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【電子書籍化】この恋は秘密と醜聞で溢れている  作者: あだち
番外編 無垢の審判

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2、バラ屋敷


「お待ちしておりました。フェルマー様、ワーガス様。アリスお嬢様のもとへご案内いたします」


 子爵邸の玄関前で馬車を降りると、二人は女中に案内されて屋敷の庭へと回った。

 色とりどりの花が咲き誇る庭園に、美しいクロスのかかったテーブルがいくつも出されている。次々と料理が運ばれていく中、女中頭の横に並んで立って使用人たちに指示を出す、明るい栗色の髪の娘がいた。


「アリス!」


 シャーロットが弾んだ声を上げ、女中を追い抜く。呼ばれた娘もハッと顔を上げ、緑の目を眩しそうに細めた。


「シャーロット、よく来てくれたわね! あらっ、その蝶々つけてるの!」


 十七歳の少女たちは、バラの花に囲まれた庭園で互いに抱き合い、頬を擦りつけて子犬さながらにはしゃいだ。


「ふふっ、懐かしいでしょ! それよりお招きありがとう、またここに来れてうれしいわ! お言葉に甘えて、ヴィクターも連れてきたの」


 編み込み、後頭部でシニヨンにまとめた髪を飾る蝶のアクセサリーを見せてから、シャーロットは満面の笑みで親友に婚約者を紹介した。案内の女中の後ろに行儀よくついてきたヴィクターが、品よく微笑む。


「ヴィクター・ワーガスです。彼女の無二の親友ということで、お会いできるのを楽しみにしていました」

「はじめまして伯爵、ようこそお越しくださいました。ささやかな宴ですが、ぜひ楽しんでいってください」


 そう言って礼をすると、アリスはシャーロットに向き直り、その腕を引いて潜めた声で問いかけた。


「……意外だわ、一年生の頃にあなたが言ってた“結婚相手の身分にはこだわらない”ってこういうこと? すっごい指輪もらってるじゃない」


 左手薬指、手袋の上から付けた見事なブルーダイヤの婚約指輪を一瞥する目は、驚きを超えて『引いて』すらいる。

 そんな親友から、シャーロットは気まずく目を逸らした。どう見ても、現状は“相手が結婚相手の格にはこだわらなかった”おかげだ。


「……言ってくれるわね。どうせ格差婚よ」

「悪いけど本当にね。いったいどうやって射止めたの? あんまり急な婚約発表だから、社交界で変な噂立ってるのよ」


 変な噂、と言われてシャーロットは苦い顔をした。


「知ってるわよ。私が彼の寝室に押し掛けたとか、婚前旅行中に同室で夜を明かしたとかでしょ?」


 未婚女性には痛手となるこれらの噂は、シャーロットの場合すべて真実だ。ただ、その真相は世間の思惑とはだいぶ異なる。

 幸いなのは相手とそのまま婚約の運びとなったことと、婚約相手そのものが国内でも有数の名門伯爵その人であるということだ。影ではともかく、女王の覚えめでたい本人に正面切って失礼をかます貴族はそうそういない。 

 だからシャーロットも、ヴィクターとともにいる場面では、表立って噂の真偽を尋ねられるような場面はあまりなかった。


 ――今のような、ごく身近な人間が、他の貴族のいない場で、ヴィクターを避けて、という状況でない限りは。

 気の置けない親友に対し、シャーロットはおどけて誤魔化す作戦に出た。


「噂話なんて、ポールマンさんったら品がありませんこと」

「じゃあ違うのね?」


 直後に閉口したシャーロットとは逆に、アリスは口をあんぐりと開けた。


「まさか本当な」

「――アリス」

 

 シャーロットの前で、今度はアリスが口を噤む。 

 遮ったのは、苛立ったような壮年男性の声だった。


「エレーナはどこだ? また起きられないのか? なんだ、この庭の様子は……っなんと、ステューダー伯爵ではありませんか!」


 振り向けば、庭と屋敷をつなぐ開けっ放しのガラス扉の向こうに、栗色の髪に白髪を交えた中年の紳士が驚き顔で立っていた。

 呼ばれたヴィクターが、男に向けて仕事用の笑みを口元に貼りなおす。


「お母さまなら知らないわ。それにお父様ったら、先週言ったじゃない。今日はシャーロットのためのパーティーを開くって」


 憤然としたアリスの言葉に、子爵はたいした関心を示さなかった。娘が背を押して存在を主張したシャーロットには一瞬だけ愛想笑いをして、すぐに体ごと“ステューダー伯爵”へと向き直る。


「ようこそ、ご令嬢。いや、しかしステューダー伯爵がいらしているとは知らず、ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。それでどうです、西の開発の情報などお聞きになりましたか」


 あからさまに態度が違う父親の様子を受けて、アリスは気遣うようにシャーロットへ目配せした。


「ごめんなさいね。あっちに行きましょ」


 謝られて、シャーロットは肩を竦めた。むしろ話が逸れて助かったとは、口に出さない。


「いいのよ。それより、クローディアはどこ? もうじき始まるのに、バーリス先生も見当たらないし……テーブル準備、間に合うの?」


 子爵の話に付き合う婚約者を置き去りに、シャーロットは友人の腕に自分のそれを絡ませてテーブルの間を歩いた。ことさら明るく言って周囲を見渡し、招かれているはずの友人や恩師を探す。

