偽王の焔
私が好き勝手に獅子身中の虫を磨り潰して回った結果、痺れを切らした北の国は強引な手札をきってきた。
王宮での内乱である。
正直、読み間違えた。私もまだまだ甘い。
内乱と言いつつ、まあ、北の内通者が私兵を動かしてクーデターっぽいことをやろうとしただけで、実質敵襲。
北の国境への進軍も同時だった。
それをやるなら私を排除してからだろうと思っていたのだが、どうやら私は擬態が上手過ぎたか、まったく脅威に当たらないと判断されたらしい。
舐められたもので、私のところに来た兵士どもは、うちの雑用係一人でなんとかできる雑魚だった。元馬丁に負けるとかお前らそれでも職業軍人か。
「マジェスティ、退路と血路のどちらをご用意いたしましょうか」
「陛下のもとに参ります。お前は好きな時点で下がって良いわ。これまでありがとう」
「先導いたします。御無礼の段あらばいつもどおりご容赦ください」
主人の前に立ちふさがる塵芥は全部掃除してくれる頼りになる雑用係のおかげで、私は怒号が飛び交う王宮内を、無人の野を行くがごとく何の障害もなく王の御座所に向かった。
療養明けにここに来た日のことを思い出す。あの時は白いドレスだった。
今日は黒いドレスだ。これは戦没者の喪に服すという名目で仕立てたものなのでアクセサリーは真珠と水晶。喪服は黒という風習がないこの国では、上流階級の貴婦人のうち私に賛同するものは黒を身につけるという形で広まり、一種の政党カラーになっている。
実用性はさておき、この局面で最期の衣装が黒尽くめというのは悪い王妃としてなかなか良いのではないだろうか。
我が王よ。あなたはどのような姿を見せてくださいますか。
大階段から精霊の間に向かう二階の大扉の前は近衛が死守していた。
現状でここまで来ていた寄せ手を一通り薙ぎ倒したうちの雑用係は、倒れた近衛から屋内用のポールウエポンを借りて大扉の前に立った。
「お急ぎを。マジェスティ」
「機を見て引きなさい」
私は彼が開けてくれた大扉の隙間を素早くすり抜けた。
奥の宮の美しい通路には人けがなかった。
漆黒のドレスの裾を引きながら、両肩から長く垂れるレースをひるがえし、装飾文様が刻まれた飾り柱の間を進めば、喧騒が遠ざかっていく。
突き当たりの扉は開かれたままで、近づくにつれて、声高に言い争う声が漏れ聞こえてきた。
「……して」
「その手を離せ!」
声は二人……いや三人。
王と女、三人目は伯父上の代わりに筆頭宰相の座に就いたいけ好かない無能。
「愚かなりレオニダス!」
「黙れ」
「偽の言葉を信じ、偽りの愛におぼれた偽王よ。奪い取ったそのすべて、偽の子に継がせるがよい」
「その子は偽の子などではない」
不快な哄笑がこちらにまで響いてくる。
「そうとも! 正真正銘、俺の子だ」
「やめて! 違うの! 違うのよ!! ただ私は……そんな目で私を見ないで」
「すべて偽りか」
「違うわ、最初は偽りだった。でも私はあなたを」
「信じろ信じろ! 愚か者の王よ。女とはこういう生き物だ」
一緒にするな。
文句を言ってやらねばと、一度止めていた足を踏み出そうとしたとき、不意に女の叫び声が響き、不快な声の主が驚きの声を上げた。
「き、きさま、何をする……血迷ったか……なぜ自分の子を」
「私の王への愛は本物。その証のためならこのような子など……」
「ええい、気狂い女め! 短剣を捨てろ」
「お前も……いらぬ」
「裏切り女めがぁっ」
何かが床に強く打ち付けられる音と断末魔が立て続けに聞こえた。
開け放たれた扉の向こうでは、灰色の宰相服を着た男が、血に濡れた剣を手に肩で息をしていた。
男の前には第三妾妃。一目で事切れているとわかる酷い有様だ。白い大理石の床に広がっていく赤い染みを目でたどれば、その先にはもう一つの血溜まり。私はその中央の“おくるみ”を直視できず、視線を上げた。
そこにレオニダスがいた。
黒革のロングブーツには、傷を庇い歩行を補助するための金属の外骨格。赤と黒の礼装の王の、左前腕の小手と一体化した黒い杖を握る手には腱が浮いている。服にも杖にも補助具にも、王家の精霊の象徴である炎の装飾文様が金で華麗に施されている。それらに負けない金色の、堂々たる獅子を思わせる髪に縁取られた顔は蒼白。
削げた頬と鼻梁の高い鼻、奥歯を噛み締めた顎の鋭い線で構成されたその生気のない顔の中で、ただその眼だけがギラギラと光を放っていた。
床に打ち付けられた“我が子だったもの”を凝視していたその目が、瞬き一つせぬままギョロリと動いて、剣を握った男を見据えた。彼の両の目の虹彩が金色に輝き、チリチリと周囲の大気が揺らぎ始めた。
「ひっ」
似合わぬ灰色の服を着た男は、思わず怯えた声を上げたあと、その事実を虚勢でごまかすように剣を振り上げた。
王の怒りが金色の焔となってほとばしった。
大理石の上を自然な燃焼ではあり得ない炎が四方に奔り、大広間に掛けられていた深紅の飾り布やカーテンが燃え上がる。
「滅びよ」
王の口から漏れた言葉は、呪いのように重々しく響いた。
「せ、精霊の怒りに触れて呪われたか、偽りの王めが……死ねぇっ!!」
怯えながらも踏み出した男の剣は、かわすことのできない王に過たず振り下ろされた。
王は切られてなお平然と男を見下ろした。
「この化け物めがぁ……」
灰色の男の身体が傾ぐ。
「……そのまま炎の精霊に焼き尽くされてしまえ」
そう言い残してゆっくりと倒れた男の胸には王の黒杖に仕込まれていた細剣が突き立てられていた。
ハ……ハハハ…ハハ……
王の乾いた狂笑が響き、金色の炎が次々と広間の調度に燃え移っていく。
「我は精霊などには殺されぬ」
己の周囲の屍を見下ろし、慈悲深くさえ見える笑みを浮かべた王は、中空に向かって叫んだ。
「見よ!人を殺すのは人だ」
倒れ伏した無残な屍達を金色の炎が覆い、真っ白に燃やし尽くしていく。
燃え盛る炎の只中で、我が王は初めてこちらに向き直った。
「カサンドラ」
彼の金色の瞳は狂気に渦巻いていたが、その声はむしろ穏やかだった。
「私を殺しに来たか」
私は深々と謁見の間に相応しい礼をとって、我が王に頭を垂れた。
「それがお望みとあらば」
よろしくば共に、と約したことをお忘れかとは問わなかった。
大気がチリリと揺らぎ、私の黒衣の裾が黄金の焔で縁取られた。
精霊は恩寵の名の下に望まぬ望みを叶える。




