オオカミ王子と義理の兄たち
王都から離れた場所にある深い森。
魔獣も生息するその森に張られた結界に問題が生じた。
結界監視のための駐留部隊から急ぎの伝令が入り、すぐに第一騎士団が現地へと派遣されることになった。
第一騎士団の団長は、クリストフ・ローゼンハイム。クラウディアの一番上の兄であった。
長男のクリストフは二十三歳にして未婚であったが、それもこれも、エリアス、ラルフ、クラウディアの三人のきょうだいたちが、大人になり自立するのを見届ける責務が長男にはあるのだと言って、自分のことを後回しにするような優しい人だったからだ。
クラウディアは、兄の派遣を特段心配はしていなかった。クリストフはいつも大きく、頼もしく、強い。いつも通り、笑顔で戻ってくるのだろうと思っていた。
現地への派遣から二日後、クリストフは家族のもとへ戻ってきた。
だがクラウディアの予想とは違い、いつもとは様子が異なっていた。クリストフは、かつてないくらいの大怪我をしていた。あの強い兄が、意識を失ったまま、目を覚まさない。
第一騎士団員たちから付き添われて、クリストフがローゼンハイム邸に運び込まれた時、クラウディアはエントランスホールで立ちすくみ、一歩も動くことができなかった。
「……うそ、クリス兄様」
「クラウディア、大丈夫だから部屋に戻っていろ。ラルフ、クラウディアを連れていけ」
ちょうど隣国から戻ってきている次兄のエリアスが、冷静に指示する。しかし、いつもは感情をおもてに出さないエリアスが、険しい顔をしていた。
「クラウディア、おいで」
「……嫌」
ラルフの腕から逃れ、クラウディアは運ばれるクリストフの後を追った。エリアスが第一騎士団員たちに状況を確認している。
「何があった」
「結界のすぐ外側で、生息地から外れたワイバーンが巣を作りかけていて、危険なので討伐することになりました」
エリアスは眉間の皺を深くした。
「ワイバーンか。毒がある」
「討伐は無事完了いたしましたが……」
「他の団員たちは無事なのか」
エリアスの問いに、団員たちは申し訳なさそうにうなずいた。
「団長お一人が、盾となり全ての攻撃を受けられましたので……」
「兄上の光魔法だ。敵の注意をひきつけ、我が身を捧げるように仲間を守る」
「同行していた聖徒の魔法では、回復が間に合わず……。我々が不甲斐ないせいで、大変申し訳ありません」
団員たちの泣きそうな声に、エリアスはさらりと答えた。
「危険な魔法だから使うなといくら言っても、兄上は聞かない。きみたちが気に病むことはない」
自室のベッドに運ばれたクリストフの後に続いて部屋に入ったクラウディアを、側にいてくれたラルフが、そっと後ろに下がらせる。
「クラウディア、邪魔にならないところに」
時を置かずして、大聖堂から急ぎ派遣された聖徒、聖女たちが駆け込んでくる。彼らはすぐに、クリストフを取り囲むようにして、回復魔法と解毒魔法を施していく。
エリアスは彼らを見渡せる場所で、まっすぐに両手を差し出す。
「ワイバーンの毒は、本来即効性だ。兄上の体内に宿る魔力が、それを遅らせてはいるが。このままでは間に合わない」
エリアスの手のひらがまばゆく発光し、そこから洪水のように溢れ出た光の波が、聖徒たちを足元から包んでいく。
「……!!」
エリアスの魔法に包まれて、聖徒たちは目を見開いた。エリアスはつぶやく。
「悪いが、無理をしてもらう」
クラウディアには、何が起こっているのか分からなかった。
その時ちょうど、息を切らしたイザークが、クラウディアの前に姿を現した。
「イザーク!」
「大丈夫か」
クラウディアの瞳から、ぶわっと涙が溢れ出ていた。イザークは胸をつかれたような顔をして、クラウディアを引き寄せて抱きしめた。
「イザーク、きてくれたのか」
ラルフのほっとした声。イザークがうなずいた気配がした。
「騎士団で連絡を受けた。テオドール様もまもなく戻られる。……クリストフ様の状況は?」
「今、回復魔法と解毒魔法を同時に。それでも間に合わないと、兄上が補助魔法を使っている」