 しかし、アリスは父親の無礼以上に申し訳なさそうな表情をした。


「それがね、あなたへの招待状だけ時間を間違えて送ってしまったの。開始は一時間後だし、人が集まり始めるまではまだ三十分くらいかかると思うわ」


「え!?」声を大きくした親友に、アリスは顔の前で手を合わせる。


「あなたが主役だからと、はりきって最初に書いたせいね。そのあと時間を変更したのすっかり忘れてたの、本当にごめんなさい」


 衝撃的な言葉に、シャーロットは「そ、そう」と返し、しょんぼりと肩を落とした。次いで、ぐぅ、と鳴ったお腹に頬を赤らめ、眉尻までが落ちる。

 

「そんなことなら、朝ごはん食べてくればよかったわ」

「あら、また寝坊したの。午前中の約束には本当に弱いわねぇ」


 けらけら笑ったアリスが「呼ぶまで、奥で時間潰してて」と並んだバラの木の向こうを示す。シャーロットは気安さゆえのこれ見よがしなため息とともに、指示に従った。






 塀のように並び立つ木々に、白やピンクのバラが可愛らしく咲き誇っている。そこは、景観の見事さとは裏腹に、アリスと話した場所とは打って変わって人気(ひとけ)のない一画だった。

 けれどそこかしこの枝にリボンが飾ってあり、木々の下には白いテーブルセットがひとつ。そこにも菓子が置かれていることから推察するに、軽食を楽しんだあとにはここにも客人を案内して、甘い物を摘まむのだろう。


 招待されるのは、シャーロットと寮でルームメイトだった少女をはじめとした友人たちが主で、それから作法に厳しかった恩師がひとり。

 そのことを考えて、シャーロットの口から重いため息がこぼれた。


「クローディアたちと会えるのは嬉しいけど、なんでバーリス先生まで呼んだのかしら」


 彼女は担任教諭とは別だが、シャーロットはこの恩師に授業どころか日々の振る舞いも散々注意され、ことあるごとに居残りをさせられたので、因縁深い相手だ。

 二年間、シャーロットと行動を共にしつつも優等生だったアリスには、特別な子弟にでも見えていたのだろうか。ただの落ちこぼれと鬼教師だっただけなのに。


 ヴィクターの前で叱られたらみっともないではないか。ホストが親友でなければ、シャーロットがステューダー伯爵と婚約したことへの嫌がらせだろうかと疑うところだ。


(……そういえば、アリスは婚約者と微妙な仲なんだっけ)


 シャーロットは重なり合う花弁を見つめたまま、眉を寄せた。

 クローディアの手紙曰く、ことあるごとに他の令嬢に馴れ馴れしく接して眉をひそめられているから、シャーロットも気をつけろとのこと。

 卒業してからこの方、かつての恋人と今の婚約者とのことで頭がいっぱいだったシャーロットは、社交界の噂に疎くて全然知らなかった。


「ヴィクターとのことを祝ってくれるのは嬉しいけど、複雑ね」


 独り言ちてはみるが、ここで軽々しく友人とその婚約者の仲を取り持つなんてことはできない。下手に動くと自分の醜聞にアリスまで巻き込んでしまいかねないだろう。

 ため息をついたのを区切りとし、シャーロットは思い悩むのをやめた。ひとまず今日は、彼女の友情に甘える日だ。そう考えなおし、テーブルに身を乗り出すように咲き誇るバラの群れに目を向ける。菓子の乗ったスタンドとバスケットにも。


 花とは異なる芳しい香りを嗅ぎ分けて、再び腹がぐうと鳴った。


「……それにしても、本当に見事なバラだわ」


 シャーロットは、花に注意を戻した。ガラススタンドの真上で咲くピンクと白がマーブル状に交じった花の品種はなんだろうかと思いを馳せる。赤いバラの中には早咲きの品種も混じっているのか、薄紙をはさんでチョコレートの盛られたバスケットの後ろにはもう枯れた花もある。


「……こっちには、誰も来ないのね」


 シャーロットは周囲を見渡して、ぼそりと呟き、そしてまた、テーブルに視線を戻した。

 ガラススタンドに並べられたエッグタルト。バスケットに山と盛られたトリュフチョコレート。


「……ああ、あなたがいけないのよミス・ポールマン。あなたが招待状の時間を間違えるから」


 芝居がかった言い回しだが、罪悪感たっぷりの声だった。だが無念そうに目を閉じたシャーロットは、右手の手袋をそっと外し、トリュフチョコレートを一つ、素早く口に放り込む。

 舌の上から腹の底へと染み渡る甘みに感動した。同時に、『フェルマーさん?』と睨んでくる恩師の顔が浮かんだ。


「……お返しのお祝いパーティーではきっと早起きします、お許しを」


 シャーロットは手についたココアパウダーが花にかからないよう丁寧に払った。

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