8、後日談
みずみずしい新緑が、街路を彩り始めている。
繁る緑とその影が、色を濃くしていく。
街中に滲み出る季節の移ろいを見下ろしながら、耳ではメイドの案内で二階に上ってくる客人の声と足音を拾っていた。
***
「おはようシャーロット。体の具合はいかがですか?」
「最悪よ」
見舞客は、一顧だにせず返事を寄越した部屋の主人の冷ややかな態度に、眉尻を上げた。手に持っていた荷物をテーブルに置いて、窓際に立って背を向ける金髪の少女に歩み寄る。
「休養に入ってずいぶん経つのに、それは由々しき事態ですね。医者が仕事をしていないのでは?」
「ウェリント先生は関係ないわ」
そっけない物言いを返され、ヴィクターはため息をついて婚約者の横に並んだ。
「何を怒っているんですか」
窓の外に向いていた青い目が、そこでようやくヴィクターに向いた。ぎろりと、不満をありありと映して。
「……なんで届くお見舞いがどれもこれもお菓子なのよ」
「まさか、嫌だったんですか?」
「嫌っていうか、もっと他にあるでしょ!? 毎日のようにエクレアだのチョコレートだのケーキだのとそればっかりじゃなくて、例えば花とか! 心のこもったお手紙とか!!」
「何よりはしゃぐ見舞品だと思ったのに」
「子ども扱いしないでよね!!」
腕を組み、ぷいっと顔を背けたシャーロットを見下ろして、ヴィクターはまたため息をついた。
――そこに滲む安堵を感じ取り、シャーロットは肩をいからせたまま、気まずさに目を泳がせる。
「……一応、食べたから」
「それはよかった。男爵の反応はいかがでした?」
「……」
「……ひとりで全部食べたんですか? 八本のエクレアも、箱いっぱいのボンボンチョコレートも、直系25センチのホールケーキも?」
「だって、スポンジがふわふわで、いくらでも食べられそうだったし」とぶつぶつ呟いていたシャーロットは、今度ははっきり呆れのため息をついた婚約者の気配にまなじりをつり上げて振り返った。
「何よ! 悪かったわね食い意地が張ってて! そっちだってね、お見舞いの品がワンパターンなのよ!」
澄まし顔のヴィクターがわざとらしく視線をそらす。それを見たシャーロットは声と同じくらい荒々しい足取りで窓際を離れると、さきほど男が手放した荷物のもとに向かった。
鮮やかな包装紙に包まれ、花の形に結ったリボンで飾られた箱は、シャーロットが両手で抱えるほどに大きな円形の箱だった。
「また性懲りもなくこんなに大きいの買ってきて! えぇえぇ、わかってるわよ、今度はお父様と一緒にいただきますとも、今すぐにね! 言っておくけど、あなたの分なんてないんだから!」
わめきながらリボンを外し、ガサガサと包装紙を解いていく。客人を招く宴で出すケーキもかくやという大きさだったが、シャーロットはためらいなく、かつ、慣れた手つきでぱかりと箱を開け。
沈黙が訪れた部屋の中で、絨毯を踏みしめ、男は少女の隣に並んだ。
「俺の分は、お構いなく」
姿を現したのは、オーガンジーや絹で作られた花飾りも美しい、軽やかなボンネットだった。
「部屋の中で休養をとるしかない身では、菓子くらいしか楽しみがないかと思いまして。で、そろそろ外に出たそうだとリンディ嬢が教えてくださったので、かねてより注文していた品を取り寄せたんですが」
ヴィクターは自らそれを箱から持ち上げ、レースや飾りの具合を確認すると、金髪の上に丁寧にかぶせ、小さな顎の下でリボンを結んだ。
「まあ、男爵と共有するというなら、ご自由に。……できれば、あなたが俺と出かける約束をした日は、男爵には我慢していただきたいところですがね」
つばの下の白い頬が、みるみるうちに真っ赤になっていく。それをヴィクターは満足げな笑みを浮かべて見下ろしている。
シャーロットはそれを憎らしく思いながら、小さく開けた口からぼそぼそと言葉を紡いだ。
「……ありがとう、とっても素敵」
「聞こえなかったな」
「っ、お、大人げないわよ、年上のくせに!」
やっとの思いで口にした、謝罪も兼ねた礼も、すぐにまた喧嘩腰のわめき声にとって代わられるのだった。
――花は、また今度。
この国の、全てのバラが散ってから、全然違うものを見に行こう。
柔らかな心についた傷が、少しでも癒えたあとで。
あの庭のバラより美しいものを、今はまだ、あなたは認められないだろうから。
鏡を前に、かぶった帽子をきらきらとした目で見つめるシャーロットを眺めながら、椅子に腰かけた男は低くぼやいた。
「……別にいいんだけどな。大人扱いしてやっても」
「? 何よ、今またなんか言った?」
「何も」
おしまい!




