伏した獅子と舞い降りた白鳥
それにしても!
どうにも無理解と行き違いが惨すぎませんかっ!? もうちょっとこうなんとかさぁ……ねぇ。
とにかく、何もかものタイミングが悪い。ローテク世界の通信事情と医療知識が最悪すぎる。
産業革命以前の異世界なのはわかるけれど、だったら魔法とかないの? あれだけ公式行事のたびに、精霊の加護と恩寵がなんたらって讃えさせるなら、便利魔法ぐらい使わせろ〜っ。
魔法は無理にしても、調べれば調べるほど、当時の状況はひどかった。
妊娠後期のカサンドラに、敵軍の奇襲、王の安否不明の連絡だけ入れて心配させ続けた伝令部隊は本当に気が利かない。王が不在の間、バンバン代理で国務をやらせた周囲も呆れるほど気遣いがない。
王の生死が不明という状況で、王妃の権限を拡大できる間に、御しやすいカサンドラにあれこれやらせておきたかったというのが当時実質的に王宮を仕切っていた奴らの本音なのでは? と疑うレベルで、国王の生存を伝える報が届くのは遅かった。
彼女の執務室の資料を確認したとき、公務の日程と執務記録を見て正直引いた。妊娠、出産に関する意識が低すぎるだろう、中世世界め。
自分も学校の義務教育と貧弱なネット知識程度にしか教養はないが、それでもこれはないだろうと思ったぞ。
なにせ異なる世界なので、自分のうろ覚えの知識がどこまで合っているのか確証はない。でも、ストレスとつわりで具合の悪い妊婦に瀉血を勧めたバカは張り倒して良いと思う。血を抜くなアホウ。栄養のある飯をうまく工夫して調理してちゃんと食わせろ。
転生後の私の療養生活にも言えることだが、とにかく食事への熱意が足らない。栄養バランスって知ってるか? 知らないよな、中世だもんな……暗黒か! まったくもう。日本人なら平安時代でも食には気を使ってたぞ! (たぶん。知らんけど)
回復が必要な人間にずーっと薄いパン粥や麦粥だけでは色々足らないんだよ。ほら、コーンフレークのパッケージの裏の五角形だか六角形だかのレーダーチャートみたいにまんべんなくいるんだって。とりあえず卵と牛乳プリーズ。あと野菜もください。園芸作物の品種改良が進んでいなければ、この際、山菜でもいいから採ってこい。
それに適度に運動しないと人間の身体って衰えまくるんだよ! スポーツジム用意しろとは言わないから王妃宮の中ぐらい散歩させろ。療養という名目で監禁して衰弱死させる気か。
私はバッドエンド耐性は高いが、破滅願望はない。
衰弱死は嫌なので、やつれて衰えた身体を回復すべく、素人ながら自分でリハビリ計画を立ててがんばった。ちくしょう。衰弱を理由に面会謝絶、外出禁止なんて言わせないぐらい回復してやる。
だって、悔しいじゃないか。
このまま疎まれて使い捨てられて顧みられないままだなんて。
それでは、カサンドラが報われない。
レオニダスはとっくに王宮に戻っている。
私はまだ彼と顔を合わせたことがない。
§§§
レオニダスの宰相派閥への反発はますます強くなった。
一族の出である私も遠ざけられた。元々、結婚したときにつれてきた実家からの侍女は帰されていた。干渉を嫌った王が、私と実家とのつながりを弱くすることを望んだからだ。
実質、私には頼れる相手も、頼る手段もほとんどなかった。
王に書いた手紙は黙殺された。
そもそも王の目の届くところにまで、私の手紙が届いたかは疑わしい。
転生前の自分は、陰謀論はフィクションとして楽しむスタンスだったが、転生してリアルに巻き込まれることになるとは想定外だった。
自分と王を取り巻く状況を冷静に検証していくと、双方の当事者の間に薄い靄のような悪意の存在を感じた。
最初は宰相を疑った。しかし、王につけた"首輪"である私の影響力を弱める工作は宰相にとって意味がない。
私は"健気な王妃"のロールをこなし、ブラフを交えつつ、慎重に情勢を探った。
結論から言うと、黒幕は居た。
なんと国外からの干渉だった。
王に取り入って、王を既存国内派閥から切り離し、重要な役職に手先を送り込んで国を乗っ取る。
陳腐なほど型通りの陰謀で、これ◯◯で見た奴だ、と言いたくなるレベルだった。なんでこんなもんに引っかかるかなぁ。
類例と創作に学ぶという習慣がないと、賢い人でもこんな典型的な罠に引っかかってしまうらしい。
いや、違う。
渦中にいないから多少見えているだけの私が、私よりも賢い人たちを侮って嘲るのは間違っている。彼らはその程度は見えているのだろう。それでなおその誘惑に乗ってしまうほど精神的に追い詰められて視野が狭窄しているか、逆にそれを利用できると思っているのだろう。
