14話 トンカツ定食ライス大盛りで
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三月十四日(火曜日)。
快晴。
午前十一時頃。
紗月はバイクで国道439号線を走っていた。装備はもちろんキャンプツーリング仕様で、紗月自身もプロテクター入りのライダージャケットやニープロテクターを装着した超安全仕様だ。
国道439号線は「酷道ヨサク」と呼ばれる日本でも屈指の過酷な道路だが、近年道路整備が進んで改善されている。とはいえ酷道と呼ばれる所以の悪路は相変わらずまだまだ残っているが。
昨日まで降り続けた雨は深夜には止み、陽が当たる場所はすっかり乾いている。だが水はけの悪い所――特に木の陰になっている場所やコーナーの内側には水たまりが残っているので、スリップしないよういつもよりさらに安全運転を心がける。
コンビニの駐車場で、一時間おきの小休止を挟む。
「もう100㎞近く走っちゃったよ。午前中だけで自転車の二日分とは、まったくガソリンエンジン様様だわ」
内燃機関に感謝していると、紗月の腹が豪快に鳴った。朝から緊張感のある山道を運転し続けたおかげで、体は疲れていないが猛烈に腹が減った。いつもなら煩わしい空腹だが、今日ばかりは頼もしそうに自分の腹をさすった。
腕時計を見る。正午まであと十五分ほど。腹具合も時間もちょうど良い頃合いか。
「では、いただきに参りますか」
紗月が向かった先は、国道439号線沿い、大戸世インター近くにある食堂。その名もビバリーヒルズ食堂だ。
名前はアメリカンだが中はよくある大衆食堂で、安くて美味い上に量の凄まじさで人気を博している。紗月も一度だけここのカツ丼を頼んだことがあるが、一杯分の値段で二杯分の量のカツ丼が出てきた時はさすがに食べきれるか不安になったものだ。余裕で完食したが。
今日は朝食を控えめにし、万全の体調で臨んで来た。いざ鎌倉、ならぬビバリーヒルズ食堂。
正午少し前にビバリーヒルズ食堂に到着した時には、すでに店の前には長蛇の列ができていた。
さすが人気店。早い人なら開店一時間前に並んでいると聞くが、紗月がその時間に並ぼうと思えば朝五時起きになってしまう。家が近い人は羨ましい。
バイクを駐車場に停めて、列の最後尾に並ぶ。すでに空腹は限界に近く、紗月は遅々として進まない列と、食事を終えて満足そうに店から出てくる客を恨めしそうに眺めた。
待つこと三十分。ようやく紗月は店内に入れた。中は前に来た時と変わっておらず、六人掛けの大きなテーブルが左右に三つずつ、計六つにみっしりと人が座っている。
その中で唯一空いていた場所に相席として放り込まれると、紗月はセルフサービスのお冷を取りに行くよりも先に注文を告げた。
「トンカツ定食ライス大盛りで」
店員の女性が一瞬『この店で女が大盛りを頼むとか、こいつ素人か』という目で紗月を見るが気にしない。紗月は注文を終えると悠々とした足取りでお冷を取りに行った。
この店の一番人気はカツ丼なのだが、カツ丼は前回食べたから今回はトンカツだ。店内に漂う様々な料理の匂いに胃袋が刺激されて腹がグーグー鳴るのを、お冷をちびちび嘗めて宥めすかす。
料理を待っている間にこの後の予定でも考えようか思ったが、今日のメインはこの店で食事することだった。
当初の予定では四国三大岬を訪れるはずだったのだが、地図を見ていたら鉛筆でこの食堂の場所が丸で囲まれており、その横には『カツ丼うまかった』と殴り書きしてあった。子供か、過去の自分。
その書き込みのせいであの時食べたカツ丼の味を思い出したら他のメニューも食べたくなったので、岬巡りを後回しにして食べに来たのである。
「はい、トンカツ定食ライス大盛りお待ち」
そんな事を思いながら待つこと十分。遂に待ちに待ったトンカツ定食がやって来た。そして料理と一緒にテーブルに置かれたのは、業務用とんかつソース。まるで『秘伝のソースなんてクソ食らえ。ウチは肉で勝負してるんだよ』と言わんばかりだ。潔い。気に入った。
「いただきます」
神聖なるトンカツ様に合掌し、ソースという名のお神酒をかける。皿の端に盛られたカラシを箸でつまんでトンカツにつける儀式を終えると、待ちに待った最初の一切れを口に運ぶ。
サク、と骨伝導で頭だけでなく心に響く衣の音。すかさず歯と肉の間から漏れ出る大量の肉汁。ソースが脂の甘さを引き立て、カラシの刺激が鼻を突き抜ける。そして追って口に入れる白米がソースと脂を優しく抱いたまま胃の中へと去り、リセットされた口の中は新たなカツを迎え入れる体制を整える。
「く~……たまんない」
トンカツと言えばロースだが、この店は厚切りのバラ肉を使っている。なので通常よりも脂が多く、腹にどっしりと溜まる。その上一人前に大きなカツが二枚もあるので、物理的にもボリューム満点だ。運動部の高校生とか大喜びしそうな店だが、意外と年配の客も多く見られる。
ともあれ、若く健康な胃腸を持つ紗月にとって、美味くて安くて量が多いのは大正義。焦って食べてサクサクの衣で口の中を切らないように気を付けながら、カツと米をもりもり食べる。二枚あったカツは瞬く間に紗月の腹の中へと消えていった。
「ごちそうさまでした」
最後のキャベツ一切れまで残さず食べ切ると、紗月は満足そうに空の皿に向けて手を合わせた。
「ふう、満腹まんぷく」
ここまで腹がぱんぱんになるまで食べたのは、高校時代部活で柔道をしていた頃以来だろうか。家に帰って体重計に乗るのがちょっと怖いが、これから節制すれば問題ないだろう。ただでさえ膝を痛めて有酸素運動ができずに太りやすいのだから、気をつけなければ。
食べ終わったらすぐに店を出る。それが良い客というものなので、紗月はすぐに勘定を払って店の外に出た。
店の外にはまだまだ長い列が出来ており、列の後ろの方には満足そうな顔で出てきた紗月を恨めしそうに眺める人がいた。
店の名前は微妙に変えてあります。




