12話 遍路小屋の出会い
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三月十日(金曜日)。
早朝に道の駅日羽山に着いた紗月は、ろくに休憩もせず再びご当地エナジードリンクを買うとすぐに出発した。
その甲斐あってか足の不調を考慮した予定よりもかなり早く山道を抜けて市街地に出ることができた。
時刻は午前八時を少し回ったところ。ここまで来れば、アパートまであともう少しといったところだ。
見慣れた景色まで戻ってきて気が抜けたのか、今さらになって耐え難い眠気が襲ってきた。
「まずいな~、眠すぎる~」
何度も欠伸を噛み殺して必死にペダルを回すが、車体が安定しなくなってきてさすがにこれ以上は危険に思えてきた。
これが、遠出から戻って見慣れた景色になると、一気に気が緩んで事故を起こしたり立ちゴケしたりする『魔の一時間』の復路バージョンか。
このまま運転を続行するのは危険なので、この際多少お金はかかるがインターネットカフェにでも入って仮眠を取ろうかと考えた。
紗月が脳内地図を検索すると、それよりも近く、さらに無料の休憩場所が検出された。
それは、遍路小屋である。
本来なら遍路のために作られた休憩所であるが、紗月は以前から自転車で遠出をする時はたまに休憩させてもらっている。
遍路小屋はここから近いはず。紗月は眠気に抗うように、がむしゃらになってペダルを漕いだ。
どうにかして遍路小屋に着く。小屋はよくある吹きさらしの四阿ではなく、壁どころか窓まである物置極小の平屋のようなものだった。おまけに建てられてそう古くはないし、定期的に誰かが掃除してくれているのか床にも窓のサッシに埃がなくきれいなもありがたい。
遍路小屋に着いた安心感でさらに眠気が酷くなる。紗月は急いで自転車を停めて中に入る。
だがいつもなら貸し切り状態の遍路小屋に、今日は珍しく二人の先客がいた。
「あ、おはようございます」
紗月が挨拶すると、それまで歓談していた二人がこちらを向いて挨拶を返す。
「おはようございます」
「おはようさん」
一人は紗月より少し年上に見える若いメガネの男性で、もう片方は父親くらいの年齢の男性だった。
「女性のお遍路さんなんて、珍しいですね」
メガネの男が紗月に話かける。
「あ~実を言うと、わたしお遍路じゃないんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、自転車で四国一周しようと思ってたんですが――」
「自転車で? そりゃまた凄い」
「いやいや、初日に足を痛めて退散するとこなんですよ」
苦笑いして言う紗月にメガネの男は「それは大変でしたね」と返すと、荷物の中から菓子の袋を取り出し小分け包装されたチョコレートを一つくれた。
「おひとつどうぞ」
「ありがとうございます。でもお遍路じゃないのにお遍路さんにお接待されるなんて、これじゃあべこべですね」
お接待とは、お遍路さんに対しお茶やお菓子をごちそうするなどの心づくしのことである。四国にはこうした遍路に対して寛容な文化が今も根強く残っており、紗月が女だてらにあちこちで野宿できるのもこのおかげである。
「構いやせんやろ。わいもさっきこの人に貰ったけん、貰えるもんは貰っとき」
年配の男性に阿波訛りでそう言われると、無理に断るのは却って失礼というものであろう。紗月がさっそくチョコレートを食べると、疲れた体に糖分が染み渡った。
「チョコレートんま~……」
「歩きだと常に何かしら食べてないと、すぐに空腹で動けなくなりますからね」
「わかります! わたしは自転車だけど、二時間おきにご飯食べないとお腹すいてたまらなくなります」
「燃費が悪いなあ、人間っちゅうのは」
年配の男の言葉に、紗月とメガネの男が「ですよねえ」と声を揃える。
僅かだが糖分を得て少し回復した紗月は、それからしばらく男性二人と歓談した。
「皆さんは見たところ軽装ですけど、夜はやっぱり宿へ?」
「僕はもっぱらビジネスホテルかな。市街地だとネットカフェで安く済ましちゃうこともあるけど」
「わいは旅館が多いな。ホテルのベッドは腰が痛くなるけん。寝るんはやっぱり畳に布団が一番や」
「お二人ともお金持ちで羨ましい。わたしなんてテント張って野宿ですよ」
そう言う紗月もその気になれば宿泊施設を利用するだけの手持ちはあるのだが、好きで野宿している変態である。
「女性の一人旅でしかも野宿って、怖くないですか?」
「ほんまや。お姉ちゃんようやるわ」
「別に怖くないですよ。四国は野宿に寛容だし、夜はさっさとテントに入って寝ちゃえば、中にいるのが男か女かなんてわかりませんから」
実際、紗月が誰かに絡まれるのは決まってテントの外にいる時だけで、テントの中で寝ている時にちょっかいをかけられたことは一度もない。良からぬ輩は、いつも相手が女一人だと確認してからやって来るのだ。
それに紗月はこう見えて柔道経験者だ。高校時代は大阪でベスト4に入った実力もあるし、練習だって男子と混ざっても引けを取らなかった。
紗月が柔道の有段者であることを告げると、男性二人は感心というより若干引いたような声で「お~……」と言った。
それから二人とあれこれ話し込んだ紗月は、すっかり眠気が抜けていた。これならアパートまで何とかもつと踏んだ紗月は、二人に別れを告げると遍路小屋を後にした。
「なんか元気貰っちゃった」
人との触れ合いで活力を得た紗月は、眠気を吹っ飛ばす勢いでペダルを漕いだ。
アパートまでは、あともう一息である。