私はレオニダスに想いを馳せた。
南方戦線の英雄。カサンドラの夫。
強くて、弱くて、傲慢で、繊細で、過去にとらわれることを嫌いながら今も絡め取られてあがいている……。
私の簒奪王。日輪を喰らう獅子。
その栄光の影の苦悩と逃避を愛す。
でも、それだけで済ますには私はカサンドラの想いを受け継ぎすぎてしまった。
§§§
私は白いドレスを用意した。
白鳥の翼の意匠が織り柄と銀糸の刺繍で入っているシンプルなシルエットのものだ。装身具は金と黄玉。
侍従と侍女頭を別用で留守にさせた隙に、馬丁に馬車を用意させる。
この馬丁は身分が低すぎてどこの息もかかっていない上に、些細な菓子やちょっとした笑い話で私の頼みを引き受けてくれる便利な気のいい使用人だ。
王妃が王宮に上がるにしては何もかも足らないが、お忍びなら最低限の格は満たしているだろうという馬車は、軽快に王妃宮を抜け出す。
王宮に着くなり、先触れと警備の兵を置き去りにして、私は王のもとに向かう。
前を向き、背筋を伸ばして、颯爽と。
北の大河に舞い降りる白鳥のように、私は王の座す部屋に入った。
「天の祝福と大地の恩寵を賜わりし常の王国の並びなき王にご挨拶申し上げます」
応接の間ですらない王の私室で、私はまるで大広間で行われる式典のように格式張った礼をゆっくりと優美に行った。そして、王という地位への礼儀はこれで済ませたぞ、とばかりに、昂然と顔を上げてまっすぐ正面から部屋の主を見据えてやる。本来なら許されざる無礼だが知ったことか。
「国王陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
深い微笑みを浮かべながら落ち着いた声音でそう告げる。定型の空々しい挨拶の言葉だが、宣戦布告のように聞こえたかもしれない。
初めてお目にかかる我が王レオニダスは、まったくご機嫌麗しくは見えなかった。
暗紅色を基調とした重厚な調度の部屋で、彼は詰め物の多い大きな寝椅子の様なものに深々と身を埋めていた。
かつて黄金の獅子と称えられた英雄は、しなびた土気色の顔を驚きといくばくかの恐怖に強張らせていた。
ああ、あなたはこのような人であったか。
相手の恐れが明確な拒絶に変わる前に、私は歩を進めて彼の間近に立った。
記憶にあるよりも体躯が一回り小さくなったように見える王の頬は、やつれているのに張りがなく弛んでいて、かつてカサンドラが見惚れた力強い顎や喉仏のラインはすっかり崩れていた。
それでも、私の眼差しを受け止めた彼の眼は、記憶にあるとおりに激しくて、そこに揺らめく情動は私を魅了した。
反発、感嘆、拒絶、興味、警戒、罪悪感、疑念、そして、このような己の姿を見られたくはなかったという羞恥。
融けた黄金の焔。なんという愛おしさか。
「誰がお前をここに寄越した」
「私が自らの意思で参りました」
王が軽く手を挙げると、背後の近衛の気配が下がる。
「なに用だ」
私は王の傍らに、翼を休める白鳥のように静かに跪いた。静かな部屋に、白いドレスの衣擦れの音だけが響く。
「ただ一目お会いしとうございました。これが最後になろうとも」
王の合図で近衛や従者が全員部屋を退出した。
「変わらぬな……だが、変わった」
「あまりにも大切なものを失い、かわりになにがしかを得ました」
「そうか」
王の目が追憶に沈む。
彼の意識が目の前の私のところに戻ってくるまで、私は黙って待った。
「責めぬのだな」
「もう己で己を罰しておいでなので、今さら私が責めてもせんのないことでありましょう」
「お前も己を罰したのか」
「はい」
「そうか……だが生きることにした、と」
「はい」
私は肘掛けに置かれた彼の骨ばった手に、白いレースの手袋をはめた手をそっと添えた。
「よろしくば共にあらんと」
彼はつらそうに目を細めた。暗く陰った眼差しの奥で火が消える。
「第三妾妃に子が生まれる」
「存じております」
月足らずの子だ。王の実子ではあるまい。
「あれが妃の座に上がって良い女だとは思っていない。だが、あれは子をなすほどに私を愛している」
「陛下は愛情の多寡で子が生まれるとお思いなのですか?」
「私はお前を拒絶したまま戦地に赴いてしまった。お前が私のことを憎んだとしても仕方があるまいとは思っている」
「憎しと思って我が子を殺めたと?」
「せぬだろうな……お前はそうはせぬ女だ。だが精霊は違う。アレは恩寵の名の下にお前の望まぬ望みを叶える」
あまりのことに目眩がした。
ここまで迷信深いとは!
