分もあの中にいただろう。そして違反点を取られ、反則金を払うことに。
いや、反則金で済めば良い方だろう。下手をすると免停、あるいは……。そう考えると、あのライダーには感謝してもし足りない。
ようやく心臓が落ち着いてきた。この調子で落ち着いて運転しよう。
「せっかくのゴールド免許に傷がついたら厭だしね」
どうせ空いている道だ。焦らずのんびり行こう。ゆっくり到着しても、一時間は陽が残っているはずだから。