「エリアス様の魔法で、威力が跳ね上がってるのか……」
「そう、だが体力も相当な速度で消費するぞ。終わったら皆、動けなくなるだろうな」
「見た感じ、普通の補助魔法より相当強力だな……。それを四人同時にか。エリアス様、まじでバケモンだな……」
最後は絶句したように言ってイザークは、クラウディアの後頭部を優しく撫でた。
「クラウディア、大丈夫だ。もう心配するな」
「……私、また、何もできない」
回復魔法が使えたら。これまで何度思っただろう。クラウディアはイザークの胸で、すすり泣いた。
「何もできないなんてことない。お前がいるだけで、クリストフ様の力になるんだ」
イザークは優しく、クラウディアの頭を今一度撫でてくれた。
「だからほら、顔上げろよ。クリストフ様とエリアス様を信じろ」
「……うん」
クラウディアはイザークの胸からそっと顔を上げると、クリストフの方を改めて見つめた。
体を離したクラウディアの手を、イザークがそっと握りしめてくれる。
「……クラウディア。お前の兄さんたちって、すげーな」
ともにクリストフを見つめるイザークがぽつりとこぼしたその言葉には、心からの敬意がこもっているようで、クラウディアの胸を熱くした。
* * *
聖徒、聖女たち、そしてエリアスの力もあって、クリストフはすっかり回復した。しかしながら父テオドールの命令で、しばらくは自宅で休養をとることになった。
余談ではあるが、クリストフの治療を終えた後、聖徒たちはラルフの予想通り、体力を使い果たしてその場から動けなくなった。一人涼しい顔をしてエリアスが、「よくやってくれた」とめずらしく美しい笑みを見せた。
今日は、最近王都で話題の菓子店から美しいケーキを取り寄せて、クラウディアはクリストフと一緒に庭園でお茶を楽しむ予定になっていた。
「クリス兄様。もう絶対、無理しないで」
テーブルの横に座って、上目遣いに睨むと、きょうだいの中で一番父に良く似た風貌をした兄は、穏やかに笑う。今では兄は、父よりももっと大きくてがっしりとした体躯をしている。
「そうだなあ。でも、俺には守らないといけないものがあるからな」
「それでも無理はしないで、お願い」
「……わかったよ。心配をかけてすまなかった」
クリストフは腕を伸ばして、クラウディアの頭をゆっくりと撫でてくれた。それをくすぐったそうに受け取ったあと、クラウディアはいつもの明るい顔を取り戻す。
「ほら、クリス兄様。見て、どれもきれいでしょ。たくさん食べてね。甘いもの、好きでしょ?」
「もちろん、我が姫君が選んでくれたものなら、何でも喜んでいただくよ」
まもなく庭園にエリアスとラルフが姿を現した。にこやかに手を振るラルフの横には、イザークもいる。
「クリス兄様、実はこのケーキ、私がお店に行って直接選んだのよ。イザークと一緒に」
甘いものが苦手なイザークは、それなのにクラウディアと一緒にケーキを選び、更に味見をしたいというクラウディアの希望を叶えるために、店舗でのお茶につきあってくれた。
イザークにとっては甘すぎたタルトは、途中からクラウディアのものになった。イザークは一口大にしたタルトをフォークに刺して、クラウディアの口に運んでくれた。頬杖をつきながらイザークは、飽きずにいくつものケーキを食べるクラウディアに、呆れつつも優しく笑っていた。
甘すぎる時間を思い出して上機嫌なクラウディアに、クリストフが嬉しそうに目を細めた。
「たまにはいいな。こんな風に集まるのは、久しぶりだ」
「お父様も、休暇が取れたら良かったのに」
「俺に休みをくれたから、父上は代わりにお忙しいんだ」
父はローエンベルグ王国騎士団の総団長として、第一騎士団長不在の穴を、自ら埋めてくれている。
「そうだ、後で騎士団へ持って行くわ! お父様にも、食べてもらいたいもの」
良いことを思いついて目を輝かせたクラウディアに、クリストフも優しくうなずいた。
「行っておいで。イザークと一緒に」
空が明るく輝く、しあわせな昼下がりだった。