うちの専属医師の知識もかなり怪しかったが、王がこれとは恐れ入る。 王妃宮の洗濯女のおばちゃん連中の方が妊娠出産に関する知識は豊富だったぞ。保健体育と生物基礎の教育を義務化しろ、バカモノ。
「愛も精霊も関係はありません」
「我が母は父への思いで私を産んだ」
そこかーっ!
これまで誰もこの王のファンシーな思い込みを訂正できなかった理由がよくわかった。彼が王の子であるというアイデンティティの根幹が、あり得ない産み月で彼を産んだ母が言い張った、その無理筋のファンタジー設定によっているのだ。
なんと哀れなことだろう。
彼自身、それが真実ではないとどこかで疑いながら、己の母と己の出自を庇うために、それを信じざるを得ないのだ。
そしてその虚構が、今、安い嘘で彼に擦り寄る詐欺女を愛妾と呼ばせ、カサンドラの愛を無かったことにしてしまう。バカなこの人は、己が選んだ真実で己が深く傷ついているのに、気付いていない。
愛の信仰はこの人にとっては呪いだ。
それでも……。
私は重ねていた彼の手をとって、そっと彼の胸の上に置いた。
「信じておいでなのですね」
「人の子の出生は精霊の恩寵だ。人の知ではかるものではない」
その精霊を祀る聖堂と祭司達を疎み、権力を削いで国の中枢から排除している王は、己が加護と恩寵を得る血脈にはつながらないことを突き付けられて生きてきた。代々、王家と同等に恩寵を賜ると言われている旧家の出のカサンドラとの子は、彼にとって特別な意味があったはずだ。
信じるが故に嫉み、裏切られたが故に存在を否定する。
なんと無残なことであろうか。
「人の子は、人と人がなすのですよ。この世は人が為すべくをして成すのです」
この人はもはや同情も救済も私に求めてはいないだろう。だからただ、一方通行の深い深い理解と沸き上がる愛おしさを込めて、彼の名を呼ぶ。
「レオニダス。私の猛き獅子」
あなたに私の思いも言葉もきっと届きはしない。だが、それでも構わない。
「王妃宮から離れることをお許しください」
ハッとした彼を安心させるために微笑む。
「はい。お察しのとおり、本日はお暇をいただくつもりで陛下にお別れのご挨拶をしに参りました……でも、考え直しました」
私は立ち上がって、玉座とは言い難い寝椅子に埋まった王を見下ろした。
「あなたが己が為したい道を自ら歩めるように、微力ながらお側にて尽力させていただきます」
「たとえお前が王宮で王妃として権勢をふるっても、私は我が子を宿した妾妃を見捨てはせぬぞ」
「お好きになさいませ」
騙されたいのもあなたの望みだろう。
それが破滅への道と知りつつも歩むあなたを私は好いたのだ。
「望んだ女と添い、望んだ子供を得なさい。邪魔立てはしません」
私の歪な愛情は誰にも理解されぬだろう。だからあなたは自分が信じたい愛情を得て満足すればいい。
私は己にできることを為すだけだ。
「まだその身の内に、何かを果たしたい炎があるのなら、私を利用しなさい、レオニダス」
私はカサンドラらしく昂然と言い放ち、彼に向かって手を差し出した。
「立ち上がり方を教えて差し上げますわ」
覚悟しなさい。
この手を取ったのなら、私の食事療法とリハビリプランに従ってもらうわよ。




