太陽に向かって咲く花のように
あれから、子チワワの夢を見ることは無くなった。
俺の大事な記憶も、ここにある。
夏樹の受験は終わった。あとは合否を確認するだけ。
俺たち家族は我が家から出て、都会へと向かう電車に乗りに行くところだ。
寒い寒い空気が吹きすさぶ。
美香子が願掛けに編んだマフラーと手袋を身につけた夏樹が、不安そうに言った。
「番号、あるかなぁ」
「大丈夫。あんなにがんばったんだもの」
「だよね」
駅前には見知った顔が沢山いた。
(おい! まさか、全員見に来るつもりじゃないよな)
もし不合格だったらどうするんだ。気まずいどころじゃないぞ。
「ミスボーン。来てくれたの?」
「うん、なんだか急に都会に行きたくなってさ」
「まーた嘘ついて」
「ははは」
ミスボーンは良いが、どうして秀一や厳、歩ちゃんや藤田君。田中家もいるんだ。そして当然のようにみんなにカイロを配るマサミおばちゃん。
(やめろー。田舎者だと思われてしまうだろー)
まぁ、実際そうなのだが。
「ふふふ」
あ、夏樹が笑った。
喜んでいるのかなぁ。俺だったら恥ずかしくてたまらないが、娘は違うのかもしれない。
夏樹が全力で挑んだ試験。
(受かってますよーに!)
これは、俺の願いだが、叶える力を持っているのは娘だけだ。俺は祈ることしかできない。妻が切符を買っている時も心臓がバクバクしていた。
――ガタンゴトン……、
電車が俺たちを大学の最寄り駅まで運んでいく。やはり都会。俺たちの存在は浮いていた。というより、なんか。ぶつかってくる。
(みんな、人のことが見えてないのか?)
なんて。ちょっとした不満を抱きながら、大学の掲示板の所までやってきた。人だかりができている。俺たちのように、“家族”で見に来ている人たちも多くいた。
「やったぁ! あったー!」
そんな声が聴こえてくる。
受験番号が記された紙を握りしめて、夏樹がそろりと、人をかき分けて、掲示板に近づく。俺たちも娘の後に続いた。
「306番……」
夏樹が指で上から順に確認していく。口ずさまれていく数字。
300
302
303
305
……、……、
306
「――あったぁ‼」
歓喜の声。その瞬間、見知らぬ人たちが、「おめでとう!」と声をかけてきた。マサミおばちゃんが、孫さんからもらったというクラッカーを一発はなった。
周囲は、お祭りみたいになっている。
お祭りに歌は欠かせない。
ギターを取り出し、お気に入りの曲を歌いだす歩ちゃん。嫌味を言う秀一を睨みつけて黙らせる藤田君。
そんな様子を笑顔で見守る美香子。
「よかったね、夏樹」
「うん!」
ミスボーンは、俺のことをむんずと掴んで、こう言った。
「今のお気持ちは?」
冗談のつもりだったんだろうが、夏樹は俺を見て、ひまわりのような笑顔で、
「ありがとう、パパ!」
そう言った――
今、娘は都会の大学の寮にいる。
久しぶりに電話がかかってきた。
「もしもし、ママ?」
「どうしたの、夏樹」
「今日ね。多分雑種の子犬見つけたんだ。なんか可哀そうだから飼ってあげたいと思うけど、寮はペット禁止なの」
「あら」
「だから、今から家に行っていい?」
「飼うのはいいけれど、名前は決めているの?」
美香子の質問に、夏樹は、こう答えた。
「うん、“ラッキー”にしようと思う」
俺は、「まさかな」と思いつつ、大きなあくびをした。
良く晴れた、夏のことだった。
ひまわりのような笑顔の夏樹が、子犬を連れてやってくる。そんな日常が、俺は幸せだ。すごくすごく、幸せだ。
おしまい。




