あるがままの放浪亀
「待っててね。絶対に奇病の原因を探してあげるから」
優斗は、固まったままのラヴィの大きな爪にそっと手を触れながら言った。その瞬間、静電気のようにぶわっと何かが反応するのを彼は感じた。淡いエメラルド色の輝き。
「これは何?」
「女神フォルトゥナ様のアウラの力に似ております」
「アウラ?」
それは、言ってしまえば加護のようなもので、心のフォルスを強めるものだ。女神フォルトゥナから生まれた者は少なからず持っている。しかし、エルフィンは首を傾げた。
どうして魔物であるラヴィがアウラの力を秘めているのか。
「一度、頭の整理をしていいかい。この世界では心のフォルスがなくなっちゃうと、宝石化する奇病が流行っている。それが聖なる泉に関係しているかもしれないから、僕はそこへ行く」
「はい、その通りです」
「この世界の住人はすべて女神フォルトゥナ様から生まれていて、魔界のボス、デーモンとは敵対関係にある。魔物には心が無い」
「仰る通り!」
「でも、女神フォルトゥナの加護が施されていないはずのラヴィに、心のフォルスを強めるアウラの力が宿っている……これって、変じゃないかい」
「それは、生まれたばかりの私にはわかりません」
優斗は、この世界に知恵者はいないかと考えた。
(うーん……)
想えば想うほど、一人の高校の学校の先生が浮かんできた。いつも「国語の先生」と呼んでいたから、名前は思い出せないが、いつも哲学的な話をしてくる年老いた女性の国語の先生だ。
目を瞑って、再び開けばそこは広大な海に浮かぶ島だった。無人島かと思いきや、その島はゆっくりと、はてもない真っ青な海をさまよっている。まるで海に浮かぶ雲のようだと、彼は思った。
「もう、また余計な想像をしましたね!」
「ごめん。でも僕は聖なる泉を見たことが無いんだ。この世界の住人に聴いて回るしかないんだよ」
二人がこのような感じでわいわいやっていると、海からブクブクと長い亀の首のようなものが現れた。咄嗟に優斗の上着のポケットの中に入るエルフィン。大きな水しぶきは、彼の衣服をこれでもかというほどにびしょ濡れにした。
「……」
固まる。
目の前の光景に。
なぜなら彼は、大きな島の形をした一匹の亀の上に乗っているということに気づいたからだ。よく漫画やアニメ、小説なんかで観る非現実的な出来事である。
「お前さんは何者だい。勝手にこのミュゼット様の背中に乗るなんて」
「ち、違うんです! 僕は聖なる泉の場所が知りたくて」
少しの沈黙。ちゃぷちゃぷ水の跳ねる音が聴こえた。
「あるじゃないか、そこに」
「どこにですか」
「そこに」
「……」
困り果てる優斗は、果てしなく広がる海を見渡した。ここは海。泉ではない。それに、彼が想像しているような神秘的なものではなく、普通の海。
「これはファンタジアの重大な問題なんです。答えを教えてください」
「だから、ここに在るというからに」
「からかっているのですか」
「私は流されるだけさ。あるがままに」
ミュゼットの雲のような回答に、彼はどこか見覚えがあった。例の国語の先生だ。優斗は、古文や漢文は得意だったが、現代文は苦手な方だった。
作者の気持ちや、文脈から相手の意図を正確に読み取る能力が求められるような問題には、独自の考えを書いて、間違っていると指摘されれば、抗議をしていつも先生にはぐらかされていた。
「ミュゼットさんはどこへ行こうとしているの?」
「心地のいい波の流れに沿って、あるがままに。私の行先はそこさね」
「そんな生き方。楽しいですか。たった独りで」
「楽しい生き方ってなんさね」
優斗は、胸に手を当て静かに語りだした。まるで詩人のように。
「それは、仲間と手を取り合って、みんなで仲良く暮らすこと。みんなが笑って分け合って、等しく涙を流すことのない平和な……」
「興味が無い」
きっぱり断られ憤りを感じ、少し頬を膨らませる優斗。どうしてこの素晴らしさがわからないんだと、彼は心の中でミュゼットのことを哀れんだ。やはり異界の者。人間とは考え方が違うのだと、そう思った。
「はぁ、次こそ。聖なる泉へ行きましょう」
エルフィンがポケットからひょこっと顔を出して、あきれた様子で言う。
「そもそも、君は僕を正しき道に誘うために遣わされたんだよね。だったら、泉の場所くらい知ってるでしょ」
「……生まれたてなもので」
いまだポケットの中でもぞもぞしながら答えるエルフィン。
「もう。どうすればいいんだよ……」
そのやり取りを聴いていたミュゼットは、ふっふと笑って、彼らに少しのヒントを与えた。
「聖なる泉はそこにある。全てに届く場所。拳の距離よりも近い所にあるのかもしれない」
二人は確信した。ミュゼットは答えを知っている。しかし、それ以上は語らなかった。あとは自分で考えろということだろう――国語の先生もそうだった。大きなヒントを与えて、あとは優斗自身に考えさせる。
「はぁああ眠い」
大きなあくびをしながら、ミュゼットは次第に島ごと海の中にもぐり始めた。このままではまずい。彼は咄嗟に想像した。空をかける名も知らない大きな鳥にまたがる己の姿を。
想い、念じ、目を閉じる。
「――うわぁああ!」
開くと、優斗は曇天の空を焦がすかのように泳ぐ、炎の鳥の上にまたがっていた。彼の体や服が燃えることもなければ、風圧で振り落とされることもない。アウラのおかげであろう。
その鳥はどこか急いでいる様子だった。何かを探し求め、同じところをびゅびゅんと駆け巡っている。不思議に思った優斗は、勇気を出して、炎の鳥に声をかけてみることにした。




